現在開催されているあいちトリエンナーレ、本当は「さよならテレビ」*1が上映される9月22日以降にまとめていろいろな展示を見に行く予定だったんですけど、そのイベントの中の一つの企画である、「表現の不自由展・その後」が、「平和の少女像」展示や天皇を題材にした作品の展示等で反発を受け、展示が継続できるか危ぶまれているので、慌てて8月2日に見に行ってきました。
そしたら案の定、河村名古屋市市長や菅官房長官が展示を中止するよう圧力をかけてきているそうで
芸術監督の津田大介氏も撤去を含め対応を検討しているということなので、行っておいてよかったなと思ったり。
で、実際に見てきた僕の感想なのですが、要約すると以下の3点になります。
- いい意味でも悪い意味でも、ここまで騒ぐほど大した展示ではない
- それぞれの作品は良いものもある……特に平和の少女像と元慰安婦の写真は、それ単体できちんと展示すべき
- この程度の展示もできないんなら、愛知県は金輪際芸術祭なんか開くな
それぞれどういうことなのか、説明していきます。
1. いい意味でも悪い意味でも、ここまで騒ぐほど大した展示ではない
まず、すっかり「表現の不自由展・その後」ばっかりがクローズアップされていますが、そもそもこの展示は、「あいちトリエンナーレ」という、複数の芸術館と、更に街のスペースを使って行われている巨大な芸術祭の、ごく一部の展示にすぎません。
実際、展示スペースも美術館全体からしたらごくわずか、ほぼ一部屋のみで行われているものです。
そして、実際訪れた感想から言っても、「表現の不自由展・その後」は展示会場の中でも明らかに片隅の見ずらい場所に押しやられてる感じでした。少なくとも、主催者が推したいメインの展示なんかでは全然ないわけです。
一方、そんな片隅にも関わらず、一番人が集まり、そして熱気や緊張感があった部屋であったことは事実です。日の丸の腕章を付けて怪しいペットボトルを抱えた人が入ってきたとき何かは、「なにか起きるんじゃないの」とドキドキしました。
ただそれも、作品自体の力によりそういう熱気・緊張感がもたらされてるかといえば、そんなことは全然なく、ただ「この展示は物議を醸しているらしい」という、メディアによって作られた熱気や緊張感だったのもまた事実です。先に触れた日の丸の人も、メディアで報道され注目が集まったから来たわけですから。
何で作品自体にあまりそういう熱気や緊張感を生み出す感じがないかといえば
- そもそもそういう作品ではない……物議なんか醸さずに普通に受け入れられるべき
- 「これやっとけば物議を醸すだろう(菊タブー)」という予定調和に甘えている
という二点が挙げられます。
まず一点目についてですが、そもそも「平和の少女像」にしろ元慰安婦の写真にしろ、あるいは沖縄の壁画
にしろ、「こんなもん問題にしたり規制するほうがおかしいだろ」というのが、別に芸術なんか詳しくなくてもまともな知識もってりゃ明らかなわけですよ。で、そんな作品をもってきて「規制の是非は!?」みたいに問われても、そんなの「はあ、そりゃ規制するほうが間違ってますね」としか言いようがないわけで。いや、よほどのサイコパスとか保守・右派思想に頭の髄までやられちゃってる〇〇なら反発するんだろうけど、そんな〇〇だけを相手にしてどーすんのという。そんな奴らは粛々と社会から追い出すしかないでしょと。
で、そういう作品の一方で、昭和天皇を題材にした作品も展示されていて、それらは確かに、多くの人が漠然と抱いている象徴天皇制への敬意を挑発するという点はある。けど……
ぶっちゃけもう芸術においてそういう「菊タブーへの挑戦!」みたいなの、みんな見飽きてね?
いやそりゃ今でも、天皇や天皇制について話をしようとすると右翼から抗議を受けたり、テロを食らったりみたいなのはあるかもしれんよ?でもさ、もうそこらへんは天皇制を擁護する側も批判する側も予定調和のルーチンワークでやっているみたいなもんで、正直そこからなにか現代の社会を揺り動かすような強烈な表現が生まれるとは思えないのよね。
そりゃ僕だって天皇制は廃止すべきだと思ってるし、昭和天皇の戦争責任は今からでも遅くないからきちんと追求すべきだとは思ってるよ?でも、僕はもうそのためにいちいち芸術みたいなものに頼らなくてもいいと思うし、むしろ芸術でそうやって殊更に「菊タブーに挑戦!」みたいな身振りで挑発をすればするほど、逆説的に、天皇制なるものが特殊で権威あるものであるかのように飾り立てられるような気がしてならないのです。あんなもん、それこそ世界中によくある、民主主義国家において排除されるべき身分制の一つに過ぎないのに。
まあ、とにかく、「菊タブーに挑戦!」とか言ってそこに表現の自由の臨界点があるとする態度が、なんか古臭くて、しらけちゃうわけなのです。
だから、もし本当に「表現の自由とその限界は!」みたいなことを示そうとして展示をするんだったら、今回の展示は生ぬるすぎると言わざるを得ません。
もし僕が展示担当者だったら、まずもっと展示スペースを広げろと言うし、展示する作品も、それこそこんな(表現の自由という観点からは)生ぬるい作品ではなく、それこそ会田誠の作品
「表現の不自由展」が話題沸騰なので便乗。「左派視点に偏りすぎ、表現規制問題はもっとある」というツイートを見かけたので、古い作品集で「一人表現の不自由展」やってみます、ご笑納ください。
— 会田誠 (@makotoaida) August 2, 2019
その1 pic.twitter.com/8MsZM8RxIT
