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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

名も知らぬ君への手紙


動画を見た最初は、この動画にふれることによって、君がおどした人たちと、そして多分将来の君に対して迷惑をかけてしまうことになってしまうと思ったから、ぼくはこれについて何も言わないようにしようかと思いました。
でも、やっぱりどうしても君に何か伝えたいと、ぼくは思ってしまったので、ぼくの身勝手で、この手紙を書きます。ごめんなさい。
ぼくはもう立派なおじさんになるんだけれど、相変わらず自分が言いたいことを短い文章でまとめることが苦手で、多分この記事もだらだらとしたまとまりのない、読んでいるうちにうんざりしてしまうような文になるでしよう。
でも、僕が言いたいことは、実はたった2つです。それは「君と意見がちがうような、いろんな人と会って、話をしてみてほしい」ということと、「親の言うことをうたがうような、わるい子になってほしい」ということです。もし、ぼくの文章が長くて読んでられないというならば、この2つだけでも、ちょっとでいいから、これからやることの選択肢にふくめてくれれば、ぼくはとても嬉しいです。

ぼくの、思い出ばなし

さて、動画を見ました。
ぼくは、君の言うことにはほぼ同意できません。でも、君がこういうふうに過激なことばをつかって、演説をする動機は、なんとなくわかる気がします。
ぼくは今25歳なのですが、君ぐらいの年齢のころからインターネットをつかっていました。ぼくは当時2ちゃんねるという掲示板によく書き込みをしていたのです。
それで、当時ぼくがどういうことをやっていたかというと、「晒し祭り」です。インターネットを使って違法な児童ポルノをやり取りしたり、ネット上で飲酒運転とかの犯罪を告白したひとについて、そのひとの個人情報をあばき、その個人情報をインターネット中にばらまいてやるという、そういうことです。
そういうことというのは、今でこそとってもありふれたものになりましたが、その当時は「インターネットの世界はインターネットの世界だから、現実の社会とは何の関わりもない」とされていた時代でした(少なくとも、そのころのぼくはそう思いこんでいた)から、そんな中でインターネットでやることが現実世界に影響をあたえるというのはとてもおもしろく感じたし、自分が強くなったような感じもしました。
なにより、当時のぼくは、それが完全な正義だと感じていました。インターネットでは、ちょっとながめるだけで悪い奴らがうようよしている、それなのに、警察やマスコミといった連中はそういう悪い奴らをつかまえようとは全然しない。なら、多少過激な手を使ったって、インターネット上でぼくらがさわぎ立てることによって、悪い奴らをやっつけられるなら、それはいいことじゃないかと。
実際、そういう活動によって警察がうごいて捜査をはじめたなんて話もありましたし、ネットでさわいだ結果、マスコミにとりあげられるなんてこともありました。普通にちょっとインターネットにはまっている子どもが、警察やマスコミをうごかせるんですから、そりゃあいい気にもなります。
でも、いま思いかえすと、やっぱりあれはやり過ぎでした。犯罪を見たら警察に通報するべきであって、自分たちで勝手に罰をあたえたりしようとするのは、リンチです。ぼくは、自分たちがやっていることが完全な正義だとおもっていたけれど、実際はただ悪い奴と悪い奴が勝手にたたかってるだけでした。やがて、ぼくと同じようなことをやっているひとが、警察につかまったりしていきました。ぼくはつかまりませんでしたが、その理由は、ぼくのやっていることがたまたま違法行為まではいかなかったというだけのことで、実際はそういうつかまっていた人たちと同じレベルの悪いことをぼくはしていたのだと、思っています。
ながながとおじさんの思い出ばなしを聞かせてしまってすみません。そんなおじさんの若いころの罪の告白がいったい自分となんの関係があるんだとおもっていることでしょう。でも、おじさんから見ると、いまの君の姿は、若いころのぼくの姿ととても似ているように、思えてならないのです。自分のやっていることが正義だと信じて、正義のために仕方のないことなら、多少過激なことも許されるんだと思っているその姿がね。その当時のぼくも、自分のやっていることが正しいんだと、信じていましたから。
なにより、悪いやつをやっつけるために、おおくの人が見ている場所で行動を起こし、それによって社会がうごき、いろんな人がちやほやしてくれる、そのことの楽しさ、それは、まさしく当時ぼくが感じていたものでした。ぼくの場合、それを見てぼくをちやほやしてくれたのはネットのむこう側の人間だけでしたから、現実で行動して、周囲の人たちに激励される君とはすこし劣るかもしれませんがね。でも、本質はおなじように思えます。

