あままこのブログ

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いわゆる「MBTI性格診断」はなぜ流行っているのか

「MBTI性格診断」という、人間の性格のタイプを16個に分類するタイプの性格診断が、最近インターネット上で主に若年層に流行しています。

実際SNS上で「MBTI」と検索すると、多くの人が自分や、自分が好きなアイドル・配信者(いわゆる「推し」)のMBTIを書いていたり、また「自分の推しはMBTIだとこの分類じゃないかな」と予想していたりします。
search.yahoo.co.jp
このMBTI診断、元々は韓国で流行したものらしく、K-POPのアイドルたちがよく自分の診断結果を発表したことから、日本のK-POP好きに広がり、そこから日本でも流行するようになりました。
2022年12月には、「SHIBUYA109 lab.トレンド大賞2022」の体験部門銀賞にもなっています。
xtrend.nikkei.com
ただ、僕がこの診断を知るきっかけになったのは、僕が好きな「にじさんじ」というVTuberグループの人々が、配信でMBTI診断をやるようになったからだったりします。
www.moguravr.com
kai-you.net
実際、にじさんじについての情報を多くまとめている非公式wikiには、配信者たちのMBTI診断結果が数多くまとめられていますし、*1
wikiwiki.jp
配信者の中でもとりわけ有名な月ノ美兎さんが、MBTI診断のまとめや、それに関する企画動画を挙げていたりします。
youtu.be

インターネット上での「MBTI診断」の流行に警鐘を鳴らす一部学者もいる

しかしその一方で、このような「MBTI診断」の流行に対し、あまり良く思っていない人々もいます。
例えば日本MBTI協会というサイトは、インターネット上で受けられる、いわゆる「MBTI性格診断」について以下の様に批判しています。
www.mbti.or.jp
そして、『性格とは何か』

という本を出している心理学者の小塩真司氏も、上記のリンクに賛同し

MBTIそのものの是非を論じる前に、このリンクをずっと貼っておきたい。君らはネット上で何を受けているのか、と。

と述べています。


上記のサイトで言われている、インターネット上でのいわゆる「MBTI性格診断」への批判の要点は以下の点です。

  1. いわゆる「MBTI性格診断」で自分や相手の性格を決めつけることによって傷つく人も居る
  2. MBTI性格診断は十分な知識・経験を積んだカウンセラーによってしかできないもので、インターネット上で簡易的に診断できるものではない。
  3. 18歳未満の未成年はまだ自我が未成熟なのだから、このような診断によって自分の性格を決めつけてはいけない。
  4. 「MBTI」という単語は私たちの商標であり、私たちに独占的に使う権利があるのだから他人はこの単語を使ってはならない。

このうち、1~3番目の批判は、確かに「そうかもしれない」と思うものであることは、事実です。

(※ただ、4番目について言うと、アカデミズムの分野では、理論というのは公開され反証可能性に晒されなければならないものであるはずで、それの使用を「商標」という形で独占することはちょっとありえないのではないでしょうか。
例えば僕は社会学を研究しましたが、AGIL理論とかエスノメソドロジーといった理論やタームが商標で使用を禁止されたら、学問自体がおかしなものになってしまうわけで。
自分たちとは異なる考えをもつ人たちにたいして、「商標」という法的規制によってその口を封じようとする日本MBTI協会の態度は、研究倫理に大きな問題があるのではないかと、僕なんかは思います。)

ですがその一方で、では一体なぜそのような問題をはらんでいるにもかかわらず、インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」がはやっているのでしょうか。
そして、そうやってインターネット上の「MBTI診断」がはやる一方で、本物のMBTI性格診断や、その他の性格診断がはやらないのは一体なぜなのでしょうか。

人々は「いわゆる『MBTI性格診断』」に何を求めているか

それについて考えるために、実際にインターネット上で行われている、いわゆる「MBTI性格診断」を受けてみることにします。

インターネット上で多くの人が受けているのは、16Personalitiesというサイトの性格診断です。
www.16personalities.com
実際、上記であげた配信者たちも、殆どがこのサイト上で性格診断を行っています。

そして、受けた結果僕はINTP-A(論理学者)と診断されました。
www.16personalities.com
まあ、別に僕の診断結果それ自体はどうでもいい話ですが。