とか、あるいは『ターナー日記』みたいな人種差別を煽る本とか、それこそ『腹腹時計』やISの動画みたいなテロを煽るもの持ってきて、もちろんきちんとそれに批判的視点を持つような注釈も付け加えながら、「こういうのって表現の自由に含むの?どうなの?」と問いかける企画にしますね。
でも多分、それをすると今度は「そんなの芸術的ではない」という批判が来るんでしょうね。僕はぶっちゃけそーいうのどうでもいいからこんな提言ができるわけだけど。
そういう点から言うと、今回の展示は、「表現の自由について問う」というテーマと、芸術祭での企画である以上大前提である「芸術的である」という命題を、そもそも噛み合わせることができなかったと、いうこともできるかもしれません。
2.それぞれの作品は良いものもある……特に平和の少女像と元慰安婦の写真は、それ単体できちんと展示すべき
で、ここまでボロクソ言ってきたわけですが、ただそれはあくまで、この展示をくくるテーマについての話。個々の作品自体の良し悪しは、また別なのです。
まあ、そうは言っても作品単体で見ても「こりゃ駄目だ」という展示はあるんですがね。特に9条俳句なるもの
さすがに展示側もこんなもん展示するのはどうなのって良心があったのか、片隅の部屋のさらに片隅にひっそりあったわけですが、それでもこんな展示をするスペースがあったらもっといい作品があるだろう……こんなしょーもないもんをわざわざ「問題」として大きく見せることになったという点が、この俳句を掲載しなかった一番の罪だよと、言いたくなったりもする、そんなくだらない展示もあったりします。
ただ、その一方で、先に上げた岡本光博の作品みたいに、普通に面白い作品もありますし、「アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から「オレ、中国のもの食わないから。」と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子」という、深く考えさせられる作品もあったりします。
そして、その中でもやっぱり注目に値するのが、今回の展示でも一番の争点となっている「平和の少女像」、
そしてその横に展示されている、元慰安婦の写真。
この二点に関しては、これが一番の攻撃対象になっている点から言っても、ほんと今すぐ名古屋に行って、実物を見るべきです。
まず「平和の少女像」についてですが、これはやはり隣に座ることができるという点が重要で、周りから見下ろしていると所詮「鑑賞物」なのですが、隣りに座って、目線を合わせることによって、否応なく作品と対話することが求められる、そういう作品なのだと思うわけです。
そして、慰安婦女性の写真、こちらの写真は、慰安婦とされた女性の人生の今を、1枚の写真で切り取ることにより、ただ学習するだけのものであった、従軍慰安婦という制度に、そこで犠牲になった人間が居たんだという強烈な実感を与えるものです。
というか、僕はむしろこの二つについては、「表現の不自由展・その後」なんて展示の一角に押し込めるのではなく、普通にそれぞれ一スペース与えて展示してもいいんじゃないかと思うわけです。あいちトリエンナーレ全体の評価は、また今度書く予定ですが、少なくとも「メントールで部屋を満たして涙を流させる」みたいなしょーもない展示するスペースあるなら、普通にこの二つをきちんと展示したほうがよっぽどいいと、僕は思うんですがね。
3.この程度の展示もできないんなら、愛知県は金輪際芸術祭なんか開くな
で、最後に。
1でも述べたとおり、今回の展示は、まともな見識を持ってりゃあ、芸術に詳しくなくたって「こんなもんたいしたことないよね」と言えるものです。それがここまで問題になるという点は、ホント今の日本がいかに狂ってるかっていうことを象徴してると思います。
が、それはそれ。
今回の展示程度のものも容認できず、「不快に思われるかもしれなかったり中立でないと思われるかもしれなかったりするものは展示しない」とか言うんだったら、もう現代の芸術作品を展示する芸術祭なんかできないでしょう。
実際、あいちトリエンナーレ、駆け足ではありますが回ってきたわけですが、その中には「平和の少女像ぐらいで不快になるから展示するなと言われるんだったら、この作品はもう燃やしてしまうべきだな」と思うぐらい、普通にイライラしてくる作品もありましたし、無茶苦茶偏ってる作品もありました。しかしそういう作品を全部撤去したら、もうそこには何も残らないでしょう。
まあ、お偉方は、それでいい、そうやって空いたスペースには日本のクール・ジャパンの象徴であるマンガやアニメでも展示すりゃあいいんだと思っているのかもしれませんが。
しかしそれだったら、「私達には芸術祭なんかを開催する度量も能力もありません。」とはっきり言い、金輪際芸術祭なんか開くべきではないと、僕は思います。
ま、愛知県なんて所詮その程度の人らの集まりなのかもしれませんがね*2。
以上が、僕が「表現の不自由展・その後」を見て抱いた感想です。
あいちトリエンナーレ全体の感想は、また稿を改めて。
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追記:2019-08-04 1:09
展示中止のニュースを受けての僕の意見を書きました。
「表現の不自由展・その後」撤去について、僕の考え - あままこのブログ
*1:https://aichitriennale.jp/artwork/A91.html
*2:と、リニア問題で愛知県から横槍入れられて(https://digital.asahi.com/articles/ASM7Y569RM7YOIPE02X.html)イライラしている静岡県民は思ったり