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レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ1

※最初一つの記事だったんですけど、文字数が上限を超えたので3分割しました。
レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ2 - 斜め上から目線
レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ3 - 斜め上から目線
Equality Nowが日本のレイプエロゲ―を批判し、それが報じられて以来、ネット上ではそれについて様々な意見に基づいた議論がなされてきました。
その中には、もちろん真面目で説得力のある議論もあったのですが、しかし一方で、自分の意見を他人に理解してもらい、他人を説得しようとは一切考えず、ただ自分たちの自尊心の保持だけのために文章、ブックマークコメントや2chへの投稿を書く、いわゆる内向きの人々も多く、そしてソーシャルブックマークの性格*1から、そのような意見ばっかりが脚光を浴び、結果「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉通り、真摯に真面目な意見が注目されなくなるということが、生じてしまいました。
しかし、それがインターネット上で公開される以上、その様な内向きの意見であっても「外の人」、つまり反エロゲ―規制論者ではない人にも見られるわけです。そしてid:yuubokuさんもid:yuuboku:20090509:1241856965にて

あと、これについては苦言を呈さねばなるまい。

Thsc サブカル 我々は悪魔の証明を要求する気違い女性様共に対して立証責任を負うし、創作物に対する偏見・ステレオタイプは一切合財正当、という主張だな/モノを踏みにじっても何とも思わないと指摘しておく。要はモノ化してない

挙証責任については前の議論を参照してください。それよりも心配なのは、「公開ブックマークにつけられたコメントは世界のどこからでも読める」という至極当たり前の事実はどこにいっちゃったんだろということです。
反ポルノ規制論者は「社会通念上よろしくないとされがちなものを擁護しようとしている」時点で重いハンディキャップを背負っています。人々の理解や共感を得にくくする言動は、いわばオウンゴールのようなもので、規制論者を利するだけです。本当に創作物を守りたいなら、「気違い女性様共」などという文言は即刻削除すべきです。
(略)

  • 自分たちの言動が「世界中の人から見られている」ことを意識しよう。どんなに論理的でも、他人を悪し様に言う人と仲良くしようという人は少ない。味方を増やす工夫と努力が大事。*2

と示唆するように、そのような内向きな人々の意見が目立ってしまえば、そうではない外向きの人々の人々が真面目な議論をさんざんやっても、それは顧みられず、結果的に「反ポルノ規制論者はあんなことを言う奴らばっかりなんだから、やっぱりポルノ規制に与しよう」というような人々が増えてしまう現象が生じてしまうのです。これは、真面目に反ポルノの議論をしている人たちにとって、余りに不幸なことでしょう。
そこで今回は、そういう内向きな発言ではない、外の、「エロゲ―を規制したい」と考えている人にもきちんと伝わる真面目な議論だけをとりあげ、そこでどんな議論がなされてきたのか、それについての僕の考えも公表したいと思います。このような記事により、反エロゲ―規制論者ではない「外の人」に、きちんとネット上には、そういう内向きの議論ではない、まじめで説得力を持つ議論もあるということが、伝われば幸いです。そして、そのような議論が注目され、それぞれの人が取り上げる議論と同じように外向きな議論をし、それにより、内向きな発言より外向きな議論が注目されるようになれば、更に良いなぁと、僕は考えます。

そのまえに

僕が何か意見言うのがそもそも気にくわないという人もいるかもしれないので、最初に今回の議論で参照する「まじめ」な記事の一覧を貼っておきます。僕の意見に興味なくても、これらのページを読めば、今回の事件に対しどのような「まじめ」な議論が為されたかよく分かりますから。

そもそもEquality Nowはどのようなことを主張しているのか

さて、本題に入る前に、そもそも今回の問題の発端であるEquality Nowという団体の抗議とは、どのような抗議なのでしょうか。id:yuuboku氏がEquality Nowの声明文を翻訳してくれているので、それを読んでみることにしましょう。
Equality Nowのエロゲに対する声明を訳してみた。(更新あり) - yuubokuの日記 - 断片部
特に重要だと思うところを引用していきます。

【日本:レイプ・シミュレーター・ゲームと性暴力の正当化】
12歳前後の女子学童が通勤電車に乗っている。後をつけていた男が彼女の体に触り、彼女に性的いたずらを試みる。やっとのことで電車は停まり、恐れをなした彼女は公衆トイレに駆け込むも、追って来た襲撃者は彼女の腕を縛り、レイプする。襲撃者は彼女を監禁し、様々な状況下で彼女を何度もレイプする。彼女の母親と、10代の姉妹もまた同じ運命をたどる。この一家は以前、かつてこのレイピストが別の女性に対して性犯罪を図った件について、姉妹の姉が警察に通報したことにより、その報復としてレイプの標的とされたのである。
以上が、イリュージョン・ソフトウェアが開発したレイプ・シミュレーター・ゲーム「レイプレイ」のあらすじである。このゲームは日本で販売され、Amazonでも取り扱われている。
漫画の形態をとる過激なポルノグラフィーはhentaiと呼ばれ、漫画本やアニメーション、コンピューター・ゲームやオンライン・エンターテインメントなど様々なメディアで配給されており、日本では簡単に入手可能で、またその使用は広く受容されている。hentaiの主なテーマとしてはレイプ、輪姦、近親相姦また女子学童に対する性的虐待が含まれる。後者の類のhentaiはLoli-Conとも呼ばれ、少女が教師のような力のある大人にから性的虐待を受ける描写をしばしば行う。日本ではこれまで、レイプやセクシュアル・ハラスメント、女性または少女に対するストーキングを含むコンピューター・ゲームが数多く生産されている。これらは、プレイヤーの操作によって何が起こるかをプレイヤーが制御できるという点で、他の形態のhentaiの一歩先を行くものである。例えば「レイプレイ」では、画面上に表示されるペニスや手によってレイプならびに性犯罪を再現している。
(略)
日本は、CEDAW第五条(a)「両性のいずれかの劣等性若しくは優越性の観念又は男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行の撤廃を実現するため、男女の社会的及び文化的な行動様式を修正すること」に従う義務を有する。加えて、日本国憲法第十四条では法の下の平等を保障し、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において」差別があってはならないと述べている。「レイプレイ」のようなコンピューター・ゲームは、性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプを許容するものであり、これは女性に対する暴力を維持する。日本政府は、このようなものをはびこらせず、女性の平等を妨げるこれらの振る舞いや行為に打ち勝つための有効な指針をとるべきである。
推奨される行動
イリュージョン・ソフトウェアに対し、「レイプレイ」を含む、レイプやストーキングなどの形態の性的暴力を含んだり、女性を貶めるようなすべてのゲームの販売を即刻中止するよう要求する書面を出してください。当該の会社には、よき商行為として、彼らの営為が社会また公共の利益に対して与えうるあらゆる負の影響について考慮する責任があるということを示してください。同様の書面をAmazon Japanにも出してください。以下に示す日本政府機関にも、彼らがCEDAWに対する日本の義務および日本国憲法に従い、女性に対する差別の撤廃、特に「レイプレイ」のような、女性や少女に対する性暴力を正当化し、増長するようなコンピューター・ゲームの販売を禁止するよう要請してください。
(以下、イリュージョン、Amazon、麻生首相、森法相、小渕少子化担当相、野田消費者担当相への連絡先)

この声明文はかなり重要です。というのも、このEquality Nowが主張しているようなポルノ規制の要求は、日本でなされる「わいせつ規制」とは全く違う観点からなされてるんですね。
今までの日本のポルノ規制というのは、主に「わいせつ規制」という観点からのものでした。

刑法第175条(わいせつ物頒布)
わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

ここでいう「わいせつ」の定義は、裁判所によれば

  • 通常人の羞恥心を害すること
  • 性欲の興奮、刺激を来すこと
  • 善良な性的道義観念に反すること

というようなことです。ここで重要なのは、この定義は、あくまでそれが「恥ずかしいもの」、「性的なもの」であるかが重要であるという点です。ヘアヌードで、性器が見えればわいせつだが、見えなければわいせつではないというように。だからこそ、例えレイプであろうが、合意の上でのセックスであろうが、単なる性器写真であろうが、十把一絡げに「わいせつ」だという風に規制されるわけです。
しかし一方でそれ故に、それは余程のことが無い限り適用されません。だって今どき、性的描写ごときが、そんな人の捕まるほど出してはいけないものと考える人はあまり居ないですから。わいせつを広く捉えて少々の性的描写で逮捕していたりしてたら、国民感情*3が許さないでしょう。
しかし、今回Equality Nowが提示した問題点は、そのような「わいせつ」という概念に基づく物ではありませんでした。Equality Nowは、今回のエロゲ―を批判するときに、非難されるべき点として、次のような表現を使います。

