要約
- 少年ジャンプの漫画家・篠原健太氏のTwitterでの「少年漫画の描写は少年を対象にしている以上、女性を不快にしてもしょうがない」という旨の発言が炎上
- これに関連し「少年ジャンプの編集者はは『少年の心』が分かる人でないといけないので、女性は難しい」という集英社の就活セミナーでの発言が発見され、それも物議を呼んでいる
- 「少年ジャンプでも、女性への性差別であったり、女性が不快になるような表現はすべきではない」という意見もあれば「女性のことなんか一切考えない少年ジャンプでこれからもいるべきだ」という意見もある
- 僕の考え①:少年ジャンプがフェミニズムやジェンダーの意見を取り入れた漫画を作れるとは思えない。システム的にも能力的にも無理でしょ。
- 僕の考え②:作家にはとにかく自分の望むように漫画を描かせるしかない。読者が「こういう漫画を描け」と言うことは、それがどんな望みであっても矯正することは出来ない
- 僕の考え③:その代わり、読者は出された漫画がおかしいと思ったら遠慮なく批判しろ。批判があることによって、読者の少年たちはそれが「いけないこと」であることを学ぶ。それで作者がどうするかは作者の自由だし、筆を折ったり作風を変えても、それは作者の決断だから批判側は何も悪くない
篠原健太氏の炎上について
詳しい経緯は
にありますが、長いので簡単に要約します。
篠原健太氏の『彼方のアストラ』
という漫画に対して、読者から「漫画に登場する女性キャラクターの描写が性差別的で不快である」という指摘が篠原健太氏に伝えられ、
あと漫画の中身にまで指摘が及ぶのならそれは話が違うと言わざるを得ません。漫画の表現は自由であるべきで、少年漫画が少年を対象にしている以上作品内で女性が不快な気持ちになる描写はあり得ます。合わない場合は読まない自由を行使していただくしかないです。
— 篠原健太 (@kentashinohara_) October 26, 2019
ご指摘ありがとうございました☺
という風に返答したことが、「少年漫画上で女性差別的描写をすると開き直ってる」と捉えられ、炎上しました。
なお、この後、篠原健太氏は次のような補足をしています。
僕の考えは「考えて描いても誰がどこで不快に思うか分からない。多勢の声なら届くし編集から指摘も入るし時代でガイドラインも変わる。でも少数の声は届かないしすぐには変わらないので、傷ついたら読むのをおすすめしません」に至りました。この考えは「性差別を容認してる」事になるのでしょうか。
— 篠原健太 (@kentashinohara_) November 4, 2019
ですが、「少数の声は届かない」と開き直る以上、それは「性差別を容認してる」事と捉えられると、僕は思いますけどね。
また、今回の騒動では、これに関連して、次のような発言を集英社の社員が就活セミナーでしたことも物議を呼んでいます。
"私の大学に集英社の人事が来た時「女性はジャンプ漫画の編集にはなれませんか?」て質問したら「前例が無い訳ではありませんが週刊少年ジャンプの編集には『少年の心』が分かる人でないと……」て返されたの絶対許せない 嘘松ではなく令和1年、都内私立K大学にて行われた企業説明会での出来事です"
―元発言は削除済み
これに関しては、そもそも男女雇用機会均等法の観点から法的に問題があるんじゃないかという指摘がされていますが、それについては僕は別に法律の専門家でなくわかりませんので、何も言いません。
あ、ちなみにこれを、集英社の就活セミナーがまだ行われていないからデマだとする情報が一部のクソまとめサイトから出てますが、下記にあるようにきちんと就活セミナーは行われているのでデマです。デマを流したクソまとめサイトはさっさとサイト畳んで回線切って首○ってください。
集英社の学内セミナーは最速で本日11/5からでしたので『少年の心』で話題の腐女子フェミの方の発言を嘘松とツイートしましたが、先月10/9に國學院大學にて業界セミナーがあったことを確認いたしました。
— タントゥー@モエーション株式会社 (@tantou_KAI) November 5, 2019
この度は誤った発言をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。https://t.co/XMrO0uYQCJ pic.twitter.com/xV5Me7dZsx
今回の騒動では、フェミニズム側と反フェミニズム側から2つの異なる意見が出されています。
「少年ジャンプでも、女性への性差別であったり、女性が不快になるような表現はすべきではない」
フェミニズム側は、今回の篠原健太氏の発言や集英社の社員の発言を批判しています。
