あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

「堕落したい」と思うことは保守か革新か

goldhead.hatenablog.com
上記のid:goldhead氏の記事が、読んでいてとても面白いなぁと思ったので、自分も記事を書いてみる。

僕は、自分自身が信じられないから革新なのかも

上記の記事では、「革新」を、今ある状況を否定してそれを進歩させていくものとして捉え、「保守」はその反対に、今ある状況を肯定し、それを維持していく考えだとしている。

そして―これが読んでいて面白いところなんですが―id:goldhead氏は、その分類で言うなら、自分は自分自身を変えて高めるために頑張っていきたくないから、自分の内面に対しては保守主義なんじゃないかと考え、それを「我が内なる保守主義」と呼んでいるんですね。

こういう論法というのは、既存の保守勢力や革新勢力というものから一旦離れて、原理的に「保守」や「革新」とは何かを考えるために、極めて筋の良い思索なんじゃないかと思う訳です。

そして、自分に照らし合わせて考えてみたとき、まず思ったのが「僕は完全に『我が内なる革新主義』だな」ということです。

ただ、上記の記事では、「我が内なる革新主義」の例として、ビジネス書とかセミナーとかに参加して、自分を成長させていくという人を挙げているのだけれど、僕は、そういうタイプではありません。むしろ働くのとか大嫌いだし。

そうでなく、僕は、「自分」というものが、何もしないでいるとひたすら悪い方向に向かっていくと考えているのですね。自己中心的で、すぐ他人の行動を支配しようとし、自分の思う道理に他人が動かないと癇癪を起こす。「どくさいスイッチ」をドラえもんから渡されたら、どんどん人を消して言ってしまうタイプです。

そして、そういう自分を、ただ放っておいて行き着く先には、それこそ連合赤軍みたいに、気に入らない他人をリンチ殺人したり、ナチスドイツの小役人みたいに、差別している対象を虐殺したりする結果が待っていると考えています。

だから、そういう結果を生まないために、「我が内なる革新主義」に基づいて、自分自身を革命していかなきゃならないと考えるわけです。潔く、カッコよく、生きていくために。*1

「寝そべり主義」をどう考えるのか?

しかし、更に考えてみると、そうともいえない自分がいることにも気づきます。

例えばid:goldhead氏は以下のように述べますが

まず、理論がねえし、科学がねえ。計画をたてる気力もねえし、自分を進歩させたいという思いもない。そして、なにも変わりたくない。家での生活から幼稚園に行くのも泣いて嫌がったし、幼稚園から小学校に行くのも嫌だった。確実にこの延長線に今がある。

この「家での生活から幼稚園に行くのも泣いて嫌がったし、幼稚園から小学校に行くのも嫌だった。確実にこの延長線に今がある。」という気持ちはとても理解できるわけです。

また、昨今寝そべり主義というものが注目されています。詳しい説明は以下のページなどをごらんになって欲しいのですが
imidas.jp
簡単に要約すれば、「競争を仕向ける社会秩序を拒絶して、ただグダグダと寝そべっていく」という考えです。

僕は、この考えにすごく惹かれるのですが、ではこれは保守か革新か?*2

「堕落したい」と思うことは保守か革新か

このようなことを考えていくと、以下の様な問題に行き着きます。それは

「堕落したい」と思うことは保守か革新か?

という問題系です。

そして、このような問題系の典型にいるのが、坂口安吾という文学者です。ちょうど、僕のブログの記事を、坂口安吾の『堕落論』を絡めながら紹介してくれる人がいましたね。
yapatta.hatenablog.com
坂口安吾は、とても人気ある文学者で、正直僕も太宰より安吾の方が好きだったりするのですが、彼が「保守」であるか「革新」か?というのは、実は日本近代文学を考える中で、結構大きな問題となってきたのですね。

坂口安吾の思想を語るというのは、このブログ記事単体ではとてもじゃないけど出来ないことで、それこそNHKでシリーズにして取り上げられるようなことなのですが
www.nhk.or.jp
簡単に言うと、「古い社会道徳を否定し、人間本来の人間性を解放する」ことを求めた人といえるわけです。

しかし、そういう思想を持った人が、しかし他方では、「特攻隊」のようなものを賛美するわけです。
www.aozora.gr.jp
これを、一体どういう風に考え、思想として位置づければ良いのか?

「ただ矛盾しているだけだろ」と言うのはたやすいです。しかしこういう「一見矛盾しているように見えること」って、僕の心の中にもいっぱいあるわけです。「勉強なんて面倒くさい」と思いながら、いっぱい勉強している友人に劣等感を抱いたり、「革命のために人を殺すなんてダメだろ」と思いながら、心の中で日本赤軍のような過激派をヒーローのように思ったり……

オウム真理教へシンパシーを抱いていたことを公言すれば無条件で叩かれる世の中で、こういうことを考え続けるのはなかなか難しいですが、しかし、こういうことこそ、真に「考えるべき問題」なんじゃないかと、思う訳です。

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*1:あー、『輪るビングトラム』劇場版楽しみ

*2:いやまあ、中国共産党の指導に反旗を翻しているという意味では、反共産主義と言えるかもしれまえんが、そういう話はしていない。