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あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

カツマーはどうでも良いけど「結婚」について再び考えてみる

なんか勝間氏があの人独特の脳天気さで「みんな35歳までに結婚した方が良いよー」とかいう主張をして、でそれに対して色々論争がわき起こってるみたいです。
勝間和代の『誰でも出来る』日本支配計画
はてなブックマーク - 結婚のすすめ 35歳独身限界説 - 勝間和代の『誰でも出来る』日本支配計画
腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-
結婚ついては僕も以前「恋愛抜きの結婚」を求める人たち - 斜め上から目線においてちょっと考えてみたことがありましたが、ここでもう一度、特に論争の中でフェミニズムの側からの「結婚」についての考えみたいなものが出されていたので、それと照らし合わせながら、「結婚」について再び考えてみようかなと……

でもまぁ、カツマー的な結婚のメリットは正直「どうでも良い」気がするんだよね

勝間和代の『誰でも出来る』日本支配計画

近年、日本では少子化が問題になっていて、月額2万6千円の子ども手当の創出を始め、国を挙げてさまざまな少子化対策が講じられています。国や自治体の施策は子どもが産まれたあとの援助に重きが置かれていますが、私の見るところ少子化の原因は、一組あたりの夫婦から産まれる子どもが減少していることよりも、未婚化・晩婚化にあります。
婚姻したカップルから産まれた子を嫡出子、そうでない子を非嫡出子と言いますが、日本は、文化的に非嫡出子が産まれにくい状況です。なんと98%の子が嫡出子です。つまり、未婚化・晩婚化が進むと、子どもが産まれにくくなります。そのため、未婚化・晩婚化対策をするほうが、少子化対策としてより効果を上げる可能性があります。
(略)
具体的には、結婚生活を継続する中での以下の3つが大きな成長につながるメリットとなります。

  1. ワークライフバランスを考えざるを得ないことから、生産性が向上する
  2. パートナーとともに暮らすことにより、他人との学び合いの機会を得る
  3. 社会の多様性(ダイバーシティ)に対する理解が深まる

私自身は、20歳で結婚し、21歳で出産しました。結婚と出産をすると、夫婦円満な家庭生活と子育てのために、ワークライフバランスを考えざるを得なくなります。既婚者のほうが、生産性を向上しようと未婚者よりも努力します。先ほどの「35歳独身限界説」に賛同してくれた経営者から、こんなエピソードを聞きました。何か業務を効率化しようとしても、「長時間労働をすればいいのだから、変更したくない」と35歳以上の未婚者が抵抗するというのです。既婚者の方が保守的なイメージがありがちですが、未婚者には生産性を向上するための変更に対して動機づけが働きません。そのため、実際の職場では未婚者が、変更で生じるリスクを懸念して保守化してしまうのです。長時間労働は晩婚化を招き、晩婚化の結果としてさらに長時間労働を続けてしまうという悪循環が起きている職場が、今の日本には山のようにあるはずです。
結婚をして、パートナーという自分とは違う他人と暮らすことで、相手から新しい考え方、生き方、行動のしかたを学ぶようになります。人は身近な人から最も大きな影響を受けます。パートナーはもっとも身近なコーチであり、先生なのです。パートナーと譲り合い、助け合うことで、他人と協業をするやり方を初歩から多く学ぶことができるのです。

まぁ、カツマー的に社会の中でバリバリ働き、社会問題に対してもしっかり関心を向けなきゃならない人にとっては、「少子化対策をする」とか「生産性の向上」なんてことが、結婚をしなきゃならないと考える根拠になるんだろうけど、それは社会全体の利益であってその結婚する当人の利益じゃない以上、カツマーではない普通の人には、正直あんまり関係ない話な様に感じてしまうね。「社会のために結婚しろー」って、この自由主義の時代に*1通る理屈であるとは思えないなぁ。
それよりも気になったのが、この記事に対するフェミニストの反論。
腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-

結論:35歳独身限界説を乗り越える方法
結婚しなくいい、同棲しろ、もしくは、誰かと一緒に住め。

これが気になった理由は、まず第一には、僕が以前書いた「恋愛抜きの結婚」を求める人たち - 斜め上から目線ととてもよく似た主張をしているんじゃないかなーと感じたから。「結婚じゃなくて同棲(ルームシェア)で良いんじゃないか」なんて発想は、まさに以前の記事の発端となった発想ですし。
そして第二の理由に、にも関わらず、なんか納得できない部分がこの記事にはあったからです。具体的にどんな部分か。
例えば上記の記事は非嫡出子差別についてこのように批判しています。

「日本は、文化的に非嫡出子が産まれにくい状況です。」とさらっと流している。
これはまず、大きく間違っていることを言わざるおえない。
日本は「文化的に非嫡出子が生まれにくい状況」は完全なるNGである。

正しくは「非嫡出子差別があるから、(結婚しないと)生みにくい状況」だ。

非嫡出子とは、婚姻関係にない間に生まれた子どものことをさす。
その差別は、戸籍に非嫡出子と記載されるとともに、「正当でない」子供というレッテルが付きまとう。
表立った文化的差別はないと主張する人もいるかもしれない。
それは、あなたの周りにないだけだ、もしくは隠されているだけだとはっきり申し上げよう。