  • レイプ、輪姦、近親相姦また女子学童に対する性的虐待
  • レイプならびに性犯罪
  • 性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプ
  • 女性に対する暴力
  • レイプやストーキングなどの形態の性的暴力を含んだり、女性を貶める

これらにおいて問題となるのは、それが「わいせつ」であるかどうかではなく、それが「女性に対する暴力」を維持するようなものであるかどうかなのです。今回のようなレイプゲームが問題となったのは、それが性的なものであるからではなく、女性に対する差別を維持するものであるからなのです。
この様な視点から規制を行うというような政策は、これまであまり取られてきませんでした。しかしこれは今までの「わいせつ規制」に比べて、かなり国民感情の支持を得やすい規制ではあるでしょう。大多数の人は、「レイプ」を憎き犯罪だと捉え、そのようなことは悪だと考えています。故にそのようなレイプを肯定的に描く、そんな作品は別に規制しても良いんじゃないかと思うのは想像しやすいでしょう。

ネットでも巻き起こる規制擁護論や、レイプゲーム批判

事実、今回の事件を受けて、ネット上でも、そのような規制だったらしてもいいのではないかという意見や、そこまではいかなくても、現在のこのレイプや痴漢を楽しむようなゲームが溢れかえっている現状を憂慮・非難する声が上がりました。
2009.5.14: 日記

痴漢で強姦で中絶させるゲーム、って、誰からの顰蹙も買わずに堂々とできるもんだと思ってるのか? やってることがバレた後でなお同じマンションに住む隣のおねえさんやおばさんから普通の近所付き合いをして貰えると思ってるのか? 実の息子でもたたき出したいと思う親はいる筈だぞ。立派な家父長なら裏の窪地に連れ出して射殺するだろう。一家の恥だ。そういうものなんだから、やるならそういう覚悟でやればいい。どっからどう見ても反社会的エロ妄想を商品化したり消費したりしている癖にお国に守って貰いたがってる連中って一体何なんだ? 地下に潜れよ。情けない。

某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

言論の自由っていったいなんだろう。そんなに声高にいうことなの?それがいちばんの正義なの?
(略)
だけど、フィクションならいいわけじゃないよ。
フィクションは誰も傷つかないわけではない。そういう嗜好の人の発散場所になりうるけど、一方で、「そんな嗜好はたいしたことない、わりとメジャー」っていう土壌を作りだすんだよ。
だからそんなフィクションが存在するならせめてもっともっと潜ってほしいよ。
痴漢被害について理解を示していたようなブックマーカーたちが、この件では創作の自由とかいうことを声高に述べていて、ああやっぱり駄目なんだ、わかってもらえないんだ、と思った。
男性嫌悪のつもりはないんだけれど、でももしごく一般の男性が、そんなゲームが簡単に買えることを是としているのなら、何か、とてもショックです。

これらの声はとても大事だと思う。というのも、とかくはてなのような場では、自称「理性的な人」の、自称「理性的な意見」ばっかりが語られてしまう。けど、それが理性的であるかどうかはともかく、少なくともそれは国民の多数とはやはりかけ離れている。そして、物事は多数派の移行によって動くことが多いわけだ。だから、もし愚痴だけを言いたいのではなく、本当に多数派に働きかけ、物事が動くのを何とかしたいとするならば、まさにこういう意見をありがたく思い、それに誠実に対応することが必要になるからです。
しかしそのような誠実な対応は、はてなブックマークのコメントではあまりなかったです。けれど、それでも一部には↓のように
はてなブックマーク - 某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

  • id:complex_cat human rights イヤ,本当にわかんねえわ。自分も。/真打登場 http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9234280627615912948 2009/05/16
  • id:kowyoshi 性, 増田 女性からしたらそうなのかなあ/規制に関しては、規制派が突き進むとどうなるか見てきたから警戒はしてしまう 2009/05/16
  • id:kanose エロゲー アングラでいて欲しい、こういうゲームは気持ち悪いという気持ちはわかるけど、あの記事は「非合法化しろ」なので、あそこまで反発を受けたんだと思う 2009/05/16
  • id:welchman 「弁えてくれ」という話と読んだ。同意する。 2009/05/16
  • id:Ryoui ネットってわりとホモソーシャルだから、女の人からしたら怖いよね。 2009/05/16
  • id:bookmarker98 「だけど、フィクションならいいわけじゃないよ。」これも、その手の情報が気軽に流通する事を問題にしている話。せめて、フィクション位は自由にさせてくれ・・・と言いたいところだけど。うーん。分からんでもない 2009/05/16
  • id:koisuru_otouto レイプレイ騒動, 抑圧の構造, 露出狂の自由, sexual abuse 増田乙。私はrape創作はギャグで扱えるしrating以上の単純規制はいらんと思うけど。暴力を楽しむ側が規制反対の名分で反抗の声を更に抑圧し正当化するのは卑怯だと思う。←な反応を見ると増田の懸念は合ってるんだなと 2009/05/16
  • id:Mossa コメント, 増田, 性, 文化, ゲーム, 社会 一度知ってしまった増田の頭の中にまではゾーニングは届きませんので。/性暴力的表現(etc)への不快には配慮するべきだが、しかし非対称性に権力関係を持ち込むことは認めるべきでないと思う。 2009/05/16
  • id:Cuz-orz 表現の自由, 表現規制, 社会 ゾーニングや審査などをもっとちゃんと行うべきだとは思う。けど、感情的には分かるけど、感情で自由を奪うようなことはあってはならないだろう 2009/05/16
  • id:akarimisakine 嫌悪感は理解できる/しかし嫌悪感だけで文章を書いてはいけない。見せることに責任は当然あるが、見ることにも責任はある/増田の行為は増田が嫌悪するブクマコメの増田と変わりはない/反面教師の姿勢で見るべき 2009/05/17
  • id:n_pikarin7 性 女性は、エロゲとかそういう趣味に対して、怖い!キモい!ありえない!おぞましい!信じられない!ってかキモい!訳分かんない!やめれ!自重!キモいし!って、もっと言ったほうがいいと思う。表現の自由の範囲で。 2009/05/17
  • id:Lhankor_Mhy 社会 おおむね同意。ただ、まあ、もうちっと落ち着こうぜ。誤解されそうな書き方だよ。 2009/05/17
  • id:libraworks 増田 創作物には何らかの力があって、ネガティブな波及をもたらすこともあるとは思うんだ // だからこそちゃんと仕切り作って、整理しなきゃあかんと思う。 2009/05/17
  • id:more_white 気持ちは分かる。/良くも悪くもネット上はいろんな情報が乱雑に載せられているカオスな場所なので、たぶんリアルでは滅多にこんな問題に触れないだろう。/特殊な性癖であることを本人達が自覚しないのはまずい。 2009/05/17
  • id:ohnosakiko 嗜虐的(or被虐的)な欲望を満足させるツールがなくならないでほしいという気持ちも、フィクションであってもレイプで抜くんだと考えただけでげんなりする気持ちも、どっちもわかってしまうので困る 2009/05/18

はてなブックマーク - 元増田です

  • id:kilrey 言葉, リテラシ "凌辱とか性暴力、「レイプして妊娠させて堕胎させる」なんて話"は下品だし、たぶん芸術価値もないと思う。でも、道徳をルールにするのは危ないんだよね。 2009/05/18
  • id:y_arim anonymous, エロ, gender, 言及されました まずは、ありがとうございます。*4そのうえで、id:lisagasuのコメントに付け加えるなら、「レイプして妊娠させて堕胎させる」なんて話が「そういう用途(だけ)」を離れて何らかの意義を持ってしまうほうが危険なんです。 2009/05/18
  • id:natukusa 社会 あなたが書いてくれた素直な心情吐露は、少なくとも私には一つの解放でありました。だから感謝しています/最終的な解決およびそれらの認知達成レベルはきっとここだ。 2009/05/20

相手を「バカ」しかいう風に罵倒せず、かといって子ども扱いもしないで、きちんと礼を尽くして相手の気持ちを理解し、そしてその上で自分の意見を言う、素晴らしいブックマークコメントもありました。

問題点の整理

さて、このような暴力エロゲー批判に対し、どのような「まじめ」な議論が出来るだろうか。
まず、僕が思うに今回の問題は3つの問いに分けられると思う。

  1. レイプエロゲーは差別的かどうか。差別的だとしたら、その程度はどうであるか
  2. レイプエロゲーが差別的、あるいはそうでなくても何かの社会的問題があるとされるとき、それに人々はどの様に対応すべきか
    1. 法的規制(販売禁止など)
    2. 法的ゾーニング
      1. どの程度厳しくするか?
      2. 本当にゾーニングは可能か?
    3. 自主規制(販売自粛、ゾーニング、シナリオへの配慮など含む)
    4. その他(性差別イメージの撤廃をより訴えていくetc...)
  3. 上記二つのようなことは、どのような手順で決められるべきか。

