あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

土9

いやまぁ、今まで見てなくて、急に最終回直前を見て文句を言うって言うのも醜いなぁとは思うんですが。
なんだろーなー、テレビの中(ドラマ)でテレビ的なこと(クイズ)を見せるっていうことをして、「テレビ」そのものを批評的に映し出す、みたいな意図があるのかなーって思うんだけど、でもそれすべってるっつーか、すごく「安全」な批評になってない?と思う。
要するに、人の不幸を飯の種にするテレビっつーか、そういう人々の欲望を、作り手さんは暴いてるつもりなんだろーけど、でもじゃあそれをされて視聴者が「痛いとこ突かれた……」みたいなこと思うかっつーとさ、「ああ、そういう見方もあるよね。うん、そういう見方をテレビでするのも有りだと思うよ」と、まぁやり過ごすのが常じゃないかなぁと。
大体テレビの中でテレビを批判するのなんて、今はもうそれほど珍しいことじゃないでしょ。とくダネ!で小倉がインフルエンザパニックを批判したり、笑っていいともでタモリが「暑い奴が嫌い」とか「やる気がある奴は去れ!」とか言って笑いを取ったりさ。
でも、それでもじゃあテレビが反省するかって言うとそんなことも無いわけで、「そう思うあなたはそうやりなさい。違うことを思う人は違うやり方をする」みたいな価値相対主義がテレビはもうその大前提にあるから、とくダネ!で批判されたことをスーパーニュースでやったりするわけだ。そして、それぞれが時間枠で区切られている以上、そこで相互が干渉することは出来ないわけ。
そして多分それに合わせて視聴者も時間枠ごとに乖離してしまったりするわけだ。朝のフジテレビを見ている「私」と夕方のフジテレビを見ている「私」、いや別にフジテレビでなくてもいいんだけど、それぞれが乖離していて、矛盾していても別に気にしない。その時に笑えたらそれで良い。というか、もはやテレビってそれぐらいの力しかないし、それ故にテレビへの期待値もそれぐらいになるのだろう。
まぁ、希にそういう期待値を飛び越えて、乖離した「私」全てに働きかけてくるみたいなものもあるんですけどね。例えば銀魂とかは僕にとってそういう作品で、良回を見たときは、その後に何を見てもそれを思い出すみたいなことになったりする。でも、なんかそういうオーラが、今回の土9には無かったなぁって、僕は思った。
何が悪いのかなぁ。まず、これを見る「動機」が分からないんだよね。確かに土9って、色々実験的なことやられても、それを許せる不思議な時間帯だと思う。だけどいつからかなぁ……僕的には、まさに『女王の教室』あたりからなんだけど、そういう実験の「意図」が分からなくなるというか、そんな風になっている気がする。「実験」によって新しい表現技法を開拓し、そしてそれによって人々を楽しませるのではなく、「実験」それ自体が目的となってしまっている気がしてならない。まず、「少年少女」の側に向いて、彼らを楽しませるのが土9なんじゃないのかなぁ?でも最近の土9でそれを継げたのって、はっきり言って『ごくせん』と『野ぶた』ぐらいじゃないだろうか。
まぁ、別に今の少年少女にとっては、今の土9こそが、「リアル」で、「楽しい」もので、単に僕がそれについて行けなくなっただけかもしれないけどねー。