あままこのブログ

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おたくは「おたくの時代」を求めていたのか?―『「週刊SPA!」黄金伝説』感想文

こんな本を読みました。

この本は、『週刊SPA!』の創刊時からの編集者であり、三代目編集長となったツルシカズヒコ氏の、1988年~1995年のSPA編集部の様子を描いた回顧録です。

そして、その内容は大きく分けて

  • 月刊OUT』の編集者からSPAの編集者となり、「おたく」と「ニューアカデミズム」の二枚看板で雑誌のカラーを決めていった88~92年
  • 3代目編集長となり、部数が増えていく中で起こるトラブル(主に広告と小林よしのり絡み)への対応に忙殺され、やがて編集長を解任される93年~95年

の二つの時期に分かれるわけです。

このうち、後半の時期に対しては、正直急成長したメディアでよく起きるゴシップだよなという感じで、スキャンダルに興味があって、『噂の真相』とか『創』とかを読んでいる人なら面白いんでしょうが、僕的にはそんなに面白くありませんでした。
というか、おそらくツルシ氏もこのころの編集長としての仕事はそんなに面白くなかったみたいで、筆致もとにかく淡々と、起きた事件を時系列に沿って書いているだけという感じなわけです。

ですがそれに対し、前半の、一編集者としてさまざまな特集記事をSPAで編集していたころの記述はなかなか面白いんですね。前身である『週刊サンケイ』をバッサリと切り捨て、一から「どんな方向性で行こうか」と模索していく時期は、ツルシ氏も筆が乗っているのか、なかなか面白いわけです。

ポスト団塊の世代をターゲットにしたSPA

当時既に数多く週刊誌があるなかで、まず当時のSPAは、既存の週刊誌ジャーナリズムは団塊の世代のものであり、それに対し自分たちはポスト団塊の世代をターゲットにするという、世代間闘争を掲げた雑誌でした。

週刊誌の打開策のひとつが、ニュース型から企画型への移行だった。渡辺体制になりつつあった『SPA!』も企画型週刊誌を目指していた。

SPA!』のリニューアルのポイントは読者層を30歳前後のビジネスマンに絞り、誌面の柱をビジネスとライフサタイルとコンパクトなニュースにしたことである。たとえば「さらば団塊の世代よ!30歳がこれからの時代をリードする」(88年11月24日号)という特集だった。

「さらば団塊の世代よ!」は団塊の世代代表として立松和也(作家・41歳)や新井将敬衆議院議員・40歳)がコメントし、中沢新一東京外国語大学助手・38歳)がアンチ団塊の世代の立場でコメントしている。

(中略)

団塊の世代より若い読者層向けの週刊誌を目指していた渡辺さんにとって、中沢さんの登場は強力な援護射撃だったはずだ。それは団塊の世代を意識していた既成の週刊誌ジャーナリズムに対する、渡辺さんの闘争宣言でもある。

ツルシカズヒコ、2010『「週刊SPA!」黄金伝説』朝日新聞出版、p56

そして、その闘争宣言の旗印となったのが、中沢新一に代表されるような「ニューアカデミズム」と、中森明夫宅八郎に代表される「おたく」だったわけです。

宅八郎」とSPAは、おたくを肯定していた―少なくとも、当事者たちはそう考えていた

現在多くの人が信じているおたくについてのイメージの変遷においては、宮崎勤以降おたくはマスメディアから総叩きにされ、2000年代『電車男』などがブームになるまでずっと日陰の存在だった、とされています。

ところがこの本によると、確かに多くの週刊誌はおたく叩きをしていたが、SPAはむしろおたくの味方だったというのです。そして、それによってSPAは一般週刊誌と差別化が出来たというのです。

SPA!』の大きなターニングポイントになったのは、中森明夫大塚英志の緊急対談「宮崎勤クンの部屋は僕らの世代共通の部屋だ!」(89年9月20日号)だった。

宮崎勤が逮捕されたのは89年7月23日、宮崎が殺害を自供して女児の遺体が発見されたのは同年8月10日である。対談は宮崎勤の幼女殺人と宮崎的な趣味趣向を同一視するメディアと、その論調を補完している全共闘世代批判だった。

(略)

この対談は中森が大塚に持ちかけて実現した確信犯的な企画なのだが、その企画にゴーサインを出した渡辺さんの英断も評価すべきだと思う。それは宮崎勤バッシングに終始する一般週刊誌への宣戦布告であり、ポスト団塊の世代を意識した誌面作りの表明だった。

ツルシカズヒコ、2010『「週刊SPA!」黄金伝説』朝日新聞出版、p65-66

そしてこの頃からSPAは、ツルシ氏と矢野守啓氏(後の宅八郎氏)のタッグにより、おたく記事をどんどん掲載していくわけです。

激動の平成元年が暮れ、年が明けた。正月気分がまだ覚めやらない頃、神田神保町交差点近くの「珈琲館」で矢野くんと会った。彼が書いてきたカラー特集の企画案を見せてもらった。展開が即座にイメージできる企画内容だった。

(略)