もちろん、それら3つの問いはそれぞれ密接に関係しているわけだが、しかしここでは考えることを分かりやすくするために、3つに分けて考えてみる。

1.レイプエロゲーは差別的かどうか。差別的だとしたら、その程度はどうであるか

まず一つ目の問いについて考えてみよう。レイプエロゲーは果たして差別的かどうか。
まず、Equality Nowの考え方について。id:yuubokuが詳しく書いているのでそれを参照しよう。
実際に性犯罪が増えるか減るかは(あまり)問題じゃないんだってば - Chambre Resonnante

YOMIURI ONLINEの記事に対するブックマークコメントでも何件か見られたのが「実際の性犯罪の件数が少なければいいじゃないかメソッド」。
(略)
おそらくこれではEquality Nowのような人たちとは議論がかみ合わないであろう。
(略)
お気づきだろうか。この部分で問題とされているのはレイプ描写そのものでも、この描写に惹起されるかもしれない可能的な性犯罪でもない。そう、ここでは、性差や性犯罪といった物事に向けられる視線こそが問題なのだ。
(略)
「女性を男性の従属物とみなしたり、ステレオタイプな役割を持っているものとみなすような」行いこそが問題視されているのである。平たく言うと、女性への偏見→女性を性的なモノとして扱う描写→女性への偏見→……というデススパイラルが懸念の対象である。この悪循環のプロセスで、女性に対する性的暴力が軽んじられたり、ないことにされたりするのが恐ろしいのだ。これは、「レイプするゲーム→影響されてレイプするようになる」などという素朴思考では決してない。
このあたりを踏まえないで議論しても、おそらくは空回りのままだろう。

わざわざ要約してくれているのを更に要約したってしょうがないので、何も付け足さない。

件のレイプエロゲーは差別的であるかどうか

そして、Equality Nowに同意するかはともかくとしても、件のレイプエロゲーが差別的であるということ自体には、多くの論者が賛同しているわけです。
404 おさがしのページは見つかりませんでした - はてなハイクid:isikeriasobi

後者も、現実のレイプにくらべればエロゲーのほうが害が少ないのは認めるでしょうし、前者も、こうしたゲームの価値観が女性蔑視につながるかどうかはともかく、そうした価値観にもとづいていることぐらいは認めるでしょう)。

性暴力表現と規制 - good2ndid:good2nd

例えば仮に、被差別部落出身者に暴力や嫌がらせをするシミュレーションゲームが流通していたら間違いなく問題視されるだろうと思いますが、そういったものに近いのではないかと思います。問題はそうした表現が実際の犯罪につながるとかいうことではなくて、そうしたものが大規模に流通しているとき、流通し消費されていること自体がある種の社会的合意の現れとなってしまうということです。
もしも日本が性差別などとは無縁の社会であれば、逆にこうしたゲームはさして問題とならないかもしれません。ところが現実には、性差別は存在するし、「レイプする人は元気がある」などと政治家が発言してしまうような社会なわけです。あるいは性暴力の被害者に責任があるといって非難する人が少なくない社会なわけです。このような社会において「性暴力を肯定的に表現する」ことが「性暴力を容認する」ことに繋っていると考えるのは、それほどおかしなことだとは思いません。

酷いゲームの話 - blacksorceryの日記id:blacksorcery

では、今回の陵辱を主体のゲームの場合の描写はどうか。
最初は嫌がっているけど、何度も無理矢理やられるうちに、身体が感じて、行為を受け入れてしまう、調教される、堕とされるとかが楽しいんでしょ。
女性の感情は無視。人格も無視。肉体の奴隷。
嫌よ嫌よも好きのうち?
その上で妊娠させ、堕胎させるシチュエーションまで付いたらまさに差別だろう。
相手の自由を奪い支配しているのに、差別でないと言うのは無理過ぎ。
男の子牧場の家畜扱いに差別的な匂いを感じれた人なら理解できると思う。
差別じゃないという、説明があるなら教えてほしい。


想定できる意見としては「ゲームの登場人物は実在の女性でないから差別じゃない。問題ない」というのがある。
確かに実際の女性ではない。
けど、これは実在の女性の代替だ。
だってそれで性欲の処理するんでしょ。
その手のゲームの主人公、自分の名前いれたり出来るし、プレイヤーの指示に従うよね?
自身の投影だよね。
代替品に対して行う差別的行為は、代替の元である実在の女性に対しても差別的と取られるのは当たり前だと思う。
女性が嫌悪するのも、全くおかしいとは思わない。

今回のレイプエロゲーは差別的であるという話をするとき、必ず出てくるのが、id:blacksorceryが批判したような「ゲームの登場人物は実在の女性でないから差別じゃない。問題ない」という議論である。
しかしid:blacksorceryが言うように、もし全くの架空ならば、では何でゲームで表現される被害者は人間の、しかも女性なのか?もし全く現実と関係ないのならば、それこそ別に人間の女性である必要なんか全くない。レイプエロゲーというゲーム自体、実在するレイプという、女性に対する差別的な性暴力に由来するものではないのか。もし人々の心に「レイプしたい」=「女性を屈服させたい」という差別心がなければ、そもそもレイプゲームなどというものは存在しない。
このことについては、id:cmasakさんも僕と同じようなことを述べています
例のゲームの件について2・あんまりにも長いので自分でも驚いた。 - U´Å`U

でもやっぱりレイプ・妊娠・中絶っていうセットは、明らかに女性差別に根をさすものでしょ。歴史的に見て女性のリプロダクティブ・ライツがどれだけ蹂躙されて来たか(というか蹂躙されて来た種々の権利を主張するために「リプロダクティブ・ライツ」っていう言葉が生まれたんだけど)を考えたら、ってそういう言葉を使うと脊髄反射的に反発されそうだから砕くか。歴史的に見て女性が自分でセックスする/しないを選ぶことができなかった/できない時代・文化、妊娠する(時に、妊娠するであろうというだけの)ことで社会活動から追いやられて来た時代・文化、そして中絶の選択を常に女だけが背負わされて責任も良心の呵責も社会的制裁も身体的苦痛も押し付けられて来た時代・文化というのは、少なくとも近代国家においてはそこら中にあったし、未だに無くなっていない。そういう社会的背景がある、という文脈の中で、このゲームがあるわけだもの。ムカつかない方が難しいわ。
たった一つの表象の形態が問題なんじゃなくて、それがいかに社会構造と結びついているかが重要なの。「 Three Women's Texts and a Critique of Imperialism 」*1でガヤトリ・C・スピヴァクは帝国主義の時代のイギリス文学が当時の植民地主義と無関係ではなかったと言っている。だからって当時の植民地主義的な文章を全て焼き払ってしまえば植民地主義的な精神が途絶えたかと言えばそうではない。だからやっぱり検閲は答えとしては間違いだと思うのだけれど、でもやっぱりずっと「ムカつく」「ムカつく」って言い続けないと負けるんだ(何に)。

そしてその他にも、id:Domino-Rさんも

CG画像は単に記号に過ぎないが、現実の性的虐待もやはりかなりの部分記号的な行為なわけで、だからこそそれは単に暴力であるだけでなく「差別」である訳だ。その意味で本人達がいくら識別可能だと言い張っても、両者に本質的な差は無い。現実の性的虐待もファンタジーに基づいているからだ。*1
だからこの種のエロゲは性関係に関する差別的なファンタジーを助長/擁護するものだと言われて仕方ない。
無論そのようなファンタジーであったとしても個々には勝手に持っていいものだが、エロゲは「商品」だ。大量生産される商品として市場に提供され、売買関係(無論社会関係である)が成立しているということは何を意味してしまうだろう?
現実には、差別的な商品=メッセージが存在し、それを消費=支持する人がいる、と見られるわけだ。それは一般的な商品市場に対する我々の印象に基づくもので、誤解とは言い切れない。
この売買関係をどう解釈しようが、「児童ポルノ」自体とそれを成立させる背景を肯定する社会的なメッセージだとしかならない。自由市場における態度表明は、個人のファンタジーの問題に過ぎないわけでないからだ。それは市場で行われる社会関係の一部であり、カネ=支持が支払われている以上、購入者はこの差別的なメッセージの社会的な再生産/流通に積極的に加担していると言われて仕方ない。
(略)
実際、私的なファンタジーといいながら、エロゲ等かなりメディアとか流行とか外部情報に依存した嗜好だよね。これってぶっちゃけると相当程度社会的なものだと思う。
なのに「私的」とか言っちゃうのは、「性的虐待を否定」する態度を社会的に流通させる回路を持たずに、消費だけはしたい、という手前勝手な態度を正当化したいためか。
無論それも仕方ないといえるし、やっぱ妄想したいわけだが、外部のリソースによってのみ駆動されるような妄想を「私的な妄想」と言われてもね、というのはあるだろう。

