あままこのブログ

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「終わり」の時代のアイドル

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今日はこんな映画を見にきたり
というわけで、世界の終わりのいずこねこという映画を見に行ってきました。西島大介先生のマンガが結構好きだったりするので。
なんかこう、まさしく「僕たちの生きるこの世界」って感じの、そんな映画でした。

夢も希望もなくなった時代で

最近僕が聞いている曲って、アイドル曲ばっかりなんですよね。まあ、3次元のアイドルにはそんなに詳しくないので、「アイドルマスターシンデレラガールズ」の曲とか、声優アイドルの曲とか、そういうのですが。
昔は、もっとロックとかも聞いていたんですよ。頭脳警察とかブルーハーツとか。あるいはミスチルとかBUMPとかの曲とか*1。でももう最近は、なんかそういう曲が受け付けなくなって、アイドルっぽい曲しか聞けないんです。
なぜか、まあ端的に言えば「何か真剣に考えるのが辛くなって、とにかく気持ちよくなりたい」からです。アイドルの歌詞には、メッセージ性なんてあってないようなもんだし、それも当人たちは分かってる。アイドルの曲の目的って言うのは、結局「可愛い女の子を頑張ってるふうに見せる」ことと、「コールレスポンスとかで一体感を生む」、その二点だけです。
一時の高揚感があればそれでよくて、後になにか考えさせられるメッセージなんていらない、だって、どうせ何か考えたって、何かその後の人生が変わるわけでもなく、今までの人生の延長が続き、そして、終わる、ただそれだけなんですから。

絶望の中でアイドルは輝く

ただ、多くのアイドル映画はそういうアイドル曲の延長線上で、アイドルの頑張る姿とかを見せるわけですが、この映画は、むしろそういう「アイドル」を取り巻く構造を、俯瞰してくるわけです。
華やかなアイドルソングが流れ、思わず映画館でコールアンドレスポンスしたくなる映像と、ほとんどノイズ・ミュージックなBGMが流れる、学校や廃墟での映像、この両極端な2つの空間が、しかしあくまで地続きに描かれるわけです。
でもそれこそが、まさしく僕らの日常なんじゃないかなと、ふと思うのです。
日曜日はライブ会場に行ってサイリウムを振り回し、「この世界は天国だ!」なんて気分になりながら、その翌日には布団から起き上がるのすら憂鬱になり、満員電車を待つホームで、線路に飛び降りたくなる様な絶望を必死で抑えこむ、そんな毎日を送る日々。
「頑張ればいつかは報われる」「この世界は明日にはきっともっと良くなる」、そんな夢や希望なんてどこにもない現代。
そんな世界でも、というか、そんな世界「だからこそ」、アイドルは輝きを放っているのかなと、ふとそんなことを考えたりするのです。

そして「終わり」に向けて

しかし、そんな「アイドル」も、永遠のものではなく、いつかは終わりが来る。
というかこの映画自体、いずこねこというアイドルの活動が終了する最後に作られた映画だそうで、まさしくタイトル通り、この映画は「終わり」にまつわる映画なのです。
一応作品の中では「高次元の存在になる」とかいう、どっかの神様になっちゃった魔法少女みたいな説明がされますが*2、そのどっかの概念さんと違って、この作品では、主人公自体が、そんなのはインキュベータ……じゃなかったブリーダーである宇宙人のおためごかしに過ぎないとわかっています。
この作品は、「終わり」を決して美化しません。それは、映画のラストのあの「コメント」を見ればわかるでしょう。所詮人間なんてそんなものです。「終わり」が来ることは、結局「終わり」でしかなくて、そこから何かが変わったり、始まったりするわけではない。この世界が津波で流されたって、その荒野に、80年代のマンガやアニメのような「新たな希望」が生まれたりはしないわけです。
だから、僕らはこう言うしかないのです。

「さようなら」と。

*1:自分で書いていて思うが、ホントニワカだなぁ

*2:元ネタはむしろ2001年宇宙の旅とかなんでしょうが、僕はゆとりオタなのでそんな高尚なSF作品は分かりませーん