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レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ2

レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ1 - 斜め上から目線
レイプゲーム規制問題について「まじめに」考えるためのまとめ3 - 斜め上から目線

2.レイプエロゲーが差別的、あるいはそうでなくても何かの社会的問題があるとされるとき、それに人々はどの様に対応すべきか

次に、レイプエロゲーが差別的、あるいはそうでなくても何か社会的な問題をはらんでいたとした場合、それにどの様に社会は対応すべきなのか、という問題について。
今までの議論では、レイプエロゲーが全くの無問題であるということは、少なくとも言えないと言うことが是認されました。もちろんその一方で、では具体的にどのような問題なのかということは断定できないわけで、それによってきっと対応も決めるべきでしょう。しかし、だとしても「どの程度の問題とするならばどの程度の対応をすべきなのか」ということは考えられる筈です。

法的規制

例えば増田では次のような意見で、法的規制を望む声があります。
某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

必要な人がいるならアングラなところに置いておけばいいじゃないですか。

元増田です

「アングラ」って言葉もあまり意味を考えずに使った(というか、=非合法っていう意味だって知らなかった)。すみません、「目につかないような場所」程度の意味で書きました。
でも、もっとアングラって具体的にはどんなんだろ?と言われて、確かにそうだなぁと思って考えてみて、うーんソープとかパチンコともちょっと違うし、と思って、あ、そうだ、自分の感覚に合うものというと大麻とかがちょうどそんな感じでした。
しかも元記事読み返したらその単語書いてありました。だから実はそんなに誤読でもなかった。ごめんね。
私はマリファナに興味ないけど、たぶん知人の知人くらいは経験あるんじゃないかなあ。犯罪だよーとか言いながらそんなに深刻な感じでもなく話ができて、いざ興味を持ったら手に入れる方法は調べることができて、でも私自身はそういうこと知ったらあんまり仲良くなりたくないな、知人に留めておきたいな、とかそんな感じ。
どうしたいんだろう。たぶん、基本的に非合法というのが安心するんだと思います。

要するに本気で禁止するための法規制ではなくて、あくまで「社会はそのようなレイプゲームを許さない」という意思表示のための非合法化ということです。
実際、マリファナはどうかはちょっと知りませんが、例えば未成年の飲酒喫煙、あるいは交通法規など、世の中には「法で禁止されているけれど、守られていないこと」というのは沢山あります。そのような物の中に、レイプゲームも入れるべきではないかと、そうこの増田さんは語るわけですね。
しかしそれは、出来ればいいのかもしれないけど、ちょっと難しいなと感じるわけです。何故なら、ある法律があった場合、その法律を弾力的に運用するか(未成年の飲酒喫煙や軽微な交通違反に対する態度)、厳格に運用するか(例えば殺人を見逃す警察は居ない)というのは、警察と検察の運用次第になってしまうんですね。そして、法ではあくまで「禁止」となっていますから、それが厳格な運用となったとしても市民は文句を言えないわけです。
だからアングラのようなぬるい非合法化というのは、警察に権力の行使できるエリートが志向するならまだしも、警察の法運用に一々口出しできない市民である私たちには、そもそも望めないことなのではないかと、僕は考えます。
故に、もし法規制について論じるのならば、やはりそれが厳格に適用されるという前提の上で議論するのが良いのではないでしょうか。
そして、その上で、ではどのようなレイプゲームなら規制されるべきなのか、論者の見解は様々です。
404 おさがしのページは見つかりませんでした - はてなハイク

