『けものフレンズ』、自分もすっかりはまってしまっており、家に帰るとずっとdアニメストアでループ再生している、そんな感じの今日このごろです。
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ねこねこブログ : けものフレンズはなぜ見ていて泣きたくなるほど切ないのか。寂しいフレンズ達と題名『けものフレンズ』 - livedoor Blog(ブログ)
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そんな中で自分がわざわざブログなんか書いても、屋上屋を架すようなことになるだけかなー、とも思うのですが、でもやっぱ書きたいので書きます。
『けものフレンズ』が打破する人間中心主義の隘路
自分がこの作品を見ていて一番好きなシーンは、サーバルちゃんと一緒に行動する、おそらく人間のかばんちゃんが、さまざまな特性を持つ他のフレンズに助けられながら進むその中で、セルリアンに対して紙飛行機を飛ばして気をそらしたり、川に橋をかけたりして、さまざまな「工夫」を編み出す、そんな瞬間だったりします。
なぜそのシーンが好きなのか。それは何より、人間というものが、他の動物とくらべて別に特別な存在ではない、フラットな立場にいる1つの「種」であること、そしてそのフラットな立場から、他の種との差異として、「知恵」を持っているということが描かれているという点にあります。
人間というのは他の動物とは違う、特別な存在であるというのは、長らく支配的な考え方でした。そして、その考え方の中心にあるのは、「人間には内面がある」という考え方です。人間ではない動物や物には、人間のように高度な自意識を持ったりすることがなく、自己というものに対して深く考えたり、文化を生み出したりすることができるのは人間だけ、だから人間は他の動物とは一線を画す特別な存在なんだと、そんな考え方です。このような考え方を「人間中心主義」といいます。
このような考えは、「人間であるかどうかが重要なんだから、人種とか性別の違いなんてそんなに重要ではない」という正の作用もありますが、しかし一方であまりに、だから人間には自然を自由にする権利があるんだというふうに考えることにより、自然破壊を引き起こしたり、内面や心というものを重視しすぎるあまり、そこですべての問題が解決できるのではないかという錯覚を引き起こしたりする、負の作用もあるわけです。
なかでも僕が問題視するのが、内面や心といったものに対する偏重です。「心の持ちよう」について私たちは深く考え過ぎるがあまり、袋小路に陥っているのではないでしょうか。
例えば、90年代に爆発的な人気を博したアニメとして、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品がありますが、これなんかはまさに、自分とはどういう存在であるかとか、他者とは一体どうやって付き合っていけばいいのかといった問題を、「心の持ちよう」の問題として引き寄せすぎたがために破綻した、代表的な作品といえます。
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そしてそのような風潮と軌を一にするかのようにして、カウンセリングや自己啓発セミナー、精神分析といったものがブームになり、「心の持ちようこそがすべての問題の根源である」というような言説が氾濫するようになりました。このような社会の風潮を、「心理主義(化)」といいます。
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このように人々が袋小路にハマる中で、「心のあり方とかについてグダグダ考えても仕方ない。とにかく行動あるのみだ」というような反動も生まれてきます。しかしそのような反動も、「心の持ちよう」へのこだわりからは抜け出せなかったため、「決断力を持つために強い『実存=心』こそが重要だ」というような、心理主義の別の有り様でしかなかったわけです。
では人々はどうやって心理主義から抜け出せるか。それには、そのような心理主義の根幹にある、「心を持っていることこそが人間の特殊性だ」という、人間中心主義からの脱却こそが、重要になるわけです。
これは、別に「心」の存在を否定する、というわけではありません*1。ただ、「心」というものを特別なものとして捉えるのではなく、人間が周囲の環境に適応するために生み出した知恵、ツールの一つとして捉え、それに固執しないことが重要になるのです。
人間は別に人類という種として分化したときから「心」、とくに「自意識」を持っていたわけではないという仮設があります。これは「二分心仮説」というもので、現在のような、自分と他人を明確に区別する、(自)意識が生まれたのは、今から3000年前ぐらいに、高度に分化した社会によるストレスになんとか適応しようとする中で、「幻聴」という形で自分の内なる声を生み出し、それがやがて「意識」と呼ばれるようになったという、そういう仮説です。
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「知恵を出して問題を解決する」ということこそが、人間というフレンズの得意なこと
そして、まさにそんな現在において、僕たちに、他の動物と同じ一つの「種」としての人間を見せてくれようとしている、そんな作品が、『けものフレンズ』なのだと、僕は考えるのです。
けものフレンズに登場するフレンズたちは、自分をその技能によって定義します。「○○がとくいなフレンズなんだね」というように。しかしそんな中で、人間であるかばんちゃんは自分の技能を見つけられません。もしそこで、ただ心のなかで「自分は一体何者なのか」と内省したりするなら、このアニメは凡百な心理主義アニメと成り果てていたでしょう。しかしそうではなく、自分が何者かを知るために「図書館」へと向かうわけです。そしてその度の途中で、「知恵を出して問題を解決する」という技能を用いるのです。
……もうおわかりでしょう。この、「知恵を出して問題を解決する」ということこそが、人間というフレンズの得意なことであり、人間というのを一つの「種」として定義づけるものなのです。
ここで重要なのが、「知恵を出して問題を解決する」ということが、先天的なものではなく、後天的な特徴であるということです。つまり、人間は最初から人間なのではなく、何かをなすことによって、定義を獲得し、人間になるのです。
そしてここにこそ、心理主義や人間中心主義の隘路を回避するヒントがあります。心理主義はあくまで自分の内面に答えを求めるものであり、そうであるが故に、自分という存在が既に決定されたものとして扱います。人間中心主義もまた同じで、人間というものが特権を持つ存在であると最初に決めてしまうがゆえに、その特権性から逃れられなくなってしまう。しかしそうではなく、人間という種、そして自分という存在も、もっと軽やかな、可塑性を持つものである。そしてそうであるが故に、その定義もまた、これから何をするかで決まっていく、そういう考え方が、『けものフレンズ』からは見いだせるのではないかと、僕は考えるんですね。
『けものフレンズ』はテン年代の『風の谷のナウシカ』になる!……かも
では、そんな「自らの定義を求める旅路」は、これからどこに向かうのか。しかしこれに関しては、僕は結構ドキドキしてこのアニメを見ています。なぜなら、このアニメはどうやら、ポスト・アポカリプス、つまり人類の終末後の世界を暗示しているような、そんな節があるからです。
図書館では一体どんな真実が待ち受けているのか。もしかばんちゃんが、自らの持つ知恵というツールが、時として他の種を滅ぼしたりする、そんなツールでもあることに気づいてしまったら……
しかし、もしそこでかばんちゃんがそんな真実を目撃して、それでも自らを否定せず、フレンズたちとともに歩む、そんな道を見つけ出したのなら、こりゃあひょっとすると、漫画版『風の谷のナウシカ』に匹敵するほどの傑作となる、そんな可能性もあります。
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*1:そのような問題は、「心脳問題」として問題になるそうですが、僕はそちらの問題については全然知らないので