篠原先生と話して、「確かにジャンプへの連載は私的営利活動であり、100%表現の自由がある。けど、週刊少年ジャンプは本当に『私』だろうか?『公』に近い面もあるのではないか。性教育が足りてない今、作家にも作り手としての責任と誇りがあるべきじゃないか?」と考えていたところへ今週の乳首よ…。 https://t.co/Z3WPPXFpmJ
— ゆい (@mrr_nn) October 29, 2019
また、そこから更に「少年ジャンプでフェミニズムやジェンダーの視点を取り入れた漫画ができればいいのに」という発言がなされています。
それこそ週刊少年ジャンプでフェミニズム漫画やったら激震だよなと思う
— ミェフフ🦐🧷 (@woooloooi) November 3, 2019
青のフラッグが真摯に同性愛や性的マイノリティに向き合ったみたいに、茶化さずギャグで終わらせず丁寧に心理描写したら、マジでジャンプから日本の人権感覚変わっていけると思う
世界を変えれる可能性を持ってると思うんだけどな
「少年ジャンプでフェミニズム漫画を」って普通にすばらしい提案と思ったというか、俺が編集部員だったら腕まくりしながら企画作るわ。少年漫画の「常識」をひっくり返すなんて至高の大冒険だし、フェアであろうとするのってヒーローらしいじゃん。
— 高岡洋詞 TAKAOKA Hiroshi (@tapiocahiroshi) November 4, 2019
「女性のことなんか一切考えない少年ジャンプでこれからもいるべきだ」
一方反フェミニズム側からは、「女性に媚びてないのが少年ジャンプの魅力だから、これからもその姿勢を貫くべきだ」という主張がされています。
ジャンプを毎週購読してるジャンプ女子として発言します。私という読者はあくまで「少年のために描かれた」少年漫画が好きだからこそジャンプ女子なんです。「女性の読者もいるから彼女たちにも配慮しよう」なんて風に編集者に思われたら、私の好きな「少年のために」の部分が消えちゃうと思います!
— 籠原スナヲ (@suna_kago) November 4, 2019
僕の考え①:少年ジャンプがフェミニズムやジェンダーの意見を取り入れた漫画を作れるとは思えない。システム的にも能力的にも無理でしょ。
以上が今回の騒動の簡単なまとめで、ここからが僕の意見です。
まず、フェミニズム側に釘を指しときましょう。
少年ジャンプにフェミニズムやジェンダーの観点を取り入れた漫画を作らせるなんて、そもそも能力的にもシステム的にも無理です。諦めてください。
これが、少女漫画誌とか青年誌とかだったらもちろん可能です。というかすでに
とか
とか
とかそこそこあるわけで、「だったら少年ジャンプでもそういうのすればいいじゃん」と思うのも無理はないでしょう。ですが、諦めてください。
まず第一に、週刊誌の連載スケジュールでそんな複雑なテーマを調べ、しかもそれに対する読者の反応に真摯に応答するような作品を作るのは不可能でしょう。上記のような作品は、あくまで月刊以上のペースだからできる作品なのです。
さらに言えば、少年ジャンプはよく知られてるように読者アンケート絶対主義なわけで、少年ジャンプの読者がそんなフェミニズムとかジェンダーとか分かると思います?「なんか男が批判されて嫌だから低評価ー」みたいな感覚で居ることが目に見えています。読者アンケート絶対主義である以上、現在の大衆の保守的な欲望を慰撫するような作品しかできない、そういうシステムなんです。週刊少年漫画っていうのは。そこにフェミニズムとかジェンダーみたいな革新性は期待できません。
さらに言えば、集英社のジャンプの編集部はこういうセンシティブな問題を扱うセンスが著しく低い連中が揃っていることで有名なので、能力的にも無理です。『バクマン』という漫画もジェンダー的に散々叩かれる程度の低いものでしたし
そのくせ表現の自由については狂信的で、『有害都市』という漫画ではアメコミに対し「表現規制により多様性がなくなった」なんていうデマまで捏造して過剰に表現規制への危機感を煽ろうとする、まあ端的に言って頭の悪い連中なんです。
だから、フェミニズム側の人は、お気持はわかりますが、少年ジャンプにジェンダーとかフェミニズムなんて概念取り入れるなんてできると思わないでください。彼らはそんなの出来ない〇〇なんです。
僕の考え②:作家にはとにかく自分の望むように漫画を描かせるしかない。読者が「こういう漫画を描け」と言うことは、それがどんな望みであっても矯正することは出来ない
そして更に言えば、原則として、漫画をどんな作品にするか、決定するのは作者です。公的な表現規制というものはあくまでされるべきでない以上、「女性に配慮しろ」ということもできませんし、逆に「女性に一切配慮するな」なんてことも強制できません。どうやらフェミニズム側も反フェミニズム側もここを勘違いしているようで、「少年漫画はこうあるべきだ!」みたいな議論を戦わせていますが、僕から言わせれば、どっちも「お前、なぁんか勘違いしとりゃあせんか?」と言わざるを得ません。