ということを述べ、やはり件のレイプエロゲーは「差別的」であると述べている。

「差別的」の程度はどのようなものなのか。人の行動に影響を与えるのか

しかし一方で、「差別的」であることはみなさん認めても、ではその「差別的」というのが具体的に酷いものなのか、という点については意見が分かれています。

  1. 差別に根ざしているが、差別を維持もしないし、増強もしない
  2. 差別に根ざしており、差別を維持はするが、それを増強はしない
  3. 差別に根ざしており、差別を維持し、差別を増強する
  4. 差別に根ざしており、具体的にレイプなどの、差別的な性暴力を誘発する
    1. もともとレイプをしようとしていた人が、レイプエロゲーを契機に実際の行動に走る
    2. レイプなんて一切考えたこともない人間が、レイプエロゲーをやって実際にレイプを行う

このような、様々な「差別的」の程度があるわけです。この内、Equality Nowが根ざしているのは、id:yuubokuの記事の引用で示したように、2、3番なわけです。
ここでよく「強力効果論は否定されているから、フィクションは現実に何の影響も与えないんだよ」という反論をして、レイプエロゲーは差別的ではない、ないし、差別的であったとしても何も人に影響は与えないという主張をする人が居ます。しかし、例え強力効果論が否定されたとしても、フィクションが何も現実に影響を与えない、というわけではないということについて、id:gkmondさんが説明しているので引用します。
例のゲームの件について2・あんまりにも長いので自分でも驚いた。 - U´Å`U

 もっかい弁護士さんの反論を引く。

? エロゲーはただのフィクションです。女性差別や女性に対する暴力を助長するものではありません。
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2009/05/post-0c01.html

 抗議に怒っている人の反論の基本はこれだろう。そうした主張の論拠になりそうな話はたとえば、メディアの影響――見てはいけない見せてはいけないに書かれているこの辺りかと思う。

(略)
 これはつまり、暴力的なメディアの影響を例にあげるなら、暴力的なメディアに触れた人間は番組などに影響されて一時的に暴力性が+αすること(ついついアチョーとロッカーを蹴りたくなったり)はあっても、根本的な暴力性が変化する(人間として凶暴化する)ことはないということだ。言い換えれば、元々暴力的な人間が実際の暴力行為を起こす引き金にはなっても(メディアの影響による+αで暴力行為発生の閾値を越える)、穏やかな人間の性質を暴力的に変えることはない、ということになる。

 これを踏まえて成人ゲームは「女性差別や女性に対する暴力を助長するものではありません。」と言えるかと言えば、言えるのかもしれないが、この主張は「だから無害です」と読まれかねない(っつーか、そのつもりでこう主張する人もいるんじゃないかと思われる)。
 しかし、たとえば今回の抗議団体の声明の日本語訳を見ると、

「レイプレイ」のようなコンピューター・ゲームは、性に基づく差別的振る舞いやステレオタイプを許容するものであり、これは女性に対する暴力を維持する。日本政府は、このようなものをはびこらせず、女性の平等を妨げるこれらの振る舞いや行為に打ち勝つための有効な指針をとるべきである。
Equality Nowのエロゲに対する声明を訳してみた。(更新あり) - yuubokuの日記 - 断片部

 と言っているので、助長するかしないかだけが問題なわけではないし、助長しないけれど維持する(「メディアの影響――見てはいけない見せてはいけない」引用文5パラグラフ目参照)*5のであるならば、無害とは言えないだろう。

強力効果説が否定されたとしても限定効果説は否定されるわけではない。
僕が更に付け加えるとするならば、そもそも社会学の通説では別に強力効果説は立証されなかっただけで否定されたわけではないし、また更に言うならば、今回問題となっているのは強力効果説や限定効果説のように、ある表現が転機的にある行為を引き起こすというものではなく、そのような「レイプ表現」が当たり前に存在することで、女性を従属させるのが当たり前になるという、世界観への無意識の刷り込みなのではないかという考えもある。僕はその考えを支持するが、しかしその根拠にしたって「多くの研究ではそうだったから」としか言えないわけです。
といっても、どーせ僕が何言ってもみんな信用してくれなさそうなので、社会学の教科書を引用しよう。

……かりに暴力の描写が視聴者に影響を及ぼすとすれば、どのようにしてであろうか。F・S・アンダーソンは、テレビに登場する暴力が子供の攻撃性向に及ぼす影響を調べる目的で、1956年から76年までの20年間に実施された67の研究の調査結果を収集、整理している。これらの研究の4分の3は、両者の間にかなり関連性を認めることができると主張していた。こうした研究の内2割で、明確な結果を見いだすことはできなかったとされている。一方、調査結果のうち3%で、研究者は、テレビに登場する暴力の視聴が実際には攻撃性を低下させていると結論づけていた。
とはいえ、アンダーソンが調べたこれらの研究は、用いた方法や明らかになったとされる関連性の度合、「攻撃的行動」の定義といった点で、かなり食い違っていた。暴力を売り物にする犯罪ドラマには(また、多くの子供向けアニメ番組でも)、正義と報復という主題をその根底に見いだすことができる。犯罪ドラマでは、悪党は、現実の世界で警察の捜査が引き起こす以上に高い比率で裁判にかけられているし、アニメ番組でも、他人に危害や脅威を及ぼす登場人物は、通常、「当然の罰」を受ける傾向がある。必ずしも過度の暴力描写が視聴者の間に模倣を直接もたらすのではなく、おそらく視聴者は、その根底にある道徳的主題からの影響を受けている。一般的に、テレビが視聴者に及ぼす「影響」の研究は、視聴者を―子供でも大人でも―自分が見ているものに、受動的な、識別力のない反応をおこなう存在とみなす傾向があった。
テレビゲームやテレビ、映画の暴力的題材がそれを見た人びとのなかに暴力的性向を直接生み出すかどうかは確定できない。……
アンソニー・ギデンズ、1992-1998『社会学(第三版)』而立書房、p428-429

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……いうまでもなく、マスコミ内容が受け手に対してなんらかの程度まで画一的な影響力を行使しうると仮定しなければ効果研究は成立しない。これに対して、受け手が一定程度までマスコミ内容を独自に解釈し、それを自分なりに利用しているものと仮定しなければ、「利用と満足の研究」は成立しない。はたしてどちらがいっそう真実に近い受け手像でうるのか?1940年代以後およそ半世紀の研究機関を経て明らかになった事実は、実際にはきわめて確定的であるとは言い難い。
第1に、マスコミの短期的な内容が直接の態度変容や行動変容をもたらす事は比較的まれであり、むしろマスコミへの接触は、既存の態度または先有傾向を補強する傾向にある。第2に、マスコミの長期的な効果は主として受け手の世界観に影響をみたらし、直接の個別の態度変容や行動変容には至らずとも、基本的な世界認識の枠組みを形成する際に多大の効果を発揮する。第3に、受け手がマスコミの内容を主体的に解釈して、そこから独自の満足を引き出していることは事実である。しかしながら、どの程度まで個々人が得る主観的な満足の種類を分析上特定化しうるかはなお議論の余地を残している。……
「第9章 社会の情報化とメディア」p192-193、後藤将之(宮島喬編、1995-2005、『現代社会学』有斐閣

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もちろんそこで、社会学が半世紀掛けて解けなかった問題を俺が解いてやるぜって言って、強力効果説も限定効果説もみーんな嘘であることを、誰しもが納得できる形で提示できたら、それは議論の決定打となるのだろうけど、少なくとも今の社会学ではまだ、議論の参考になる資料は提示できても、決定打としてそういう差別的なメディアが人を差別的にするかしないかという効果を立証できるような研究はないのです。
では社会学的研究方法で考えなかったらどうなるか?例えばid:nagaichiは次のようなことを主張します。
鬼畜を調教すべきか - 枕流亭ブログ

そもそも鬼畜ゲー擁護論者には都合良く忘れられているのかもしれないが、「監禁王子」と呼ばれた人物が調教系エロゲーのまねをして女性を自宅に監禁した事件があったことを思い出してほしい。
http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/06/post_2489.html
鬼畜ゲーはフィクションだから「具体的被害者」がいないという議論の立て方は、たった1例の反例で崩壊してしまうのである。それは危ういとは思わないか。

つまり「実例」があるじゃないかと、そういうことです。これは結構説得力があります。が、しかしもちろんこれも決定打ではない。
結局、もし確かなことのみを言おうとするならば、id:rnaさんの様に
『レイプレイ』事件について - 児童小銃

