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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

『大砲とスタンプ』を読んで―「戦争」のもう一つの姿

大砲とスタンプ』というマンガを読みました。

今(2017/01/15)だと1巻目がkindleで99円だったので、「それなら買って読んでみるか」と思って買ったのですが、これがもう面白くて一気に6巻まで一気読みしてしまいました。
このマンガは、ある戦争中の国において、前線の兵站、つまり武器・弾薬ですとか、それ以外にも食料・嗜好品・衣服といった、軍隊に必要なあらゆるものの補給を担当する「兵站軍」という軍隊の下士官が主人公として活躍するマンガです。
で、このマンガの何が面白いか。キャラクターたちそれぞれの個性や、登場する珍妙な兵器も大きな魅力の1つなんですが、やはり一番の魅力は、「兵站軍」という舞台設定の妙じゃないかと、僕は考えるんですね。
兵站軍という立ち位置から物語を描くことによって、この漫画は、他の戦争マンガとは一味違う視点から「戦争」を描いているのです。直接敵と殺し合いをする一兵卒の戦場から見たものでも、あるいは、どこの地域を獲得した・喪失したという、遠くの司令部の高所から見たものではない、ちょうど真ん中から見ている戦争マンガというのは、少なくとも僕はあまり知りません。
そしてこの『大砲とスタンプ』というマンガは、間近の下からでも、遠くの上からでもない、ちょうど真ん中の視点から戦争を描いているからこそ、戦争―特に近代以降のいわゆる「総力戦」―というものの重要な一側面を描いているのです。悲惨な殺し合いという側面、あるいは、領土や資源を取り合うゲームとしての側面ではない、近代における「戦争」を、描いているのです。
近代より昔、戦争というものは、あくまで一部の人達が、一部の場所で行う、限定的なものでした。もちろんその中でも悲惨な殺し合いはありましたし、戦場になってしまった場所では、破壊と搾取が行われていたわけですが、あくまでそれは限定的なもので、国家や世界全体を覆い尽くすようなものではなかったのです。
しかし近代以降、戦争は大きく変わります。国家が常備軍を持ち、徴兵制が整備されることによって、戦争は、その戦争に参加する国民すべてが関与するものとなり、飛行機などの輸送技術の進歩により、戦場の最前線ではない場所でも、兵器や軍隊に必要な物資の製造が行われるようになり、そしてそれゆえに、戦略兵器やゲリラ戦といった、戦線の後方でも、殺戮や破壊が行われるようになっていったのです。近代戦において兵站が特に重要視されるようになったのは、まさにこのような戦争の本質の変化にあります。その本質の変化は、一言で言うなら「戦争の生活空間への侵食」と言えるでしょう。
大砲とスタンプ』という作品において、主人公が属する兵站軍は、ごく単純に言うなら、戦線以外の場所からいかに物資を調達し、実際に戦う最前線にその物資を送るかという役割を担っています、それは、まさに上記で言う侵食の尖兵に位置するという役割と、言えるでしょう。
ただ、そこでこの作品がすごいのは、その侵食を単純に「人々の生活を踏みにじる存在」として描いていないという点です。兵站軍は、むしろ物資の調達先に対して極めて低姿勢で紳士な態度で接しています。むしろ市民の側のほうが、いかに戦争を利用してやろうかと考えているのです。
そして、そこで生活空間と戦争を結ぶ媒介物となっているものが、主人公の個性を支える重要な要素でもある官僚主義、そしてそれを支える「官僚制」なのです。
セクショナリズム・文書主義・規則の遵守、こういった官僚制の特色は従来の戦争描写ではいの一番に否定されるものです。しかしこのマンガにおいて主人公たちが属する兵站軍は、むしろその否定されがちなものがあるからこそ、横領や略奪といった不正に対抗できるのです。
大砲とスタンプ』において主人公たちがばらまく軍票は、まさにその代表例です。もし戦争が単なる野蛮な殺し合いならば、軍票なんてものは発行せず、どんどん市民から物資を略奪していけば良いのです。しかしそんなことをすれば、市民からはどんどん反発されていく。そこで軍票を与えることにより、一応の体裁を整える。そしてその体裁があるからこそ、戦争というものが、生活空間に侵食していくことが可能となるのです。
しかしここで、僕はどうしても、そのように、戦争が「官僚制」というものを媒介として生活空間に全面化していった結果生まれた最悪の帰結を思い起こさずに入られません。それは、ホロコーストであり、そしてそれを忠実に実行したアイヒマンという存在です。
イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

アイヒマンはホロコーストを実際に指揮しましたが、しかしそれは決して、彼自身が特別残虐な人間だったからとか、ユダヤ人に対する強い憎しみを抱いていたから、といった理由によるものではありませんでした。そうではなく、彼は規則や命令を忠実に実行する、優秀で真面目な人間だったからこそ、上から受けた「ユダヤ人絶滅」という命令を、合理的かつ効率的に実行していったのです、そういった意味で、アイヒマンはまさに「官僚制」の申し子だったと言えるでしょう。
これは戦争という状況において、官僚制というものが生み出す最悪の帰結です。が、決して例外的なものではないでしょう。近代以降の戦争が、国家全体を巻き込むものになったことにより、戦争における「敵」というものも、敵国全体を指すものとなり、その敵を殲滅するために、戦略爆撃核兵器民族浄化といったあらゆる手段が、「戦争における勝利」という究極目的のための合理的手段として、正当化されるようになったのです。
大砲とスタンプ』の最新刊である6巻ラストでは、それまで描かれなかったような衝撃的なシーンが描かれています。詳細は、ネタバレになってしまうので書きませんが、僕の見立てでは、この展開はまさにそういった問題に切り込む描写なのだと思います。
ここから作者がどのように物語を紡ぐのか。要注目だと思います。
と、こう書いてしまうとなんかえらく真面目な話のように感じてしまうと思いますが、それはあくまでこの作品を見て僕が連想したことに過ぎません。実際はむしろギャグ・ユーモアあり、個性的なキャラクターたちの活躍ありの、肩肘張らずに楽しめる面白い作品ですので、そこは勘違いなさぬよう。