www.oricon.co.jp 僕自身は、正直メゾピアノという子ども服のブランドは今まで全然知らなかったのですが、しぐれうい氏はよく見ているバーチャルYouTuberなので、SNSで批判されているのを見て悲しくなっていました。
ただ、メゾピアノというブランドについて調べていくと、今回のコラボにメゾピアノのファンたちが怒る理由がわかる一方で、今回のようなコラボが行われる理由というのも、おぼろげに見えてきたので、ちょっとまとめてみます。
ただの子ども服ブランドではなく、「私たちが選び取ったファッション」としてのメゾピアノ
メゾピアノというブランドが子ども服としてブームになり始めたのは、1990年代後半頃と言われています。
晴れ着・お出かけ着ではなく、普通の子ども服として、ブランド物を選ぶという文化が日本に定着したのは1980年代ごろ、DCブランドブームの中で、「大人が着ているブランド服をそのまま子どもにも着せたい」という形で、ファッションブランドが子ども向けの服を出し始めたのが、その始まりとされています。 ただ、それはあくまで「親が思う、子どもに着せたい服を着せる」ためのブランドであったわけです。
一方、1990年代頃登場した、メゾピアノやエンジェルブルー、ポンポネットというブランドは、そうではなく「子どもが思う自分たちが着たい服」だったことが、それまでの子ども服ブランドと大きく違っていました。
当時『ニコラ』『ピチレモン』といったティーン向けファッション雑誌で、モデルがこれらブランドを着こなす姿を見て憧れた子どもたちは、そこで初めて、「親の趣味ではなく、私自身の好き」というものがファッションにあることを認識し、自らの意思で「この服着たい!」と親にお願いするわけです。
しかし、当時それらのブランドはパーカー1枚で1万円超、アウターなら数万円という、子ども服としては破格のハイブランドだったため。そうホイホイと買ってもらえるわけではありません。
そんな中で当時の子ども達は、「テストで100点を取ったら買ってもらえる」「誕生日に1着だけ買ってもらえた」「ショッパー(紙袋)だけを宝物のように学校へ持っていった」などというように、ブランドに付随した思い出も持つようになり、それがまた、これらブランドが、当時着ていた世代にとってとても思い入れが強いものとなった、要因であるわけです。
ファッションブランドとしての衰退から、「あの頃の思い出」というノスタルジーIPとしての復活
しかし、そのように1990年代後半から2000年代前半の、ブランド全盛期を経て、メゾピアノはファッションブランドとしては勢いを失っていきます。
まず、2000年代後半〜2010年代前半には、ギャル系ファッションという、メゾピアノの方向性とは異なったファッションの流行が、子どもたちの間でも起きたわけです。
しかしそれより重要なのは、2010年代後半以降のファストファッションの流行です。ファッション性に優れていながら、低価格である服が流行り、またECサイトなどで安価な服が買えるようになると、従来の「百貨店で1万円から数万円の服を売る」というビジネスモデルは時代遅れとなってしまうわけです。
そんな中で、メゾピアノを売っていたナルミヤという会社も、2010年にはファンドの傘下に入り上場廃止を余儀なくされました。ですがその後、ショッピングモールで売る低価格なブランドとして、「petit main」というブランドを生み出し、売上を回復します。
一方、メゾピアノというブランドに対しナルミヤが行ったのが、「大人向けのアパレルや雑貨・コスメとしての復刻」です。先程まで述べた通り、メゾピアノというブランドは、現役のティーン世代にとってはもはやあまり人気のあるものではありませんが、当時それを着ていた、現在20~30代の女性にとっては、とても思い入れの深いブランドなわけです。そんな中で、かつてメゾピアノというブランドに憧れた女性たちに対し、ノスタルジー消費を喚起するIPとなる。それが、近年のメゾピアノというブランドの売り方なわけです。
市場拡大を狙ったコラボが、結果的に軋轢を生んだのでは?
