あままこのブログ

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「子どもたちに伝えたい物語」とは?―『ガンダム Gのレコンギスタ I』「行け!コア・ファイター」を見て

というわけで、グダ氏にお金もらってGのレコンギスタ見てきました。

nuryouguda.hatenablog.com

いやほんと、遅くなって申し訳ございません。

ただ、一つ言い訳をさせてもらうと、正直僕みたいなアニメの見方、「アニメをダシにして社会を語っちゃうタイプの見方」をする人間にとって、このアニメはかなーり語りづらいんですよ。

僕は、いわゆる「ガンダム」と呼ばれるような作品群は、最近2つの系譜に分かれてるんじゃないかと思うんですね。一つは『機動戦士ガンダムSEED』、『機動戦士ガンダム00』、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のような、「現実の国際情勢や社会問題とリンクさせた世界」を描くガンダム。もう一つは『機動戦士ガンダムUC』や、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のような、既存の宇宙世紀に則って、「ガンダムのお約束の中の世界」を描くガンダム

この2つの系譜に沿って物語が描かれると、感想も書きやすいんですよ。前者のようなガンダムなら、ではその社会情勢とのリンクのさせ方の是非はどうなのか。そこで伝えたい、現代社会を生きる若者へのメッセージとは何なのかとか、考えられる。一方後者のガンダムなら、これまでさんざんガンダムというものに親しんできたガンダムオタクに対して、この物語は何を伝えようとしているのかとか、そういうことが考えられる。

ところが、今回の『Gのレコンギスタ』は、僕が見るにそのどちらでもないんですね。なんか現実の社会とかとはかけ離れていて、しかも宇宙世紀でもない世界で物語が紡がれる。そうなると、もう何を基準にして物語を見ればいいかよくわからないんですよ。

ただ、そう愚痴ばっか言っていてもどうしようもないので、とりあえず「良かった点」と「よくわからなかった点」をそれぞれ言っていき、最後にではこの物語は何をしたかったのかというのをなんとか僕なりに考えてみたいと思います。ただ、正直この読み方で本当にこの物語が読み取れてるのか、自信は全く無いです。

良かった点―メカ描写・宇宙描写のわくわく感

まず良かった点ですが、まず一番が、ガンダムを見ていて初めて「この宇宙行ってみたい」「このメカ触ってみたい」と思えたことですね。なんだろう、こう言うとなんか玄人たちには「ケッ」と思われるかもしれませんが、チームラボの作品のような、そんな色彩豊かでキラキラしてて、「見ていて楽しい、触ってみるともっと楽しい」、そんな感じの宇宙描写・メカ描写でした。

だから、これを見た子どもが「こんな宇宙に行ってみたい」「こんなメカを作りたい」と思うことも大いに予想できるわけで、そういう点では「子どもが観て一生に残るものをつくる」というのは、その一点において成功しているだろうと思うわけです。

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よくわからなかった点―監督が好きなもの詰め込んだだけに見える政治・社会描写、登場人物たちの感情

逆に、そういう小道具・大道具から離れて、登場人物たちや、政治・社会描写に目を向けてみると、これがよくわからない。主人公が最初に属している陣営は、どうやら祭政一致の体制らしいんだけど、このそんなもの歴史の教科書にのっているぐらいのリアリティしかないわけで、じゃあ完全に歴史絵巻みたいなものかといえば、そこに生きる登場人物はどうやら現代人のメンタリティらしくて、どうもちぐはぐなんですね。

いや、もし本当に「現代人のメンタリティと祭政一致の制度を両立させて描きたいんだ」というんなら、それでもいいんですよ。社会学の分野でも、むしろ現代人は世俗化から再魔術化へと向かってるのではないかという議論もあるし。科学文明を抑制しようとするニューエイジ的な宗教思想が、むしろ現代人には適合的になるという逆説を描こうとするんなら、それはそれですごい批評的な作品になるとは思うのです。

ただ、どうもこの分野については、そこまで深く考えてるというよりは、ただ単に「宗教画とかがある中世っぽい建物の中で法王とかのひとが出てくるの描きたい」という、監督のフェティシズムなだけなんじゃないかと思うわけです。だとしたら、見てる人としては「すみませんちょっとよくわかんないです」と言うしかなくなるわけです。

そして、主人公を含む登場人物のメンタリティや感情の動きについても、これがやっぱりよくわからない。なんかよくわからないところで怒ったり悲しんだりしてんなーという感じ。「富野節」全開で、過剰なまでに説明口調で感情を説明されはするんだけど、「うーん?」となってしまう。

なんでそうなるかといえば、登場人物、特に主人公周辺の若者たちが一体どういう自己形成をされているかがよく分からないからだと思うんですね。一応、なんか士官学校とか、あるいは女子校みたいなところにいることは描写されるわけですが、ただそれがどうも薄っぺらく見えるわけです。どういうスクールカーストに属しているかとかもよくわかんないし、ここで本当に学生生活送ってんの?と。

基本、青少年の世界観って、半径5メートルの友人関係がすべてなわけですよ。もちろん、ガンダムのような物語はそこから飛び出していくから面白いわけですけど、この作品ではその飛び出す前の環境がどんなものかわからないから、そこから少年少女が飛び出していってもいまいち爽快感も不安感も沸かず、ただ根無し草がふわふわ浮いてるなー、としか思えないんです。

そういう点では、いくら「子どものための物語」といっても、そこはもうちょっと対象年齢高くして、せめて中学生ぐらいの子が感情移入できるようにしてほしかったなーと、思うわけです。

まとめ―「子どもたちに伝えたい物語」とは?

ただ一方で、そういう「思春期の閉塞感とそこからの解放」みたいな物語は、日本のアニメにおいては手垢が付きまくってるテーマではあるので、そうでない物語を描きたいというのも理解はできるんですね。

この「Gのレコンギスタ I」を見て全般的に言えるのは、とにかく「今日本で主流のアニメの文法とは全く違う物語を編み出したいのかな」ということです。だから、既存のアニメの文法にどっぷりと浸かり、それに沿ったものを無意識に望んでしまう人間が見ると、どうしても「なんでそこでそうなるのよ?」と思ってしまうわけですね。

だから、そういう既存のアニメの文法に浸かり切る前の、少年期の子どもたちがみたらまた違う評価をするのかもしれません。そういう子どもたちに夢を持つ元気を与えるというのがこのアニメの目的なら、僕みたいな無駄に年齢を重ねたオタクがとやかく言うこと自体間違いなのでしょう。

そして、アニメの作り手に求められる資質という点で言うなら、正しいのは富野監督だと思うんですね。少なくとも、「未来の地球のために環境を守ろう!」と立ち上がった女の子に対し「すべてを奪って絶望のどん底に叩き落として嘲笑してやりたい。」とか言うようなラノベ原作者なんかよりはずっと正しい。

nlab.itmedia.co.jp

というわけで、今のアニメに対して何かしら不満や違和感を持っている人は、もしかしたらこの「Gのレコンギスタ」をみたら、「そうだよこれだよこれ!」と思う、かもしれません。ので、ぜひ見てみれば良いんじゃないでしょうか。