法的にはっきりと「差別」されており、それは最高裁の判決例でも見て取れる。

「婚姻していない男女の間に生まれた「非嫡出子」の遺産相続分を嫡出子の半分」と規定している。
以下の裁判では、「法の下の平等を定めた憲法14条に違反しない」と判決を出したにもかかわらず、
裁判官は異例な反対意見・補足意見を出している。

  • 「子の出生に責任があるのは被相続人で、非嫡出子には何の責任もない。規定は違憲
  • 「相続時は合憲だが、社会情勢は変化し、現時点では違憲の疑いが極めて強い」

まどろっこしいな、つまり、「違憲」だろ?といいたくなるが。

非嫡出子:相続規定、最高裁が合憲決定
 婚姻していない男女の間に生まれた「非嫡出子」の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法の規定の合憲性が争われた審判で、
最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は9月30日付の決定で「法の下の平等を定めた憲法14条に違反しない」と判断し、
非嫡出子側の特別抗告を棄却した。

 決定は4裁判官中3人の多数意見で、判例を踏襲した。
今井功裁判官は「子の出生に責任があるのは被相続人で、非嫡出子には何の責任もない。規定は違憲」と反対意見を述べた。
合憲とした竹内行夫裁判官も「相続時は合憲だが、社会情勢は変化し、現時点では違憲の疑いが極めて強い」と補足意見を述べた。

実はこういうことだと思う。

一応述べておくと、僕もこのように非嫡出子に相続権を認めない*2法律っていうのは改正すべきだという意見を明確に持っている。
持っているのだけれど、しかし一方で、じゃあ法律が改正されたら「非嫡出子差別」がなくなるかっていうと、法的差別については改善されるだろうけど、しかしそれでも社会的な差別は残るんじゃないかと思うんですね。一体なぜか?
それ(非嫡出子)を認めてしまったら「結婚」という制度の拘束性が弱まってしまうからです。そして大部分の人は、(フェミニストのように)「結婚」という制度の拘束性が弱まることを喜んではいないからです。
「人は不合理な制度のくびきから自由であるべきだ」という立場に立てば、そりゃ確かに非嫡出子差別なんてものは馬鹿らしいし、そもそも「結婚」制度そのものが馬鹿らしいものなんですよ。人はその時自分がしたいことを自由にできるようであるべきだ、行動や価値観に対する制限は最小限であるべきだと考えるなら、男女でなければならず、しかも「不倫」なんていう極めて価値観依存的な定義のものを禁止し、「純愛」しか結婚には認めない、また離婚という行動にも制限を加える、そんな制度、そもそも存在しなくて結構なんです。
そしてフェミニストの立場って言うのも基本的にそういう不合理な制限を告発するという立場な訳です。この記事の著者にしても、そしてこの記事の著者が紹介しているTOK2プロフェッショナルにしてもね。
でも、その制限から解き放たれる事による「自由」って、本当に良いものなのかな?っていう疑問が、最近人々の中でふつふつとわき上がってきている気がします。
例えば結婚ではない自由な同棲においては、それまで一緒に住んでいた二人であってもある日急に何の理由もなく別れるなんて事が、ごく簡単にできますよね。それは、確かに「もし自分が別れを求める側だったら」と仮定すれば、とても良いことかもしれません。が、もし自分が「別れられてしまう側」だとしたら、そんな今まで一緒に暮らしていた人が急にいなくなるなんて事は、心理的にも大きなダメージですし、生活上も様々な困難が生まれるでしょう。もちろん前々からそういう自体を想定して生活することが重要なのかもしれませんが、しかしそれも大変な苦労が伴う。その点結婚ならば、別れにある程度の制限があるから、常に「別れ」を想定して生活するなんていう苦労はしなくて済むわけです。その代わり、「別れたいときにぱっと別れる」なんて自由は奪われるわけですが、自由と安定、自由であることの喜びと安定によって得られる楽、その二つのどちらを重要視するかと問えば、多くの人は実は後者を選ぶんじゃないでしょうか。
それは子どもの件にしてもそうです。そりゃ自分が「子ども」の立場だったら親を介護する義務があるなんて絶対嫌ですよ。でもじゃあ自分が「親」の立場だったら?公的な福祉もしっかりしていない、かといって自分で福祉サービスを受けられる位の貯金を蓄える様な余裕もないっていうときに、子どもが親の世話をするのが義務であるという社会的制限を維持しておくっていうのは、合理的選択としてありえることなわけです。そこにおいては、子どもの自由とバーターに、親の安定が得られるという仕組みなのです。
こういう人たちをどう説得するか、または、どう手当をするか、そういうことを考えないで「制限からの自由」一本槍で結婚制度を批判しても、やっぱりそれは実効性のある批判とはならないんじゃないかなぁ。

*1:この文、伏線である

*2:いや、本当のことを言えばあらゆる人に「相続権」なんてものは無いと思うのだが、それを言うとまた別の議論になるので今は止めておく