さて、Equality Now の主張は、暴力的なポルノは性暴力を正当化し増長するから女性差別であるというものだった。争点は、暴力的なポルノによって本当に性暴力は正当化され、増長するのか? というところになるだろう。
僕の考えは、それはポルノに触れる際の文脈に依存し、社会の状況によっては法的規制も正当化されうる、特に脱文脈的にポルノに触れてしまいがちな未成年者についてはゾーニングが必要であろうというものだ。

状況に依存するとしか言えないわけです。では一体今の日本はどのような状況なのか?といえば、これも様々な研究があり得るわけで、断定的なことは言えないのです。

断定的なことを言えないとしたら、どうするべきなのか

しかし断定的なことが言えなかったとしても、「じゃあ何もしないべきだ」ともいえないのです。これについてもid:rnaさんが同記事で説明していますので引用します。

そもそもそのような政策はなんらかの形で合意されないといけないのだが、そこでは統計的な根拠はまだ使えない。そうなると現実的には既存の知見と矛盾しない範囲で仮説を立てて、その中から市民が失敗しても妥協できる程度のゆるやかな政策を選ぶしかないだろう。要するに実験、あるいは投機的実行だが、実社会でやる以上は外れた時の損失が大きいものは選べないわけだ。
メディアの影響は証明されてないので推定無罪(?)で何の対策もするべきではない、という意見もあるかもしれないが、我々は既にメディアの影響力を前提とした社会で生きているわけで、推定無罪を言うならば表現規制の諸制度をひっくり返すか、二重基準に甘んじるしかないのではないか。

更に推定無罪の原則だけを主張、言い換えれば差別的なレイプゲームが人々に及ぼす影響が立証されるまで何もしないでいろと主張するのにはこんなデメリットもあるとid:yuubokuさんは指摘します。
自分がどう見られているかには注意を払ったほうがいいよね(若干改) - Chambre Resonnante

挙証責任について正しい知識を持ち合わせている人は少ないからです。少なくとも高校まででは習いませんし、Wikipediaの「証明責任」の記事を読んでサラッと理解できる人は稀でしょう。そのようなものの存在すら知らない人が(ともすれば為政者の中にも!)相当数いるのではないでしょうか。そのような状況下で、「挙証責任は向こうにある」と言ったとしても、それは見る者にとって「自らの公正性を立証することを放棄した態度」にしか見えない恐れがあります。

「論理的に正しい」ことが必ずしも受け入れられる訳ではないという当たり前の事実ですね。

まとめ

  • 今回のレイプエロゲーが「差別的」、つまり差別に基づいたゲームであることはやはり様々な論者が認めている。
  • しかし一方で、その「差別的」の程度がどの程度のレベルなのかは諸説ある。
    • しかし「差別に基づいた差別ゲーム」が、個々人の差別心に何も影響をもたらさないというのは説得力がないように思われている。
    • 社会学も決定的なことは言わない。むしろ研究では、Equality Nowが主張したような長期的な影響は是認する研究が多い
    • 実例があるという事実もある
  • 事実が分からなくても、私たちは何らかの立場を投機的に決断し、支持しなければならない。少なくとも、市民はそう考えている

もちろん、これらの議論は一つの議論で、このような議論に反対し、「今回のレイプエロゲーと女性差別は全く関係ない」、「レイプエロゲーが差別心に何の影響も与えないことはむ証明されている」と主張する立場もあるでしょう。しかしその場合は、これまで挙げたような議論に具体的に反論し、そしてそれらの議論を唱えている論者たちを納得させることが、必要なのではないでしょうか。
→2へ続く

*1:感情的に同意(いわゆる祭)したり、感情的に否定(いわゆる炎上)しやすいものにブックマークが集まりやすい。何故ならそのようなブックマークの方がコメントの時頭を使わずに済むから。[http://b.hatena.ne.jp/buyobuyo/:title=[あたまがわるい]というようにタギングする]のに頭は使わないからね。そして、内向きなコメントをどんどん残していく

*2:太字強調は引用者による。以下の引用においても同じ

*3:裁判所だって、わいせつを判断する場合はその時代の健全な社会通念という様に、社会全体の感覚を代表することを要求される

*4:素晴らしい礼の尽くし方だと思った

*5:略さずに孫引用している部分

レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ2

レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ1 - 斜め上から目線
レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ3 - 斜め上から目線

2.レイプエロゲーが差別的、あるいはそうでなくても何かの社会的問題があるとされるとき、それに人々はどの様に対応すべきか

次に、レイプエロゲーが差別的、あるいはそうでなくても何か社会的な問題をはらんでいたとした場合、それにどの様に社会は対応すべきなのか、という問題について。
今までの議論では、レイプエロゲーが全くの無問題であるということは、少なくとも言えないと言うことが是認されました。もちろんその一方で、では具体的にどのような問題なのかということは断定できないわけで、それによってきっと対応も決めるべきでしょう。しかし、だとしても「どの程度の問題とするならばどの程度の対応をすべきなのか」ということは考えられる筈です。

法的規制

例えば増田では次のような意見で、法的規制を望む声があります。
某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

必要な人がいるならアングラなところに置いておけばいいじゃないですか。

元増田です

「アングラ」って言葉もあまり意味を考えずに使った(というか、=非合法っていう意味だって知らなかった)。すみません、「目につかないような場所」程度の意味で書きました。
でも、もっとアングラって具体的にはどんなんだろ?と言われて、確かにそうだなぁと思って考えてみて、うーんソープとかパチンコともちょっと違うし、と思って、あ、そうだ、自分の感覚に合うものというと大麻とかがちょうどそんな感じでした。
しかも元記事読み返したらその単語書いてありました。だから実はそんなに誤読でもなかった。ごめんね。
私はマリファナに興味ないけど、たぶん知人の知人くらいは経験あるんじゃないかなあ。犯罪だよーとか言いながらそんなに深刻な感じでもなく話ができて、いざ興味を持ったら手に入れる方法は調べることができて、でも私自身はそういうこと知ったらあんまり仲良くなりたくないな、知人に留めておきたいな、とかそんな感じ。
どうしたいんだろう。たぶん、基本的に非合法というのが安心するんだと思います。

要するに本気で禁止するための法規制ではなくて、あくまで「社会はそのようなレイプゲームを許さない」という意思表示のための非合法化ということです。
実際、マリファナはどうかはちょっと知りませんが、例えば未成年の飲酒喫煙、あるいは交通法規など、世の中には「法で禁止されているけれど、守られていないこと」というのは沢山あります。そのような物の中に、レイプゲームも入れるべきではないかと、そうこの増田さんは語るわけですね。
しかしそれは、出来ればいいのかもしれないけど、ちょっと難しいなと感じるわけです。何故なら、ある法律があった場合、その法律を弾力的に運用するか(未成年の飲酒喫煙や軽微な交通違反に対する態度)、厳格に運用するか(例えば殺人を見逃す警察は居ない)というのは、警察と検察の運用次第になってしまうんですね。そして、法ではあくまで「禁止」となっていますから、それが厳格な運用となったとしても市民は文句を言えないわけです。
だからアングラのようなぬるい非合法化というのは、警察に権力の行使できるエリートが志向するならまだしも、警察の法運用に一々口出しできない市民である私たちには、そもそも望めないことなのではないかと、僕は考えます。
故に、もし法規制について論じるのならば、やはりそれが厳格に適用されるという前提の上で議論するのが良いのではないでしょうか。
そして、その上で、ではどのようなレイプゲームなら規制されるべきなのか、論者の見解は様々です。
404 おさがしのページは見つかりませんでした - はてなハイク