1 表現の自由に「優越的な価値」があるのは、話し、書き、描き、歌う、という表現行為〜相手に伝えることまで含む〜が「個人の自己実現」に不可欠であること、それが民主主義的な政治過程の実現と維持に欠かすことができないこと、による。
2 そのイデオロギー上の根拠になっているのは「思想の自由市場」という考え方。要するに、合理的な判断は、少数派の、あるいは気にくわない、または醜悪にみえる議論も排除することなく、自由に議論をすることによって達することができるんですよ、というやつ。
3 だから、表現の自由の規制は、慎重にやんなさいよ、やるなら重大かつ深刻かつ切実な利益を守るために、必要最小限の手段でやりなさないよ、とされている(学説のうえでは。)。
4 初歩的な憲法の教科書では、たいていそのあたりでとまっていて、また、それぐらいまでは世間的にもきちんと理解されないと困るのだが、問題はそこから先。
表現行為の中には、ぶっちゃけ、「民主主義的な政治過程の実現と維持」に関係ないし、どうみても「合理的な判断」に達するのに、こんな意見いらんだろ、というのがある。
(略)
6 エロゲー規制の話しで、「規制に反対!」という弁護士さんと、「これ規制されても仕方ないんじゃないの」と思ってしまう一般の人でかみ合わない面があるとしたら、前者は1〜3の話しをして4に進まず(「実際の犯罪増えないじゃん」というのは、誰かが実際に物理的な被害にあったんじゃなければ、「重大かつ深刻かつ切実な利益」を守るための規制ではないだろ、ということ)、後者は直感で4の話し(「女性差別」につながる、というのはまさにそのとおりだし、政権批判にくらべればエロゲーの価値が民主主義に関係ないのもそうでしょう。)をしているということ。かっこ内のことは、よほど原理主義的な人は別として、実はお互い認めているはず(後者も、現実のレイプにくらべればエロゲーのほうが害が少ないのは認めるでしょうし、前者も、こうしたゲームの価値観が女性蔑視につながるかどうかはともかく、そうした価値観にもとづいていることぐらいは認めるでしょう)。
そこに「表現の自由」といえばいっさいの規制がゆるされないかのような無責任な意見をまき散らす人や(表現の自由だって、他人を傷つけるものである以上、規制の可能性はある。現に、個々の規制が正当かどうかはともかく、いっぱいされているでしょ)、エロゲーが女性差別にもとづくこと自体がわかんない人、表現の自由の規制が歴史的に警戒しなければならない問題であることを忘れている人が乱入している。

404 おさがしのページは見つかりませんでした - はてなハイク

自分の感想だと、建設的な議論をするには、以下のことが必要だと思う。
1 表現の自由の大切さについて、歴史、根拠とともにきちんと理解する。
2 差別の禁止の大切さについて、歴史、根拠とともにきちんと理解する。
3 表現行為といえども、他害の可能性がある以上は、規制される可能性があることを認める。
4 規制を主張する側は、規制の根拠と規制の手段を、合理的な根拠をしめして、きちんと提案する。
ほかも同じだけどな。オレは、自分的には、他人と議論をするときは、この手法はふまえているつもり。すべてのコロンビア人は日本に移住する権利があるとか、日本は戦争で中国人に迷惑をかけたから、ビザを全部免除しろ、とかいわないでしょ。内心でどう思っているのかは知らんが(笑)。実務家だから当然だけどな。
id:gkmondさんみたいな議論は煮え切らなくみえるけど、対立する利益を具体的かつ慎重に検討したらそうなる。オレはサヨクを公言しているけど、ネットの議論の大半はオレよりイデオロギー過多でしょ。

要するに「その表現において侵害される可能性があるものを明確化」し、その表現を規制するとしても「出来るだけ小さい規制」にすべき。しかし、一方で「表現を規制しなければ人権が侵害される場合は、表現を規制することもやむなし」という、そういう考え方です。
これは、結構納得される主張でしょう。しかし、この様な考え方に照らし合わせた上で、では今回のケースが販売禁止というような規制に値するかというのはは、また意見が分かれるわけです。
例えばid:blacksorcery
酷いゲームの話 - blacksorceryの日記

