あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

如何にして相手の名前を呼ぶか

たまには短文エントリでも書いておかない*1とブログ記事を書く敷居が上がりすぎて更新停滞の原因となってよくないので、まぁtwitterで2、3回つぶやけば済むような話だけどこっちに書く。
「敬称」ってものがある。名前の後に付ける「○○さん」とか「○○くん」とか「○○氏」とかそういうものだ。それを、どういうケースの場合どんな風に付けるかという話。
学術論文の場合話は簡単だ。基本的に論文の中で書かれる名前って言うのは、何かの著書であったり論文を書いた人な訳で、その場合は例えば「鈴木によれば」とかいうように敬称なしでいっても全然問題ないだろう。ただインタビューとかの聞き取り調査の場合は「Aさんの語りによれば」とかいう風に、さん付けみたいな敬称を付けても問題はないのかなと思う。ただこれも「Aの語りによれば」というように別に敬称抜きでも問題はないだろう。
問題はそういう論文じゃないケース。例えば僕が困るのは「ブログの記事で人の名前にどう敬称を付けるか」という問題。というか、例えばあるサイトの記事に言及とかする場合、そもそもサイトの管理人の名前を呼ぶべきなのか、それともサイト名で呼ぶべきなのか。「○○」というサイトを管理しているのが「××」という人だとして、「○○によると」と書くか「××によると」と書くか。ある場合はサイト名だけが知れ渡っていて管理人の名前はあまり知られてない場合もあるし、逆のケースの場合もある。そしてこの問題に悩み始めると「もうはてなダイアリーの人にしか言及しない!」という風になってしまってはてな引きこもりが進行する。なぜならはてなダイアリーはてなブックマークの場合は、id:amamakoという様に、わりと統一している呼び方っていうのが出来るからだ。しかし他ブログサービスの場合は、アカウント名で呼ぶのはなんか変な気がするから、困る。
でもまぁ、そこは臨機応変に対応していくとしよう。どっちの方が知られているかとか、記事の横枠にプロフィール欄があってそこで名前が表示されているかとかで。しかしそこで仮にどの名前を呼ぶかを決定したとして、次に、じゃあどんな敬称をつけるかという問題があるだろう。
全く互いに見知らぬ相手で、たまたま記事に言及するけど、別にその人自身に興味があったり、交流をしたかったりする訳ではない場合は、呼び捨てで良い気がする。ただ、例えば相手とコミュニケーションをとりたい場合はどうするか。やっぱり呼び捨てではまずいのだろうか。「鈴木はそういう風に言うけど、でもそれは違うだろう」と「鈴木さんはそういう風に言うけど、でもそれは違うだろう」、はっきり言ってどっちでも良いような気もするが、しかし相手に与える印象や、自分の中での心構えが違ってくることも確かだ。
あと、よく「くん(君)」付けをする人というのも居る。主に自分より年下の相手を呼ぶときに使う敬称みたいだが、これを使ってる人は個人的にいけすかない。ただ、これを使うと格好いいことも確かである。僕だって口頭では後輩を呼ぶときは「くん」づけをするようにしているし、別にそれをおかしいとも感じない。いや、まぁそれも大学に入って周りからさんざん「あままこ"君"は言葉の使い方がおかしい」と言われ強制されたことによるものなのだが。それまでは先輩を呼び捨てにし、同級生・下級生に敬語を使うという、それはそれはおかしな言葉遣いだったそうな。まぁ、それだけ僕は言葉遣いの能力が低いからこそ、今回の記事のような問題でも悩むわけだが。
話が横道にずれたので元に戻す。「くん」づけというのは確かに格好いいが、それは流石に高等テクニックなので諦めよう。第一直接の後輩ならともかく、例え年齢が下だろうと、ネット上ではすべてが対等な相手なのだから、そこで相手を下に見るような「くん」づけっていうのは、正直呼び捨てよりよくないんじゃないかと、個人的な感性で思ってしまうのだ。まぁこれは僕が昔さんざん若さを馬鹿にされてきたトラウマによるものなのかもしれないが。*2
