あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

きっとこの世の殆どの人は善人で、だから世界は残酷だ

なんか眠れないので、今思ってることをつらつらと書いていく。

 

いちおう書いておくと、僕はこれから「論理」の話は一切しない。そうでなく、徹頭徹尾「感情」の話をする。

 

Twitterの凍結が解除されて、ふと思いついて、自分をフォローしているアカウントを適当にフォローバックしてみた。そうすると、この世の中が改めて分断されていることに気付かされる。

 

新聞広告のマンガの件にしてもそうだ。広告肯定派と否定派、それぞれがそれぞれ自分たちの正しさを主張し、自分の意見と同じ立場からの、「気の利いたツイート」をRTしていく。

 

それを見て、もちろん個人的に、この意見は分があるなとか、その意見はちょっと違うんじゃないかとか思うことはあるのだが、それ以上に思うのは、その二つの立場のかみ合わなさだ。

 

このかみ合わなさをなんだろうとかんがえるために、一旦TLや現実を離れて、自分が同情できる、「理想の主張者」について考えてみる。

 

まず肯定派の方。

 

少年は、あまり世間になじめない中で、必死にマンガだけを勉強し、上達させていった。そして、やがてマンガが世間に認められ、マンガ雑誌に掲載され、新聞広告にまでなる。

 

ところが、そこでいきなりそんな漫画存在してはいけないと否定される。

 

一方否定派の方。

 

少女は、いつも自分の胸の大きさを、性的な目で見られてきた。そのことは少女にとってとても嫌だったが、耐えるしかなかった。

 

しかし最近になって、やっとそういう目で見ないでと、言ってもいいんだと気付いたし、社会もそういう目で見ることを許容しなくなってきた。よかった。やっとこれで、自分がそういう目で見られずに済むんだと。 

 

しかしある日、新聞広告を目にすると、胸の大きさを性的な目で見るマンガの広告を目にする。結局、この社会は変わっておらず、胸の大きい女性はそういう目で見られるのか。

 

もちろん、これはあくまで「理想化」した姿だ。だが、こうやって理想化してみると、どっちの少年少女もかわいそうに見えるし、応援したくなる。

 

そして、それぞれの主張を支持する側に見えているのは、まさしくこうした理想化されたかわいそうな存在の片方であり、だからこそ「この少年/少女を助けなければ」と、思ってしまうのだ。

 

これが、どっちかが完璧に同情出来ないならよかっただろう。少年を批判してるのが、ただ性的な表現は風紀を乱すから行けないと考えているようなヒステリックな人であったり、あるいは少女が嫌うマンガを書く人が、女達を性的な目線で見るのは男の権利だ、文句言うなと考えるような外道であったり。実際、こういう風に対立相手を「悪魔化」するツイートも多々見てきた。

 

しかし実際は、そういう悪魔もいるかもしれないが、大多数は「かわいそうな目に遭っている人がいるから助けてあげよう」と考える善人なのである。

 

善人同士が自らの善性でもって「誰かを助けたい」と思うその心が、この世に対立の種をまき、衝突と不和を引き起こすのだ。

 

その世界の残酷さが、今日も僕を眠れなくする。