2.差別的な表現は全て禁止させるべきか
そんなわけがない。
その表現が差別を目的とするなら禁止すべきだが、差別的表現だけで禁止されたら問題だ。
差別だろうが、表現の自由で守られるべきという連中もいるけど、それは間違い。
自由権と共に平等権がある。
人には差別されない権利があり、それもまた守られるべき権利だから。
差別する権利なんてあってはならない。
しかし、差別的な表現ってだけで禁止されたら、それはそれで問題も生じる。
例えば、少し前に麻生太郎が漢字を読み間違えると問題になった。
あれに識字障害を絡めて、識字障害への偏見を助長させるから、そういった報道禁止!
となったら?
無茶苦茶だと思う?
差別への検閲とかが出来たら、間違いなくこういう運用は出てくると思っている。
だから本来表現の自由を狭めるのはとても怖いことだ。


じゃあ
「識字障害者風情が首相になるなんておかしい」
これは許される?
僕は差別だと思う。だからこういった科白は糾弾されるべきと考えている。*2
そういった差別を糾弾する主体は国家権力でなくても良い。
というか、ではない方が良い。と思っている。
社会だったり市民だったりが糾弾してそう言った差別がはびこるのを抑止する方が健全な社会だろう。


さて、今回の騒動はどうか。
明らかに女性差別的な行為を主眼に置いた作品に対して、表現の自由だけでそれを守ろうとする人々が圧倒的に多かった。
僕はとても怖い。
表現の自由のためには、差別は放置されても良いという社会(はてな村)の意見表明にも見える。*3
正しい道筋としては差別の部分を認め、それを排除する方向、排除出来なくとも差別による被害を被らずに済む方法を模索するべきではないか。
けど、ブクマでは、
 ・嫌なら見るな
 ・自分たちの嗜好を理解しろ
 ・嫌悪するという言葉も暴力で差別だ
 ・こういうので発散するから日本にはレイプが少ないんだ。
そんなのばかり。
それじゃ、差別の解消には至らないよね。減らすことすら出来ない。
なら、規制もやむなしだと思う。
国家権力は最善ではないが、けど多数の幸せを追求するために作られた機関でもあるのだから。*4
そして、それらの嗜好者は本当の意味でマイノリティになるのだろう。

という風に言って、法規制を条件付きで認めています。これはつまり、「差別されない権利」を守るために使える手段が「法規制」しかない。逆に言うと、それ以外の方法では差別的レイプゲームによる女性差別の維持は是正できないと主張しているわけです。これはこれで一つの議論でしょう。
また、今回のゲームに関する議論ではありませんが、id:rnaさんは、次のような基準を満たせば「禁止」などの強い法規制も可能なのではないかということを言っています。
大人のための有害情報規制について - 児童小銃

僕の考えでは、むしろ差別表現のように本音レベルでの「一定の社会的合意」が現にあり、実際にそれが社会正義の実現の障害となっている場合にのみ、法的規制、特に「禁止」という対応が正当化されうると思う。そうでない場合は「対抗言論」という自由な言論に基づく社会的な対応に委ねるべきだ。

これを今回のケースに照らし合わせるのならば、女性への性的暴力はいけないというのは既に「一定の社会的合意」となっているから良いとして、今回のレイプゲームが実際に「社会正義の実現の障害」となっているかが問題となりそうです。
ですが実際は、id:rnaさんを含めた多くの論者は法規制、とくに販売禁止までいくような強い法規制は是認していません。ですがそれは「差別の禁止」なんていうのは表現規制の根拠となり得ないから、ではなく、もっと弱いレイプゲームへの対応で、「レイプゲームによる差別の維持」をなくすことができると考えているからです。具体的には、ゾーニング、自主規制、差別反対運動などです。

ゾーニング

ゾーニングとはすなわち、レイプゲームの宣伝・販売などを隔離された場所で行うようにすることで、まだ判断能力のない未成年や、そのようなレイプゲームを嫌いな人が、それを「見ないですむ」、そんな措置のことです。
たとえばrna氏は次のような議論をして、ゾーニングこそ重要であると主張しています。
『レイプレイ』事件について - 児童小銃