直接会うこと

そして、君ぐらいの年齢のころに、君とおなじような体験をしたから、ぼくは、ここでどんなに正しいことを言ったって、君の心がかわらないことも知っています。当時のぼくに「それはリンチだからやめなさい」と言っても、「なに生ぬるいこと言ってやがるんだ。そんなこと言っていたら本当に悪い奴らをこらしめられないだろうが!」と相手にされないでしょう。そして、多分きみも当時のぼくとおなじように、自分を批判するようなひとの言うことには耳をかさないでしょう。
だから、ぼくは君の言っていることがどれだけ悪いことなのか、ということはあえて言いません*1。ぼくが君にお願いするのは、そうやって自分にとって正しいことをする、その後でもぜんぜんかまわないから、自分がやっている正しいことに対して「それは間違ってるよ」と言ってくるような人に、直接会って、腰をおちつけて、じっくり話をしてみてほしいということです。
その場所で相手の言うことに同意する必要は全くありません。自分のやっていることの正しさを主張したりして、喧嘩したりしてもいいし、なにも言わずに、相手の言うことをただ聞いて、それには同意しないと言うだけでもいい、あるいは、まったくいま自分がやっていることと関係のない、趣味とかのはなしでもいいです。とにかく、自分が敵だとおもっている人たちと、直接会って、話をしてみてほしいのです。どういう風にそれをすればいいか分からなかったら、ぼくや、ぼくじゃなくても、君がちょっとは話せるかなと思う人にメールしたりコンタクトを取ってみてください。かならず君の申し出を受けるはずです(もし申し出を受けなかったら、それは君の意見に反対するぼくたちがその程度の人間だってことですから、見限ってしまってかまわないでしょう)。
そして、直接会ってみたその結果、やっぱりあいつらは敵だ、わかりあえないと思うなら、ぼくはもうなにも言いません。

