あままこのブログ

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座談会Ust中継直前!:僕にとって「論争する」ということは

というわけで、とうとう今日の午後3時から、id:dokai3氏、id:yasagon氏、id:TM2501氏との座談会Ust中継が行われます。放送予定URLはhttp://ustre.am/VtLxです。詳細は今月の30日にTM2501さんなどを招いてUst中継をやります - 斜め上から目線にありますので、そちらを参照してください。
この記事では座談会の直前ということで、「論争する」ということが一体なぜ必要なのか、僕の意見を述べたいと思います。
「論争」ということが嫌いな人がいます。というか殆どの日本人はどうやら嫌いなみたいです。オタクにもそういう論争嫌いは一杯居て、そういう人にとって僕みたいな論争好きは「インターネットから騒ぎマン」なんだそうです。

ですが、じゃあそういうことを言う人間が、実際は一体何をなさなかったかアニメイベントでの石破&戦車は「軍靴の響き」か「普通の国への第一歩」か - 斜め上から目線二次元キャラクターの「政治利用」はどこまで許されるか - 斜め上から目線で紹介されたような、アニメやゲームのキャラクターが政治利用や、不可解な“原作改変”繰り返し、視聴者を挑発し続けた『さくら荘のペットな彼女』いよいよ最終話(1/2) - 日刊サイゾーみたいな俗情と結託したネトウヨ批評がはびこるのを容認し、増長させてきたのが、まさに上記のような発言をした人間ではないかと、僕には思えてなりません。自分は論争に参加しないから何も批判されないという安全圏にいながら、上記で挙げたようなおかしな動きやに程度の低いネトウヨ批評に対して批判する人を「インターネットから騒ぎマン」とか言って揶揄し、結果として政治利用やていどのひくいネトウヨ批評を側面から支援する。一体「最悪」なのはどっちかと言いたくなります。
もちろん、僕の言っていることが間違っている時もあるでしょう。というか、僕が言うことなんて多分ほぼ間違っています。でも、その間違いが間違いであねると思うなら、きちんと批判すれば良い。そう、まさしくそれが「論争する」ということなのです。そういう論争を避けて、「両方の言うことに一理あるから、喧嘩するのはよそうよー」なんていうなあなあの議論をしながら間違いを正していくなんてことは絶対に不可能です。
複数の、異なった「自分にとって正しいこと」を抱えた人間が、双方に批判しあい、自らの正しさを訴える議論を戦わせることによって、「双方にとって正しいこと」を見出していく。僕が論争することに求めるのはそういうことであり、それはネットでもリアルでも変わりません。
今日の座談会でも、まさにそういう論争を行なっていこうと、僕は考えています。ですからぜひぜひご期待ください。ご視聴・コメント、お待ちしております!