どーもー、やばいやばいどうしようどうしようもう何をしていいか全然分からない*1僕です。
だから本当ならこんなブログとか書いてる場合じゃないはずなんですけど、人間どーも追い詰められると現実逃避したくなりがちなわけで……
で、どーせ現実逃避するなら、ニコ動とかに現実逃避するよりはせめて、ブログでより自分の周りの現実を見つめ返すような、そんな「『現実』への逃避」をしてみようかと思うわけです。まぁ、これも結局は形を変えた現実逃避でしかないわけですが……
というわけで、今回のテーマは「結婚」です。いやだって、就活本とかにも「就活で最も重要なのは自分の人生のキャリアデザインだ!」なんて書いてあるし……*2で、仕事について考えるのももー正直飽きてきてしまったので、今回は仕事以外の私生活について考えてみようかと、思ったりするわけです。
(余談だけど、何で就活関係ってどこもかしこもあんなアッパー系で胡散臭いんだろうねぇ……もうちょっと「なんとなく生きちゃってるし死にたくないしー、みたいな感じの人がー、それでもゆるゆる生きるための就活」とかいうダウナー系の就活本なり就活イベントや就活サークルなりあっても良いと思うのだけれど……ま、そんなこと言ってるときっと「そんなに甘いもんじゃねぇんだよ就活ってのはなぁ!」みたいな怒声が飛んできそうですが。)
で、そんな風に考えていたときにはてブで目に止まったのがこんな記事
はてなブックマーク - 【2ch】ニュー速クオリティ:【社会】 「結婚したい女」多過ぎて、お見合いパーティーに男足りず
婚活、ブームですよねぇ。ただ、ブームっていうのはだいたいが実像1割、虚像9割で出来ているもので、このブームもすべてを額面通りに受け取るわけにはいかないでしょうねぇ、まぁ。
150 名無しさん@十周年2009/10/16(金) 16:00:05 ID:F+pEbQGAi
俺、先日コンカツBAR行ってきたんだ…で、収穫なしだったけど帰りの店のエレベーターで女2人と乗りこんだんだ。
そしたら『ね〜なんか悪い気しない?あんなに飲んだり食べたりで千円だよ〜男の話なんて適当に流してるだけなのにね〜』と…
そうか。最初からコンカツする気のない女どもが安く飲んだり食ったり利用するだけの場なんだと気付いたんだ。
情けない俺…
みたいなことなのかもしれないし。
ただ一方で、婚活ブームとはちょっと違うのかもしれないのだけれど、若い人の間で「結婚願望」というものがかなり強くなっている*3というのは、僕自身、同世代の人と話していて感じることだし、いろいろな意識調査からも分かってきています。
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未婚者の7割が「結婚願望」を持っている。ただし、金銭面から6割以上が共働きを希望している。
で、しかもその結婚願望を考えるときに重要なのが、それが今までの既存の「結婚願望」とはかなり違うということなんですね。
今までの既存の「結婚願望」っていうのは、ステレオタイプに書き出せば、つまりはこういうことでした。
好きになったあなたと愛し合って結婚をして、結婚をした後も夫婦仲むつまじく、あなたが仕事に行っている間私は家で家事をしたり子供の世話をしたりして、年をとっていく。そんな結婚がしたいわー。
しかしそれに対し、今の結婚願望というのはこうなんです。
恋愛は、まぁどーでもいいや。何ならお見合いだって良いよ。とにかく一人で生きるのは不安だから早めに結婚したいんだよなー。ま、好きになる感情なんていうのは一緒に暮らしてれば後からついてくるでしょ。で、まぁ二人で共働きでもすればなんとか暮らしていけるでしょ。一応老後のために子供は作っておきたいけどね。*4
要するに今の結婚願望っていうのは、「恋愛抜きの結婚」願望なんですね。じゃあ、恋愛が結婚のメインテーマじゃなくなったとしたら、何が人々を結婚に駆り立てるのか。答えは簡単、「生活不安」ですよ。