いい子をやめること

しかし、そうは言っても、そういう敵とかかわりをもつなと、君は親や、親のまわりの大人に言われているのかもしれませんね。おそらく、君はとてもいい子だから、そういう親や大人の言いつけを、しっかりと守っているのでしょう。
君がとてもいい子であることは、あの動画を見てひと目でわかりました。だって、ふつうの中学生の女の子なら、あんな注目されているところで演説をするなんて絶対できませんから。君は、君が親や親のまわりの大人、親からおしえてもらった情報をもとに、きちんと問題意識をもって、自分がいま立ちあがらなきゃだめだとおもい、勇気をふるいたたせてあの演説をおこなったのでしょう。そんなことができるのは、いい子以外のなにものでもないです。ぼくが保証します。
でも、そのいい子であることが、ぼくから見ると、とても危ういものに思えてならないのです。だって、親とか大人とかって、ほんとうによく間違えちゃうから。
ぼくは、もう君ぐらいの年齢の女の子からしたらおじさんの年齢でしょう。もう同級生には結婚して子どもがいるような人もいます。でも、そんな年齢になっても、あいかわらずぼくもぼくの同級生も間違えてしまうことばかりです。そのまちがいには、軽いものもあればとんでもなく重い間違いもあります。そして、そうやって「大人も間違える」ということに気づいたあとから思うと、自分の親がしてきたことでも、「あれは間違いだったよなぁ」と思い返してしまうようなことが多々あります。けっきょく、子どもも大人もおなじ人間なんですから、おなじように間違いをしてしまうのです。ただ、子どもは大人が間違わないとおもっているけれど、大人は大人も間違えると知っている、大人と子どもの違いなんて、ほんとそれぐらいのことでしかありません。
でも、普通の大人は、もしかしたら自分が間違っていることを教えてしまうかもしれないということを知っているから、間違っていることをそのまま信じちゃう子どもが、その間違っていることで傷ついてしまわないようにします。だからいい子で育ってもだいたいなんとかなるんですが、ただ時々、それすらも間違えてしまう親がいるんですね。自分が絶対正しいと信じて、正しいことなんだからそれによって子どもが傷つくことなんてないと思い、結果として子どもを傷つけてしまう大人が。そして、そういう大人が自分の親かもしれないとき、それを判断し、自分の親がそういう大人だった時にそこから抜け出すには、親の言うことを疑う悪い子になるしかないのです。
もちろん、あなたの親がまちがっていると思うのはあくまでぼくという大人が言っていることであり、だからあなたの親こそが正しくて、まちがっているのはぼくなのかもしれません。でも、それを判断するには、やっぱり一度悪い子になって、ぼくの言うことを信じないのと同じように、いったん親の言うことも信じないようにして、自分の頭で考える、悪い子にならなきゃいけないのです。
親やまわりの大人の言うことを聞かない悪い子になれなんて、聞いたこともないアドバイスかもしれません。むしろ、そんなふうな悪い誘いにのらずに、きちんと親の言うことを聞くいい子でありなさいと、君はずっと言われてきたし、君も自分がいい子であることを誇ってきたのかもしれません。でも、違うんです。ぼくは断言します。いい子であることは、君の人生を助けたりしない、むしろ、君の人生を苦しめてしまうだけなんだと。だから、ほんのちょっと、ほんのちょっとでいいから、親の言うことを疑って、それにそむいて、自分で考えて、行動してみてほしいんです。その結果が元の自分と同じでも、まったくかまいませんから。

ぼくの言いたかったこと

最後に。
ぼくがこれまで書いたことは、じつはすべて自己満足にすぎません。君のことを詳しくも調べず、勝手に君に感情移入して、勝手に君が将来傷ついてしまうんでないかと決めつけて、勝手にそこから抜け出すにはどうするかをかんがえて、自分の想像のなかの女の子を救い出して達成感にひたっているような自己満文章*2。この記事を書いた理由だって、ほんとうに君を気づかってというよりは、たぶん、こういう文章を書いておけばちやほやされるんじゃないかという、自分のことだけを考えた打算に基づいたことでしょう。大体、もし本当に君のことを考えるなら、ブログで記事なんか書かずに、直接現場で君と会い、つたえるべきなはずです。それをしないでブログで書くっていうのは、結局、本気で伝えたい・説得したいなんていう気持ちはなくて、「こういう文章をブログに載せたんだから自分はやるべきことをやった」とアリバイ作りをしたかっただけなのでしょう。
ただ、もし、そういう自己満のアリバイ作りの駄文が、万が一まかりまちがって君のもとに届いて、そして、少しでも君を騙すことができたり、君の心に残るようなことがあったのならば、この記事で書いた2つのこと、君と意見がちがうような、いろんな人と会うことと、親の言うことをうたがうような、わるい子になること、この2つをやってみてください。これは絶対君のためになると、ぼくは信じています。

*1:本当は言うべきなのでしょうが

*2:もしかしたら、この記事で書くことは、こんなだらだらとした難しいことでなく、「政治のことなんか忘れて自分の趣味とか学生生活に楽しみを見い出せ」なのかもしれませんが、それを書けなかったのは、ぼくがそういうことができなかったからということにすぎません