「緊急大特集 ひそかな巨大ネットワーク&パワー 『おたく』が世紀末日本を動かす」(90年3月7日号)は、カラー16頁の特集だった。矢野くんが書いた総リードは――。
〈'90年代は「おたく」じゃないと生き残れない!? 「おたく」叩き(バッシング)は大マチガイだった! 高度情報化社会の申し子。新人類を超える怪獣人類「お・た・く」! '80年代の情報洪水から生まれた彼らは21世紀のプロトタイプだ。ハイパー情報を支え、コントロールするエリート怪獣たち。いつの間にか巨大化した「おたく」パワーとネットワークを大研究!!!〉

ツルシカズヒコ、2010『「週刊SPA!」黄金伝説』朝日新聞出版、p74-75

そしてこの企画は好評であり、当時の編集長である渡辺直樹氏は、この企画について聞く雑誌にこうコメントを寄せているわけです。

渡辺さんは90年10月号「ヒット企画の検証」に、この特集に関するコメントを寄せている。

「それまで、おたく=クライ→不気味→危ない→M君事件とつねに短絡的にマイナスイメージでとらえられていたものに対して、はじめて肯定的な光を当てた企画として予想以上の反響を呼び、その後も現在にいたるまで、さまざまなメディアからとりあげられるようになりました。それとともに、世紀末日本の異才・宅八郎氏のデビュー作としても記録に残る号になるでしょう」

ツルシカズヒコ、2010『「週刊SPA!」黄金伝説』朝日新聞出版、p80-81

つまり、当時のSPA、そしてSPAが世に出した宅八郎氏には、明確におたくを肯定する意図があったわけです。

メディアとおたくのすれ違い―「ユニーク」を求めるか「普通」を求めるか

しかしこのように、当事者の口から明確に、SPAや宅八郎はおたくを肯定する者だったと言われても、どうも納得しがたい部分があります。

僕は、1987年生まれなので、宅八郎氏は田中康夫氏に粘着ストーカーしていた頃しか知らないのですが、宅八郎氏がメディアで活躍していたころのイメージについて、おおくの年長おたくは「おたくを馬鹿にする奴だった」ということを語ります。

曰く「テレビでフィギュアをべろべろ舐め回しておたく=気持ち悪いというイメージを植え付けた」「あいつはおたくのモノマネ芸をやっていただけで、本当のおたくではない」「おたくバッシングをするマスメディアの回しもんだ」etc...

つまり、やっている当人たちはおたくを肯定する意図があったにもかかわらず、おたく本人たちはそれを嫌悪していたわけです。このすれ違いは一体なぜ起きたのか?

僕がその大きな要因として考えるのが、「何をもって自分が承認されていると感じるか」についての、文化エリートと大衆との間の大きな価値観の違いです。前者は自分を「ユニークな存在」として認められることをとにかく大事にするが、後者は「普通の存在」として見てほしいという、違いがあるのです。

宅八郎氏や、SPAの編集部にいたような人たち。もっと広く言えば、メディア産業に関わったり、文化の最先端にいるひとたちにとって、重要なのはとにかく「ユニークな存在として目立つこと」なわけです。だから彼らは、おたくを肯定しようと考えるときに「おたくってこんなにユニークで面白い存在なんだよ」ということを強調する。先の引用でおたくは「怪獣」に例えられていますが、怪獣のように強大な能力があるんだぜと社会に示せば、社会はおたくを肯定的に見てくれるだろうと、そう考える訳です。

ところが、そのようなメディア産業や文化の最先端とは関係なく、またそういう場所を目指しているわけではない多くの大衆にとっては、重要なのはむしろ「普通な存在として目立たないこと」なのです。特に、学校においていじめの対象になりやすい、スクールカースト下層に位置づけられていた普通のおたくにとって、望むことは「変なものを見るようないじらないで、放っておいてほしい」ということだったわけです。自分たちおたくも、別に普通の人間なんであり、特段ユニークで注目を浴びるべき存在ではないんだと、多くのおたくは認識してほしかったわけです。

そして、前者のような文化エリートからすれば、後者のような「普通の存在」でいたいという願望は理解出来ませんし、一方後者のような大衆からすれば、メディアにおいておたくが特別視されることは、例えそれが肯定の意図を持っていたとしても、迷惑に感じてしまうのです。

どっちが正しいとかではなく、「ユニークでいたい」「普通でいたい」という欲望の違いを理解することの重要性

そして僕が思うに、このような文化エリートと大衆のすれ違いは、おたくに限らず、社会のあらゆる領域で起きていることなわけです。BL・百合の研究者と愛好家の間でコンフリクトが生じたり、全国チェーンに席巻されていない地方の独自性を賞賛する研究者に対し、地方に生きる大衆はむしろ積極的にファスト風土化を望んだり……

特に僕なんかは、割と文化エリートに憧れるワナビーな側面があるので、何かを肯定しようとするとき、ついつい「それがいかにユニークか」を語ることによって愛を示そうとしてしまうわけですが、中には「ユニークである」と言われることを否定的に捉える人もいる。というか世間的にはむしろそっちの方が多いわけです。

ここの欲望の違いを理解するかしないかで、大分もめ事に遭遇する確率は変わるのではないか。そして、多くの人がこのように、人によって抱く欲望が異なることを知れば、世界から大分コンフリクトは少なくなるのではないか。そんなことを、思うのです。