ガンダムAGE第一話見ました。
売り上げランキング: 49
ガンダムファン第三世代とは?
まず、これまでのガンダムをざっとおさらいするならば、まず大きく分けて、ファーストガンダムの世界の延長線上にある「宇宙世紀もの」と、「それ以外」の二種類に分けることができるでしょう。そして、テレビシリーズに関して言うならば、「宇宙世紀もの」が昭和から平成にちょっと入った年代に位置し、その後に「それ以外」のガンダムシリーズが放映されたという整理ができます。
ガンダムファン第一世代(機動戦士ガンダム〜機動戦士Vガンダム) | ファーストガンダム原理主義とも言われる。「敵側にも正義がある」、「ニュータイプ」といったファーストガンダムらしい特徴を好む。 |
ガンダムファン第二世代(機動武闘伝Gガンダム〜∀ガンダム) | アンチ・ファーストガンダム原理主義。ファーストガンダム的なものをなんとか否定しようとし、「熱血もの(Gガンダム)」とか「ニュータイプ批判(ガンダムX)」をする |
上記の説明でも分かるように、ガンダムファン第一世代とガンダムファン第二世代は、理念的には鋭く対立しています。ただここで重要なのは、肯定的・否定的という違いはありますが、第一世代と第二世代は「『ファーストガンダム的なもの』が重要であり、ガンダムのアニメはそれに沿ったお話でなくてはならない」という点では、認識を一つにしているという点です。この二世代は常に言い争いますが、しかし言い争うということは、実は「同じ土俵にいる」ということでもあるわけです。
しかしそのような第二世代の中から、やがて「ファーストガンダム的なもの」の磁場から逃れるものが現れてくるわけです。
ガンダムファン第2.5世代(機動戦士ガンダムSEED〜機動戦士ガンダム00) | 最初はファーストガンダム的な問題意識を描くような物語として出発するが、やがてそれとは違う、独自の物語を描くようになる、 |
例えばガンダムSEED、これもまぁこれまでのガンダム好きからは評判が悪い作品です。「戦争」を描いているアニメであり、そこでは正義といったような「ファーストガンダム的な問題意識」が重要になるにもかかわらず、物語はそのような問題意識から離れ、主人公のキラがセカイ系的*3に自分の周りの人だけを救済して満足するような、そんなアニメになってしまった。これは、第一世代・第二世代に関わらず、「ファーストガンダム的な問題意識」を重要視する立場からは、許すことができないでしょう。*4
しかし、そもそもガンダムSEEDが好きな人達は、そんな「正義」というような問題を本気で考えるようなアニメを、そもそも望んでいるか?多分それは違うでしょう。ガンダムファン第一・第二世代とは、そもそもガンダムのアニメに求めているものの認識が違うのです。キラ・ヤマトのセカイ系的な煩悶と救済が見たいのであって、「ファーストガンダム的なもの」については、好き・嫌い以前に、そもそも興味がない、それが本音でしょう。
そしてこのような流れの延長線上において、いよいよ物語の最初から「ファーストガンダム的なもの」を取り扱わなくなったアニメ、それがガンダムAGEなのだと、僕は思うわけです。
ガンダムファン第三世代(機動戦士ガンダムAGE〜) | ファーストガンダム的なものは一切なくなり、ただ「ガンダムという概念」をツールとしながら、独自の物語を紡いでいく |
この世代においては、「ファーストガンダム的なもの(問題意識)」はそもそも共有されていません。しかし一方で「ガンダムという概念」は残っているのです。そして、その「ガンダムという概念」をツールとして、物語が進んでいく。ガンダムAGEに対する批判でよく「ガンダムである必要がない」という批判がありますが、確かに「ファーストガンダム的なもの」はガンダムAGEは描いていますが、しかし「ガンダムという概念」は、ガンダムAGEは結構重要な概念としているでしょう。では、どのようにガンダムAGEは「ガンダムという概念」を描いているのでしょうか。
ガンダムAGEにおける「ガンダムという概念」
今回のガンダムAGE第一話で一番焦点となり、そしてもっとも批判されているのが、主人公の家に伝わる「正義の味方としてのガンダム神話」です。ガンダムAGEの世界においては、ガンダムという存在は伝説のものであり、そしてその位置づけは平和を守る正義の味方なわけです。
これは、第一世代や第二世代からすればそれこそ「はぁ?」というようなものでしょう。ですが、ファーストガンダム的なものをそもそも原体験として持たない、初めて知ったガンダムがガンダムSEEDであったり、あるいはスパロボやガンプラであるようなガンダムファン第三世代にとっては、極めて納得のいく「ガンダム」の説明だったりします。
そしてこの主人公は、ガンダムという存在を伝説上のものとして知ると共に、(母)親から「これは素晴らしいものだ」として渡されます。それはあたかも、ファーストガンダムや平成ガンダムにのめりこんだオタクな親の元で育って、自然と「ガンダム」という概念を刷り込まれた、今の時代必ず増えている、オタクの子どもたちのように。あの母親はいわば、ガンダムWで801同人誌を書いてたり、初期のコミケで801同人誌を書いていた過去*5のある母親なのです。