1 表現の自由に「優越的な価値」があるのは、話し、書き、描き、歌う、という表現行為〜相手に伝えることまで含む〜が「個人の自己実現」に不可欠であること、それが民主主義的な政治過程の実現と維持に欠かすことができないこと、による。
2 そのイデオロギー上の根拠になっているのは「思想の自由市場」という考え方。要するに、合理的な判断は、少数派の、あるいは気にくわない、または醜悪にみえる議論も排除することなく、自由に議論をすることによって達することができるんですよ、というやつ。
3 だから、表現の自由の規制は、慎重にやんなさいよ、やるなら重大かつ深刻かつ切実な利益を守るために、必要最小限の手段でやりなさないよ、とされている(学説のうえでは。)。
4 初歩的な憲法の教科書では、たいていそのあたりでとまっていて、また、それぐらいまでは世間的にもきちんと理解されないと困るのだが、問題はそこから先。
表現行為の中には、ぶっちゃけ、「民主主義的な政治過程の実現と維持」に関係ないし、どうみても「合理的な判断」に達するのに、こんな意見いらんだろ、というのがある。
(略)
6 エロゲー規制の話しで、「規制に反対!」という弁護士さんと、「これ規制されても仕方ないんじゃないの」と思ってしまう一般の人でかみ合わない面があるとしたら、前者は1〜3の話しをして4に進まず(「実際の犯罪増えないじゃん」というのは、誰かが実際に物理的な被害にあったんじゃなければ、「重大かつ深刻かつ切実な利益」を守るための規制ではないだろ、ということ)、後者は直感で4の話し(「女性差別」につながる、というのはまさにそのとおりだし、政権批判にくらべればエロゲーの価値が民主主義に関係ないのもそうでしょう。)をしているということ。かっこ内のことは、よほど原理主義的な人は別として、実はお互い認めているはず(後者も、現実のレイプにくらべればエロゲーのほうが害が少ないのは認めるでしょうし、前者も、こうしたゲームの価値観が女性蔑視につながるかどうかはともかく、そうした価値観にもとづいていることぐらいは認めるでしょう)。
そこに「表現の自由」といえばいっさいの規制がゆるされないかのような無責任な意見をまき散らす人や(表現の自由だって、他人を傷つけるものである以上、規制の可能性はある。現に、個々の規制が正当かどうかはともかく、いっぱいされているでしょ)、エロゲーが女性差別にもとづくこと自体がわかんない人、表現の自由の規制が歴史的に警戒しなければならない問題であることを忘れている人が乱入している。

404 おさがしのページは見つかりませんでした - はてなハイク

自分の感想だと、建設的な議論をするには、以下のことが必要だと思う。
1 表現の自由の大切さについて、歴史、根拠とともにきちんと理解する。
2 差別の禁止の大切さについて、歴史、根拠とともにきちんと理解する。
3 表現行為といえども、他害の可能性がある以上は、規制される可能性があることを認める。
4 規制を主張する側は、規制の根拠と規制の手段を、合理的な根拠をしめして、きちんと提案する。
ほかも同じだけどな。オレは、自分的には、他人と議論をするときは、この手法はふまえているつもり。すべてのコロンビア人は日本に移住する権利があるとか、日本は戦争で中国人に迷惑をかけたから、ビザを全部免除しろ、とかいわないでしょ。内心でどう思っているのかは知らんが(笑)。実務家だから当然だけどな。
id:gkmondさんみたいな議論は煮え切らなくみえるけど、対立する利益を具体的かつ慎重に検討したらそうなる。オレはサヨクを公言しているけど、ネットの議論の大半はオレよりイデオロギー過多でしょ。

要するに「その表現において侵害される可能性があるものを明確化」し、その表現を規制するとしても「出来るだけ小さい規制」にすべき。しかし、一方で「表現を規制しなければ人権が侵害される場合は、表現を規制することもやむなし」という、そういう考え方です。
これは、結構納得される主張でしょう。しかし、この様な考え方に照らし合わせた上で、では今回のケースが販売禁止というような規制に値するかというのはは、また意見が分かれるわけです。
例えばid:blacksorcery
酷いゲームの話 - blacksorceryの日記

2.差別的な表現は全て禁止させるべきか
そんなわけがない。
その表現が差別を目的とするなら禁止すべきだが、差別的表現だけで禁止されたら問題だ。
差別だろうが、表現の自由で守られるべきという連中もいるけど、それは間違い。
自由権と共に平等権がある。
人には差別されない権利があり、それもまた守られるべき権利だから。
差別する権利なんてあってはならない。
しかし、差別的な表現ってだけで禁止されたら、それはそれで問題も生じる。
例えば、少し前に麻生太郎が漢字を読み間違えると問題になった。
あれに識字障害を絡めて、識字障害への偏見を助長させるから、そういった報道禁止!
となったら?
無茶苦茶だと思う?
差別への検閲とかが出来たら、間違いなくこういう運用は出てくると思っている。
だから本来表現の自由を狭めるのはとても怖いことだ。


じゃあ
「識字障害者風情が首相になるなんておかしい」
これは許される?
僕は差別だと思う。だからこういった科白は糾弾されるべきと考えている。*2
そういった差別を糾弾する主体は国家権力でなくても良い。
というか、ではない方が良い。と思っている。
社会だったり市民だったりが糾弾してそう言った差別がはびこるのを抑止する方が健全な社会だろう。


さて、今回の騒動はどうか。
明らかに女性差別的な行為を主眼に置いた作品に対して、表現の自由だけでそれを守ろうとする人々が圧倒的に多かった。
僕はとても怖い。
表現の自由のためには、差別は放置されても良いという社会(はてな村)の意見表明にも見える。*3
正しい道筋としては差別の部分を認め、それを排除する方向、排除出来なくとも差別による被害を被らずに済む方法を模索するべきではないか。
けど、ブクマでは、
 ・嫌なら見るな
 ・自分たちの嗜好を理解しろ
 ・嫌悪するという言葉も暴力で差別だ
 ・こういうので発散するから日本にはレイプが少ないんだ。
そんなのばかり。
それじゃ、差別の解消には至らないよね。減らすことすら出来ない。
なら、規制もやむなしだと思う。
国家権力は最善ではないが、けど多数の幸せを追求するために作られた機関でもあるのだから。*4
そして、それらの嗜好者は本当の意味でマイノリティになるのだろう。

という風に言って、法規制を条件付きで認めています。これはつまり、「差別されない権利」を守るために使える手段が「法規制」しかない。逆に言うと、それ以外の方法では差別的レイプゲームによる女性差別の維持は是正できないと主張しているわけです。これはこれで一つの議論でしょう。
また、今回のゲームに関する議論ではありませんが、id:rnaさんは、次のような基準を満たせば「禁止」などの強い法規制も可能なのではないかということを言っています。
大人のための有害情報規制について - 児童小銃

僕の考えでは、むしろ差別表現のように本音レベルでの「一定の社会的合意」が現にあり、実際にそれが社会正義の実現の障害となっている場合にのみ、法的規制、特に「禁止」という対応が正当化されうると思う。そうでない場合は「対抗言論」という自由な言論に基づく社会的な対応に委ねるべきだ。

これを今回のケースに照らし合わせるのならば、女性への性的暴力はいけないというのは既に「一定の社会的合意」となっているから良いとして、今回のレイプゲームが実際に「社会正義の実現の障害」となっているかが問題となりそうです。
ですが実際は、id:rnaさんを含めた多くの論者は法規制、とくに販売禁止までいくような強い法規制は是認していません。ですがそれは「差別の禁止」なんていうのは表現規制の根拠となり得ないから、ではなく、もっと弱いレイプゲームへの対応で、「レイプゲームによる差別の維持」をなくすことができると考えているからです。具体的には、ゾーニング、自主規制、差別反対運動などです。

ゾーニング

ゾーニングとはすなわち、レイプゲームの宣伝・販売などを隔離された場所で行うようにすることで、まだ判断能力のない未成年や、そのようなレイプゲームを嫌いな人が、それを「見ないですむ」、そんな措置のことです。
たとえばrna氏は次のような議論をして、ゾーニングこそ重要であると主張しています。
『レイプレイ』事件について - 児童小銃

特に脱文脈的にポルノに触れてしまいがちな未成年者についてはゾーニングが必要であろう
(略)
『THE レイプマン』がそうであるように、レイプを正面から正当化するような描写はレイプが深刻な人権侵害であることが合意されている社会においてはむしろ安全だ。激しい嫌悪感を引き起こすか、不条理なブラックジョークとして受け止められるのが関の山だからだ。しかし、まだ社会に適応していない子供の場合は問題になりうる。子供が真に受けないようにするための仕組みは必要だろう。

つまり、大人は今回のような差別的なレイプゲームを、それをジョークと捉えるから女性への差別にはつながらない。しかし子どもにおいてはそれをジョークとして捉えないから問題となりうる。ゆえに未成年にはそのような差別的なレイプゲームに触れさせないことが必要である。というわけです。
この前提には、第一で述べた「差別的」の度合いを低く捉え、「子どもにおいてのみ差別の維持・増強は起きる」という仮定が前提となります。しかし逆に、もしそうならば、確かにゾーニングだけで「レイプゲームによる差別の維持」はなくなるわけです。
また、そのような見方のほかに、「レイプゲームが社会で承認されていないということを示すために、隔離してそれの社会的評価を下げる」という観点もあります。法規制のところで紹介した増田さんの意見も
某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

必要な人がいるならアングラなところに置いておけばいいじゃないですか。
ちょっと前までレーティングありとはいえ日本のAmazonでも買えたんでしょ?それは全然アングラじゃないよ。
興味本位でクリックしてしまった私も悪いのかもしれないけど、でもそんな簡単なところに置いておかないでよ。
(略)
男性嫌悪のつもりはないんだけれど、でももしごく一般の男性が、そんなゲームが簡単に買えることを是としているのなら、何か、とてもショックです。