まず、経済的な面から言えば、「独身」っていうのは、かなり効率が悪い暮らし方なんですね。家賃だって高いし、食料品も小分けにすればするほど高くなる。その他光熱費などの様々な生活費も、一人でそれを抱え込むよりは、二人で分け合った方がやっぱり楽だろうと、そういうわけです。
そして、更に心理的な面でも、やっぱり「一人」っていうのは不安なんですよ。だから誰かと一緒に居たくなる。ただ一方で、そういう感情を「恋愛感情」と述べるなら、「恋愛抜きの結婚」と言ってしまうのは言い過ぎなのかもしれません(先の文で述べたま、好きになる感情なんていうのは一緒に暮らしてれば後からついてくるでしょ。ということも、もしかしたらそれこそが「恋愛」と言えるのかもしれない。)。
ただ、それはやっぱり既存の「恋愛」とは大分違う物なんじゃないかと、僕は考えるわけです。まぁ、「恋愛とは何か」なんて、そんな問いが最もふさわしくない、僕が考えるのも変な話なんですが、それはまずもって「ドキドキ」なんじゃないかと思うわけです。あの人が私を好きでいてくれるかな、私があなたを好きなこと上手く伝えられているかな、そんなことを考えてしまうというのが、今までの「恋愛」だったと思うんですね。*5
しかし、今の「誰かと一緒にいたい」という欲求においては、正直そこまで強い「感情」はないわけです。むしろ、そうやって四六時中愛を確かめ合うとかそういうことは、「ウザい」んです。相手が別に自分のことを思っていなくても良い、別に自分もそんなに相手のことを思っているわけでもない。ただ、ふと気づいたときに誰かがそばにいるということに、「安心」したいんだというわけです。
それを「恋愛」と呼べるかどうか、僕はかなーり疑問な訳です。
重要なのは「恒常性」と、やっぱり「性別」
で、ここまでつらつら書いていって、こう思った人もいるでしょう。「それって、ルームシェアリングとどう違うの?」と。
まず一つ言えるのが、結婚という形態には「恒常性」があるということです。
ルームシェアリングっていうのは、まぁ人によって違いはあるでしょうが、基本的には「一時的な共有」と思われているわけです。相手が嫌になったら簡単に出て行けるし、ましてや老後まで相手と一緒に居る、なんてことは一切考えないでしょう。
しかし結婚においては、とりあえず一応は「一生のつきあい」として考えられているわけです。相手がちょっと嫌になっても、まぁ基本的には我慢すべきだし、老後も出来れば一緒に暮らしたいと。「実際にそうなるか」は問題ではありません。「そういう前提の元の関係かどうか」が重要なのです。それによって、経済的にも、心理的にも、人はより安心するのです。
ただ一方で、そのような「恒常性」の重要視は、今後変わりゆく可能性もあるかもしれません。「恒常性」がないと不安になるのは、それがなかなか手に入れることが出来ない関係だからですから。つまり、一旦別れてしまった後、再び一緒に暮らす「相手」がすぐにみつからないから、今の相手と別れたくないと思うんであって、これがもし、人生のいつに別れても、すぐに相手を見つけることが出来るなら、実はそんなに「恒常性」にこだわることはなくなるのではないでしょうか。
ただ一方で、例えそこまでなるようになったとしても、ルームシェアリングと結婚を分かつ重要な問題があります。それは「性別」です。同性に対しての振る舞いと異性に対しての振る舞いはやはり違うものですし、男性の場合、特に同じ男性と一緒に住むのなんかは生理的に*6受け入れられないというのが殆どでしょう。まぁぶっちゃけホモフォビアなんですが、「恋愛」が有名無実化しても、その「恋愛」の亜種である「同性愛」への嫌悪感は根強く残る気がします。*7
ただ、「カップリング」とか「家族」ということに縛られなくなったら……
ただ、ここまで書いてきたことって、実はすべて「二人の個人が、同じ『家』*8で暮らす」ということを、どれも前提においているわけです。
しかし一方で、それが唯一の「あるべき姿」なわけでもない。むしろ、それはどっちかというと不合理だったりする。だって、「二人」というのはどうも一旦問題が起こるとそれを修復しにくいし、一つの「家」に居るというのも、一番効率は良いけれど、その分親密でありすぎる。
