あままこのブログ

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20歳までに出会うべき10冊(というか10人)

二十歳までに出会っておけばよかった10冊 - 技術教師ブログ
という記事がブックマークを集めているから読んでみたけど……
はっきり言う。これはゲロゲロだ。
といっても正直この10冊の内に読んだことがある本なんて一冊もない訳だけど、でも正直この中で少しでも読む価値があるのって、だいーぶ甘く見たとしても山形浩生速水健朗位だろう。ただ、この二人にしても、まぁ読んで損はないという位で、十代の内に読んでおかなきゃダメなんてことは絶対無い。
そして、残りの人間に関しては、読んでも読まなくてもどーでも良い人間ばっかだし、内田樹なんか、むしろ読まない方がマシだ。少なくとも十代の頃には。
大体「文字多めの専門用語多めの本」は拒否するだろうから〜なんて書いている所がホント馬鹿らしい、もし本当に十代の頃に読んで為になる本であったら、その本が幾ら専門用語にまみれてたって読むだろう。「専門用語が多いから読まない」なんて思うんだったら、きっとその知識は当人にとって必要ない知識なのだ。そして、特に十代の内は、自分が「必要ない」と思う知識をため込む必要なんて一切無いと断言しておく。十代なんてほんと短い期間なんだから、その期間は特に、自分にとって有用に使うべきだ。そして、自分にとって何が有用なのか、それをもっとも良く分かっているのは、「自分」なのである。
だから僕は実のところ、そもそも「読むべき10冊」なんて言う必要もないと思っている。もし本当にその当人が読むべきなのだとしたら、その当人は勝手に読むのだから。ただ、↑の様なゲロゲロ記事に騙されて、時間を浪費する若者が、万に一人でも出ないとは限らない。これから提示していく本は、そういう騙されちゃいそうな人向けに薦める本であって、もし既に自分が読むべき本が分かっている人は、以下の本を読む必要は一切無い。ただ、最後のおまけはちょっと有用になるかもしれないので、読むことをお勧めする。*1

経験編

何のために生きる=戦うか

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

はっきり言う。僕は思想面ではこの「小林よしのり」という人間は大嫌いだ。でも、「小林よしのり」を知らない人間は、もっと大嫌いである。
少なくとも「マンガ嫌韓流」なんか読むぐらいだったら、『戦争論』を読んだ方が絶対良い。まぁ、これも一種の懐古主義なのかも知れないが、少なくとも『戦争論』まではまだ「大義」というものがあり、「大義」の為に戦うのだという狂気にも似た意識があった。((『嫌韓流』の最も嫌なのは、そういう狂気が全く見られないことだ。代わりにあるのは、自分たちはあくまで冷静でクレバーであり、そうでなければいけないという意識な訳だが、だがその冷静なクレバー)さは、一体何のためなのか?)自分は何のためにこの現世で「戦う=生きる」のか。そもそも、それに理由は必要なのかも含めて、それについて考えることは、十代の頃に絶対考えておくべきことである。

世界に「意味」は必要か

中国の赤い星〈上〉 (ちくま学芸文庫)

中国の赤い星〈上〉 (ちくま学芸文庫)

右に振れた後は一気に左に振れてみよう。といっても、ここで考えるべきは、二つを公平に分析して、どっちが正しいかを分析することではない。いや、そういうことに興味を持っても良いのだが、しかしそれ以上に重要なのが現実を「物語」として認識する訓練である。最近の風潮はむしろ逆で、現実をただ「現実」として認識すべきというものだ。だが、それは二重の意味で危険である。
まず一つに、現実がただ現実であるとだけ思い、それ以外の認識方法を知らないと、「『現実』という物語」を出してくる相手にころっと騙されてしまう。例えば「最大多数の最大幸福の為には少数を犠牲にしても良い。」というのは、多数派の方が少数派より大事にすべきだという時点で「物語」なのだが、しかし語り手はそれを「現実的判断」と語る。こういうのに騙されないためにも、「物語」を経験しておくことは重要なのだ。
そして第二に、そもそも人は「物語」なしで生きられるほど強いのかという問いがある。この問いは未だ解決されていない。もしかしたら物語なんてなくても人は生きられるのかも知れないが、しかしそれは未だ分からない「賭け」なのだ。その賭けをするよりは、様々な「物語」に乗っかりながら、「物語」の操縦方法を身につける方が断然安全である。

「自分」という牙を守るには

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

ここまでは主に自分の周りに目を向けるものだった。だがしかし自分の周りを見ながらも、しかし一方でそれら自分の周りに還元されない「自分」というものも存在するのである。その「自分」(エゴ)を如何に保つか。それを考える時に、究極の個人主義者である寺山修司を読むのも悪くはない。というか絶対良い。
ただ一方で、この究極の個人主義は、しかし一方でマッチョイズムでもある。「自分はここまで強くなれない」と思うかも知れない。そんなとき、虚勢を張ってマッチョであり続ける必要はないということも、また言っておく。「弱い自分」も「自分」なのだから。

「弱い自分」を見つめる

リリイ・シュシュのすべて (角川文庫)

