読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

生活保護バッシングの解読と処方箋

中日新聞:ページが見つかりませんでした(CHUNICHI Web)
はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):「私たちに何が必要かを考えてほしい」…月24万円の生活保護受ける佐藤さん一家(携帯代2万5千円・食費5万円)
毎度おなじみ生活保護受給者に対する「こいつらよりももっと貧しい人間はいる」、「甘えるんじゃない」というバッシング。
そのバッシングがどういう面で不当なのかは
「私たちに何が必要かを考えてほしい」…月24万円の生活保護受ける佐藤さん一家(携帯代2万5千円・食費5万円)についてメモ - 情報の海の漂流者
なりを見てください。
それより僕が考えたいのは「何でこの人達はこんな自分の首を絞めるような生活保護バッシングをするのか」ということ。
これが、例えばこのバッシングをしているのが超エリートの、生活保護なんか一切無縁のような生活をしている人たちで、ただ「自分の払った税金が無駄遣いされている」と感じているのなら、まぁ理解は出来るんですよ。でも、実際はスレを見る限りそうではない。むしろ、貧困層であったり、あるいは不安定な生活を送っているような人たちが、同じ不安定な生活を送っている人を叩いている。これは一体何故なのか。理由は一つではないと思うんで、いくつか理由を仮説として提示しながら、考えてみます。

仮説1.マスコミ(彼らの言葉で言えばマスゴミ)の書いた記事だから

まず最初に、単純な理由から。
まーこれは単純で、2chとかネットには「マスコミの言うことはとりあえず叩いとけ」みたいな雰囲気があるのは事実です。
ただ一方で、じゃあなんでそもそもその叩かれるべきマスコミが提示した記事の生活費表は信用するのかという謎が残ります。マスコミの記事の中でも、疑われる部分と信じられる部分がある。この記事の場合は、生活が困窮しているという母の声は疑われ、同じ記事で提示された表は疑われなかった。一体何故?

仮説2.最初の意見に流された

これも実は大きな要因の一つでしょう。実際、2chなんかに書き込むときに深く考えて書き込む人はごくわずかな訳で、大多数はただスレの流れに付和雷同しているわけです。その人たちが本当に真剣に「こういう奴らはバッシングしなきゃならない!」と思っているかといえば、そうではなく、もし「この家族可哀相だよね」みたいな流れがスレで生まれれば「そうだよね」となびく可能性も大いにあります。
しかし一方で、2chのこのような生活保護に関する記事の大部分ではそういう流れにならず、「生活保護受給者なんか怠け者だ」というような意見が大勢を占める。その陰には、少数かもしれませんが、本気で生活保護受給者をバッシングしたがる、そういう人たちがいるのも事実な訳です。じゃあ一体そういう人たちはなぜそのような態度を持つのか?

仮説3-1.他の生活保護者をバッシングすることによって、より自分が福祉を得やすくする(目的合理性)

生活保護の予算の総量、あるいは福祉の予算の総量が決まっている中で、出来るだけ受給者の数を抑えようとして、全国の窓口で水際作戦がなされているということはよく知られています。そしてその場合、もし生活保護の予算枠が絶対に拡大しないならばより自分が生活保護を受けやすくするためには、他人に出来る限り生活保護を受ける気をなくさせるということが、合理的な選択としてありえるでしょう。
この場合重要なのは、別に本人は本心から「本当に貧しくて、それがないと死んでしまうような人間にしか、生活保護はあげてはならない」とは考えていないということです。ただ、そのように建前発言しておいた方が、より自分が得をするからそう発言するだけであって、本心としては「そりゃあんだけ貧しければ生活保護を受給するのは当然でしょ」と考えていても、おかしくはありません。
ただ一方で、これは生活保護受給者をずっと抑制し続けてきた自民党時代なら「確かにそうかもしれない」と思わせるものですが、しかし今回は、今回問題となっている記事が民主党による母子加算復活を伝える記事であることからも分かるように、「生活保護の総量を拡大することも可能かもしれない」という予測も立つ中でのバッシングな訳です。もちろん、「民主党になったからといって何も変わらない」という考えに立てば、そのような予測は出来ないのでしょうが。しかし一方で政治が変わるという予測を元に、「みんなでより訴えて、生活保護予算の総量を拡大していこう」というような合理的な行為をしてもおかしくないはずです。

仮説3-2.「生活保護者は本当に慎ましい生活を送らなければならない」という価値観の内面化(価値合理性)

その様に考えると当然出てくるのがこの仮説です。上記の仮説は、あくまで「人は自分の利益のために動く」という経済学的な目的合理性に基づく仮説です。しかし一方で、「人は自分の信じる価値観のために(自分の利益を無視して)動く」という価値合理性も、人が動くときには当然ありえるんですね。この仮説は、後者の価値合理性に基づく仮説です。
そして、この仮説の価値観というのは、確かにとても「日本的」でなじみ深いものではあります。ただ一方で注意しなければならないのが、この価値観が一体どういう文脈のもとに存在するかで、また意味合いが異なってくるという点でしょう。