特に脱文脈的にポルノに触れてしまいがちな未成年者についてはゾーニングが必要であろう
(略)
『THE レイプマン』がそうであるように、レイプを正面から正当化するような描写はレイプが深刻な人権侵害であることが合意されている社会においてはむしろ安全だ。激しい嫌悪感を引き起こすか、不条理なブラックジョークとして受け止められるのが関の山だからだ。しかし、まだ社会に適応していない子供の場合は問題になりうる。子供が真に受けないようにするための仕組みは必要だろう。

つまり、大人は今回のような差別的なレイプゲームを、それをジョークと捉えるから女性への差別にはつながらない。しかし子どもにおいてはそれをジョークとして捉えないから問題となりうる。ゆえに未成年にはそのような差別的なレイプゲームに触れさせないことが必要である。というわけです。
この前提には、第一で述べた「差別的」の度合いを低く捉え、「子どもにおいてのみ差別の維持・増強は起きる」という仮定が前提となります。しかし逆に、もしそうならば、確かにゾーニングだけで「レイプゲームによる差別の維持」はなくなるわけです。
また、そのような見方のほかに、「レイプゲームが社会で承認されていないということを示すために、隔離してそれの社会的評価を下げる」という観点もあります。法規制のところで紹介した増田さんの意見も
某エロゲ問題へのブクマコメントが怖い

必要な人がいるならアングラなところに置いておけばいいじゃないですか。
ちょっと前までレーティングありとはいえ日本のAmazonでも買えたんでしょ?それは全然アングラじゃないよ。
興味本位でクリックしてしまった私も悪いのかもしれないけど、でもそんな簡単なところに置いておかないでよ。
(略)
男性嫌悪のつもりはないんだけれど、でももしごく一般の男性が、そんなゲームが簡単に買えることを是としているのなら、何か、とてもショックです。

という風に、簡単に買えるようなことによりそれが社会的に容認されているものの様に受け取られるのではないかという危惧でした。id:antonianさんも
エロゲが日の当たるところに出ちゃってみんな困っているらしい - あんとに庵◆備忘録

レイプ行為や痴漢行為を肯定した物を広く世にすべからく認めて欲しいという要求は断固断りたくなる。
(略)
わたくしは、弾圧する、つまりこの世から無くせなどという団体や論に与などしたくない。
しかしTPOというモノは考えるべきではないかというこった。喫煙者は喫煙所に隔離されて吸え。家までやってきて宗教勧誘をするな馬鹿。というのと同じだ。

という様なことを述べて、「レイプ行為や痴漢行為を肯定するようなものは世の中には決して認められないという『分』をわきまえるようにすべきだ」と主張するわけです。
しかし一方で、そのようなゾーニングはしかし「差別」の解決とはならないのではないかと考える人もいます。たとえばid:good2ndさんはゾーニングに一定の役割を認めつつも、しかしそれだけでは本来の解決にはならないとも主張しています。
性暴力表現と規制 - good2nd

ゾーニングに関しては、「ゾーニングで充分じゃないか」的な言い回しをこれまたいくつか見ましたが、全然不十分だと思いますけどね。これもバランスはいろいろ考えられるけど、個人的には繁華街にアダルトショップがあるのはいいけどコンビニでエロ本売るのはやめたら?くらいに思ってます。ネット販売だってもっと敷居を高くしたほうがいいと思う。まあこういう点については議論の余地はいろいろあるでしょう。ただ、今回のように差別が問題となっている以上は、ゾーニングだけでは本来の解決にはならないかもしれません。だけど流通を抑制することで、そこから発せられる社会的メッセージの質を変えていくことにはなるんじゃないかという気もします。

