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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

『放浪息子』への嫌悪感の正体

アニメ

最近放浪息子というアニメがフジテレビで放送されているそうで、でそれが何か同性愛志向のキャラクターがいるとかでtwitterで反感を呼び、そしてその反感がtogetterで晒し上げられて「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」として非難を浴び、そうすると今度はそのtogetterでの晒し上げが「言葉狩りだ!」と別のtwitterアカウントで非難されるという、ややこしい騒動がネットの片隅で起きていました。
「放浪息子」をめぐるホモフォビア(同性愛嫌悪) - Togetter
嫌悪表明問題 - Togetter
で、まぁそりゃあ「このキャラクターホモだから嫌い」なんていうのは明確に差別的発言だと思うし、そういう言葉を言っちゃった人たちが批判されるべきではないとは思わないのだけれど、一方でそれに対して単純に「そういう人間が同性愛への差別意識を持っているからそうなるんだ!もっと啓蒙を!」とか吹き上がり、そしてそれに対して発言を擁護する側から「それは言葉狩りだ!」とかいう批判が巻き起こっている*1のを見ると、まぁあんまり実のある議論ではないというか、双方が「相手は悪い人間だから悪いんだ」という風に思って終りになってしまうんじゃないかと、思うわけですね。
しかし、実際はどうなのでしょうか。放浪息子に対して「ホモきめぇ」と言った人たちは、それこそ「石原のしっぽ(id:y_arim)」とまで言われるような、ガチガチに「同性愛とかおかしいから存在するべきではない」と思っている差別主義者なのか?そして、それに対抗する、発言を批判し放浪息子を擁護する側はマイノリティのために戦う正義の戦士なのか?そんなことはないんじゃないかというのが、僕の意見なわけです。じゃあ、今回の騒動の背景にあるものは一体どういうことなのか。

「同性愛嫌悪」が原因の問題ではない

まず、僕の放浪息子*2に対する感想を言わせていただきます。
「うわ、きめぇ……」
はい、これが率直な感想です。一方で、ただじゃあ何が気持ち悪いのかというと、確かに一見しただけじゃ言葉にしにくいんですね。で、そうなってくると、普通の人は社会で常識的になっている語り口に頼ってしまうわけです。で、残念ながらこの日本ではまだ「同性愛やアブノーマルな性意識は嫌悪していい」みたいな考え方は主流であり、しかもアニメ中でも「気持ち悪い」という言葉をそういう感じで使ってますから、それに引きずられて「あーこの嫌悪感は同性愛とか、アブノーマルな性意識に対するものなんだ」と、自分の感じた嫌悪感を解釈してしまうのではないかと、僕は推測しています。
ただ、じゃあそれが本当に正しい解釈なのかと問われると、僕はそうは思えないんですね。大体現実にはともかく、フィクションの世界ではキャラクターの性意識はかなり多様化してきているわけです。同性愛的なキャラクターがメジャーで、しかもシリアスな作品に登場するというと、例えば僕なんかは『カードキャプターさくら』という作品なんかを思い出しますが

これなんかもう10年以上前に放映された作品ですが、今もある程度人気があります。また「百合」、「BL」なんていうジャンルももはや普通に存在するものとみなされていますし、今人気のある漫画雑誌とかをめくって、そこで同性愛的であったりアブノーマルだったりする描写が全くない雑誌を見つけることなど、殆ど不可能であると言っていいでしょう。
(もちろんこれはあくまで創作の世界の話で、実際の意識としては「お話としては良いけど現実にいたらちょっと……」という感じでしょう。また、むしろそういう創作世界に描かれる同性愛が、現実世界での同性愛者に対する偏見を助長しているという議論もあります。ただここでは、『放浪息子』という創作物について議論しているので、創作世界に対しての意識に限定して話を進めているわけです。)
しかしだとしたら、これだけ同性愛描写やアブノーマル描写がある中で、なんで『放浪息子』だけがそういうホモフォビア的語り口に晒されるのか。僕は、それはホモフォビア的語り口がただの「方便」に過ぎないからではないかと考えています。もちろん例えそれが方便であっても、それは明確に同性愛者を傷つけるという、ホモフォビア的な効果は生み出すのですが、しかし「原因」はそこにはないのです。
じゃあ「原因」はどこにあるのか?僕は、それは放浪息子が「アブノーマルな性意識」を描く、その描き方にあると思っています。つまり、もし放浪息子のキャラクターが全員極めてノーマルな異性愛者だったとしても、放浪息子的な描き方をすれば、それはきっと嫌悪感を呼ぶでしょう。ただその場合は、「同性愛嫌悪」という方便が使えませんので、別の方便が出されるか、あるいは言葉を失ってただ嫌悪感だけが心のなかに渦巻くということになるでしょうが。

