2024年10月27日に投開票が行われる衆議院選挙。
いままでも僕は選挙のたびに色々記事を書いてきました。
amamako.hateblo.jp
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ある時は選挙に行く意義を考えてみたり、ある時は特定の政党を支持してみたり、またある時は選挙の不健全さを嘆いてみたり……
ただ今回は、正直「選挙」というところに焦点を合わせた記事を書く気がしません。それは、前回の記事で書いた通り、現在の選挙、そして選挙についてインターネットで語ることに、強く嫌悪を感じるからでもありますし、昨今の政治ショーがあまりにバカらしすぎるという理由もあります。
なので今回は、選挙というイベントから離れて、「政治というのはどのように考えて行動すべきか」というところに焦点を当てた、記事を書きたいと思います。
僕は政治においていまだに「右」と「左」にこだわる
「この2024年にもなって、まだそんなこと言ってるの?」と言われるかもしれませんが、僕はこの2024になっても、政治においてはいまだ「右か左か」、つまり右派か左派かが重要だと思い、それに基づいて発言・行動する人間です。
多くの政治家に限らず思想家・知識人は、左右対立なんてものは冷戦崩壊と共に終わったものだと言います。
イデオロギーに基づいて政治を考えるなんていうのはもう古い、世の中には一つの対立軸だけで考えられないぐらい多種多様な問題があるのだから、「どのようなイデオロギーに基づいて政治を行うのか」を考えるのではなく「具体的に政治で何を実現するのか」こそが重要であると。
そして、そのような立場からすると、「実現したい政策は同じだけどイデオロギーが違うから支持できない」という意見は、政治の場においては敵を利するだけの有害な考え方となるのでしょう。
しかし、そのような声に対し、僕はこう考えます。
たとえその時点で良い政策が行われたとしても、大事にしているもの=イデオロギーがずれてしまえば、結果として自分が大事だと思うものが損なわれてしまうでしょう、と。
右と左の違いとは「何を大事にするか」の違い
右と左、あるいは保守と革新というイデオロギーの違いは、簡単に言えば「何を政治においてもっとも大事にするか」であって、そしてそこでそれぞれは次のように考えます。
- 右派・保守:集団(国家・民族)
- 左派・革新:個人
極端に言うならば「国家や民族が生き残って栄えるためなら、個人が殺されたり不幸せになっても構わない」と考えるのが右であり、「個人が生き残って幸せになるなら、国家や民族が衰退したり滅んでも構わない」と考えるのが左です。
そして僕はこの二つの立場の内、左側を支持します。もちろんそれとは違い、世の中には右側を支持する人もいるわけです。ただ「集団か個人か」という問いが二者択一である以上、そこには本来中立・中道なんてものは存在しないわけです。
「何を大事にするか」こそが、政治では重要
しかし上記のように書くとこう反論してくる人がいます。
- 「でも右派の人だって、国家が栄えるためには個人を大事にしなきゃならないんなら、国民を大事にするでしょ」
あるいは
- 「左派の人だって、国家によって個人の幸せが守られるなら国家を守ろうとするでしょ」
と。
それはもちろんそうです。通常時においては、国家の繁栄と個人の幸せは重なるし、それ故イデオロギーが全然異なる人々の主張でも、具体的な個々の政策については支持ができたりします。
ですが、それはあくまで通常時、言ってみれば政治的な介入がなくても、現状の官僚システムで問題が解決する場合のことです。
そうでない、今までの時代には無かったり、今までは見過ごされてきた問題が顕在化した時に、「何を大事にするか」という問いが重要になってくるのです。そして、政治が真に重要な場面とは、そういう「これまでのやり方ではうまくいかず、何かする必要がある場面」、つまり非常時なのです。
そして、このような非常時は、実は頻繁に訪れます。選択的夫婦別姓問題だって、非常時の一つです。今までの「夫婦は必ず同姓であるべき」というシステムに対し反発が起こり、政治的に何かしなければならないという時、「何を大事にするか」が重要になり。
- 夫婦同姓の家制度を続ける国家の伝統
- 同姓か別姓かを選択できる個人の自由
の二つのうち、どちらを犠牲にしてどちらを守るか選択しなければならなくなるのです。*1
「何を大事にしているか分からない」中道こそが最も恐ろしい
そして上記のような観点から僕は、「中道」とか「穏健」とかいう立場こそが、政治においては最も危険な立場であると考えるわけです。
なぜなら、「何を大事にしているか明確でない=何をするか分からない」ということだからです。
右派にしろ左派にしろ、大事にしているものが明確な場合、少なくとも「その政治が何のために行動するか」ということは予想できます。ところが中道だったり「保守と革新(あるいは「リベラル」)両方に配慮します」とか言ってる人・勢力は、その二つのどちらを大事にするか迫られた時、行動が予想できません。極端なことを言えば、集団と個人両方をないがしろにし、全てを破壊することだってありうるわけです。
もちろんこのような僕の考えとは反する人もいるでしょう。というか、僕のような考えが少数派だからこそ、世の中の多くの政治勢力は「中道化」するわけで。
ただ僕は、上記のような考えから、「中道」、「穏健」、「右も左も関係ない」とか言う人たちを信用せず、いまだに「右」と「左」にこだわる、オールドタイプを貫きたいと、思うのです。