つまり、ゾーニングというのはあくまで「子どもはやってはいけない。でも大人はやってもいい」というものなんですね。もちろんそれで副次的にゾーニングされたものが社会的メッセージを持たなくなり、社会的評価が下がるとか、そういう効果はあるかもしれない。しかし第一義的には、今のゾーニングはあくまで「青少年に対する規制」なわけです。
ですが、じゃあ「女性に対する差別」というのは青少年だけの問題か?というと、そんなことは全くないわけです。子どもだろうが大人だろうが、「女性に対する差別」というものは禁止していかなくてはならない。それは、ゾーニングでは達成できないのではないかという主張も、当然ありえるわけです。
そこで重要となってくるのが「ゾーニングの質」です。つまり、本気で社会がそれを隔離し、「パブリックに認めてはいけないもの」として扱っているかどうか。しかし現状のゾーニングでは、とてもそのような扱いではないという主張が、今回の議論では多数挙がりました。先ほどのid:good2ndさんも、全然不十分だと思いますけどね。これもバランスはいろいろ考えられるけど、個人的には繁華街にアダルトショップがあるのはいいけどコンビニでエロ本売るのはやめたら?くらいに思ってます。ネット販売だってもっと敷居を高くしたほうがいいと思う。という風に述べていましたし、他にもid:blacksorceryさんがid:blacksorcery:20090518にて

まず今回のケースでは、Amazonが悪いという話があるが、結構賛成だ。
「18禁の情報を表示しますか?」
だけで辿りつけるのはあまりに安易なアクセス経路だと思っている。
実際に18歳なのかのチェックもしてない。自己申告。ほとんど意味無いと思うんだ。
自分が中学生なら、周りを警戒して誰もいないの確かめてyesをクリックするね。
いやいや警告しているじゃん、yesクリックする奴が悪い、自己責任、と言うかも知れない。
けど、この警告ってコンドーム買うときも出るよ。
反社会的でも差別的でもないコンドームだって、アダルトなので同じ18禁。
(高校生はむしろコンドーム使うべきだろとかの話は省略する)
18歳以上というだけで、あらゆる表現に耐性を持てというのはおかしい。と僕は思う。
18歳の区切りはアダルト情報に辿り着いても良いというゾーニングだけだから。
「リンク先には反社会的・犯罪的・女性差別的な表現含まれます。開きますか?」
ぐらいまで書いてあって、それでも怖い物見たさで進んでショックを受けたのだったら、クリックした方が悪い派にも賛成できる。

というような指摘をしています。ゾーニング派のid:rnaさんもid:rna:20090509:p1にて

まず思うのは「18歳未満お断り」といった曖昧なレーティングは稚拙なコミュニケーションじゃないのかということ。子供にはまだ早い、ということが何を意味するのかこれで伝わるのだろうか?
子供はセックスについて責任がとれないので、セックスから遠ざけましょうという趣旨なのだろうが、レイプレイのようなものを子供に見せたくない理由は単にそれがセックスだからということではない。それが悪用されたセックスだということが伝わらず、それがセックスだと思われては困るからだ。レイプにポジティブなイメージを持たれるのも、セックスにネガティブなイメージを持たれるのも、どちらも好ましくない。
だからこそとにかく遠ざければいいということになりがちなのだが、完璧なゾーニングなんて無茶だし、ゾーニングの存在自体から伝わるメッセージは消し去ることができない。それならゾーンの境界線に語らせることで、越境者に自分が何を越えたかを意識させるほうが良いのではないか。
たとえばレーティング区分も単に成人向けとするのではなく、性暴力を(作品世界の中で)肯定的に扱うかどうか等の条件で別枠を作ってわかりやすい形で表示してはどうか。レイプレイのようなゲームは「性犯罪シミュレータ」みたいなジャンルに放り込んで、単にエロというのは違った理由で隔離されているものだとわかるように。
一般向けゲームソフトについてはコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)がコンテンツディスクリプターアイコンという表示を導入していて、セクシャル、暴力、犯罪、などのカテゴリーがわかるようになっているが、*7 アダルトゲームの自主規制団体であるコンピュータソフトウェア倫理機構では対象年齢区分しか行っていない。*8
ちなみにアダルトビデオのレーティングも同様で区分上はエロと暴力の区別がない。*9
ジャンルはパッケージ見れば明らかじゃないかと言われそうだが、レイプレイの場合その内容は犯罪の言葉ではなくエロの言葉で表現されている。公式サイト*10では「痴漢がエロい」「陵辱がエロい」「調教がエロい」などという見出しが踊っている。*11 つまり、どう魅力的かが書かれているだけで、どう危険かは伝わらない。
もっとも注意書きの形でゲーム内の行為が犯罪であることは明記されてはいる。公式サイトの隅にも地味に書いてあるし、体験版でもゲーム開始の前にこんな警告画面が表示された。
(画像略)
しかし、これではいかにもとってつけたような注意書きだし、クリックするとスキップされるものなのであっさりスルーされるのは目に見えている。エロさのアピールと同じくらい真剣に伝える気があるならもっとマシなやりかたができるのではないかと思うがどうか。

