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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

「ひきこもり」と「労働者」は同じである

さて、前回の記事(id:amamako:20091009:1255075682)を読めば分かるように、ニート、もしくはひきこもり一直線な僕です。
まぁ、正直今までずっと浪人とかなかったんで、1年〜2年間ぐらい何もしない期間があっても良いじゃないか!とも思うんですが、しかしそうやって「一、二年ぐらい……」と言っているうちに、ずるずるとひきこもりやニートを続けてしまうっていうのが、まぁまさに僕みたいなタイプにはよくあることなんですよね。
ニートのことは僕はそれほど知らないのでなんともいえないんですが、「ひきこもり」という状態にとって、一番の問題は、実は「ひきこもってしまうこと」それ自体ではなく、「そのひきこもりが恒常的になってしまう」、そのことなんですね。
だから厚生労働省のひきこもりの定義においても
NHKオンライン

「ひきこもり」とは、厚生労働省の定義によれば、「6ヶ月以上自宅にひきこもって、会社や学校に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態」のことをさします。

という風に、期間が明記されて書かれてある一方で、

特にはっきりした理由や原因が分からないことも少なくありません。

という風に、理由や原因は、ぶっちゃければどーでもいいとなっているわけです。実際、ひきこもる原因なんてほんとさまざまな原因があって、一概に一つの要因に求めることはできないそうです。
しかし、そうやってさまざまな原因によってひきこもってしまう人々は、一方でそれが「長引いてしまう」原因においては、きわめて似通ってくるわけです。最初はちょっとした休暇のつもりだったのが、段々周囲の目が気になってきて外に出れなくなり、そうこうしている内に数年がたって履歴書にも空白ができ、その履歴書の空白がまた就労を困難にすると。そして更にそこに家族の恥感情やら経済問題*1やらが加わってくる中で、「ひきこもり」状態がどんどん固定化され、そこから抜け出せなくなっていくわけです。
だから、「1、2年の間だから大丈夫」っていうのは、少なくともひきこもりの場合はそんな甘いものじゃないんです。ニートについても、この「固定化」という側面については、似たようなことは言えると思います。*2
だから、出来るならば大学卒業後にぶらぶらしているっていうのは避けたいと僕は思うわけなんですが、しかし一方で、こんなことも、僕は思っちゃうわけです。
「状態が固定化されるのは、就職したときもおんなじじゃないの?」と。

ブクマコメから

前回の記事には、夜のうちにいくつか、ブックマークを含めコメントをいただきました。本当にありがとうございます。
で、そこで気になったのが、次のブクマコメなんですね。
はてなブックマーク - 袋小路という言い訳 - 日常ごっこ

id:shinpei0213 なんか、とにかくどっかにもぐりこむと惰性で仕事できたりする気もしますなー。 2009/10/10
id:saigami 自己啓発書のアテにならなさは異常/一番やりたいこと、とかじゃなくて、ちょっとでもやりたいと思ったことを片っ端からやってみるとかどうだろうか。目標設定はもっと低くていいと思う 2009/10/10

この二つは、どちらも同じようなことを言っていると思います。つまり、「一旦何か仕事とかやり始めてみれば、うまく行くんじゃないかと」いうことです。
これは、確かにそうでしょう。実際僕も、もしこれから一念発起して就活をはじめ、就職試験を乗り越えて企業に勤めれば、まぁなんとかやっていける、というかやっていってしまえることが容易に予想できるわけです。
ただ、僕はその「やっていってしまえる」ということに、何か嫌な感じを覚えるんですね。
前回の記事を引用しましょう

ゼロかイチしかなくて、仕事の時間になったら全身全霊使って仕事をしなきゃとおもってしまう。というかそうしないと、そもそも不器用だから、人並みの仕事が出来ないんです。
そして、帰ってきたら疲れてバタッとそのまま寝てしまう。そして起きたら朝、休日も殆ど寝ている。
そんな生活を、これから定年までずっと続ける、そう考えると、もう自分は何のために生きてるのか分からなくなるんです。そうやって人生の殆どを棒に振るぐらいなら、いっそもうこのまま遊びほうけて20代の内に死んだ方が、まだ楽しい人生だった様な気がしてならない。というか絶対そうでしょう。

