今回の粘着事件のきっかけとなったカントクの発言→「本当にリアルで充実してたら、いちいち差別なんて面倒くさいことやってるヒマありゃしませんし、自分に相応の自信もあるからその必要もない」←完全にまちがい。むしろこの発言自体が差別。
— 負け犬ヘタレな自己愛肥大者(笑)さん (@kinoko2002_) 2013年2月25日
という発言をRTしたら藤原氏から
@amamako あなたこのツイートtwitter.com/kinoko2002_/st… RTかなにかしてますけど、どこが「差別」でどこが「間違い」なのか説明してもらえますか?そう主張している@kinoko2002_という差別意識の固まりが逃げて答えないものでよろしく。
— toshi fujiwara/藤原敏史さん (@toshi_fujiwara) 2013年2月25日
現に必要でしょ?コミュニケーション能力がないならツイッターなんてやめなさい。RT @amamako 一番イライラするのが、善意のつもりで「しかし社会性とか人間力とか常識とかコミュニケーション能力も必要だよね」と
— toshi fujiwara/藤原敏史さん (@toshi_fujiwara) 2013年2月25日
というリプライが来ました。
なので、今回の記事ではそれに応答し、なんで「本当にリアルで充実してたら、いちいち差別なんて面倒くさいことやってるヒマありゃしませんし、自分に相応の自信もあるからその必要もない」という発言が間違っていて差別的であるというきのこ氏の主張に僕が賛同するのかお答えします。
「リアルで充実している奴は差別なんてしない」という発言が間違っている理由
まず、そもそもリアルが充実していない人間が差別なんてしないというのは、そもそも事実として間違っています。
「リアルが充実」とは、一般的に恋人や家族や友人がいて、仕事も安定した職を持っており、自分の生活に満足している状態を指すでしょう。では、こういう人たちの中に差別を行なっている人がいないのか?答えはNOです。今回問題になっている在特会に関しても、
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という在特会を取材したルポタージュの中では、普通に仕事を持っており、家庭も持っている人達が在特会のメンバーとして紹介されていますし、また在特会に対してインタビューを行ってその結果をまとめた
排外主義運動のミクロ動員過程 ― なぜ在特会は動員に成功したのか―(PDF)という論文においても
本稿の対象者をみると、33名のうち高卒7、専門学校3、大学(中退、在学を含む)23名であり、全体として学歴は決して低くない。職業をみても、大学在学中2、ホワイトカラー 21、ブルーカラー 7、自営ブルーカラー 3名であり、退職者以外無職の者はいなかった。
と述べられています。更に、インターネット上でネット右翼について量的に調査を行った
インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究 調査結果概要報告書
という論文においても、特に移民排斥感情を持っている人が、コミュニケーションが不得意だったり対人関係が狭い・浅いというような特徴は見出されないと述べられています。
つまり、少なくともこういうルポタージュや量的調査のみを見れば、在特会のような差別をする集団に属する人は「リアルが充実」している人が、社会の平均程度には居るといえます。
「リアルで充実している奴は差別なんてしない」という発言が差別的である理由
次に、ではなぜこういう「リアルで充実している奴は差別なんてしない」という発言が、差別的であるか説明します。
まず1つ目の理由として、この発言が「リアルで充実してない人間が差別を行う」という、「リアルが充実してない人間」に対する偏見を助長させるということが挙げられます。あなたは、在特会のようなレイシストが「朝鮮人は倫理観がないから犯罪を犯す率が高い」なんてデマを垂れ流す*1のと同じように、「リアルが充実していない人間は差別をする率が高い」というデマをまき散らしている。これは明らかに差別的でしょう。
そして2つ目の理由として、「本当にリアルで充実してたら、いちいち差別なんて面倒くさいことやってるヒマありゃしませんし、自分に相応の自信もあるからその必要もない」という発言は、リアルが充実していない人をリアルが充実している人より下において見下していいという、「リアルが充実していない人」への差別を追認しています。
最後に3つ目の理由として、これが自分にとっては一番重要なのですが、差別は別にそれが「リアルが充実していない人」によって行われるから悪いのではありません。「リアルが充実していない人」によって行われようが、「リアルが充実している人」によって行われようが、差別は差別であり、それが差別であるという、ただそれだけの理由によって悪いのです。そこに「リアルが充実していない人が差別をする」なんていうデマを撒き散らすことは、差別問題についての理解を歪曲させ、更に、「リアルが充実していない人」への差別を持ち込むことによって、「差別そのものが悪い」という大前提を揺るがしてしまう。
以上の3つの理由から、僕はきのこ氏に賛同し、藤原氏の発言はまちがっており、しかも極めて悪質であり、まさしく差別的な発言であると考えます。
コミュニケーション能力について
そしてその思いは、「コミュニケーション能力がないならツイッターなんてやめなさい。」という発言によって更に強まりました。コミュニケーション能力というものの存在をあなたは肯定し、それがない人にツイッターをやる資格が無いとあなたは主張しますが、そうやって主張することは、自分にコミュニケーション能力がないと思っている人を尻込みさせ、そういう人から発言の機会を奪うという点で、まさしく最低最悪の発言でしょう。
コミュニケーションは、それをしようとする意思があればいいんです。能力は必要ありません。むしろ「ツイッターをする人はコミュニケーション能力をもってなきゃいけない」とかのたまうあなたのような人間の存在こそが、コミュニケーションの邪魔者であり、ツイッターから去るべきなのです。だってあなたには、そうやって発言することによって、「自分にはコミュニケーション能力がない」とスティグマを貼られてしまった人とはコミュニケーションする気がないと主張しているのですから。しかしそういう風にのたまって小ミョュニケーションを拒絶するなら、最初から公開の場所で発言なんかしなきゃいいでしょう。おとなしく閲覧制限のできるSNSにでも引きこもって、コミュニケーション能力が高いお仲間さんと「あいつらってやっぱりダメだよねー」などと陰口を叩き合っていればいいでしょう。
はっきり言います。あなたの存在は真に差別と戦う人にとって迷惑です。あなたのような人が反差別の代表の面してツイッターで発言すればするほど、反差別とか行っている連中は実際には「リアルが充実していない人」への差別を推奨する、口先だけの連中なんだと誤解を受けてしまいます。
「ツイッターなんてやめなさい」という言葉は、そっくりそのまま、あなたにお返ししましょう。
*1:もちろん実際はそんなことない。詳しくは外国人包囲網―「治安悪化」のスケープゴート (GENJINブックレット など参照