という風に、現行のゾーニングは稚拙であると述べているんですね。
また、id:antonianさんは、ネット特有の、ゾーニングを妨げるものについて指摘しています。
エロゲが日の当たるところに出ちゃってみんな困っているらしい - あんとに庵◆備忘録

問題はネットという空間は棲み分け出来ない辺りかな。同好の士が集っている、本人達からすると閉鎖空間なのに不特定多数にその場が見られてしまう。これは双方共に不幸な構造が起きやすい。インターネットというのは実はマス媒体なので、その自覚を持たないといけないのではあるが。

ゾーニングが果たして「レイプゲームによる差別の維持」を阻止する処方箋となるかどうかは、論者によってさまざまな見解に分かれています。しかし、もし仮に、ゾーニングが「レイプゲームによる差別の維持」の処方箋となるとしても、少なくとも現状のゾーニングではだめで、きちんと、実効性があり、かつ、ゾーニングそのものが「差別を許さない」という特別な意思を示す、そんなゾーニングになるべきであるというのが、論者たちのほぼ一致した見解のようです。

自主規制

そして、上記の様なゾーニングに対する指摘は、実はメーカー・販売側の自主規制についても言えるんですね。なぜなら、先ほどのゾーニングというのは、ほとんどがそもそもメーカーや販売側の自主規制だったからです。さっきのid:rnaさんの文章でも、コンピュータソフトウェア倫理機構という自主規制団体の基準が参照されましたし、自主規制で書かれた注意書きもマシなやりかたができるのではないかという風に批判されていたのですから。
他にも、今回のレイプエロゲーを製作した会社のやり方には批判があります。id:gkmondさんは、今回の事件の発端となったレイプゲームを製作した会社が、発売中止に当たって出したコメントを次のように批判しています。
例のゲームの件について。結論はないよ! - U´Å`U

 えーと、このゲームの販売中止にゲームの内容とは関係なく抗議の声が上がっていて、エロゲーと犯罪助長を関連づけるデータはないって調査が何度もされていて、「エロゲーがほぼ自由に販売されている日本の性犯罪率はダントツに低い」ってデータ*1もあるのに、文句つけられた当の本人は一切反論せず、販売自粛してお終い
 これは「屈した」と言うのだろうか。
 俺にはむしろ販売会社はそもそも自社製品を表現だなんて思っていなかった*1ということを露呈している対応に見える。これが素人のブログが炎上しましたみたいな場合なら、覚悟のなんのという話は絶対にしないけど、この人たちはプロである。相手の意見を納得したから自粛するとか、「抗議は受けたがこのような反論がある」と自己主張(それこそ「表現の自由は、多数決でも侵害しえない権利を認めるものである以上、多数から忌避されるような表現活動に認めないと意味がない」とか妥協案ぽく「一面差別的かもしれないが、これが自由に流通している日本の性犯罪発生率が他国と較べて低いのは、エロゲーがあるからだ」とか「そもそも外国で売られることを想定していないから海外からは引き上げるが国内での販売をとやかく言われる筋合いはない」*2とか)するか、どちらかの対応をするのが筋なのではないか、という気がする。いやコストの問題とかで諦めたのかもしれないけどね。
(略)
エロじゃなきゃできない表現ってのも(詳しくないからわからないけど)たぶんあるんだろうし、下手な規制はどこまで波及するかわからないから、法規制には絶対的に反対する。ついでに言うとこのゲームを楽しむ権利だって認められるだろうし、この手のゲームを作ることだって制限はされるべきではないだろう。
 しかしその一方で「不快だ」という声を上げることを否定してもいけないんじゃないかとも思う。ってのは、その判断がすでに「我慢は女(の一部)にさせておけ」って思考を表現してしまっているように見えるからだ。