放浪息子』の気持ち悪さの正体

では、その描き方とは何か。これについて極めて参考になるツイートが、実はtogetterのまとめに晒し上げられている発言なのです。

放浪息子って男の娘が女の子といちゃいちゃするアニメじゃなかったのかよゲイは勘弁してください


放浪息子見た。メガネがさりげなくゲイ臭を出してて恐かった。


放浪息子の作者すごいな。仮に「女装癖と男装癖とホモが登場する清らかな漫画を描きなさい」って言われて実際に描ける漫画家ってそうそうおらんで。


放浪息子の関係図なるものみたけど面白いキャラがたくさんいるんだね。女好き女装癖にゲイに男装癖にヤンデレに。面白げな設定だけどゲロ吐きたくなるくらいなんか気持ち悪い。何がむかつくって主人公


だめだ放浪息子まじだめあ。このクラス変態しか居ねえwww男同士でヘアピンおそろいだね♪とかまじないあ。社会派アニメなのかギャグアニメなのかよくわからん。あっホモアニメか・・来週から観ないっす

これらのツイートは、確かに一見すると「ホモ」への嫌悪感を顕にしているように見えるし、実際そのような効果を生むでしょう。しかしよく読んでみると、それ以外にも読み取れるものは多々あるんですね。例えば最初の発言は「男の娘が女の子といちゃいちゃするアニメでないことが許せない」という意味も含んでいますし、他の発言も「さりげない」ことや「清らかな」ことへの恐怖・違和感、「主人公」へのむかつき、「社会派アニメなのかギャグアニメなのかよくわからない」曖昧さへの腹立たしさなどを示していると言えるでしょう。
そして、実はこれらで挙げられていることと同じようなことを、じつは放浪息子肯定派も主張しています。例えば放浪息子を絶賛しているたまごまご女の子が泣いているのをニヤニヤ見ながら「でも何も出来ないねーくやしいねー」とか言っている糞野郎)氏なんかは、放浪息子へのレビューで次のように書いています。
話題沸騰のアニメ「放浪息子」を観た、死ぬかと思った(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース

マコちゃんは女装好きな二鳥くんの良き理解者でもあり、同時に自分も女装をしたいと願う少年です。気持ちは同じでも、外見は違う。二鳥くんはかわいい、ぼくはかわいくない。憧れのまなざしで二鳥くんの女装姿を見ているんですよ。
テレビを見ているぼくはすっかりマコちゃんになったね。
にとりんかわいいよ! 気持ち悪くなんてないよ! つらいよね、苦しいよね。
だけどぼくは……二鳥くんのようにかわいい女装すらできない。ただ二鳥くんのかわいさを見て、嫉妬したりモヤモヤしたりするだけ。なんて切ないんだろう。
自分はマコちゃんの視線を通じてこの作品を見て、気がついたら興奮しながらこの文章を書いておりました。そして、憧れのまなざしで「二鳥くんはかわいいんだ」と再確認し、憧れ、嫉妬し、好きになりました。
自分は年齢的にいいおっさんですが、「少女みたいになりたい」という思いはどこかにあります。人によっては大人になってから気づく場合もあるでしょう、ああ「女の子」という「なにか」になりたかったなと。女性もまた同じでしょう。「男の子」という「なにか」になりたかったなと。そんな答えのない願望に対して、この作品は鋭く杭を打ってきます。ねえ、キャラクター達をどこに向かわせようとしているの? ぼくらをどこに放浪させるの。

