ちなみにこのコマはですね、のび太が面白半分に呼び出した宇宙人がそれに対して抗議しているのに「なにか言ってるけど意味わかんないw」と笑ってたらあやうく宇宙戦争が起きかける話なので、受け取るべきは「理解できない話でも無視してはいけない」という教訓ですね…… https://t.co/oZqauhPQW6
— ノザキハコネ (@hakoiribox) 2022年4月9日
どーもドラえもんという作品は、こういう風に、作品の意図を無視して一コマだけ切り取られることが多くて、他にも
「抑止力」って言葉を凄く端的に説明している辺り、藤子先生は神。 pic.twitter.com/IoocmEoUMy
— 手動人形 (@Manualmaton) 2017年4月22日
すでに指摘されてますけど
— ウナム日月 (@unamuhiduki) 2017年4月23日
「抑止力のつもりで核兵器持っても運用者(この場合は国を乗っ取った小悪党)がその通り使うわけない」
ってとこまで藤本弘先生が描いていることを無視するのはアンフェアであり
ドラを自分の政治的主張に利用するな! と怒りを覚えますね@Manualmaton pic.twitter.com/KN8XIy10GA
みたいに指摘される曲解切り取りがなされることがあったりして、藤子・F・不二雄ファンとしてはほんと忸怩たる重いがあるわけですが。
でもまあ、これら切り取りって言うのは、それこそboketeでドラえもんが数多くネタにされるように
bokete.jp
「作中では別にそんな変な意味ではないものの一部を切り取り、そこに別の面白みを見いだす」という、『VOW』
www.1101.com
に代表されるようなサブカル的面白がり方なわけで、そういうサブカル的な面白がり方自体の是非はともかくとしても、「分かっていながら敢えてやっている」ことなんだろうなと、思っていたんわけです。
しかし、↓の記事に対するはてブの反応を見ていると、どうやらそれは、人々のリテラシーを過大評価していたのかなと、思ったりしました。
lastline.hatenablog.com
この記事、結論自体に賛成するか反対するかはともかく、マンガの読み解きとしては至極まっとうなことしか言ってないわけです。
ところが、はてブではこんなコメントが付く始末で
ちゃんと絵を見て!たわわの全面広告は「えっち」でしょ - 最終防衛ライン3b.hatena.ne.jp何これ?あれだ、AV女優が服を着るとエロいと感じる人と同じ感性だ。恐ろしいよな、自論を述べると性癖が漏れるという。ちなみに、悪い事とは思いません。
2022/04/08 19:37
ちゃんと絵を見て!たわわの全面広告は「えっち」でしょ - 最終防衛ライン3b.hatena.ne.jp巨乳がえっちだからダメなら、リアルの巨乳の人は街歩くなっていいたいんですか??
2022/04/09 15:04
ちゃんと絵を見て!たわわの全面広告は「えっち」でしょ - 最終防衛ライン3b.hatena.ne.jp巨乳はわいせつという説
2022/04/09 15:09
ちゃんと絵を見て!たわわの全面広告は「えっち」でしょ - 最終防衛ライン3b.hatena.ne.jp「スカート丈や胸の大きさからえっちだと主張」←現実に胸が大きくスカート丈を短く加工してる女子高生が大勢実在するが、その女子高生達も「ちゃんと見て!えっちでしょ」「えっちだと認めないのはカマトト」て事か
2022/04/09 15:35
ちゃんと絵を見て!たわわの全面広告は「えっち」でしょ - 最終防衛ライン3b.hatena.ne.jpAV女優さんが女優に転身して、おっぱいが売りだけど真面目なコンテンツも批判できる論法やね。クソだなぁ。否定し、批判する。
2022/04/09 17:06
まあ、「マンガを読み解く」というリテラシーとは無縁そうな人たちのコメントがゾロゾロと出てくるわけです。
今回の騒動では「オタクv.s.ツイフェミ」というような対立構図が、多く描かれていますが、僕としてはそれよりむしろ、上記のようなコメントに代表される
「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」と「マンガを読み解くリテラシーをきちんと持つ人たち」という分断こそが、真に深刻な問題なんじゃないかと、思う訳です。
日本のマンガは、それを読み解くのに高度なリテラシーが必要。なのに日本人の多くは子どもの頃からマンガを読む力をきちんと身につけている、スゴイ!なんてことはよく言われるわけですが
sanpogarden.hatenablog.com
実際は「日本人でさえ、日本のマンガをきちんと読み解けているのはごく一部なのかもしれない」わけです。
で、そういう人たちが、それこそ藤子・F・不二雄氏の描く漫画のような、複雑で両義的な意味を持つマンガ表現に接すると、その両義性を理解できずに、1コマでだけ見て短絡的なプロパガンダとしてマンガの意味を誤解するわけです。
多くの「マンガの表現」の是非に関する論争は、肯定派も否定派も、短絡的なプロパガンダとしてしか、当該のマンガを読めていないと言うことが多々あるわけです。そしてそうなれば当然、「プロパガンダ規制」という文脈から、マンガの表現規制のような議論も出てきてしまう。
これこそ真の意味での「表現の自由の危機」だと僕は思うんですがね。
ではこういう危機に、大衆全体に向けて表現をする表現者はどう対応するか?僕は、二重戦略しかないのかなと、考えたりしています。
つまり、「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」向けには、コマ単体で見て理解できる、単純で、かつ無味無臭なメッセージを、デコイとして用意しておく訳です。そのデコイによって、規制をかいくぐる。
そして、そういったデコイの裏に、「マンガを読み解くリテラシーをきちんと持つ人たち」だけがきちんと分かる、複雑で、その表現者独自のものであるメッセージを込めるわけです。
日本は諸外国と比べて文化資本が享受しやすい国だから「マンガを読み解くリテラシーがない人たち」なんて存在しないだろ、という幻想を持ち得た時代なら、こんな複雑なことをしなくても済んだわけで、日本における「表現の自由」に関する議論の多くは、この程度の最低限のリテラシーが国民に備わっていることを前提にしていたのですが、もはやそういう幻想は持ち得ないわけで……
(まあ僕は、ぶっちゃけそんな○○どもの相手をするのはダルくて仕方ないだから、「分からない人」は無視して、「分かる人」だけを相手にしますがね。)