リリイ・シュシュのすべて (角川文庫)

新興宗教オモイデ教 (角川文庫)

新興宗教オモイデ教 (角川文庫)

しかしだからこそ、「弱い自分」は、きちんと見据えなければならない。そして、小説とはまさにそのためのツールなのだ。文学好きの人間なんかは、「文学は文学として、現実と切り離して楽しまなければならない」と言うが、もし小説と現実が一切関係ないならば、小説を読む理由なんて現実社会に生きる私達には一切存在しないことになってしまう。小説と現実は関係があるからこそ面白いのだ。もっとはっきり言ってしまえば、小説の機能とは、突き詰めてしまえば、その小説を読んで「これって自分だ!」ということを見つけ、自分を見つめることなのだ。

知識編

さて、ここまでの5冊は十代の内に絶対体験しておくべき経験を与えてくれる書だった。といっても別にその経験は、ここまでで挙げた本でなきゃ得られないというものでもない。例えばある人はゲバラトロツキーなんかに物語を見いだしたり、中島義道に個人主義を学んだり、『なるたる』『ヨイコノミライ』なんかに自分を見いだすかもしれない。それはそれでも別に良いことだ。
そして、次にあげる5冊では、今度は十代の内に学んでおくべき「知識」を与えてくれる。といっても、経験はそれをすべき時があるけど、知識は別に何時学んでも良いものだ。だから、別に必須ではない。ただ、これを学んでおけば、十代の時にかなり「楽」が出来ることも事実である。更に、二十代でも三十代でも、まだ学んでなければ、学べば「楽」出来るということを付け加えておく。

「大人」「当たり前」を疑う

コドモであり続けるためのスキル (よりみちパン!セ)

コドモであり続けるためのスキル (よりみちパン!セ)

「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)

「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

最近よく「メディアリテラシー」なんてことが言われる。要するに「人は嘘をついてくるから、その嘘を疑え」ということなのだが、しかしそこで「疑う」のはあくまで「事実かどうか確かめる」ことだったりする。つまり、マスコミが捏造をしてないかとかそういうことだ。
だが、実はその程度の「嘘」なんて、なんだかんだ言ってすぐ見破られるし、それほど大した脅威ではない。本当に怖いのは、「事実」のレベルの嘘ではなく、その事実を如何に解釈するか(例えば、何を重要と思うか)という、「文脈」のレベルで付いてくる嘘なのだ。*2
しかし、そのような「文脈」を疑うという教育は、メディア教育では殆どなされない。だから、こういう本を読んで自分で学ばなければならないのだ。

「自分」を構成するものを知る

生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

そして、「文脈」を疑うとはつまり、「文脈」を心の中に持つ自分を疑うことに他ならない。
「自分」というのは本当に単一のものなのか。また、それは本当に「自分」独自のものなのか。そのようなことを考えるための知識を持っている人っていうのは、意外と少ない。もちろん、そんなこと考えなくても生きられるなら別に良いのだが、しかし、特に十代のころの若者にはどーも、そのようなことについて考えるべきなのに、考えるための知識がないから、ただ苦しむだけになってしまう人が多いように思われる。
もちろん、だからといって考えるための知識があったら苦しさがなくなる、なんて楽観的な話でもない。自分が「複数」いて、しかもそれは「操られててるもの」なものだと分かったとしても、その解決方法が↑の本に書いてある訳でもないのだから。しかし、少なくとも「どのように悩めばいいか」は教えてくれるだろう。

おまけ

実は↑に挙げた本というのは大体僕が十代の頃に読んだ本である。では、僕はこれらの本をどうやって見つけたか。
ぶっちゃけて言っちゃえば、「ブックオフの100円コーナーを漁った」のだ。だから、妙にセンスが古い。
しかし、とにかくお金もないし、どうやって本を選べば良いかも分からない十代の頃は、新品の高い本を少しずつ買うより、100円コーナーでとにかく多くの本を立ち読みして選んで買っていくほうが絶対良いと、僕は思う。
特にブックオフの100円コーナーは、本の内容を見ずに状態だけで値段を付けているから、意外な掘り出し物がある。だから十代の学生には絶対お勧めだ。
何度も言うけど、自分が読む本は自分で決めるものだ。僕は、一応↑でお勧め本を提示したけど、それはせいぜい「ブックオフでこんな本を見かけたら立ち読みしてみて欲しいなー」という程度のお勧めでしかない。最終的には自分が読みたい本を買うべきだ。そして、自分がどんなジャンルに興味を持つ人間なのかを知ること。実はそれこそ、ただ一つの、十代のうちに絶対すべきことなのだ。

*1:あと、一応この記事では、↑の記事のテンプレートに沿って、10冊の本を紹介していく。が、重要なのは、その本に「誰の」思想が書いてあるかだ。だから、別に同じ著者なら違う本を読んでも十分通用するし、むしろ「本の題名」なんかより「著者」を重要視すべきだとはっきり述べておく。

*2:そしてこれは自己啓発(笑)なんかでは絶対見破れない