あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

みんな「病気」になりたい時代

参考:自閉症その他発達障害についてきちんとした診断を受けたいなら*1
ヤンデレ - まっつねのアニメとか作画とか

それは「自分の気持ちが伝わらない」事への共感。
男性だったら、そこで自閉症的解決(=deathnoさん言うところの「寛容」、あるいは脳内恋愛)
を取れるが、
大半の女性はそれを爆発されるか伝える対象を変える(他の男に乗り換える)かするわけである。
(略)
天原さん
自閉症的」という言葉は、
アスペルガーである私自身の実感と精神科の先生の説明を元に言っているので
wikipediaを引用されましてもw

自閉症とは『群れる』という本能が生まれつき欠如している状態」
と言われた事がありました。
この場合の「自閉症的」という言葉は「群れを外れる」という意味で使ってます。
熱気バサラは非常にアスペルガー的なキャラですしね。
どう受け取られたにしても、
自閉症」に直接関係無い人には確かにわかりにくかったかもしれませんね。*2

id:mattuneの語る「ぼくのかんがえた本当のヤンデレ/狂気」にはとことん興味関心がないのでスルーします*3が、id:mattuneがアスペを自称しながら、自閉症とは『群れる』という本能が生まれつき欠如している状態」という(誤)認識をしているは面白かったので相手にします。
というのも、確かにこういう風にアスペルガー自閉症やその他発達障害を自称している人ってのは最近よく目にするからです。典型例としては、非コミュ界隈に良くいる「私はアスペだから非コミュなんで〜」という様な人たちでしょうか。
で、そういう自己認識をその人が何故持ってるかを、よーく聞いてみると、「Web上の診断テストで〜」とか「本でアスペの例を読んでとても自分によく似てるなーと思って〜」とか、そんな風に答えるわけです。ですが、そんなもんで素人が簡単に自分がどんな病気か判断できるならそもそも医者なんて必要なくなるわけで、大抵は医学的に厳密に診断すればアスペとは診断されない*4ような、いわゆる「偽アスペ」な訳です。
あ、もちろん別にid:mattuneがそうだと言っているわけではありません。僕だって別に医者でもないしid:mattuneを診断してるわけじゃないんですから、id:mattuneが本当にアスペであるとも言えないし、その反対に、本当にアスペでもないとも言えません。ですが、本当にid:mattuneがきちんとした精神科医に診断をもらったかどうかは、大いに疑問視しています。
というのも、id:mattune自閉症に対する認識は全く間違ってるからです。

自閉症とは何か?

まぁ、とは言っても自閉症自体そんなに古い概念ではないですから、学者によって「自閉症とはどんな障害/病気であるか」ということについての見解は色々分かれています。しかし、そんな中でおおよそ決まっている所ももちろんあって、それは「先天性の脳機能障害」であるということ。そしてその障害は主に「人との意思疎通がしにくい」ということ、そして「それによって社会生活上重要な不具合が生じている」ということです。
更にもうちょっと踏み込んで説明すると、何で人との意思疎通がしにくいのかというと、自閉症の子と普通の子では、そもそも物事の認識の仕方―これを「心の理論」と言います―*5がちがうのではないか、ということが言われています。例えば、ある秋田犬を見せられて、「こういうのが犬だよ」と教えられたとします。そうした場合、ある程度発達した普通の児童ならば、そこから類推して、他の、例えばセントバーナード犬であったり、あるいはドーベルマン犬とかであっても、「これは犬だ」と理解できます。しかし自閉症の児童にとっては、ある秋田犬を見せられて「これが犬だよ」と教えられた以上、その秋田犬こそが「犬」なのであって、何で他の秋田犬とは全然形が違うセントバーナードやらドーベルマンも「犬」となるのかが分からないのです。
そして、この様な類推能力の欠如によって、例えばある朝に「今みたいな朝は『おはよう』と言うんだよ」と教えられても、次の日の朝には「おはよう」とは挨拶できなかったりします。何故なら、朝といったらそれは「ある朝」の朝なのであって、次の日の朝も何で「朝」であるのかが分からないからです。このようなことにより、普通のコミュニケーションが出来なくなるというのが、自閉症という障害なんですね。
ここで重要なのが、次の点です。そのような能力の欠如により自閉症の子供は普通のコミュニケーションが出来ないことから、「自閉的」と見られる訳です。ですが、それはあくまで周囲から見た場合の特性であって、自閉症の児童は別に「コミュニケーションしたくないからコミュニケーションしない」のではないのです。ここに、性格としての「ふさぎがち/内向的/自閉的」と医学的な障害としての「自閉症」というのの大きな違いがある訳。友達と話しているより一人で遊んでいる方が楽しいとか、あいさつをするのが面倒くさいという場合、それは本人の志向として「コミュニケーション」したくないと思っているわけです。しかし、自閉症の子供の場合は、そもそも「コミュニケーションしようと思っても出来ない」のです。そこにあるのは志向や欲求ではなく、それを叶えるための能力の欠如なわけで、だからこそ「自閉症」というのは通常の「ふさぎがち」というような性格状態からは切り離されて、特殊な医学的ケアやリハビリを受けることが必要になるわけです。
id:mattune自閉症について、自閉症とは『群れる』という本能が生まれつき欠如している状態」と説明します。しかし、その説明が如何に的外れであるかはこれで明らかでしょう。そもそも『群れる』という本能という言葉自体意味不明です(何で『群れる』ことが本能なのか?*6
もちろん、自閉症によって*7コミュニケーションに障害を持つことにより、そのことに不理解な人々に「ふざけてる」、「人とコミュニケーションする気がない」という風に叱られて、そのことにより抑鬱状態に陥って、人と会って話をするのを嫌がるとか、そういうケースはあります。自閉症に限らず、発達障害の子供たちが二次障害として鬱病やひきこもりになったりというケースは多々あるというのは、事実です。
しかしそれにしたって、それらはあくまで自閉症という一次障害に、周囲の不理解*8が合わさって引き起こされた二次障害であって、それらこそが自閉症発達障害の本体であると言う人なんて、まともな精神科医や学者の中には一人もいないでしょう。
これらのことは、僕が例に挙げたwikipediaにも載っていますし、wikipediaが信用に値しないというならば、それこそまともな精神科医や学者が書いた著書、

