あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

誰にも望まれてない、ということ

最近話題のことについて思ったこと。
結局ね、望まれているのは「『日本』に都合のいいように物をいう人」なんだよ。そこに「『日本』にとって都合のよくない人」の出番はない。
「日本のために生きる善良外国人/……を追い出そうとする悪い官僚」っていう図式。そこに「日本を憎む悪い人」とかは、それが外国人であっても日本人であっても多分いらないんだ。そんな奴らの居場所は、「日本」にはないわけで、どんなことを言ったって、「居場所がないやつがごちゃごちゃ言うな」ってことでしかない。
あるいは、「エロゲー規制」の話にしたってそう。必要とされているのは「『エロゲー業界』に都合のいい人」。「エロゲー」について真剣に考えたり、それに引っかかりを覚えるような人ははなから要らないの。だってそれは「世間に何の悪影響を与えない、むしろ全くの善であるエロゲー/……を排除しようとする悪い奴ら」という図式に当てはまらないのだから。
誤解しないでほしいのは、別にそういう図式を作って、その図式を使って運動とかしている人を批判したいわけではない、ということ。むしろ僕が怒ってるのは、そういう図式に乗っかれない癖して、その運動に参加しようとする、(僕も含めた)はてサの連中のこと。
だって彼らは望まれてないんだから。望まれていないのに入り込んで場所を得ようとするっていうのは悪いことでしょう?日本における「社会運動」っていうのは、「社会のためになる運動」でしかないんだから、そこに「社会のためになれない人間」は必要ないの。
「社会の中で行儀よくおとなしく生きていく」、それができない人は、あらゆる運動に参加すべきじゃない。だって、誰もそんなやつを望んでないんだから。あなたは他者支援とかはなっからできる存在じゃないの。だって、他者に望まれてないんだから。すべきこと、それは、何の運動にも口を挟まず、支援の声も反対の声も挙げず、ただ自宅で引きこもって、死を待つことなんでしょう。
だって、みんなそう言ってるもの。