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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

選挙に行こう、と僕は言う

選挙に行くべき理由も、選挙に行くべきでない理由も、世の中には一杯ある。
「国民」のみが選挙に行く権利を持つ今の選挙制度は、結局国民国家という幻想を補強し、それにより国民以外の人間を虐げる制度だ、だからそういう選挙制度を容認するような投票はすべきではない。これも実にもっともな意見だ。
いやいや、そういう「国民」のみが投票権を握り、国民以外の人間を虐げるような、そんな選挙制度を変えるには、選挙権を持っている私たちが、選挙権の行使によってその制度を変えられる。だから僕たちは選挙に行くべきなんだ。これもまた、もっともな意見だ。
結局一票なんかじゃ何も変わらない。それもそうだろう。いや、その一票がもしかしたら激戦の末にマシな候補者を当選させることに繋がるかもしれない。それも十分ありうる。
仮に俺たち若者or貧困層orマイノリティーが投票したって、そうじゃない中年以上or中産階級以上orマジョリティーの数の前じゃ何もできない。確かにそうだ。いやいや、一対一では少ないマイノリティーでも、マイノリティー同士が連合することにょって大きな数を持つことが出来るんだ。それもそうかもしれない。
もう一度言おう。選挙に行くべき理由も、選挙に行くべきでない理由も、世の中には一杯ある。そしてその理由どれもが、ある程度正しくて、ある程度正しくない。その上で僕は言う。選挙に行こう
これは、結局「信仰」のようなものだ。もちろん、上記の様々な理由を考え、比較検討し、そしてその上で僕は、僕の理性を信じて「選挙に行こう」と言っているわけだが、しかしそこで、なぜ僕は僕の理性を信じられるかと言えば、それは結局のところ、自分への「信仰」でしかない。
しかし、だからこそ僕は自信を持って言う。選挙に行き、投票をしようと。
「選挙で何か変わるかもしれない」と思うのも、「選挙じゃ何も変わらない」と思うのも、結局は「あなた」の判断だ。あなたが考え、行動するのである。周りはそれとは全然別なように思い、別なように行動するかも知れない。もしかしたら、自分が支持する候補者は、自分一人が支持していて、他の人は全員自分に対立する候補を支持しているかも知れない。あなたが投票したからって、または、あなたが投票しなくたって、その決断に対し「それで良かったのですよ」と言ってくれる人は誰もいないのだ。
だから、「あなた」が決めなさい。選挙に行くか、行かないか。
最後にもう一度。僕は「選挙に行こう」と言う。そして、最終的に決めるのは「あなた」だ。