自閉症からのメッセ-ジ (講談社現代新書)

自閉症からのメッセ-ジ (講談社現代新書)

やら
発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

発達障害の子どもたち (講談社現代新書)

やらを読めばいいわけです。新書ですからさらっと読めるでしょう。それらを読んだ上で、まだ「ぼくのかんがえた自閉症」にこだわるというのならば、どーぞご勝手にすれば良いと思います。が、そのときはきちんと誤解を招かないように「自閉症(※この自閉症は世間一般で認められている障害としての自閉症ではなく、私が考えた独自の概念としての自閉症です。)」という注意書きを入れるべきでしょうな。

「自称○○障害」の裏にある「狂気への憧れ」

しかしやっぱり興味深いのは、別に医者の様な知識を持っているわけでも、医者の診断を受けているわけでもないのに、何でそういう風に人や自分に「病気」や「障害」のレッテルを貼り付けたがるかなぁということです。*9
これが逆だったら理由は分かりやすいんですよ。例えば、精神科医から「統合失調症」と診断されたりした人々が、それに対し反旗を翻して、自分たちに独自の病名を自分たちで付けたり、あるいはろうあ者とかの人が自らの障害を「障害」と呼ばれるのを嫌がって、障害ではなく文化としてそれを捉えようとしたり、というのは、社会的な差別に対する反抗として分かりやすいでしょう。実際、そういう運動については研究も沢山ある。
しかし、今生じているこの種の人々っていうのは、むしろその反対なわけ。医者から診断を受けてない以上、別に医療的ケアが受けられるわけでも、「治す」ための補助が受けられるわけでもない。そんな中で、「自分はアスペです!」とか叫んでも、「普通の人とは違う」とされて、社会的に排除・差別を受けるだけなわけです。なのに一体何故そんなことを言うのか。
ここにはやっぱり、先日の記事(id:amamako:20090505:1241495829)でも触れた「狂気への憧れ」があるのではないかと僕は推測します。要するに狂気を意味するものとしての「アスペ」、あるいは「自閉症」です。まぁ、先日の記事は筆が走りすぎて、人が狂気に憧れる理由を限定しすぎたけど、でも「狂気に憧れる」というような潮流が実際あるのは、今回の様な具体例を出せば結構分かってもらえるのではないだろうか。
しかしだとしたら、それはやっぱり、本当の「アスペルガー症候群」や「自閉症」の人々にとって迷惑だろうと僕は思う。自閉症、その他発達障害の人たちは、彼らの障害の特性を理解して適切に対処してもらえれば、普通の人々とも共生して社会生活をおくることは十分可能なわけです。それなのに、こういう勝手に「自閉症の奴らはコミュニケーションを自ら望まない人たちなんでしょ?そういう狂気に憧れちゃうなー」とか言う人々のイメージで「狂気」扱いされて、適切な理解・ケアがなされなくなるかもしれないんだから、それは端的にひどい。こう考えると、前の記事ではホラーハウスとして「狂気」を眺める人々と、自分に同一化する人を分けたけど、それらを「消費」するという意味では、実は同じなのかなと思えてきますな。

*1:5/7 14:52追記

*2:まさに外部にいる人にまったく届かない「主観に耽溺した表現」だなぁ。ちなみに僕は、自閉症は直接関係ないけど、発達障害のLDにははちょっと関係があったりする。でもそれもあくまで「自称」ではない。ですが僕は「関係ある人にしか分からない言い方」なんかせずにきちんと万人に伝わる言い方をしているので関係ないですね

*3:"「ヤンデレ」を「ネコミミ」みたいな萌えの概念だと思っている"という表現は全く訳が分からない。いや実際にそういう風に社会で語られてるじゃん。僕はあくまで社会的な言説を対象にしてるんであって、あんたの脳内本質論には付き合ってられないと言ってるんです。

*4:アスペではなくて別の病気って可能性ももちろんあるが、それにしたってきちんとした診断が必要

*5:id:gerling:20090507の指摘によれば心の理論はまた別のものらしいです。すみませんちょっと知ったかぶってしまったようで……ご指摘ありがとうございます>id:gerling。つーかトニオの専門ってどんなことなんだか、ちょっと気になる……。

*6:学問で何か人間の行動を説明するとき、「それは本能だ」とかいう説明をしたらそれは殆ど「自分は何も分からない馬鹿です」と言っているのと同じになるよね。少なくとも、僕の学んでいる社会学ではそうだ。

*7:[http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090507/1241642576:title]のid:yachimonの指摘を受けて修正。いや、でも可愛いなこの間違いw

*8:まさにid:mattuneの様な!

*9:単純に「心理学化」とか言っても良いのだけど、それだと僕が納得できないので