あままこのブログ

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シーライオニングから考える「保守のフェミニズム」

「シーライオニング」という言葉がSNS上で話題になっています。どういう意味かというと、「自分の意見に反対する側を質問攻めにすることで、相手に嫌がらせしようとする行為」と、一般には捉えられているみたいです*1
ところが、この「シーライオニング」という言葉、あるWeb漫画が元ネタの言葉だそうなんですが、そのWeb漫画を見ると、どうも上記に挙げられたような用法には必ずしも還元されない、複雑な含意があるように思えてならないんですね。


僕は、この漫画を読んだとき、まず最初に「いきなり『アシカは嫌い』なんて言われて、そこで怒ってもいいのに、怒りもせずにその理由を聞こうとしたら邪険に扱われる。アシカさん可愛そうすぎじゃない?」と思いました。
言うなれば、僕はこの漫画を読んだ時に、そこに「マジョリティ(人間かつ貴族)がマイノリティ(言葉を発するアシカ)に対し嫌悪感を表明し、しかもそのことに一切反省すらしない」という描写を受け取ったのです。
だとすれば、むしろリベラルやラディカル的にはアシカの側に立つべきなんであって、そこで人間の立場に無邪気に同一化するのは、どうも危ういんじゃないかと、そう思ったのです。
同様の指摘は、CDB氏もしています。
note.com
ただ、そこで更に考えると、そもそも「リベラルorラディカルであること」と「フェミニストであること」が、イコールで結び付けられるというのも、一つの思い込みで、反リベラル・ラディカルなフェミニズム、いわば「保守のフェミニズム」という立場もありうるのではないか。そしてその立場に立てば、元ネタのWeb漫画での「シーライオニング」は、私的領域の不当な侵害として、非難されるべきものになるのではないかと、考えられるのではないか。そんな考えが、浮かんできたのです。
どういうことか、これから説明しましょう。

アシカがやってるのは「非暴力直接行動」としての問いかけと捉えることができる

まず、そもそもなぜアシカがやってることがリベラルやラディカルにとっては擁護されるべきことなのか。それは、アシカのやっていることが、まさしくリベラルやラディカルが理想とする「非暴力直接行動」だからです。
非暴力直接行動とは何か。方法としてはそれこそ座り込みから署名活動、糾弾会、メディアジャックと呼ばれる行動までさまざまあるのですが、それぞれの行動の目的は、だいたい以下の一つに集約されます。それは

  • 対話/交渉/取引に応じようとしないような相手を、交渉に引きずり込む

ということです。逆に言えば、ここから逸脱し、例えばぶん殴ったり、あるいは相手を意図的に成人すら困難な窮乏状態に追い込んで、自分の主張を通そうとする行為は「暴力」となります。
なお、ここで抑えておかなければならない、「暴力」も決して全否定されるべきものじゃないということです。多くの歴史上の革命は、非暴力直接行動でなく暴力によって達成されました。そして、それらの革命により、基本的人権の獲得や、社会保障の充実などは行われてきたのです。あくまで他に方法がない場合に限りますが、暴力もまた、社会改革のための一つのオプションとして、考えはされるべきなのです。
しかし、それでもできるなら暴力より非暴力のほうがいいです。それはなぜかといえば、「一旦暴力が容認される空気が醸成されると、往々にしてそれはより暴力に資源を動員できる、マジョリティや資産家・権力者に有利になることがある」ということです。実際は、他の戦略の使い方によっても変わってくるので、絶対にそうなるとはいえない(だからこそ暴力は選択可能なオプションとして考慮はし続けなくてはならない)ですが、暴力が容認されると、それは暴力を独占している国家や、警備会社や暴力団を簡単に動員できる資本家、また、それこそ「数の暴力」を行使できるマジョリティに有利になってしまうんですね。
以上の理由から、リベラルやラディカルは、マジョリティや権力に対抗する手段として、「非暴力直接行動」というものを重要視してきました。そして、Web漫画でのアシカの行動は、まさしく「非暴力直接行動」なのです。
アシカは、別に暴力を使い、相手に強制的に「アシカは嫌い」という主張を撤回させようとしているわけではありません。ただ、「アシカは嫌い」という言論を、交渉の俎上に載せようとしているのです。そしてその為に、ずっと質問攻めに合わせたり、家に押しかけたりしているわけです。これは、まさしく座り込みなどと一緒の直接行動です。
「こんなの嫌がらせじゃん」と思う人もいるかもしれません。ですが、同じように座り込みや署名活動、組合加入、糾弾会といった非暴力直接行動も、権力・マジョリティ側は「単なる嫌がらせ」と避難してきたのを忘れてはいけません。時に弱者やマイノリティ側は、嫌がらせ的であっても行動に出なければならないのです、それを否定してしまうことは、結果として権力やマジョリティを利することに他なりません。
以上のことから、リベラルやラディカル的には、アシカのやっている行動はむしろ「非暴力直接行動」として擁護されるのです。