要するに、レイプエロゲーを製作した会社は、自分たちが製作した製品に対して説明する責任があるはずなのに、それを安易に放棄してただ発売中止にしている。それはよくないのではないかという批判です。
ではなぜきちんと自分たちの製品に対する批判に答えられないか?これは要するに、今までの自主規制は、単なる形式的なものに終始していて、実際に自分たちの表現が誰かに悪影響を及ぼさないかということを考えて行われるものではなかったからなんですね。id:rnaさんはあっさりスルーされるのは目に見えていると述べましたが、実際そのとおりで、もし本気で自主規制するならば、こんなすぐスルーされるような注意書きではない、もっと実行力のある警告を行うはずなんです。その点で、現在の自主規制は稚拙であるというのは、残念ながら否めません。*3
ではどのような自主規制であるべきか。具体策としては、ゾーニングのところでid:rnaさんが述べていた様な方策もありでしょう。しかし重要なのは、そもそもどんな考え方に基づいて自主規制を行うかということです。この点についてid:good2ndさんはid:good2nd:20090514:1242334288で次のように述べています。

業界の自主規制に関しては、強制力という意味では難しいかもしれないけど、モザイクとかピー音とかいうのとは別の基準―差別性や暴力性―を真面目に考えてみてもいいんじゃないかとは思います。

要するに、形式にとらわれるのではなく、実際にその表現が受け手に与えるメッセージを考慮せよという考え方です。

現実の性差別への批判を続ける

しかし一方でid:good2ndさんは、むしろ一番やらなくてはいけないことはそのような表現そのものに対する規制ではないと述べます。では一体人々はどうすべきなのか。

だけど、もし問題のゲームのようなものを自由に享受できるようにしたいと願うならば、一番やらなくてはいけないことは、現実の性差別を無くしていくことではないでしょうか。性差別がない社会では、Equality Now の抗議は無効となるでしょうし、そもそも差別を問題とするような抗議は出てこない(というか団体自体が不要となる)でしょう。まあ性差別の無くなった社会でああいうゲームが娯楽として成立するのかどうか怪しい気もしますけどね。
いずれにしろ、時間はかかるかもしれませんが、自分達の自由のためにも、もっと差別を地上からなくす努力をするべきだとは思いますね。

これはそのまさしくその通りなんですね。もし「レイプ」というものが完全に空想のものならば、それは正真正銘、現実の女性に対する差別とは全くかかわりのないものになるからです。
同様の主張はid:font-daさんも述べています。
ヴァーチャル児童ポルノの問題 - キリンが逆立ちしたピアス