重要なのはこのサイトにおける設問と、結果に対する説明です。実際にこのテストを受けていて思ったのは「この診断はかなり『対人関係のなかでの自分』について問い、それについて説明する部分が多いな」ということなんですね。
実際、サイト上で問われる設問は60問あるのですが、そのうち25問は、以下に列挙するように「他人の存在や行動、コミュニケーションについてどう思うか」について問う質問なのです。

  • 定期的に新しい友達を作る。
  • 他の人が泣いているのを見ると、すぐに自分も泣きたくなる。
  • 社交の場では自ら進んで新しい人に挨拶しにいくことはほとんどなく、すでに知っている人と話すことが多い。
  • 自分が興味のある人のところに行って話しかけるのは簡単。
  • 会う人に好印象を残すかどうかは、ほとんど気にしない。
  • グループで何かをするのが好き。
  • 自分が何かをやりとげるより、周りの人が何かをやりとげるのを応援することで幸せを感じる。
  • 複数人で何かをする時、リーダー的役割は避ける。
  • 人が口論するのを見るのが好き。
  • 注目を浴びないようにしている。
  • 自分より効率が悪い人がいると我慢できない。
  • 一人でいるより、人と一緒にいる方が好き。
  • 議論がとても理論的になると、退屈に感じたり興味を失ったりする。
  • 自分とは全然違う経験をした人の気持ちを難なく理解できる。
  • とても疲れる1週間を過ごした後は、にぎやかな社交の場を楽しみたい。
  • 人の気持ちを理解するのは難しいとよく感じる。
  • 電話はかけないようにしている。
  • 自分と違う考えを理解するために、よく多くの時間を費やす。
  • 友人間で、まず誰かに連絡して何か提案するのは自分である場合が多い。
  • 誰かに非があっても、その人が周りに悪く思われないように私は細心の注意を払う。
  • 誰かに高く評価されると、その人が自分に落胆するのにどれくらい時間がかかるか考えてしまう。
  • ほぼいつも一人で作業する仕事につけたらいいと思う。
  • 静かな隠れ家のような場所より、人が沢山いて賑やかな雰囲気の方が好き。
  • 一目見ただけで、その人の気持ちが分かる。
  • 自分より他の人の方が必要としているなら、いいチャンスも逃す。

そして結果に対する説明文も、以下の様にかなり「こんな性格のあなたがは、他人にどう思われるか」、「どう他人と付き合っていけば良いか」の説明に割かれているのです。

一見すると、絶え間なく空想の世界に浸っている——そう見えるかもしれません。論理学者は客観的かつ若干控えめで、よく物思いにふける人として知られています。ただし、自分のすべての心的エネルギーを目前の“瞬間”または“誰か”に向けようとすることもあり、そんな様子に周りの人は少し違和感を覚えることもあるでしょう。いずれの状態でも論理学者は内向的なので、人との接触が多いと疲れを感じる傾向があります。長い一日の最後には、自分の思考と向き合うひとりの時間を求めるでしょう。
(略)
論理学者は「宇宙のすべてを理解したい」と望んでいますが、特に不可解だと思っている分野が一つあり、それは“人間性”です。論理学者という名前が示すように、論理と合理性の領域に最も慣れている人たちなので、“人間の感情が自分も含めた人々の行動に非論理的な影響をもたらすこと”に当惑する場合もあります。
かといって、論理学者が無情なわけではありません。友人や愛する人たちを精神的に支えたいと心から思うのですが、どうしたらいいか分からないこともあるでしょう。最も効率・効果的にサポートする方法を決められないので、声をかけたり、行動したりするのを見送ってしまうこともあるのです。

そして、上記のような特徴から、インターネット上では、以下のサイトのように「MBTI性格診断のタイプ毎の相性」という情報も多くあるわけです。
motivation-up.com
記事の冒頭で挙げた月ノさんの動画も、このような相性の情報に基づき「自分と相性最悪なライバーと会話してみよう」という企画内容でした。

このような点から、インターネット上でのいわゆる「MBTI性格診断」は、他人とのコミュニケーションの際に参考にされやすいよう設計され、また利用者もそのような用途で利用することが多いと言えます。

そして更に言うと、このように他人とのコミュニケーションについて割く割合が多いことにより、インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」は、「自身の絶対的な傾向」ではなく、「周囲との関係における自分の相対的な傾向」を問う設計となっています。
例えば以下の設問について考えてみます。