いやー、なんつーか、放浪息子』が持つ気持ち悪さを凝縮して文章にするとこうなるんだなと言いたくなる、驚きの気持ち悪さなんですが、まぁ要約すると「僕は女の子になりたいよ。こういう気持ちって誰にでもあるよね。そういう気持ちってどうすればいいか、この作品はリアルに考えていくよ」とでも要約できるでしょう。
そして、実は「ホモきめぇ」という風につぶやく人が本当に気持ち悪がっているのは、実はその「だれにでもある『異性になりたい』という気持ちをリアルに、しかも綺麗に考えていく」という部分なのです。類型的な「男の娘が女の子といちゃいちゃするアニメ」でないこと。ゲイのキャラクターがアニメ的にあからさまではなく、リアルに「さりげな」く、まるで「社会派アニメ」みたいなこと。そしてそれでいて、それを「清らかに」描いてしまうことが、僕も含め、どーにも腹が立って仕方ないのです。
なぜか?だってただの現実ならそんなもの「ただの現実」でお腹一杯なわけです。なんだかんだで回っている現実、どーにもむかつくけど、しかしそれでいて壊れはしない現実。なんかそんなものでこのアニメは溢れているんですね。そしてその中で、現実的な問題としてトランスジェンダーとかそういった問題が提示され、そして現実的に、それこそ「みんな違ってみんな良い」みたいな落とし所で解決がされていく。クソッタレな現実が、しかし改良され、よりマシに見えるクソッタレな現実になっていく。そんな光景がアニメで繰り広げられるわけですが、僕は心底疑問に思います。なんでこんなどこぞの中学生日記ででもやってればいいような内容をアニメで見なきゃならないのだ!と。
一番象徴的なのは教室での自己紹介の場面です。あそこで主人公のカップルが冷やかされてそれで一悶着起きるなんて場面が描かれていましたが、なんつーか、陳腐極まりないでしょう。というか、そんなのどう考えたって後から「良い青春の1ページだったね」とか解釈されるのが、極めて当たり前に見えてしまうわけで、まぁ底が浅いコンプレックスにも程があると言えます。
本当に問題で、今アニメに求められていることは、あそこで誰にもなんにも弄られもせず、そして誰とも友達にも恋人にもならず、独りでただ学校に行き、ぼっちで三年間を過ごすような、そういう奴のコンプレックスを何とかしてやることでしょう。もちろん、そんコンプレックス、ただリアルにやっていくだけじゃあ解決しません。例えば「女装趣味を隠している」とかだったら、それがバレて問題になりますが、しかし逆に言えば問題が発生するがゆえにそれに対する対処もなされ、解決もされるわけです。ところがそういうボッチは、人と触れ合いませんから決して何も問題を起こしません。そして、そうであるが故にそれはやり過ごされ、解決もなされないわけです。ですからアニメはそれを何とかするために、「願望を叶える力を持つ女子高生」やら「ゾンビが襲ってくる」やら「現実の女の子を攻略するよう天の使いが舞い降りる」とかそういうエキセントリックな設定を持ってきて、クソッタレな現実を「夢」の世界に改変してくれるわけです。*3もちろんそれは、この現実とは違う理で動く別の世界を作るということですから、まぁ大変な作業です。しかしそこから逃げて、このアニメみたいに「現実的」な問題に対し「現実的」な解決をしたって、そんなの全く意味はないし、結局ただの「現実」肯定にしかならないでしょう。放浪息子が仮にヒットしたとして、じゃあそれが現実に何か現実を―例えば本当に同性愛を嫌悪している人がその嫌悪をなくしたりするように―変えるか?断言しますが、それはないでしょう。結局たまご野郎のような「理解あるふりをした人間」が、その自分の理解の素晴らしさを確認するだけで終わり、その外には届きません。「現実」べったりな作品だからこそ、それは「現実」を変えることはできないのです。
そういう志の低さ、それでいて表層的には「ジェンダーへの無理解という社会的問題について考えている」ように見える(実際は何も考えず、ただ「良識」を反復しているだけ)から賞賛され、まるで難しい課題に挑戦しているかのように扱われる、そんな『放浪息子』の周りに充満している、ジャーゴンを使えば「名作臭」、そしてそれでいてその「現実的に解決できる問題」の埒外にあるものへの無配慮が、総じて「気持ち悪い」のです。*4