 問題は、今現在も、現実の性的虐待の中を生きている人たちがいることだ。そして、その人たちは、私たちが表現の自由を謳歌し、ゲームを楽しんでいるそのときに、生命の危機を感じ、必死に生き延びている。そして、その後、誰にも話せず、被害経験を胸にしまったまま大人になるサバイバーもいる。この非対称性を問題にしている。ゲームをやめろとは言わない。私たちには、自分たちがどう行動するのかを選択する自由がある。だが、いくら虚構を楽しみ、現実の悲惨さが目隠しされてしまっても、性的虐待は存在し続ける。「ゲームはゲーム」と言ってしまったとき、何かを忘れたいと思っていないだろうか。
 性的虐待は私たちが生きている現実の中に起きている出来事だ。そして、ゲームの中で虚構として起きているできごとだ。私たちは、その両方を、同じ「性的虐待」という名で呼んでいる。いつも、一つの出来事は、もう一つの出来事を想起させている。*2この連関は、欲望の中で、どのように作動しているのか。
 結論は簡単で、私たちは、児童ポルノを肯定するならば、同時に児童に対する性的虐待を否定し、被害者を支援しなければならない。

しかし一方で、これでは抽象的すぎて、では今回のようなレイプエロゲーに対峙したときに、それにどう対応すべきなのかはわかりません。そこで参考になるのは、id:cmasakさんの記事です。
レイプ・妊娠・中絶というプロットがムカつくというだけの話ですが何か - cmasak 2nd blog

でもやっぱりずっと「ムカつく」「ムカつく」って言い続けないと負けるんだ(何に)。

レイプ・妊娠・中絶のエントリに付いたコメント&ブクマに返事 - cmasak 2nd blog

消費者を批判しているわけじゃないので、(というかもっと言うと別にこの作品自体を批判しているというよりは、こういうプロットと差別構造の関係について批判しているので、その辺はもう一度先のエントリをよく読んでください)「正義」とか言われても困ります。だから「ここで批判されている人たち」なんていう人はいないのだけれど、あえて批判する「人」をロックオンするとしたら「表象はいかなるものであれ全く自由であって、誰の文句も受け入れられるべきではない」と思っている人たちであって、ユーザーではない。どれだけユーザーの消費行動や欲望が差別構造と結びついていようと、その本人の責任を追求するつもりはないので。というかそんな責任が本当にあるのかも疑問。ボクが問題だと思っているのは、差別構造と結びついているような表象形態が「全く問題ないもの」として流通し、消費され、市場の流れに乗ってある一定の方向にガーっと進んで行ってしまうこと。だからあなたが「弱者」と呼ぶ人たちも「強者」と呼ぶ人たちも別にボクにとっては味方でも敵でもないし、ボクが戦って行きたいのは差別構造自体。この場合男女差別ね。もう一度強調するけれど、ユーザーは批判してないし、批判されるべきでもないと思っていますので。

つまり、この作品を通して、女性に対する差別構造を認識し、それを「ムカツク」と表現することによって攻撃していくということ。id:cmasakさんはこれこそが差別構造を変革しうる唯一の方法であると主張するわけです。
また、id:blacksorceryさんはid:blacksorcery:20090518で、次のようなことを述べています。

差別だろうが、表現の自由で守られるべきという連中もいるけど、それは間違い。
自由権と共に平等権がある。
人には差別されない権利があり、それもまた守られるべき権利だから。
差別する権利なんてあってはならない。
(略)
「識字障害者風情が首相になるなんておかしい」
これは許される?
僕は差別だと思う。だからこういった科白は糾弾されるべきと考えている。*2
そういった差別を糾弾する主体は国家権力でなくても良い。
というか、ではない方が良い。と思っている。
社会だったり市民だったりが糾弾してそう言った差別がはびこるのを抑止する方が健全な社

*1:それが反論にならないという点については、id:yuuboku:20090508:1241809239やid:rna:20090509:p1参照

*2:それも反論にならない。id:rna:20090509:p1参照

*3:実際、現場でエロゲーを作っている人の中にも、id:isikeriasobiさんが嘆いているように、自分のゲームが性差別の価値観を前提としているものであるという事実でさえ、認めない人間もいますから。エロゲーを作っている人の中には、かなり人権意識が低い人間がいるのも事実な様です