そして、このような平成のファッションがリバイバルするという流れは、メゾピアノに限らず、ファッションや文化において「平成レトロ」として大きな流行になっています。
このような平成レトロは、実際に平成を体験した世代だけではなく、平成期には物心ついてなかったような若い世代においても、「平成のものってかわいいじゃん」という形で、波及しつつあります。
ここからは推測になるのですが、今回のしぐれういとメゾピアノのコラボも、まさに「当時のメゾピアノを経験はしてないけど、平成っぽいものをかわいいとおもう層に、メゾピアノというブランドのファンを増やしていく」という意図があったのだと思います。
しぐれうい氏自身、エイプリルフールに、昔の個人ホームページを模したページを公開するなど、かなり平成レトロと親和性の高い活動をしてきたわけで、
そういった点から、「しぐれいうとコラボすることにより、より新たなファン層を開拓できるのではないか」と考えたというのは、そう不自然ではないと思うわけです。
「かわいい」の抱える、暗い源泉としての「ロリコン」
しかしここで問題となったのが、一方でしぐれういは、そういう古のネット文化と親和性を持つがゆえに、「ロリ神レクイエム☆」に代表されるように、往年の、ロリコンをネタとして消費する文化とも関わっていたという点です。
実際今回のコラボを批判する意見でも「あの『ロリ神レクイエム☆』を歌うような人間が、子ども服ブランドとコラボしてほしくない」という意見が多くありました。
ただ、ここで問題なのが、ではこのような「ロリコンをネタにする文化」と、「平成のものをかわいいと思うような趣向」が完璧に切り離せるかというと、それは難しいということです。まず語義として、かわいいという趣向は「あどけなさ、子どもっぽさ」というものを愛らしく思うものであり、それはロリコンの「未成熟な存在に欲望を抱く」という態度と近接しています。
そして、文化の根っこのところを辿っても、かわいい文化はその要素として多くのオタク的カルチャー(コスプレ、メイド服、魔法少女etc...)を含んでおり、そしてオタク的カルチャーの源泉には、「漫画ぶりっ子」などに代表されるようなロリコン漫画が存在していました。
ただ一方で、ここで注釈しておきたいのが、しぐれうい氏自身は、そういうオタク的カルチャーの源泉にロリコン的なものが含まれるのをネタにしながらも、それを肯定はせず、対象化しようとしていたということです。
実際、「ロリ神レクイエム☆」という曲も、歌詞を読めば実は、「まともじゃないならはやく消えてください」や「ほんっとーに、きもちわるい」というように、その部分だけ取り出せば「あれこれツイフェミのつぶやきかな?」と思うような歌詞で構成されています。
また、しぐれうい氏の普段の配信スタイルも、オタクっぽいコメント欄の視聴者にむしろ辛辣なことで知られています。
バーチャルVTuber文化に疎い人が想像するような、オタクをよしよし全肯定するような立ち位置とは、しぐれうい氏は距離を取っているわけです。
「未成熟なものを愛でる」という視線それ自体が厳しい
しかし、そのようなオタク的要素を切り離しても、そもそも「メゾピアノを『かわいいもの』として愛でる」という、平成レトロに沿った消費の仕方が、当時メゾピアノを愛好していた女性たちにとって許しがたいという側面も存在します。
「かわいい」という眼差しに未成熟のものを愛でるという要素が存在することからも明らかなように、あるものを可愛いとするとき、可愛いとされるものはあくまで客体であり、それをかわいいとする主体は、自分のほうが上に立っています。
しかし、その視線のあり方って、まさにメゾピアノが勃興する前の「親がかわいいと思うものを子どもに着せる」という点で、メゾピアノを愛好してきた女性たちが戦ってきたものなわけです。
誰かから眼差される「かわいい」ではなく、自分自身が好きなものを着たい、それこそが、メゾピアノが当時の女性たちに強く支持された理由なわけです。
それが、現代の平成レトロ的な消費においては、メゾピアノを着てもいない他者から「これってかわいいよね」と眼差されてしまう。それ自体が、当時メゾピアノを愛好してきた人たちからは許せないわけです。
それぞれに「正しさ」があるということ
しかしそうは言っても、メゾピアノというブランドをこれからも育てる側からすると、いつまでも「当時メゾピアノを愛好していた人」だけを対象にした商売をやっていたらジリ貧なわけで、メゾピアノというブランドが持つ普遍的なかわいさを信じて、市場開拓を行っていくというのも、至極当然なわけです。
しかしその、ブランドにおいては当然の行為が、メゾピアノというブランドに思い入れを持つ身からすると、自分たちの思い出が「かわいい」という目線に汚されるような屈辱感につながる。
一方で、新しくメゾピアノというブランドを知り、「かわいいな」と思ったり、自分がコラボすることでもっと世間に広まるようになればいいなと思う人達からすると、そういう既存のメゾピアノ愛好者はあまりに排他的で、「なんで自分たちがメゾピアノを独占できると思うんだ」という不満につながる。
正直これらの感情は、どれだけが正しくてどれだけが間違っているとはいえず、全て正しいものだと思うんですね。だから、正直どうすればもっとよかったのかとかは、わかりません。
ただ、「自分たちと対立する側にも、こういう正しさがあるんだ」ということがわかっておくことは、重要だと思うので、この記事を記しました。