  • 生活保護とは「お上からの施し」なのだから、貰ったものはお上の為に使わなければならない(施し)

これは要するに、「生活保護」というものを権利として考えるのではなく、(ある種宗教儀式的な)「施し」として考える場合ですね。その場合、施しには当然返礼をしなければなりません。生活保護であるならば、それは生活保護を貰う代わりに、自分の楽しみを犠牲にしてお上に奉仕しなければならない。しかしこの家族は携帯電話やらインターネットやら自分の楽しみをしている。だから許せないと、そういう考え方です。

  • 生活保護をもらっている他の世帯はもっと貧困なのだから、彼らもそのような世帯と同じ程度の暮らしでなければならない(集団主義

これは要するに「集団主義」です。つまり、「人は同じ境遇の周りと同じでなければいけなくて、突出するのは駄目である」というのが、一つの価値観としてあり、それにこの家族は抵触しているように見えるという見方です。

  • 生活保護自体を、「労働をしないで得られる不当な利益」として認めていない(業績主義)

業績主義(メリトクラシー」が全生活の全てに行き渡っているパターンです。つまり、人が得られる利益というのは、全てその人が生産する業績に比例すると考える場合、働かない人に対しては何も与えるべきではない。そのまま死なせるべきだということになる。ところが生活保護という制度は働かない、つまり何も業績を生み出さない人にも多くの利益を与える。これは業績主義の価値観に反しているのだから、不当だという考え方です。そして、生活保護受給者というのは不当な利益を得ているのだから、せめて慎ましく暮らせと、そういう風に考えるのです。
この他にも今回の様な生活保護バッシングにつながる価値観はあるでしょうが、とりあえず僕の頭に思いついたのはこの3つの価値観です。更に言えば実際は別に独立してこの価値観があるのではなく、それぞれが混ざり合って一つの複合的な価値観を形成しているとも言えます。そういう意味で、これらの価値観はあくまで理念型です。
ただ、いずれにしても重要なのは、これらの価値観はもちろん今回の記事に対する反応のように、生活保護者受給者に対するバッシングへと繋がるわけですが、それよりも、実は貧困の当事者である本人自らをもバッシングするものであるということです。「こいつらはもっと質素に暮らせ。世間様に申し訳ないと思わないのか」という時、それは実は「俺はもっと質素に暮らせ。世間様に申し訳ないと思わないのか」という様な自己否定の言い換えであるのかもしれません。

処方箋(では、どうすれば良いか)

仮説1と2については他の場所でも散々論じられている筈の話なので除外するとして、今回は仮説3において述べた生活保護受給者バッシングの理由を、どうやって解消するか考えてみたいと思います。
まず仮説3については、これは「生活保護の予算増額などは出来る!」という形で、とにかく政治に対する無効感を解除していくことでしょう。そりゃ「いつまで経ってもルールは変わらない」という予測の中では、バトルロワイヤルをやるのが最適解になって当然ですから。
具体的にどういうビジョンが立てられるかについては

脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる

脱貧困の経済学-日本はまだ変えられる

などを参照するのが良いでしょう。
ただ一方で、そのような経済学的なものは、「目的合理性」における錯誤を解除するのには役立ちますが、一方で「価値観」に基づく問題である価値合理性の問題には手出しできません。例え「生活保護の増額は出来る」となっても、しかし「それはすべきではない」となってしまってはどうしようもないですから。
ではどうするか。個別の価値観に対してオルタナティブを提示する。それも最もでしょう。「施し」論には「権利」論を。「集団主義」には「個人主義」を。「業績主義」には「自由の平等な分配」
自由の平等―簡単で別な姿の世界

自由の平等―簡単で別な姿の世界

を。という様に。ただそれは長期的には試みるべきなのでしょうが、しかし価値観が変わるというのは数十年のスパンで起きることであって、しかもそれは不確実性がかなり高いですから、いささか心許なくもあります。
それよりも重要なのは、そもそも生活保護の分配原理にある種の「価値観」が入り込んでしまう余地があることなのです。つまり、現状の生活保護というのは働いていない人や働いていても収入が小さい人にだけに配られるという仕組みになっている。そしてその為人々は、そこに何らかの「価値観」があるのではないかと邪推してしまうのです。しかし、これがもし全ての人に平等に配られるベーシック・インカムの様な仕組みになれば、そこには「価値観」を邪推する余地は限りなく少なくなるのではないでしょうか。
そしてそれは、一見すると自民党や社民党共産党の様に、ある一定の「価値観」に属していないように思われる、民主党だからこそ出来ることだと思うのです。

結論

最初にあげたような生活保護受給者バッシングをなんとかする為には……

  1. リフレを行い経済成長をしていく中で、福祉の予算枠を増やしていく
  2. ベーシックインカムなどの、「価値観」によらない福祉制度を構築する

という、極めてはてな的に穏当な結論となってしまったわけですが……どうでしょう?