あままこのブログ

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30代・40代はなぜ「絶望的」か-他人を「道具」としてしか見られない世代

都知事選、終わったそうで。
まあ、基本的に僕は「地方の選挙はその地方の人が考えるべきことで、他所の人が口をだすべきではない」と考えるので、今回の都知事選には口を出しませんでした。
ただ、選挙結果を見て思うのは、「やっぱうちらの世代(30代・40代)って、本当にダメだなぁ」ということで。


一応32歳で、30代である僕としては、本当に「うちらの世代がダメですみません」としか言いようがないです。
ただね、一つ言い訳をさせていただくと、うちらの世代は、維新みたいなネオリベか、さもなくば日本第一党みたいなゼノフォビア(外国人嫌悪)しか、道がなかったというのも、あると思うんですね。
何故か、要するに僕らの世代は、リベラルや左翼がいう「公共」「市民社会」というものから何か助けてもらった経験がないんですよ。
そんな中で、立憲やれいわが言う「損得抜きでみんなで助け合う社会」というのは、夢物語としか思えないんです。

ルルーシュやライトがロールモデルだった世代―他人とは常に、利用する/されるものでしかない

さんざん言われてきたことですが、今の30代・40代というのは、不景気の中で、常に他人と何かを奪い合ってきた、そういう世代です。
学校卒業後の就職活動では正社員の地位を奪い合い、その奪い合いに敗れたものは非正規雇用の中でいつ他人に職を奪われるか不安に怯える。例え奪い合いに勝てたとしても、そこで待っているのは他社との果てしなき競争。もしその競争に敗れて自分の会社が潰れたり、解雇でもされたりしたら、せっかく就活に勝っても意味がないから、必死で他社や他人を蹴落とそうとする終わりなきサバイバル。
そんな中必死で生き残ってきた*1僕ら世代には、いつしか「他人とは利用するもの、さもなくば自分が利用される」というメンタリティが染み付いているんです。
これが一番良くわかるのが、僕らの世代の人らが、アニメや漫画で一体どんな主人公が人気で、ロールモデルとなりうる存在だったかということです。僕より上の世代なら、アムロ機動戦士ガンダム)とかシンジ(新世紀エヴァンゲリオン)とかでしょう。組織の中で頑張って助け合う主人公、あるいは、より深く自身の存在意義について内省する主人公、いいですよね。
あるいは、僕らより下の世代なら、それこそキリト(ソードアート・オンライン)とかお兄様(魔法科高校の劣等生)とかでしょうか。圧倒的能力でもって気に入らない奴らをやっつけて、自分の大切な人を守る主人公、いいねー、これもまた王道ですよ。
それに対して、僕らの世代で人気だった主人公と言ったら、それこそルルーシュコードギアス

とかライト(デスノート)とかですよ。
なんですかこの差。
自分の望むことのために、他人を平気で利用して、それに何ら罪悪感を抱かない主人公。一体何で僕らはこんな主人公たちに憧れてるんだ。
でもこれが、僕らの世代の真実なんです。他人をボロ雑巾のように使い回すことしか考えない人たち。そんな中で、もし「他人のためになにかしたい」なんて思ったら、その結末は体よく搾取されることでしかない、世界っていうのはそんなものなんだと、僕らは信じて生きてきたし、事実そうだったわけです。

コネを使って何が悪いか、本気で分からなくなってきている

森友や加計学園、またその他にも今の安倍政権のなかで起こっている様々な汚職事件、かつての日本だったら、こんな汚職、一つあっただけで、政権が吹っ飛んでいたでしょう。
しかし今の私達、特の僕らの世代では、こんな事件がいくつあっても何も変わることはありません。なぜなら、「汚職して自分のコネ使って、何が悪いの?」というのが、世代の共通意識だからです。
例えば、僕らの世代が就活しているとき、決まって僕らはこう言います。「コネとか使ってなんとかできないかなぁ」と。
あるいは、会社の仕事で新規案件を取ってくるときも「なんかコネとか使えない?」と、平気で言うわけです。
なんなら、公的機関に相談しにいったときでさえ、こういうこと言われるんですから。
かつての日本だったら、実際にそれが行われなかったとはいいませんが、少なくとも「コネを使って何かを得る」ことは良くないことで、大っぴらに言っていいことではないと分かっていたはずです。少なくともそれは邪道であり、本当に正しいのは、コネとか一切ない環境なんだと。
ところが現代では、もはや「コネを使う」ということが大っぴらに正当な行為であるとまかり通ってしまっている。そういう社会に生きていれば、そりゃあ政治でコネを使った汚職とかが横行しても、「それの何が問題なの?」と、思うしかないでしょう。
コネでもなんでも使って他人を利用して自分の利益を分捕ろうとする、それこそが正しい人間のあり方だと、少なくとも僕らの世代は認識してしまっている。そんな中で、安倍政権とか維新とかは、「うまいことやった人たち」として尊敬を集め、日本第一党みたいな排外主義の連中は「日本人に利益をぶんどってきてくれる」頼れる奴らとして支持を集める。一方で、リベラル勢力は「綺麗事に囚われてなにも得られないダメなやつら」と思われてるんです。

でも今の10代・20代がそうならないという保証は?

まあでも、こういう魂が汚れて善悪の区別もつかなくなった連中が、うちら世代に限定されるなら、それこそ社会からパージするなりして、以降の10代・20代に期待を寄せればいいとは思います。僕は同世代の人間の大部分が大嫌いなので、例え自分が巻き添えになっても、そういう解決策でいいと本気で思ってます。
でも、10代・20代、本当にそんなに信頼がおけますかね?
記事の最初に挙げたツイートでは「10代、20代の若い世代は希望だ。」という言葉があります。ですが、30代の、心が汚れてしまった人間として思うのは「でもそれって結局、自分の力で社会をサバイブしなくてもなんとかなる身だからそう思えてるだけで、一旦この弱肉強食の社会で生き残らなきゃならなくなったら、途端に僕らみたいになってしまうんじゃない?」ということです。
「10代、20代の若い世代は希望だ。」とかいう美辞麗句で褒めそやしても、実際にそういう美しいメンタリティで生きていけなければ、途端に生き汚くなってしまうのが、人間というものではありませんかね?
と考えるのは、僕らの世代がダメだからなのでしょうか。
「他人を利用し、蹴落としてでも自分が生き残れればそれでいい」という汚らしいメンタリティが根付いてしまった僕らの世代として、10代・20代の若い世代には、そういうメンタリティではなく、みんなで助けあうということを美徳としてほしいと、僕は思います。ですが、それは少なくとも、今の社会では不可能に思えてなりません。

*1:これは比喩ではないんですよ。実際、僕らの世代で、同級生に自殺してしまった人や過労死してしまった人がいない人なんて、ほとんどいないんじゃないか?