あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

がっこうとおたく

明日締め切りのレポートが全然書けなくて死にかけているからなのかはしらないけど、何故か無性にブログを書きたくなったので書いておく。
なんだろーね−、書きたいことも特にないけど何か書きたいから書き始めたけど書くこともないよなー。
あーそうだ、アニメの改変期だからとら ドラとかCLAN NADとかが終わるそうで、これでちっとは世の中もマシになるのかねぇ。いや自分の中ではこの二つのこと因果関係あるんだけど、それを説明する気力すらないというか。
あーなんだろーな。「学校」を経由しない成長のあり方っつーのはオタク文化では描けないものなのかねぇ。
まぁ、別に僕はそんなに学校嫌いではなかったけど、でもそうだからこそ言えることとして、あんな場所で得られることなんか何もないよ。いや、知識は得られるけど、なんか人間的な成長とか、そういうのなんて、全く。
大体同年代の人間しかいないような場所で「人生」を学ぶよりは、色んな性格で色んな生き方をしてきた色んな年齢の人間とつきあえる場の方がよっぽど「人生」なんか学べる筈なんだよ本当は。学校っていうのは、結局知識を効率よく得るためにその他の様々なものをトレードオフして切り捨てる場なわけだからさ。知識を学びたい、だから学校で知識を学ぶっていうのは目的と手段が合ってるかもしれないけど、知識ではない、「生き方」を学びたいのなら、まず学校なんか捨てなきゃだめだよね。
そこをなーぜかオタク文化っつーのは学校という場に縛られて、そこで何とか成長、あるいは成熟しないと思い詰めるわけだ。でもそんなの明らかに目的と手段が乖離してるから無理なわけで、そこの無理を何とかしようとするために、オタク学園はリアリティを失い現実と乖離している。
なんだろーねー、オタクの学園もので本気でリアリティがあるのって、僕は『うる星やつら』と『School Days』しか見たことない気がするよ。前者は学園で成熟なんかむりだからはなから成熟を諦める。後者は、学園で大人になろう(あいつらどー考えてもただ恋に恋してるだけだからね)として、それは無理だから破綻するという。例えば誠なんかは、あんな状況に至ったら普通に考えりゃとにかく家出でもなんでもして逃げる。それが万人にとって幸せだったはずなのに出来ない。なぜならそれはスクールデイズだから。という、学校というものの閉鎖系の怖さを描ききっていた。そこのところを分からないバカなオタクは「誠死ね」とか書くけど、本当に死ぬべきはあの「学校」という場所そのものでなのである。
あー、誰か反学校ジュブナイルとか書かないかなぁ。異世界ものとかはよくあるけど、それにしたって学校を壊すわけではない。やっぱり正々堂々正面から、自分を捕らえる学校を粉砕する!そんな尾崎豊的な発想は、オタクには無理かなぁ。
よーするに何が言いたいかというと、学園紛争ライトノベルを誰か書きなさいってこと。もうあったりしたらごめんね?但し、きちんと学校を解体しないと駄目よ。