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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

袋小路という言い訳

※注意:これから書くことは愚痴と言い訳です。なのでそういうのが嫌いな人は読まない方が賢明です。「ぐだぐだ言っている間に手を動かせ」とか「その愚痴っぽい感じが嫌だ」とか言われても僕はどうしようもないので。
さて、いきなり私事なんですが、僕は現在大学四年生です。
で、大学院進学を狙ってたんですが、秋期試験落ちました。
\(^o^)/
まー、あの酷さならそれは当然だろうなぁと、今になっては言えるのですが、まぁそれも今になって言えることです。*1
で、それはショックなんですが、しかし大学院の試験に落ちたことそれだけなら、まだ何とでも挽回できます。春の試験もあるし、今から就職しても良いし、何なら一年間浪人してもっと良いところ狙うとかいう道筋はいくらでもありますから。それぐらい僕だって分かってます。
ただ、問題はそこじゃないんですよ。今回の落ちたことで分かったこと。それは、実は自分にはもう何かを為そうとする力が残ってないってことなんですから。

惰性が切れた

思えば、落ちる兆候はいくらでも有ったんです。勉強なんか殆ど手が付きませんでしたし、そもそも願書を書く気力もなく、願書すら出せなかった所もあった。圧倒的に、大学院に行こうという熱意もなかった。
じゃあ何で大学院に行こうとしていたのか?それは、「惰性」であったとしか言いようがないんですね。
そもそも僕の人生って、実は僕自身が決断して、ある方向に進もうと力を発揮したことって、ほぼないんですよ。普通に自分の学力なら合格するであろう普通高校行って、そこから自分の学力で行けて一人暮らしする面倒くささもない地方大行って……別にその進路に行きたかったわけでも、その進路しかなかったわけでもない。ただなんとなく、「周囲がこっちの方面を進めるし、そっちの方面が楽そうだから」という感じで、進路を選んでいたわけです。*2
で、そういう感じで道を進んでいた人が大学四年になるとどうなるか。就職は、ちょっと無理っぽい。今までの道筋とは全然違いすぎて、惰性が通用しないですから。そうなると公務員試験か大学院になってしまうわけです。要するに今までの惰性で、同じ感じでなんとなく勉強していれば上手くいくだろうと。しかし……それが上手くいかなかった。
まぁ、大学院が今までとは違って難しかった、というのもあるかもしれません。しかしそれ以上に、やっぱり今まで自分で何も動かず、周囲の流れに身を任せて惰性で動いていた、その「惰性」がなくなったというのが、一番大きいんじゃないかと思うのです。

正直もう何もしたくない

その惰性がなくなってしまって一番きついこと。それは、もう何か心が完全に止まってしまっていることなんですね。今までは、惰性とはいえ、それでもなんとなく「学問やりたいなー」とかいう流れに乗っていたのですが、それが止まってしまった。もう今は、院試のための勉強とか一切したくない。なんでしなきゃいけないのかが分からない。例え一生懸命苦しんでやって、それで大学院に合格したとして、その後も読みたくもない英語とか読んで、厳しい質問とか受けて……なんでそんなことしなきゃいけないのさ?
はっきりいって、そんなこと言っていたら、もう大学院は駄目なわけです。じゃあどうするか。就職か。でも就職はしたくない……

「適当にやる」というスキル

就職がしたくない理由は一杯あります。そもそも、人から絶えず評価され、叱られたりする恐怖に怯えながら一日中過ごすってだけで、正直気が狂いそうになります。更に言えば、就職するってことはその会社のしもべになるってことですから、会社の命令ならどんなに嫌なこともしなくちゃならない。なんでそんなことを好きになれるのか、僕には到底分かりません。
ただ一方で、世の中の人がそこまで思い詰めて居ない理由っていうのも、僕には分かるんですね。一部のワーカーホリックを除いて、社会の大勢の人って言うのは、民間であれ公務員であれ、きっと「適当にやる」というスキルを身につけてるんですよ。要するに、適当に会社行って、仕事中にもちょっとネット見たりしながら適当にこなして、そんなに疲れず帰ってくると。それで休日はしっかり遊ぶ。そういう風な生き方ならば、そりゃ労働と人生の楽しみを両立できるでしょう。「プチクリ」なんていうのも、まぁ結局はそういうことなんでしょう。
でも、僕はその「適当にやる」ということが出来ないんですね。ゼロかイチしかなくて、仕事の時間になったら全身全霊使って仕事をしなきゃとおもってしまう。というかそうしないと、そもそも不器用だから、人並みの仕事が出来ないんです。
そして、帰ってきたら疲れてバタッとそのまま寝てしまう。そして起きたら朝、休日も殆ど寝ている。
そんな生活を、これから定年までずっと続ける、そう考えると、もう自分は何のために生きてるのか分からなくなるんです。そうやって人生の殆どを棒に振るぐらいなら、いっそもうこのまま遊びほうけて20代の内に死んだ方が、まだ楽しい人生だった様な気がしてならない。というか絶対そうでしょう。
しかし、これも結局「社会の歯車になりたくねーよ」というような、甘ったるい主張なのかもしれません。大体、要領の悪い人間だからって負担が軽くなるってことは、きっと要領の良い人間からした不平等でしょうから、現実問題としてそれは受け入れられないのでしょう。要領が悪かろうが何だろうが、人間は生きていたら同じ分だけ「社会貢献」しなければならない。「障害者の社会参加」なんていうのも、まぁ建前は美辞麗句ですが、結局は健常者のそういう〈当然の主張〉が本音なんでしょう。足が動かねーんだったら手を動かせ、どっちも動かねーんだったら頭動かせ、それすら出来ないんだったら……ということです。