という風に、簡単に買えるようなことによりそれが社会的に容認されているものの様に受け取られるのではないかという危惧でした。id:antonianさんも
エロゲが日の当たるところに出ちゃってみんな困っているらしい - あんとに庵◆備忘録

レイプ行為や痴漢行為を肯定した物を広く世にすべからく認めて欲しいという要求は断固断りたくなる。
(略)
わたくしは、弾圧する、つまりこの世から無くせなどという団体や論に与などしたくない。
しかしTPOというモノは考えるべきではないかというこった。喫煙者は喫煙所に隔離されて吸え。家までやってきて宗教勧誘をするな馬鹿。というのと同じだ。

という様なことを述べて、「レイプ行為や痴漢行為を肯定するようなものは世の中には決して認められないという『分』をわきまえるようにすべきだ」と主張するわけです。
しかし一方で、そのようなゾーニングはしかし「差別」の解決とはならないのではないかと考える人もいます。たとえばid:good2ndさんはゾーニングに一定の役割を認めつつも、しかしそれだけでは本来の解決にはならないとも主張しています。
性暴力表現と規制 - good2nd

ゾーニングに関しては、「ゾーニングで充分じゃないか」的な言い回しをこれまたいくつか見ましたが、全然不十分だと思いますけどね。これもバランスはいろいろ考えられるけど、個人的には繁華街にアダルトショップがあるのはいいけどコンビニでエロ本売るのはやめたら?くらいに思ってます。ネット販売だってもっと敷居を高くしたほうがいいと思う。まあこういう点については議論の余地はいろいろあるでしょう。ただ、今回のように差別が問題となっている以上は、ゾーニングだけでは本来の解決にはならないかもしれません。だけど流通を抑制することで、そこから発せられる社会的メッセージの質を変えていくことにはなるんじゃないかという気もします。

つまり、ゾーニングというのはあくまで「子どもはやってはいけない。でも大人はやってもいい」というものなんですね。もちろんそれで副次的にゾーニングされたものが社会的メッセージを持たなくなり、社会的評価が下がるとか、そういう効果はあるかもしれない。しかし第一義的には、今のゾーニングはあくまで「青少年に対する規制」なわけです。
ですが、じゃあ「女性に対する差別」というのは青少年だけの問題か?というと、そんなことは全くないわけです。子どもだろうが大人だろうが、「女性に対する差別」というものは禁止していかなくてはならない。それは、ゾーニングでは達成できないのではないかという主張も、当然ありえるわけです。
そこで重要となってくるのが「ゾーニングの質」です。つまり、本気で社会がそれを隔離し、「パブリックに認めてはいけないもの」として扱っているかどうか。しかし現状のゾーニングでは、とてもそのような扱いではないという主張が、今回の議論では多数挙がりました。先ほどのid:good2ndさんも、全然不十分だと思いますけどね。これもバランスはいろいろ考えられるけど、個人的には繁華街にアダルトショップがあるのはいいけどコンビニでエロ本売るのはやめたら?くらいに思ってます。ネット販売だってもっと敷居を高くしたほうがいいと思う。という風に述べていましたし、他にもid:blacksorceryさんがid:blacksorcery:20090518にて

まず今回のケースでは、Amazonが悪いという話があるが、結構賛成だ。
「18禁の情報を表示しますか?」
だけで辿りつけるのはあまりに安易なアクセス経路だと思っている。
実際に18歳なのかのチェックもしてない。自己申告。ほとんど意味無いと思うんだ。
自分が中学生なら、周りを警戒して誰もいないの確かめてyesをクリックするね。
いやいや警告しているじゃん、yesクリックする奴が悪い、自己責任、と言うかも知れない。
けど、この警告ってコンドーム買うときも出るよ。
反社会的でも差別的でもないコンドームだって、アダルトなので同じ18禁。
(高校生はむしろコンドーム使うべきだろとかの話は省略する)
18歳以上というだけで、あらゆる表現に耐性を持てというのはおかしい。と僕は思う。
18歳の区切りはアダルト情報に辿り着いても良いというゾーニングだけだから。
「リンク先には反社会的・犯罪的・女性差別的な表現含まれます。開きますか?」
ぐらいまで書いてあって、それでも怖い物見たさで進んでショックを受けたのだったら、クリックした方が悪い派にも賛成できる。

というような指摘をしています。ゾーニング派のid:rnaさんもid:rna:20090509:p1にて

まず思うのは「18歳未満お断り」といった曖昧なレーティングは稚拙なコミュニケーションじゃないのかということ。子供にはまだ早い、ということが何を意味するのかこれで伝わるのだろうか?
子供はセックスについて責任がとれないので、セックスから遠ざけましょうという趣旨なのだろうが、レイプレイのようなものを子供に見せたくない理由は単にそれがセックスだからということではない。それが悪用されたセックスだということが伝わらず、それがセックスだと思われては困るからだ。レイプにポジティブなイメージを持たれるのも、セックスにネガティブなイメージを持たれるのも、どちらも好ましくない。
だからこそとにかく遠ざければいいということになりがちなのだが、完璧なゾーニングなんて無茶だし、ゾーニングの存在自体から伝わるメッセージは消し去ることができない。それならゾーンの境界線に語らせることで、越境者に自分が何を越えたかを意識させるほうが良いのではないか。
たとえばレーティング区分も単に成人向けとするのではなく、性暴力を(作品世界の中で)肯定的に扱うかどうか等の条件で別枠を作ってわかりやすい形で表示してはどうか。レイプレイのようなゲームは「性犯罪シミュレータ」みたいなジャンルに放り込んで、単にエロというのは違った理由で隔離されているものだとわかるように。
一般向けゲームソフトについてはコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)がコンテンツディスクリプターアイコンという表示を導入していて、セクシャル、暴力、犯罪、などのカテゴリーがわかるようになっているが、*7 アダルトゲームの自主規制団体であるコンピュータソフトウェア倫理機構では対象年齢区分しか行っていない。*8
ちなみにアダルトビデオのレーティングも同様で区分上はエロと暴力の区別がない。*9
ジャンルはパッケージ見れば明らかじゃないかと言われそうだが、レイプレイの場合その内容は犯罪の言葉ではなくエロの言葉で表現されている。公式サイト*10では「痴漢がエロい」「陵辱がエロい」「調教がエロい」などという見出しが踊っている。*11 つまり、どう魅力的かが書かれているだけで、どう危険かは伝わらない。
もっとも注意書きの形でゲーム内の行為が犯罪であることは明記されてはいる。公式サイトの隅にも地味に書いてあるし、体験版でもゲーム開始の前にこんな警告画面が表示された。
(画像略)
しかし、これではいかにもとってつけたような注意書きだし、クリックするとスキップされるものなのであっさりスルーされるのは目に見えている。エロさのアピールと同じくらい真剣に伝える気があるならもっとマシなやりかたができるのではないかと思うがどうか。

という風に、現行のゾーニングは稚拙であると述べているんですね。
また、id:antonianさんは、ネット特有の、ゾーニングを妨げるものについて指摘しています。
エロゲが日の当たるところに出ちゃってみんな困っているらしい - あんとに庵◆備忘録

問題はネットという空間は棲み分け出来ない辺りかな。同好の士が集っている、本人達からすると閉鎖空間なのに不特定多数にその場が見られてしまう。これは双方共に不幸な構造が起きやすい。インターネットというのは実はマス媒体なので、その自覚を持たないといけないのではあるが。

ゾーニングが果たして「レイプゲームによる差別の維持」を阻止する処方箋となるかどうかは、論者によってさまざまな見解に分かれています。しかし、もし仮に、ゾーニングが「レイプゲームによる差別の維持」の処方箋となるとしても、少なくとも現状のゾーニングではだめで、きちんと、実効性があり、かつ、ゾーニングそのものが「差別を許さない」という特別な意思を示す、そんなゾーニングになるべきであるというのが、論者たちのほぼ一致した見解のようです。

自主規制

そして、上記の様なゾーニングに対する指摘は、実はメーカー・販売側の自主規制についても言えるんですね。なぜなら、先ほどのゾーニングというのは、ほとんどがそもそもメーカーや販売側の自主規制だったからです。さっきのid:rnaさんの文章でも、コンピュータソフトウェア倫理機構という自主規制団体の基準が参照されましたし、自主規制で書かれた注意書きもマシなやりかたができるのではないかという風に批判されていたのですから。
他にも、今回のレイプエロゲーを製作した会社のやり方には批判があります。id:gkmondさんは、今回の事件の発端となったレイプゲームを製作した会社が、発売中止に当たって出したコメントを次のように批判しています。
例のゲームの件について。結論はないよ! - U´Å`U