放浪息子を擁護すると同時に同性愛の啓蒙をしようとする人への違和感

とまぁ、このようなことが放浪息子に対し「ホモきめぇ」と言った人の深層心理にはあったのではないかと、僕は推測するわけです。まぁ、ここまで深いことではないのかもしれませんが、少なくとも女装ということに対して「現実的に色々困っている」主人公に対して、「何(アニメの世界では)そんなに問題ではないことにうじうじやってるんだこいつは」という風にイラッときてしまうということ、また「はいはいどーせ理解とかそういうことが描かれるのね」といううんざり感はあるでしょう。
さて、ここまでは放浪息子を批判する側の意見だった訳ですが、ではそういう放浪息子を批判する側を「ホモフォビアだ!」と晒し(まあ実際ホモフォビア的な効果は生むわけで、自分の嫌悪感に対して深く考えず常識的な語り口に安易に乗っかったという点で、晒されるのは当然なんだけど)、放浪息子を賞賛する側は―彼らは「ホモフォビアと戦う正義の騎士」みたいな扱いをされているわけですが―何も問題はないのか?
僕には、そうは思えないんですねぇ。*5と言っても、もちろん晒したことが問題であるというわけではありません。そうではなく、晒す過程で、『放浪息子』を引き合いに出し、このように