会う人に好印象を残すかどうかは、ほとんど気にしない。

この質問に対して僕は強く同意しました。しかしそれは、要するに僕が「会う人に好印象を残すかどうか」をそんなに気にする必要が無い状況にいるからそう言えることなわけです。
僕がもし「会う人に好印象を残さないと自分の生存が危うくなる」ような状態だったら、例え僕の性格が全く変わらなくても、僕はこの設問に強く同意することはできなくなります。

インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」は、サイトが宣伝文句とするような「自分の本性を暴くもの」というよりは「自分が今現在他人との人間関係においてどういう位置を占め、それについて自分はどう思っているか」を整理して確認させるものなのです。

インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」と、その他の性格診断の違い

これらの特色を、インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」ではない、普通の科学的な性格診断と比較してみましょう。
対比点をまとめると以下の様になります。

  1. 科学的な性格診断:診断対象そのものの本質を診断⇔いわゆる「MBTI性格診断」:診断対象が、その周囲とどんな関係を持っているか診断
  2. 科学的な性格診断:診断対象の(全人類における)絶対的位置を診断⇔いわゆる「MBTI性格診断」:診断対象の(自分の身辺における)相対的位置を診断

まず、1点目についてですが、科学的な性格診断は、あくまでその人本人の性格を明らかにするものです。例えばビッグファイブと呼ばれる性格特性の分類では、性格の因子を

  • 協調性
  • 誠実性
  • 外向性
  • 神経症傾向
  • 開放性

の5分類に分け、それぞれの強弱からその人の性格を記述します。そしてこれらの5因子の強弱は、その人の周りにどんな人がいるかとは関係ない、その人の本質な訳です。

ところがそれに対しいわゆる「MBTI性格診断」では、その人が今現在どんな人々の周りに居るかによって診断結果が大きく変わります。つまり、診断対象の本質ではなく、診断対象が、その周囲とどのような関係を持っているかを明らかにするものなのです。
ですから、厳密な意味ではそもそも「性格診断」とは言えないのかも知れませんが、しかしそうであるが故に、多くの人は、いわゆる「MBTI性格診断」を役立つと感じているのです。

次に2点目について。科学的な性格診断は、性格というものを科学的に測定しようとします。そして科学において重要なのは「追試ができること」です。ある対象を測定する時に、その測定する対象が同じであれば、他のどんな状況が変化しても同じ結果が出なければ、科学ではないのです。
ですから、科学的な性格診断においては、状況依存的な要素は極力排除した上で性格診断を行おうとします。そのために、設問自体に状況依存な設問が加わらないように設問が設計されたり、カウンセラーとの個別面談という、普段暮らしている状況と隔離された場面を設定して、そこで診断を行おうとするのです。

一方インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」は、そのような科学的制約は一切無視されます。設問自体にも、上記で挙げたように状況依存な設問が多々含まれますし、パソコン・スマホ上から簡易的に受けることができるため、大いに周辺の状況に影響を受けます。
記事の冒頭で、配信者の間でいわゆる「MBTI性格診断」の様子を配信するのが流行していると書きましたが、配信者の中には、答えに窮する設問があったとき「私はこれどう答えた方が良いと思う?」と質問する配信者もいます。これは、科学的な性格診断をしようとするものなら卒倒してしまうような態度でしょう。

ところが、そのようにいい加減な診断であるが故に、いわゆる「MBTI性格診断」は、その診断対象が、周囲との間でどのような相対的位置を占めているかを明らかに出来るという利点があるのです。上記の配信者の例で言えば、視聴者に「私はこれどう答えたら良いと思う」という問いを投げかけることによって、配信者は自らが視聴者からどのように思われているかを把握できるのですね。そして、そのような形で設問に答え導き出される診断結果は、「自分(配信者)が周囲(視聴者)にとってどういうイメージを持たれているか」ということを把握するのに、極めて有用な情報ソースとなるのです。

以上の様な点において、いわゆる「MBTI性格診断」は、その他の科学的な性格診断とは違う有用性があり、故に多くの人に流行しているのではないかと、僕は考えるわけです。

いわゆる「MBTI性格診断」が求められる社会的背景

そして更に言うと、このいわゆる「MBTI性格診断」独自の有用性は、現代社会における問題、とくに若者が抱える問題への対処に、極めて役立つものとなっているのです。

そもそも近代社会においてなぜ「性格」が重要視されるようになったかといえば、「自由に生きられるようになった中で、どうやって自分が生きれば良いかわからなくなった」という、アイデンティティの問題が、近代になって出てきたからです。

