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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

昔「誰がために」という歌があったよね、そういえば

しかし、いったいわれわれは何に勝てばいいのだ?


自殺されちゃった僕 - マウスパッドの上の戦争。より

ハックルベリーに会いに行く
なんだろーねー、いやまぁテレビタレントを育てるための専門学校講師の発言としてはこれで百点なんだけど、それが万人に通用すると考えているところで、なんつーか、この人は「ハッピーな」人生を送ってきたんだろうなってことが分かって微笑ましいよね。
そりゅ確かに、テレビみたいな大人数の「大衆」を対象にするのなら、自分の個性は出来るだけ削って、より多くの人が受け入れられるものにしなきゃならないでしょう。でも、今の世の中って、そういう「マスか無か」みたいな二者択一じゃなくなってきた社会な訳でさ
隔離されたって自分の『好き』を貫き通したいからそげぶ - はてなで留まってすぐ溶解
↑みたいに、自分と同好の士だけを集めて内輪だけでやっていれば、みんな自分と同じものが好きなんだから、自分の好きなものを貫いていっても受けるはずなんだよ。それなら「自分を貫く」ことと「人を喜ばせること」は十分両立する。もちろん、そんな内輪向けのエンターテイメントがビジネスとしてペイは出来ないから、それは「プチクリ」の様な趣味的なものにならざるをえないんだけど。
別に僕はだからと言ってアイマスMADの様なものを例に出して「自分の好きなことを貫けば勝てる!」と言いたい訳ではない。むしろ問題は、そうやって「勝ち」とか「負け」とか言う、その「勝ち負け」を一体どういう風に決めれば良いのか分からない、ということなんだけどなぁ。
例えば、ある人は「自分の貫きたいことを曲げて顧客第一に考えた結果、テレビで大スターになった!」という人生を送るかもしれない。また別の人は、「自分の好きなような動画を作り続けて、未だにフリーターのままだけどニコニコ動画の一部では俺神!」という人生を送るかもしれない。その時、一体どっちの人生が「勝ち!」であると断言できるのか。
id:aurelianoなら「そんなもん前者が勝ちに決まってるんだよ。マスを掴むことこそが勝ちなんだから」と言うかもしれない。あるいは、ニコニコ動画が自分の居場所であるように感じるクリエイターなら「そんなもの後者が勝ちでしょ。自分が好きなことやって、それを同じように好きな内輪と楽しむことが勝ちなんだから」と言うかもしれない。でも、狭間の僕は、わかんねーんだよなぁどっちが勝ちなのか。そもそもどっちかを「勝ち」と言わなければならないのか。
私みたいな狭間の世代にとってはさー、一方で大衆の暴力っていうのも分かってるから、大衆の太鼓持ちをするようなことなんてくだらないと感じる訳よ。奴らはエンターテイナーを人だと思ってないからね。面白ければすぐに祭り上げて、気に入らなければすぐに落とす。そういうのは、少ない人生で一杯見てきた。
そしてその一方で、内輪向けをその内輪の外から見たときのレベルの低さっつーのも、分かってるんだよ。要するに作品の質なんかほとんど関係なく、「お前ってこういうの好きなのー?俺と一緒じゃーん」みたいな同調コミュニケーションが全てを支配する世界。そういう内輪に完全に同調しちゃえば楽しいんだろうけど、でもそういう同調することで他人と何か一緒になれたような錯覚を持つことの気持ち悪さを、LCLの海から抜け出した私たちは知ったんじゃないの?
でもそんなこと言う、じゃあ「私」はどーしたいのか?どーすれば、そもそも私にとっては「勝ち」なのか?何に私は「勝ち」たいのか?こーいう悩みは、id:aurelianoの様なこれまでの世代にも分かってもらえないし、きっと、デジタルネイティブなこれからの世代にも分かってもらえないんだろうなぁ。と、こう書くと「分かってもらいたいの?」という突っ込みがきそうだけど、そりゃ分かって欲しいよ。少なくとも、あんたらが悩んでないところで悩んでしまっているんだから、あんたらの生き方は全く当てにならないんだよ。だから自分の生き方が万人に通用するなって思うな。っていうと所はさ。
だって、id:aurelianoなんて、それこそ『ヨイコノミライ』を見せても「この井ノ上君はドラッカーを読んでいないからいけない。ドラッカーを読んだら全てうまくいく」とか言いそうじゃん。そしてそういう意見が「そうだそうだ」ってブクマを集めるんなら、私はせめて唾を吐きかけるぐらいしか、出来ることはないじゃん。