あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

リアルでの「会話」って不便だ

人と話すのが苦手だ。
その理由は色々あって、中にはもちろん僕がそもそも人嫌い・コミュニケーション嫌いなのかもしれないという理由や、話すことに対する経験値が少ないという理由もあるのだが、「会話」という情報伝達手段そのものに、欠陥*1があるのではないかと、最近考えることがある。
一体どういう部分を欠陥と感じるか。少し整理してみた。

  1. ハイパーリンクが貼れない
  2. 簡単に引用ができない
  3. ログが残らない

それぞれ説明していく。

1.ハイパーリンクが貼れない

例えば、自分は知らないが、その場に居る他の人は知らない、あるニュースについて話そうとする。
そういうとき、インターネット上であったら、まず新聞やネットニュースの記事にハイパーリンクを貼れば、そのニュースの内容や、第三者がそのニュースの裏付けをとっていることが簡単に把握できる。つまり
船橋市、ふなっしーに感謝状贈呈へ…公認はしませんが:朝日新聞デジタル
のようにハイパーリンクを貼れば、簡単にその会話に参加するすべての人がそのニュースが実際にどんな内容であったのか参照できるのだ*2
ところが、リアルの会話ではこのようなハイパーリンクを貼ることができない。そのため、例えば上記のニュースに対して語ろうとすると、全く何の裏付けもなく、あやふやな「そのニュースを読んだ時の自分の記憶」に頼って話をしなければならなくなる。つまり、上記のニュースの例を挙げるならば、「ふなっしーっていう、船橋市のゆるキャラがさ、なんか船橋市から感謝状だか公認状だか?をもらったりしたんだって。」というようなあやふやな言葉を、とりあえず真実とした上で話が進んでいくのだ。ところが上記の言葉では、ふなっしーが、実際は公認されていないのに公認されたことになってしまっている。これは、記憶というもののあやふやさによるものだが、もし会話においてハイパーリンクを貼ることができれば容易に回避できる問題である。
ところが実際は会話においてハイパーリンクを貼ることができない。そこからはデマなども当然発生する。また、「周りのオタクが間違った知識にもとづいて会話をしていてイライラした」とか、あるいはその反対に「ドヤ顔で他人に知識を自慢していたら、あとからその知識が間違いだったことをネットで知って赤っ恥をかいた」というようなことも生じうるのである。
このような会話というものの問題を自覚しているならば、誰かの評価を損ねたりするおそれがあるようなセンシティブな情報は、会話ではあまり伝達されなくなるだろう。間違った情報によって誰かの評価を損ねるというのは、特に避けるべき出来事だからだ。しかしそれにより会話によって伝達される情報というのはどんどん制限されていき、端的に言えば「つまらなく」なっていくのである。

2.簡単に引用ができない

インターネット上の文書においては、引用というのはとても簡単だ。例えば上記のニュースなど、下記のように引用すれば、そのニュースにおいてどんなことが伝えられていたかを、簡単に伝達することが出来る。

船橋市、ふなっしーに感謝状贈呈へ…公認はしませんが

 シャープな動きと奇声で、全国的な人気がある船橋市の非公認キャラ「ふなっしー」に、近く同市から感謝状が贈られることになった。松戸徹市長が24日の記者会見で「市を全国にPRしたお礼を表したい」と語った。

ところが、これをリアルでの会話において伝達しようとすると、とても大変だ。まず、上記の文章を実際に目につく場所に保存しておくか、自分の記憶として覚えなければならないし、そして更にその文章を実際に言葉として発話しなければならない。これは、手間も時間もかかるし、非効率的だ。
そこで会話においては引用ではなく「要約」の方がより多く活躍することになる。しかしそれによって、前節で示したように情報は改ざんされてしまうし、重要な情報が抜け落ちもする。
もちろん実際には、引用やハイパーリンクが容易に利用できるインターネット上でも、それを利用せずに適当な情報を垂れ流す人間も居る。だがそれは利用できる便利な機能を敢えて利用しない、本人の落ち度であるということができる。しかし会話においては、そもそも引用やハイパーリンクが利用できないために、構造として適当な情報が生み出されやすいのである。

3.ログが残らない

インターネット上において情報伝達のログを残し、簡単に参照できるようにすることは、本人がそれを望みさえすれば簡単である。例えばこういうプログやホームページでの情報伝達ならば、「検索」機能を用いればどういう情報を過去に自分が伝達していたか簡単に把握できる。私的な会話であっても、インスタントメッセンジャーやtwitterダイレクトメッセージなどではログは逐一保存されるから、誰にどんな情報を伝達していたかは簡単に把握することが出来る。
しかしリアルの会話においては、このようなログを残そうとすると、いちいちボイスレコーダを起動させなければならない。しかしポイスレコーダーには情報が音声で保存されてしまうから、それを検索可能にするには自分でいちいち文字起こししなくてはならないし、また、「その時点での会話では、一体誰と話していたか」などのメタ情報も、自分で一々記録しておかなければならないのである。よって殆どの人はこのような不便な行為はせず、リアルの会話においてログは残らない。
しかしログが残らないために、人は一体誰とどんな情報をやりとりていたか容易に間違えるのである。そのため「その話何度も聞いたよ……」というような、同じ話を話し手が何回も繰り返してしまうことも起きてしまうし、「言った」「言わない」の水掛け論も容易に発生してしまうのである。

一番の問題は、このような欠陥が欠陥であると認知されないこと

以上が、僕が考えるリアルでの会話の3つの欠陥である。
もちろん、工夫すればこのような欠陥をある程度避けることはできる。例えば、インターネットに常時接続しているタブレット端末を常に持ち歩き、会話の時は常にそのソースとなる情報をタブレットに表示させ、それを示しながら会話する、というような方法である。だがすべての人がこのような方法を用いて会話をしてくれるわけではない(そうしてくれるととてもありがたいのだが)。多くの人は、そもそも自分が自容器で示したような欠陥に気づいていないか、それを大したことのないことであると思っているようで、手元にその情報のソースを表示できる情報機器があるにもかかわらず、自身のあやふやな記憶に基づいてあやふやな話を進めていく。
だが実際は、そういうあやふやな記憶に基づく会話から、デマや根拠のない憎悪感情やコンフリクトといった、この世の中の問題の殆どが発生するのではないだろうか。
そういうようなことを考えると。どんどんリアルでの会話が嫌になっていくのである。

*1:あるいは僕にとってネガティブと感じられる特性

*2:このニュースを選んだ理由は、ただ「朝日新聞のトップページを見に行った時に一番最初に目についた記事だから」で、他意はないです