前近代的社会においては、武士の子どもは武士、農民の子どもは農民というように、自らの生まれによって自分の人生が決定づけられてきました。しかし近代になると、自分の将来は、一定の制限はあれど自分で選択する余地が生まれたわけです。そこで「では自分はどのように生きればいいか」を考える情報ソースとして、性格診断が求められるようになっていったのです。そして人々は、性格診断や、あるいは教養小説などを情報ソースにしながら、自らの「天命(天職、calling)」を決めて、それに従ってアイデンティティを形成してきたわけです。

ところが近代も後期に入ってくると、社会が流動化するなかで「自分が何者であるか」ということも不安定になっていきます。例えば「自分は手先が器用で内向的だから職人として生きていく」と決めても、その職人という職業自体が社会の情勢変化によってなくなってしまうかもしれない。そんななかで、固定的に「自分はこんな存在である」と決め打ちしてアイデンティティを形成するのは、むしろリスクとなってくるわけですね。

そのような後期近代の社会においては、「自分は何者であるか」というアイデンティティの問題より、「自分はどう周囲と付き合っていくか」というコミュニケーションの問題の方が重要となります。もっと言ってしまえば、「自分が何者であるか」ということ自体が、「そういうキャラでいけば、周囲と円滑な人間関係を営める」というように、コミュニケーションの一手段となっているわけです。

日本MBTI協会は、インターネット上のいわゆる「MBTI性格診断」について、「自分や相手の性格を決めつけるのはよくない」といいます。しかしこれは、「自分が何者であるか」が先にあり、それを実現するための手段としてコミュニケーションが行われていた、近代の初期なら通用する理屈だったかも知れませんが、コミュニケーション自体が目的化した後期近代においては、「自分や相手のキャラがふわふわした状態であるが故にコミュニケーションに支障を来すのなら、決めつけで良いから自分のキャラを決定してしまいたい」という切実な必要を無視した、単なるお題目に過ぎなくなるのです。

(ここらへんの後期近代の問題や、コミュニケーションの目的化、「キャラ」としての自己規定という問題に関心がある人は、以下の参考文献などを参照することをおすすめします。

いわゆる「MBTI性格診断」の有用性を認めた上で、いかにそれを乗り越えるか

重要なのは、いわゆる「MBTI性格診断」を頭ごなしに否定することではなく、いわゆる「MBTI性格診断」の有用性を認めた上で、いかにそれを乗り越えるかなのです。

そして、それの大きなヒントとなるのが、実は記事の冒頭にあげた月ノさんの動画なのですね。
この動画において月ノさんは、いわゆる「MBTI性格診断」を受け、そこで自分の性格を診断した後、結果に基づいて相性が最悪とされる別の配信者(鈴木勝くん)に電話をかけます。

そして実際、その会話はとてもギクシャクしたものとなるわけですが、しかしそのギクシャクさそのものが、動画におけるエンターテイメントとなるわけですね。

そして会話の最後において月ノさんはこう言うわけです。

でもわたくしは、確かに鈴木さんは価値観は結構違うんだろうけど、新しい考え方知れて勉強になったって思ったので
わたくしは、相性悪くないと思います(願望)

僕はここにこそ、日本MBTI協会が危惧するような、いわゆる「MBTI性格診断」の危険を乗り越える方法があると思うのですね。

つまり、いわゆる「MBTI診断」の結果を頭ごなしに否定するのではなく、それを一旦受け入れた上で、「でも相性が悪いとされる人間とコミュニケーションを行うことも、面白いよ」ということを示すことにより、いわゆる「MBTI性格診断」で人の性格を決めつけて「あいつとは相性悪いから付き合わないでおこう」とするのではなく、「相性悪いんなら、むしろそれを前提に付き合ったら面白くならない?」と発想の転換をするのです。

もちろんこれに対し「そんな解決は月ノさんのようなコミュニケーション強者だからできることで、一般には適用できない」という批判があるかも知れません。ですが少なくとも僕は、日本MBTI協会のように頭ごなしにいわゆるMBTI性格診断にはまる若者を否定するお説教をするよりも、こういう月ノさん的な寄り添いこそが、より説得的な方法なんではないかと、思わずにはいられないのです。

*1:というか、最初にまとめたの僕だったりするけど。