まだ何か自分にあると信じてる

話がズレました。だから、もし人生がそのように灰色であるとしても、そのような人生しか歩めないとしたら、それを歩まなければならないんです。でも、それを歩む決断はまだ出来ない。っていうことは、まだきっと、「そのような人生でない人生」を歩めるんじゃないか、っていう期待がまだどっかにあるんでしょうね。
要するに、「本当の自分」ってやつです。今の自分は仮の自分だから、まだ真の能力を発揮できてないんだと。だから上手くいかないんだ、もし自分が「本当の自分」になれば、きっとその真の能力にみんなひれ伏して、人生うまくやっていけるんじゃないかと、そういう馬鹿な妄想です。大体、そんな「本当の自分」なんてものがあれば、今出してみれば良い。結局院試に落ちたのだって、それが出せなかったからじゃない。そんな大事な場所で出せないってことは、それは「存在しない」んだよと。
ただ一方で、その「本当の自分」が捨て去れない理由も分かるんですね。だって、こどもの頃からそれを頼りにしてきた、言い換えれば、それに甘えてきたんですから。「本当の自分」がその内姿を現す。だから今はとりあえず我慢しようと。本当は、その我慢こそ全ての間違いだったんですけどね。我慢なんかせずに、自分のやりたいことをその時点でやるべきだった。そしたら、こんな「心が完全に止まる」なんてこともなかったんですが。

で、これからどうするか

正直全く分からない。色々な自己啓発書とかあさってみたけど、正直どれも全然駄目

  1. 自分が一番やりたいことを見つけよう
    1. それがないから困ってるんじゃ!
    2. 例えば、「文章を書くのが好き」とかだとして、それだけでやっていける職業があるか?例えばフリーライターだって、文章を書くだけでなく、それを他人に評価され、競争に駆り立てられる中で、それはもう当初の「文章を書く」という行為とは全然違った行為になっちゃうでしょうが。「○○が好き」っていうことと、「○○で評価されることに耐えられる」っていうことは、むしろ相反する場合の方が殆どだ。
    3. というか、需要と供給を考えろ
  2. 自分がやりたいことではなく、やれることを考えろ
    1. いや、まぁ一応やれることはある程度ありますよ。企業さえ選ばなきゃ一応今からでも就職できるところはあるし。だけど、何故それを選ばなきゃいけないのか、答えられるの?

よく、ゼロ年代は「引きこもってたら死んでしまう」から、みんなバトルロワイヤルに戦いに出たんだ、なんていう議論がありますが、でも、もしそうだとしたら、そもそもこの世の中に自殺は存在しないでしょうと思うのは、僕だけでしょうか?「引きこもってたら死んでしまう」→「なら死んじゃえ」という思考回路は、決しておかしなものではないし、というかむしろその方が自然ですらあります。

  1. 自分にとって大切なものをもとう。恋人とか、趣味とか。
    1. なんでそんなもののために生きられるか、真面目に分からない……
    2. なんか世の中には「ラブプラスが生き甲斐」とかいう人が増加していますよね。で、それを見て、まず思うのは「そんなにみんな『愛』を三次元で調達できない人生を送っているのか」という絶望で、もう一つ思うのは「でもやっぱりあんな画面の向こう側から出てこない女の子の為に生きられる気持ちが分からない」という疑問なんですね……
  2. とりあえず働いてみよう。話はそれからだ。
    1. そのトリックはよーく分かっています。人の弱さにつけ込んで、一旦働かせた後で、しがらみを作って辞めさせられないようにして、そしてこき使うと。楽だよね−。限界を自分で設定せずにやってくるカモをとことん搾取するっていうのは。
    2. まぁ一理あるのは事実ではあります。何せ、働き始めると物を考える能力なんかほぼ必要なくなりますから。ただ上の命令通りに動いていればいい。自由が一切ない代わりに、悩むことも一切無い。
    3. でも、やっぱり今現在働いてない身からすれば、それは「不幸」以外の何者でもない。実際、ちょっとそうやってアルバイトをやっていた期間は、思い出すだけでしんどくなってきますもん。あんなのは、もう二度と、嫌だ。
    4. こう書くと、なんか典型的な「燃え尽き型ニート」ですね。ただ、やっぱり不器用であるっていうのも個人的要因としてはあるから、一概に「社会のせいだ」とロスジェネ運動みたいに訴えたとして、それが不器用でない人間にまで通るとは、どうも思えない。何より、自分自身がそんなこと信じられない。やっぱ、個人の能力の差はあるわけで、それを否定してしまったら、むしろそれは画一化の暴力でしょう。
    5. また話がずれてる……
  3. おめでとうございます。あなたはこの腐った社会から抜け出しました!
    1. 同情するなら金をくれ!

袋小路

というわけで、なんかもうとにかく「働け」とかいう声への言い訳だけは山ほど出てくるんですが、じゃあそれが打開策になるとかいえばそうではなく、結局ぐるぐると袋小路へ……
あー、もうどうすりゃいいんだろうね?……

*1:正直「一次試験受かってりゃあなんとかなるだろう」と思ってました。甘いです

*2:だって、例えばもし本当に大学で深く勉強したいと思うなら、そもそも地方大なんて絶対に選ばないんでしょう。例え一人暮らしするのが面倒くさかろうと、学費が掛かろうと、東京の大学とか望むわけです。