あままこのブログ

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「オタクくんさぁ……大好き!」と叫びたくなる映画―シン・ウルトラマン感想文(ネタバレあり)


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というわけで、見てきました「シン・ウルトラマン」。
シン・ゴジラにもシン・エヴァにもはまれなかった自分
amamako.hateblo.jp
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なので、正直この映画もそんなに期待値は高くなかったのですが、見てみるとこれがかなーーーり僕好みの、僕が好きなタイプの映画になっていました!
もしかしたら、自分がこれまでに見た実写映画のベストスリーに入るぐらい好きかも知れません。

ただ、その一方で「僕はこういうのほんと大好きなんだけど、一般受けはもしかしたらしないかもなぁ……」と思う点もありました。
今回の記事ではネタバレありで感想を述べていきますが、その感想が万人に当てはまるとは思わないので、気になる人は是非劇場に見に行きましょう!

「オタクがやる特撮のパロディ」感満載の前半

この映画の構成としては、ウルトラマンが地球にやってきて、色々な怪獣と戦いながら、最後に「ゼットン」という最強の敵と戦うという構成になっています。
そして、ぶっちゃけていうと、ゼットンが登場するまでについては、僕は半笑いで映画を見ていたんです。だって、なんつーか、あまりに「特撮オタクが妄想するウルトラマンのパロディ」っぽさ満載だったんですもの。

一応いっておくと、映像のクオリティは当然素晴らしいです。ですが、そんなクオリティの高い映像で何をやるかといえば、クルクル回るウルトラマンとか、女性が巨大化して、その写真がネットで晒されるとか、そういう「オタクが考えそうなネタ」満載なんですね。こういう風に書くと、真面目にそういう描写を見ていた人からは怒られるかもしれませんが、いや庵野・樋口コンビだって、あそこらへんの映像は半笑いで作ってたと思うんだけどなぁ……

ていうか、所詮オタクのツボってそこらへんにあるんであって、シンゴジみたいに「現代日本に怪獣があらわれたらどう対処するかを真剣に考えましたー」みたいな言い訳をされて、その言い訳を理由にウダウダつまんない会議とかのシーン描かれるより、すぱっと「僕らはこういうのが見たいんじゃー」と、怪獣プロレスとか、異星人の知的っぽい会話とかが描かれた方が、よっぽど潔いわけです。まあ、逆にその潔さが非オタにとっては「なんか子どもっぽい」と低評価になってしまうのかもしれませんが、しょーがないじゃん精神年齢が子どもなんだから。

オタクの夢、または妄想が詰まった後半

一方で、そういう前半のノリがずっと続くのだったら、それは結局「オタクの悪ふざけ映画」の粋を出なかったでしょう。しかしそういった悪ふざけから一転「これは本当にやばいんじゃないの」と観客に思わせるのが、ゼットンの登場なんですね。「でもウルトラマンに任せりゃなんとかなるんでしょ」と思っていた登場人物たちが、ウルトラマンの敗北により、いよいよ本当に世界が滅亡してしまうかも知れないというピンチに直面するわけです。そこで、ウルトラマンをあがめすぎているが故に、「ウルトラマンでかなわないんならもうダメだ……」と思ってしまう、渦特隊の青年は、まさしくウルトラマン大好きな僕らオタクの姿な訳です。

しかしそこで、ウルトラマンが託してくれたメッセージを元に再起し、ウルトラマンを助けるために奮闘する青年。僕はこういう「一度現実にうちひがれたオタクの男の子が、それでも再起し現実に立ち向かう」というシーンに、とにかく弱いんだなぁ……

ただ、僕がここでベタな感動に乗れるのは、やっぱり前半の茶番劇の積み重ねがあったからだと思うんですね。前半の茶番劇のおかげで、渦特隊のオタク青年に感情移入できていたからこそ、その青年のうちひしがれように同情し、その青年の再起に感動できるわけです。

逆に、そういう前半がなければ、後半のベタな感動も色あせていたと思うんです。それこそシンゴジを多くの人が「日本人はすごいんだ」みたいなナショナリズムで消費したように、ベタなオタクナショナリズムになって、僕みたいな人間からすると「ケッ」と思うようなものになってしまったかもしれない。でも、前半があるからこそ、後半でベタに感動しながら、「でも結局これってオタクがオタク向けに作ってる物語だからこうなるんだよな」と客観視できるわけです。

「オタクくん……きもーっ!(あはは)」な異性描写。でもしょうがねーじゃん、キモいんだから

一方で、そういう風にオタク心くすぐりに全力をそそいでいるせいで、一般の人々からは引かれるシーンも多々存在します。巨女のシーンもそうですし、女性隊員のにおいを嗅ぐシーンもそうでしょう。

ただ一方で、なんかこう、「現実の女性とうまく付き合えないオタクくんの妄想なんだから、キモくてもしょうがないじゃん!」と、僕はそこで逆ギレしたいのです。いや実際は庵野監督なんかは若い頃プレイボーイだったわけですが、そうでなく、精神性の話として。

異性についての描写のキモさって、僕は二つのタイプに分けられると思うんです。一つは、実際に異性慣れしているヤリチン野郎が、女性をモノとして扱うようなキモさ。これはもう僕も絶対受け付けません。全力でキャンセルしてやりたくなります。

他方で、そういうキモさとは違う、異性に積極的に接触できない童貞男子が、触れられないからこそ過度に女性を性的に見てしまうことのキモさというものもあるわけです。で、僕はこれにかんしては「許してやってくれよぉ」と思ってしまうわけです。自分もそういうキモさを持ち続けているから。

もちろん、当の女性たちにとっては、どちらのキモさも受け入れがたいものなのも分かります。だから無理に受け入れてくれとはいいません。ですが、僕としては「そんなに叩かないでやってくれ。キモいのは自覚してるから」と、言いたくなるのです。

オタクのイノセントさが溢れている組織描写……でも無理に大人ぶるよりよくね?

また、今回のシン・ウルトラマンでは、前回のシン・ゴジラで、組織の中で頑張る大人たちとは違い、組織をはみだして色々やっちゃいます。シン・ゴジラは、官僚組織とか国家とかの中で動く、成熟した大人たちを描いていたから素晴らしいと考える人にとっては、今回のシン・ウルトラマンは「まーた社会から逃げるオタクの悪い癖が出たよ」と思われるかも知れません。

ですけど、中二病ぶって「社会の中で生きる大人が素晴らしいんだ」みたいなこと言ってたシン・ゴジラより、「大人は悪い奴ら!世界を救うのは少年の心を忘れずに持っている僕らだ!」という幼稚な世界観に基づく今回のシン・ウルトラマンの方が、自分が真に信じているものを描いているという点で、よっぽど誠実だと、僕は思うんですね。

シン・ウルトラマンは、庵野氏がパンツを脱いだ作品になっている

TV版エヴァの放映時、庵野秀明氏は「いかにパンツを脱ぐ覚悟をもつか」が重要だと言っていました。しかしその言葉と裏腹に、シンゴジやシンエヴァはどうにも「パンツをはいたまま」の作品に見えて仕方なくて、大衆受けはするかもしれないけど、面白く感じることは出来ないでいたわけです。

しかし、今回のシン・ウルトラマンに関しては、まさしく庵野氏がパンツを脱いだ作品になっていると、僕は感じました。それ故にキモい部分も多々あるわけですが、でも僕は、パンツをはいて小綺麗にした作品より、やっぱりこういう「幼稚さを含めて、作り手が自分をさらけ出している作品」が大好きです。なので、今回のシン・ウルトラマンの点数は……

一兆点です!