非暴力直接行動を否定する「保守」の立場からのフェミニズムも現れているのではないか

しかし、いくらリベラルやラディカルの側からそうやって「アシカは擁護されるべきだ」と主張しても、むしろ多くのSNS上のフェミニストは「そんなのどうでもいいよ。こういう嫌がらせに私は苦しんでるんだから、こういう嫌がらせは私の目の前から排除したい!」と言うでしょう。
なぜそう思うか。その理由は、端的に言えば、彼・彼女らフェミニストがもはや、対話/交渉/取引は不要、そんなの無くたって自分たちの目的は達成できると、考えているからではないでしょうか。
先日朝日新聞にこのような記事が掲載されました。
www.asahi.com
上記の記事では、SNS上であったり、セレブなどが支持するフェミニズムを「ポピュラーフェミニズム」と呼び、若い人たちにこれらのフェミニズムが「感じのいい」ものとして写ってると分析されています。
(余談ですが、ネット上にの反フェミの人たちはこのようなポピュラーフェミニズムを一部のものとして、未だにフェミニズムなんてガミガミおばばとして馬鹿にされてるんだと思いたがっているようですが、まあ、現実から目をそむけるしか精神安定の方法がないんでしょうね。彼らバックラッシュが現実から目を背けて弱くなっていくのは、むしろいいことですが。)
なぜ「感じのいい」ものであるかといえば、それらフェミニズムが、「議論」を仕掛けるものではなくなったではないでしょうか。議論なんかによって無理やりフェミニズム側の要求を飲ませなくても、普通に社会が回っていけば、女性の立場は向上するんだ、というものです。
だから、今のそういったフェミニズムは、ウーマンリブといった昔の運動を参照したりしません。代わりに彼・彼女らが参照するのは、例えば↓の本だったりします。

最初僕はタイトルだけ読んでこの本は「ああこれまでのフェミニズムのように、対話を重要視してるんだな」と思ってたんですね。ところが、読んでみるとこの本はむしろ、ひたすら「異なるものとの対話なんてしなくていい」と、対話の価値を否定しているんです。この本で言う「黙らない」「ことばが必要」というのは、男性やマジョリティに投げかける言葉ではなく、むしろ女性同士で内向きに自分たちシスターフッドを鼓舞する「内向きの言葉・会話」のことだったのです。
なぜそういう戦略をするといえば、もはや対話なんてしなくても、現行の社会秩序のまま社会が維持されれば、女性の地位は勝手に向上していくと考えてるからなんですね。そして、それは多分正しい。労働人口が有り余ってた昔ならいざしれず、労働人口がどんどん減少していく現代においては、すくなくとも「男と女で違う扱いをする」なんて非効率的なやり方はどんどん廃れていくでしょう。
だから、現代の若いフェミニストは、もはや議論や対話など求めません。むしろ「異なる立場との対話」なんていうのはできる限り避けられるようにすべきもので、私的領域とは闘争の場ではなく、シスターフッド同士のエンパワーメントの場となるのです。
そのような立場は、いままでの「個人的なことは政治的なこと」といい、社会全体で闘争を行おうとしたリベラルやラディカルのフェミニズムとは違うものです。むしろ、私的領域と公的領域を厳然と区別し、私的領域に公的領域の正義を持ち込もうとしないという点で、保守のイデオロギーに近い、「保守のフェミニズム」なのです。
そしてそのような観点からすると、今回話題に上げているWeb漫画は、私的領域においてまで踏み込んできて「対話」の名のもとに嫌がらせをしているという点で、批判されるべきものとなるのでは、ないでしょうか。

賛成するにしろ批判するにしろ、「保守のフェミニズム」というものをまず理解しなければならない

以前、SNS上で、「トランスジェンダーを排除するフェミニスト」、いわゆるTERFというものが大きな議論となりました。しかしこれも、今から考えると「保守のフェミニズム」と呼べるべきものだったんではないかと、いまでは思うんですね。保守なら、トランスジェンダーを排除することに何も問題を感じないのは、むしろ自明のことと言えるでしょう。そしてそうであるなら、いくら保守にリベラルの理念を説こうと徒労に終わる以上、TERFをリベラルやラディカルの理念から批判することも、また徒労に終わるのです。
このような「保守のフェミニズム」というものをどう理解し、対峙していくかこそ、SNS上のフェミニズムや若い人のポピュラーフェミニズムを考える上では、重要になってくるのかも、しれません。

*1:少なくとも僕の観測範囲では