漫画の作者がジェンダー的観点を取り入れようが、逆に性差別全開のミソジニー作品を描こうが、描くこと自体は自由なのです。
まあ、もちろん僕だって、せめて手塚治虫の言葉ぐらいは抑制的であってほしい
手塚治虫が「どんなに強烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、断じて茶化してはならない。」と言ったのは今から41年前のこと。
— 橋本修 (@osamu_hashimoto) April 21, 2018
原書を手に入れたのでツイート。 pic.twitter.com/n1TBacOk3r
とは思いますが、しかしこれでさえも、強制はできません。「手塚治虫なんてクソ食らえだ!俺は女性の人権なんかまるで無視した酷いマンガを描くぞ!」という意見の作者ですら、漫画を描くこと自体は、自由であるべきです。
僕の考え③:その代わり、読者は出された漫画がおかしいと思ったら遠慮なく批判しろ。批判があることによって、読者の少年たちはそれが「いけないこと」であることを学ぶ。それで作者がどうするかは作者の自由だし、筆を折ったり作風を変えても、それは作者の決断だから批判側は何も悪くない
じゃあ漫画を読む読者の側は、それを黙って読むしかないのでしょうか?
そんなことありません。もし読んだときに「これはひどい」と思うような漫画が出版されたら、きちんと厳しく、それを批判すれば良いんです。「この漫画に描かれているような描写は性差別であり、いけないことだ!」と、ぶっ叩いてやりゃあ良いんです。「こういう批判によって作者が萎縮したりしないだろうか」なんて気にする必要はないんです。作者は好きに描いたんだから、読者も好きに批判するべきなんです。どっちかの自由が侵害されるなら、それこそまさに「表現の自由の侵害」でしょう。
こう書くと、↓のツイートみたいに「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!!」みたいなこと言う人もいるかもしれません。
フェミの人も主流の漫画を叩く方向じゃなくて、これすごい!ここがいい!って好きな漫画をどんどん応援して広めたらいいと思うの。
— omion (@16331633) November 4, 2019
応援したい漫画が全然ないとしたら、それはそもそも漫画が好きでないか今の漫画についていけてないだけの話では。
が、はっきり言いましょう。性差別的であったり、倫理的に間違った作品があるときは、他の作品がどうこうじゃなく、まずその作品を批判することが重要なんです。↑のツイートはピントがズレズレのボケボケであると言わざるを得ません。
そういう批判がされることにより、少年漫画の読者は「マンガに描かれているああいう描写は、性差別的でいけないことなんだ」と学ぶわけです。スカートめくりや覗き見の描写を、「性暴力だ!」と厳しく批判することによって、子どもたちにそれがいけないことを教えるんです。
「少年漫画は『少年の心』を持って描かれる」と、集英社の社員は美辞麗句のように言います。しかし、女性への性加害やセクハラというものは、往々にして「少年の心」でもって行われます。「少年の心」っていうのは決してきれいなだけのものじゃない。だからこそ、その邪悪な側面が少年漫画に現れたとき、大人がきちんとそれを厳しく叱ってやることで、少年は初めて成長できるのでは、ないでしょうか?
……という原則論を述べたところで、最後にちょっとだけ異論を。
ただそうは言っても、人間、作者も読者もそんなに強くはなれないよねー。Twitterでの議論をみてると、フェミニズム側も反フェミニズム側も強い人ばっかが目につくけど、本当はその裏に、沢山の怯えてる弱い人が、フェミニズム側・反フェミニズム側双方に居るはずなわけで、僕はむしろそういう人たちのことを考えたいと、思ったり。
ただそこで「敵をやっつける」話にはしたくなくて、そうでなく「敵に気付かれないようにしながら、やり過ごす」方法を考えたいんだよね。「敵には見つからないけど、味方にはなんとなく伝わる」というやり方。
というか、昔のオタクって、本来そういう隠れみの術が得意だったと思うんだけど、なんか最近はそういう技術が失伝されちゃってる気がして、SNSで万人の万人に対する戦いが始まった今だからこそ、その技術を復活させるべきじゃないかと思ったり。
いうなれば、「フェミニズム側には気づかないけど、見る人が見ればそのエロさが分かる」とか、その反対に「褒めてる感想文に見えて、その実ジェンダー的に遅れてる部分を褒め殺す批評」とか、そういう複雑な搦め手を、双方学ぶべきなんじゃないかなーと、思ったりするわけです。