じゃあ結局「さん」を付けていれば万事OKなのか?ところがそれも僕はどーも納得がいかないのだ。これは、ウェブ上の議論云々からはちょっと外れる内容なのだが、よくマンガ家・ラノベ小説家やアニメーター・声優の名前を呼ぶときに「○○さんの作品は〜」という様に、さんづけで呼ぶ人が居る。僕の感じではそれはオタクに多いように感じる(まぁそういう人について言及する人なんて殆どオタクなんだからそれは当たり前と言えば当たり前なのだが)。だけど僕はこれがどーも嫌というか、ぶっちゃけるならば「慣れ慣れしい」感じがして仕方ないのだ。これは感性の問題だから、「なぜそうなの?」と聞かれても「そうだからそうなの!」としか答えようがないが、「手塚さん」とか「宮崎さん」とか、やっぱり嫌な感じしないかなぁ?それだったらまだ「手塚」とか「宮崎」とか呼び捨てにした方がずっとましに思える。
でもまぁ、そういう人の場合は、他人がそういう風に呼ぶのを苦々しく思うのは仕方ないとしても、自分で呼ぶ場合はあんまり苦労しない。なぜなら、そういう人には「先生」とか「監督」とかいう、職業に付随する敬称があるからだ。「手塚先生」、「宮崎監督」、ただこれは監督とかではないただのアニメーターや、声優には使いづらいので、口に出すときに例え違和感があっても、そういう人を呼ぶときは僕は出来る限り「氏」という言葉を使う。ただ、それってよく考えたらよりオタクっぽくないか?(オタクは文章上でしか使われないような表現を平気で口頭で使う傾向がある)と、日々悩むわけだ。
で、そういうことっていうのは、ウェブ上の議論でも当然問題になってくるわけだ。相手に職業上の敬称がついている場合は問題ない。「池田教授」とか、「小倉弁護士」とか、そういう風に呼べばよろしい。*3ところが、相手がアリーライターとかあるいはただの会社員とかいう肩書きだったり、あるいはハンドルネームによって呼ばれている場合はやっぱり使えないだろう。となるとやっぱり呼び方に困る。まぁ、声優とかと比べてたかだかウェブ上で意見を発表しているだけのような人を呼ぶんなら、別になれなれしくしても、そんなに違和感はないのも一方では事実だが、しかしそれでもやっぱり心のどこかで「なんだかなー」と思ってしまうのもまた事実。じゃあ氏を使うか?まぁ硬い文体の場合はそれでなんとかなるわけだけど、柔らかい文体の中に「氏」が混ざると、口頭で話しているときと同様妙な違和感はやっぱりある。「鈴木氏はそう言うけどさー、それってちょっとおかしくない?」と。
だから僕はどーしても、相手と自分が近いと感じられない場合にこそ、敬称を使わず呼び捨てを選択してしまうわけだ。ところがそれはやっぱりある人にとっては無礼な行為なわけで、きっとそういう人はべつに「さん」付けがなれなれしいとかいう意識はないからそう言うのかもしれないが、いやこっちからしたらそんなに親しくない相手に「さん」付けをする方が無礼に思えるわけで、なんともはや。
……というようなことを、↓でのブクマコメのやりとりを見ながら思った、というかクリリンした。ちなみにこのやりとりが問題にしている議論自体は踏み込む気はないので、あしからず。*4
はてなブックマーク - すごいロジック、あるいははてサの話 - 脳髄にアイスピック

id:y_arim ↓議論相手に敬称付けないのは宮台真司小谷野敦が用いる手法だなあ…
id:kanose たとえ気にくわない相手であっても、議論相手に敬称つけるのって最低限の敬意の表明だと思うんだけど、そういうのなくてもいい!と思っちゃうのが北守さんなんだろうなあーいやはや

*1:と思って書き始めたら意外に長くなった罠

*2:だから、年齢が上の相手に敢えて侮蔑の意味を込めて「くん」づけというのは良いと思う。

*3:いま「まともな職業を持っていて名前で呼べる人」って思ったときにこの二人が出てきた僕ははてな脳すぎる

*4:ようするにあままこおなじみ「エア批評」である。