その他の形はいっぱいあるわけです。例えば、数人でアパートを借りて、普段はそれぞれの部屋にいるけれど、食事とかの時は一緒に食べる。まぁ、要するに「寮」なんですが。しかし今は、「寮」というのはあくまで学生などの、自立できない人々のためのものとされているわけですが、しかし若者が学生を卒業しても、経済的要因により自立できないとするならば、「学生のためではない寮」というのが存在してもおかしくはないわけです。
そもそも、「自立」とは一体何なのか。それこそ完全雇用の時代、人々は終身雇用という形で、「会社」に依存していたのではないか。といっても、別にそれが悪いことだとは言いません。むしろ、それを「悪いこと」だとして、終身雇用を解体し、人々に「完全な自立」を要求することの方が、おかしいわけです。しかし、それが「おかしい」と主張しても、終身雇用が戻ってくる訳ではない。だとしたら、会社ではない形で、自分たちで「相互依存」の場を作る、そんな「必要」が―それが本当に若者がしなきゃいけないことなのかはおいておくとしても―あると思うのです。
今はまだ「会社が駄目になった……じゃあ家族に頼るか」という段階でしょう。ですが、例え家族に頼るとしても、それは今までの家族とは違った形にならざるをえない。だって、今までの家族というのは、あくまで終身雇用を前提とする、「企業社会」を前提とした家族な訳ですから。それがそのまま生き残ると言うことはありえないです。
だから、今までの「企業」とも「家族」とも違う、新しい相互依存の場は、例えそれが「寮」や「コミューン」みたいな形ではなくても、必要なはずなんですね。よく、これからの時代をどう生き残るかということが話題になると、決まって「若者はどのように『自立』するか」ということが議論の焦点になりますが、しかし、人間が完全に「自立」して生きていられた時代なんて、人類の歴史にはそもそも無いんです。重要なのは、「自立」ではなく、むしろどのように「依存」するか。依存を支える場をつくるかであるのでは、ないんですかね。
……とまぁ、案の定「キャリアデザイン」なんかには全く役に立たなかった訳です。まぁ、強いて言うならば
「なんか突然許嫁とかいう女の子がやってきてその女の子と同居することになって、それでその女の子に頼ってニート生活送っている内にー、なんか突然僕の秘められたクリエイティブな才能が開花してー、作った作品が大当たりしてその印税だけで一生暮らせるようになって―、そしてやっとその女の子と結婚できるようになってずーっといちゃいちゃして暮らすー、みたいな人生が送りたいです。というわけでとりあえずは誰か僕を養ってください。その内にクリエイティブな才能を開花させますんで」
「……死ねばいいのに」
*1:過去記事(id:amamako:20091009:1255075682、id:amamako:20091010:1255123645)参照
*2:そんなもん、楽に生きれたら生きて、楽に生きられなくなったら死んじゃえばいいやと考えている人間がどうやって考えろっつー話なわけだけど
*3:といっても、「過去より強くなっている」と言えるかどうかは微妙。ただそもそも、過去の「結婚願望」と現在の「結婚願望」はそもそも質が違うというのが、今回の記事の仮説だから
*4:ただ実際は結婚してみると、共働きしていても、それすら経済的に難しくなるわけだが
*5:それがどこに行ったか?と言えば、それこそ「ラブプラス」にでも行ったんじゃないかと思うが、何で絶対に自分を裏切らないコンピュータのプログラムなんかに「ドキドキ」できるかは、やっぱり僕は分からない。
*6:あー、こういう言い方するとまたジェンダー関係の人に怒られるんだろうなあw
*7:というか、未だに古い形での「恋愛」なんて物語を信じているのって、それこそ同性愛者ぐらいでしょう。
*8:〈家制度〉としての家ではなく、ただの家屋としての「家」です