もしこれが、「働いてみてもぜんぜん自分の能力では追いつかなくて、働いている内に倒れ、仕事をやめてしまう」とかなら、(それも嫌だけど)まだ、抜け出すチャンスはあるわけです。しかし、そこまで酷い労働条件の会社は少数派でしょう。大部分の会社は、社員を生かしもしないけれど、しかし殺しもしない、そんな微妙な労働条件の下で、出来る限り長く労働者を酷使し、利益を最大化しようとするでしょう。そして、社員は定年までこき使われ、その人生の大半を、会社というドブに捨てるのです。

「流動化」がむしろ「固定化」を生んでいる

「そんな酷い会社ならば、転職すれば良いじゃないか。終身雇用制度が崩れて、転職も当たり前の世の中になったんだから」と、どっかのネオリベなら言いそうです。しかし、実はその終身雇用制度の崩壊こそが、(少なくともエリートではない労働者にとっては)転職できずに、一つの仕事で固定化されてしまう原因なのです。
というか、これも考えてみれば当たり前のことなんですよね。だって、会社でこき使われ、なぁなぁではないきっちりした労働管理の中働かされて、いったいどんな人が、その合間に転職のためにスキルを身につけたり情報収集できるのか。そもそも、「誰でも転職が出来るようになった」ということは、裏を返せばそれだけ「転職したいという人たちが多くなった」ということなんですから。ライバルが多くなれば当然条件も厳しくなります。すごい能力の高い人が更なる給与アップを狙う行為と、今いる環境の労働にも適応できなくて、なんとかよりきつくない職場を探す行為、この二つの行為が、同じ「転職」として比較検討される。それが、「雇用流動化」の真実です。

そして、非エリートの労働者は「引きこもり」と同じように、今いる場所に縛り付けられ、身動きが出来なくなる

今いる状況がきついからこそ、その状況に適応することに労力が注がれ、その結果、その状況から抜け出すことに労力が注げなくなる。これは、「ひきこもり」においても「労働者」においても、実はまったく同じなのです。
そしてその様な状況の中で、人々はもはや考えることをやめ、ただの「機械」として、状況に適した部品となろうとするのです。だって、考えたって何も変わらないんですから。
もちろん、そうは言っても「ひきこもり」と「労働者」の二つには大きな違いがあります。「ひきこもり」という状態は、中期的には状況への適応ですが、しかし長期的には、親が死んでいく中で、かならず破綻するモデルです。
しかし、「労働者」という状態は、むしろそのような存在によって、現在の資本主義経済が成り立っているのですから、「破綻」することはありません。幾ら人々が苦しもうが、「富」は生み出され続けるのです。*3
しかし、マクロな面ではそのような違いがあったとしても、その当事者から見れば、「ひきこもり」も「労働者」も、結局は自分たちから自由を奪い、身動きを取れなくするモデルに他ならないわけで、何でそのようなモデルを選択し、そのために就活をがんばるなんてことが出来るのか、僕にはやっぱり理解できないんですよ……
(ついでに言うと、「ラブプラス*4も、僕の目からは、上記と同じような「固定化」モデルでしかないように思えるんですよね……だって、あのゲームには「物語」がないんでしょ?何度も何度も同じことを繰り返して、何も考えずにただ「作業」する。それの何が楽しいのか……)

*1:ひきこもりを養っているうちに貧乏になっていき、適切な就労支援すら行えなくなったり、家族全体が周囲との交流をなくし、「引きこも」ってしまったり……

*2:言えなかったらごめんなさい。資料調べるのが面倒くさくて……

*3:唯一問題があるとしたら、非婚化により労働力の再生産がうまくいかなくなることだが。しかしそれが問題となるのは、途上国がすべて経済成長を果たし、全地球の人口が減少に転ずるころだろう。いったい何世紀後になるのやら……

*4:これを生きがいにしている人が多いようだから、やっぱり気になるのだ