 えーと、このゲームの販売中止にゲームの内容とは関係なく抗議の声が上がっていて、エロゲーと犯罪助長を関連づけるデータはないって調査が何度もされていて、「エロゲーがほぼ自由に販売されている日本の性犯罪率はダントツに低い」ってデータ*1もあるのに、文句つけられた当の本人は一切反論せず、販売自粛してお終い
 これは「屈した」と言うのだろうか。
 俺にはむしろ販売会社はそもそも自社製品を表現だなんて思っていなかった*1ということを露呈している対応に見える。これが素人のブログが炎上しましたみたいな場合なら、覚悟のなんのという話は絶対にしないけど、この人たちはプロである。相手の意見を納得したから自粛するとか、「抗議は受けたがこのような反論がある」と自己主張(それこそ「表現の自由は、多数決でも侵害しえない権利を認めるものである以上、多数から忌避されるような表現活動に認めないと意味がない」とか妥協案ぽく「一面差別的かもしれないが、これが自由に流通している日本の性犯罪発生率が他国と較べて低いのは、エロゲーがあるからだ」とか「そもそも外国で売られることを想定していないから海外からは引き上げるが国内での販売をとやかく言われる筋合いはない」*2とか)するか、どちらかの対応をするのが筋なのではないか、という気がする。いやコストの問題とかで諦めたのかもしれないけどね。
(略)
エロじゃなきゃできない表現ってのも(詳しくないからわからないけど)たぶんあるんだろうし、下手な規制はどこまで波及するかわからないから、法規制には絶対的に反対する。ついでに言うとこのゲームを楽しむ権利だって認められるだろうし、この手のゲームを作ることだって制限はされるべきではないだろう。
 しかしその一方で「不快だ」という声を上げることを否定してもいけないんじゃないかとも思う。ってのは、その判断がすでに「我慢は女(の一部)にさせておけ」って思考を表現してしまっているように見えるからだ。

要するに、レイプエロゲーを製作した会社は、自分たちが製作した製品に対して説明する責任があるはずなのに、それを安易に放棄してただ発売中止にしている。それはよくないのではないかという批判です。
ではなぜきちんと自分たちの製品に対する批判に答えられないか?これは要するに、今までの自主規制は、単なる形式的なものに終始していて、実際に自分たちの表現が誰かに悪影響を及ぼさないかということを考えて行われるものではなかったからなんですね。id:rnaさんはあっさりスルーされるのは目に見えていると述べましたが、実際そのとおりで、もし本気で自主規制するならば、こんなすぐスルーされるような注意書きではない、もっと実行力のある警告を行うはずなんです。その点で、現在の自主規制は稚拙であるというのは、残念ながら否めません。*3
ではどのような自主規制であるべきか。具体策としては、ゾーニングのところでid:rnaさんが述べていた様な方策もありでしょう。しかし重要なのは、そもそもどんな考え方に基づいて自主規制を行うかということです。この点についてid:good2ndさんはid:good2nd:20090514:1242334288で次のように述べています。

業界の自主規制に関しては、強制力という意味では難しいかもしれないけど、モザイクとかピー音とかいうのとは別の基準―差別性や暴力性―を真面目に考えてみてもいいんじゃないかとは思います。

要するに、形式にとらわれるのではなく、実際にその表現が受け手に与えるメッセージを考慮せよという考え方です。

現実の性差別への批判を続ける

しかし一方でid:good2ndさんは、むしろ一番やらなくてはいけないことはそのような表現そのものに対する規制ではないと述べます。では一体人々はどうすべきなのか。

だけど、もし問題のゲームのようなものを自由に享受できるようにしたいと願うならば、一番やらなくてはいけないことは、現実の性差別を無くしていくことではないでしょうか。性差別がない社会では、Equality Now の抗議は無効となるでしょうし、そもそも差別を問題とするような抗議は出てこない(というか団体自体が不要となる)でしょう。まあ性差別の無くなった社会でああいうゲームが娯楽として成立するのかどうか怪しい気もしますけどね。
いずれにしろ、時間はかかるかもしれませんが、自分達の自由のためにも、もっと差別を地上からなくす努力をするべきだとは思いますね。

これはそのまさしくその通りなんですね。もし「レイプ」というものが完全に空想のものならば、それは正真正銘、現実の女性に対する差別とは全くかかわりのないものになるからです。
同様の主張はid:font-daさんも述べています。
ヴァーチャル児童ポルノの問題 - キリンが逆立ちしたピアス

 問題は、今現在も、現実の性的虐待の中を生きている人たちがいることだ。そして、その人たちは、私たちが表現の自由を謳歌し、ゲームを楽しんでいるそのときに、生命の危機を感じ、必死に生き延びている。そして、その後、誰にも話せず、被害経験を胸にしまったまま大人になるサバイバーもいる。この非対称性を問題にしている。ゲームをやめろとは言わない。私たちには、自分たちがどう行動するのかを選択する自由がある。だが、いくら虚構を楽しみ、現実の悲惨さが目隠しされてしまっても、性的虐待は存在し続ける。「ゲームはゲーム」と言ってしまったとき、何かを忘れたいと思っていないだろうか。
 性的虐待は私たちが生きている現実の中に起きている出来事だ。そして、ゲームの中で虚構として起きているできごとだ。私たちは、その両方を、同じ「性的虐待」という名で呼んでいる。いつも、一つの出来事は、もう一つの出来事を想起させている。*2この連関は、欲望の中で、どのように作動しているのか。
 結論は簡単で、私たちは、児童ポルノを肯定するならば、同時に児童に対する性的虐待を否定し、被害者を支援しなければならない。

しかし一方で、これでは抽象的すぎて、では今回のようなレイプエロゲーに対峙したときに、それにどう対応すべきなのかはわかりません。そこで参考になるのは、id:cmasakさんの記事です。
レイプ・妊娠・中絶というプロットがムカつくというだけの話ですが何か - cmasak 2nd blog

でもやっぱりずっと「ムカつく」「ムカつく」って言い続けないと負けるんだ(何に)。

レイプ・妊娠・中絶のエントリに付いたコメント&ブクマに返事 - cmasak 2nd blog

消費者を批判しているわけじゃないので、(というかもっと言うと別にこの作品自体を批判しているというよりは、こういうプロットと差別構造の関係について批判しているので、その辺はもう一度先のエントリをよく読んでください)「正義」とか言われても困ります。だから「ここで批判されている人たち」なんていう人はいないのだけれど、あえて批判する「人」をロックオンするとしたら「表象はいかなるものであれ全く自由であって、誰の文句も受け入れられるべきではない」と思っている人たちであって、ユーザーではない。どれだけユーザーの消費行動や欲望が差別構造と結びついていようと、その本人の責任を追求するつもりはないので。というかそんな責任が本当にあるのかも疑問。ボクが問題だと思っているのは、差別構造と結びついているような表象形態が「全く問題ないもの」として流通し、消費され、市場の流れに乗ってある一定の方向にガーっと進んで行ってしまうこと。だからあなたが「弱者」と呼ぶ人たちも「強者」と呼ぶ人たちも別にボクにとっては味方でも敵でもないし、ボクが戦って行きたいのは差別構造自体。この場合男女差別ね。もう一度強調するけれど、ユーザーは批判してないし、批判されるべきでもないと思っていますので。

つまり、この作品を通して、女性に対する差別構造を認識し、それを「ムカツク」と表現することによって攻撃していくということ。id:cmasakさんはこれこそが差別構造を変革しうる唯一の方法であると主張するわけです。
また、id:blacksorceryさんはid:blacksorcery:20090518で、次のようなことを述べています。

差別だろうが、表現の自由で守られるべきという連中もいるけど、それは間違い。
自由権と共に平等権がある。
人には差別されない権利があり、それもまた守られるべき権利だから。
差別する権利なんてあってはならない。
(略)
「識字障害者風情が首相になるなんておかしい」
これは許される?
僕は差別だと思う。だからこういった科白は糾弾されるべきと考えている。*2
そういった差別を糾弾する主体は国家権力でなくても良い。
というか、ではない方が良い。と思っている。
社会だったり市民だったりが糾弾してそう言った差別がはびこるのを抑止する方が健全な社

*1:それが反論にならないという点については、id:yuuboku:20090508:1241809239やid:rna:20090509:p1参照

*2:それも反論にならない。id:rna:20090509:p1参照

*3:実際、現場でエロゲーを作っている人の中にも、id:isikeriasobiさんが嘆いているように、自分のゲームが性差別の価値観を前提としているものであるという事実でさえ、認めない人間もいますから。エロゲーを作っている人の中には、かなり人権意識が低い人間がいるのも事実な様です