そしてそのような親たちから、「ガンダムという概念」をおもちゃとして与えられた子どもが、そのおもちゃで遊びながら、成長していく物語、それがガンダムAGEなのです*6。
これまでのガンダムファンには「おじいちゃん」となることが求められている
このような過程に立つならば、そのおもちゃを与える第一・第二世代のガンダムファン、特に第二世代のガンダムファンは、いわば「子どもにおもちゃを与えるおじいちゃん・おばあちゃん」と言うこともまた、出来るでしょう。
そして、おじいちゃん・おばあちゃんに求められることとは、おもちゃを買ってきてやることであり、その玩具でどう遊ぶべきかとか、その子にどう育って欲しいか口を出すことではありません。ただおじいちゃん・おばあちゃんとして、孫=ガンダムファン第三世代の成長を、温かい目で見守ることだと言えるでしょう。その範囲でならば、別に同じおもちゃで孫と戯れたって、良いのですから。
これまでのガンダムファン、特に第一世代のガンダムファンには、「親」であることが求められてきました。親として立派に息子・娘と向き合い、時には彼らが乗り越えるべき壁となる、そんな「親」です。しかし、このガンダムAGE、そしてここから始まるであろう第三世代のためのガンダムにおいては、「親」から「祖父母」にステップアップすることが、求められているのではないでしょうか。そして、第三世代が成長し、大人になったときに、第一世代・第二世代・第三世代の三人で、ガンダムについて、対立でも同調でもない「会話」をする、そんな未来が、実はガンダムAGEの先にはあるのだと、僕は考えるわけです。*7
その他ガンダムAGE第一話を見て思ったこと
- 主人公がハイスペックであり、そして主人公の周りが主人公にやけに優しいことを不自然に思う人が多いけど、しかしあの年位の青年なら、あれ位の万能感はもっていて当然だし、成長の過程ならともかく、きっかけの段階では、あれ位の万能感の肯定と優しさは、主人公をきちんと成長させるためには、必要じゃないかなぁと思ったり。
- むしろ最近のアニメが不健康すぎるというか。青年に厳しく接して、結果として青年を「終わらない思春期」に追い込むようなアニメが多すぎる。
- 敵のUEについては、なかなか敵役感があってよい。むしろ、あれで「実は中に人が」とかいう、ファーストガンダム的、あるいは竹P*8的な問題意識を混ぜ込むと、却って物語の輪郭がぼやけるのではないでしょうか。
- 敵側にも正義があるという描写は、基本的には敵を倒す現代アニメには必須なのは間違いない。「敵を倒せば世界は平和になる(近づく)」なんていう幼稚な考えは、やはり否定されるべきです。平和を目的とするならば、その手段は暴力ではなく、対話でしょう*9。
- しかし繰り返しますが、この物語の目的はそういう「いかに世界平和を実現するか」というようなファーストガンダム的なものではありません。これは、一人の青年が、自分の生まれ育った環境(それを象徴するのが実は「ガンダム」なのです)の元で、どうやって成長していくかなのであって、敵を倒して世界平和を実現するというよりは、むしろ敵と闘いながら、それまでの自分を倒す物語なのです。そのような物語においては、敵はいわば成長するためのトレーニングにおけるサンドバックなので、むしろ人格的なものはないほうがいいわけです。
*1:twitterでフォローしている人の感想や[http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-4485.html:title=やらおん]を見た印象
*2:もちろん「一話見た限りでは」という留保はつきますが
*3:だから「正義」というような大文字の問題は一切問題にならなくなる
*4:ガンダム00も、TVシリーズではファーストガンダム的な「戦争」を描くアニメだったのが、映画版では「異星人侵略」なんてものを描き、同じようにこれまでのガンダム好きからはあまりいい印象を得ていない。僕はTVシリーズと映画、どちらも大好きですが。
*5:実はファーストガンダムの盛り上がりには、現代で言う「腐女子」が大きく関わっていたらしい。
*6:もちろん第一話からそこまで大胆に考察しちゃってほんとーに大丈夫なの?という不安は残るが
*7:……とかいって、まんまファーストガンダムっぽくなったり、あるいはファーストガンダム否定的な話になったりしたらどーしましょうね?
*8:竹田青滋プロデューサー、土6枠の立役者である。やけにアニメに社会派的な描写を盛り込むのが好き。まぁこれまでの土6・日5ではそういう描写が効果的に働いていて、僕も好きな手法だけど、この作品にはむしろ合わないと思う。
*9:故に僕は、まどマギにおいてもきちんと魔女・魔獣に人格を持たせ、彼らを倒すことが本当に「世界」のためなのか、疑問を持って欲しかった。そうすれば、「魔法少女という夢を守る」なんていうどっちらけな結論にならずに済んだのになぁ、と思ったりするのだが、まぁそれは余談。話すとしたら別の記事で(あれだけまどマギ批判記事書いておいてまだ書くんかい……)