こういう言葉によって、放浪息子に出てくる有賀誠くん(マコちゃん)みたいな子どもは苦しみ、追い詰められるのですよ、実際。

放浪息子のキャラクターを傷つけているのは貴方達だ」という感じの非難をしていることです。
まぁ僕は一話をざっと見ただけですが、そんなにこの『放浪息子』の主人公が、一切傷つけてはならないようなきれいな子供には見えないんですね。一番分かりやすいのが「姉の服を勝手に借りて着ている」場面で、あそこは確かに姉の言葉が酷いから「ああ主人公の方が被害者なんだな」という風に思いがちですが、しかしよく考えるなら「勝手に異性に自分の服を着られる」って、着られた方にはとても辛いことなわけです。少なくとも異性愛者にとっては。そこで最初に相手の権利に踏み込んできたのは主人公のはずなのに、なぜか物語は主人公擁護の方向に動いてしまう。まぁそこら辺も多分この作品の気持ち悪さの一つなわけですが、しかし「放浪息子に出てくるキャラクター」を引き合いに出して同性愛者を擁護するっていうのは、そういう行為まで擁護してしまうってことにもつながっちゃうような気がしてならないのです。
もちろん、現実にトランスジェンダーの方が置かれている状況っていうのはとても厳しいものです。例えばカミングアウトの権利だって、別に「私はゲイです」ということは何も他人の権利を侵害することではないにも関わらず、未だにカミングアウトを嫌がる人も居る。そういうことは、現実に改善していかなきゃならない社会問題でしょう。しかし、もちろんこれは創作の中での話ですが、「他人の服を勝手に着る」ことは、同性愛者だろうが異性愛者だろうがトランスジェンダーだろうが許されないことなはずです。なぜならそれは明白にその他人が持っているべきその服の管理権を侵害しているからです。例えそれが、その主人公にとっては「自分らしさ」を発露するための手段だったとしても、それが他人の権利を侵害するものだったら認められない。ごくごく当たり前のことです。ところが同性愛とかの問題になると、何故か「マイノリティが自分らしさを発露するのならば、それは絶対妨げてはならない」という議論が、一部ではなされている様に思えます。
これはきっと僕が頭の中で捏造して創りだした事実誤認の記憶なのであらかじめ否定線で消しておきますが、例えばある大学においてはトランスジェンダーの方が公共の場に裸体の写真が置かれたりして、それを自治会が撤去すると「表現の自由の侵害だ!」という抗議がなされたという話を聞いたりしましたが、しかし例えば裸の女性のヌードを職場に飾るとかすればそれはセクハラになるのに、それがトランスジェンダーによってなされれば許されるというのはどうにも納得がいきません。また、ある同性愛者がある学生にストーカー行為を働いたら、それを面白がってある人がその同性愛者に「インタビュー」などということをして誉めそやす。そしてその人はまた繰り返しその学生に迷惑をかける、なんてこともあったそうです。*6なんだかなぁって感じですね。
上記のような議論と似たような議論が、実は『放浪息子』擁護の際にもなされているんじゃないかと思ったりもするわけです。
もちろん、そこでどこまで当然に持つ権利で、どこからが他人の権利を侵害するいけないことなのかということはかなり流動的ではありますが、しかしそれを暫定的ではあれ決めることは、必要でしょう。もちろんその際には、マイノリティの側の権利がマジョリティによって侵害されることがほとんどなわけですが、局所的には、マイノリティ側のある個人の権利がマジョリティ側のある個人の権利を侵害することもありうるわけで、そのような点も認めて、きちんと個別に対応することが必要なんじゃないかと思ったりもするわけです。
(ついでにちょっと言っておくと、マイノリティが辛い目にあえば、それはマイノリティだからだということで社会的な問題にしやすいけれど、マジョリティの人の場合にこそむしろ個人的な問題に解消され、陽の目が当たらないことも、ケースによってはありうる。先に挙げたぼっち問題なんかはまさしくそんな感じで、当人にとっては苦しいのだけれど、しかしその苦しみが「自分が○○だから」苦しいのではなく、むしろ「自分がなにか特別な属性を持たない(何者でもない)」という全否定形でしか語れない、そういう苦しみにこそ、僕は目を向けたいけど、まぁそれは別の問題か。)

まとめ

  • 「ホモきめぇ」の背景にあるのは、同性愛嫌悪というより、むしろ「リア充嫌悪」、「良識嫌悪」ではないか

*1:ちなみに僕は「言葉狩り、超OK!」と思っています。ただしそれは強制力によってではなく、言論の中で「そういう言葉を使うのはよくないのではないか」と批判することによってなされるという条件のもとでのことですが。しかしその条件に則ってならば、むしろ言葉を適切に使われるよう磨いていくという意味で、「言葉狩り」を否定すべき根拠は何も無いでしょう。ちなみに、アメリカにおけるPC(ポリティカル・コレクトネス)とかもそういうものだったのに、保守派の方がそれを曲解して権力による表現規制であるかのように思わせた、という話はアメリカは恐怖に踊るという本などを参照

*2:アニメ第一話をフジテレビオンデマンドで視聴しました

*3:と、このように書くと日常系アニメ批判のように聞こえるかもしれませんが、まぁちょっと考えれば、日常系ほどエキセントリックな設定に支えられるものはないということが、きっと分かるでしょう

*4:……ただ一点言っておくと、これはまだ一話と、それを絶賛するたまご野郎の記事を読んだだけの感想なので、もしかしたらそれ以降ぜんぜん違う風になるかもしれませんね。ただ、やっぱり一話からは強烈な「(腐った)たまご臭」がするからなぁ……

*5:まぁこれは私怨も入っているのかもしれませんが

*6:ほんと私怨乙だ……いやまぁ、僕のことはどーでもいいんですよ。ただそれこそ「一般的にありうるケース」として取り上げただけですから