あままこのブログ

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輪るピングドラムが面白すぎてやばい

「せいぞーんせんりゃくーーー!!!」
というわけで輪るピングドラムですよ皆さん!

いやなんつーか、たまたま金曜の夜色々な作業がひと段落ついた中で「新しい深夜アニメでもチェックしようかなー」なんて思って、前番組のBLOOD-C(どっちかというと見る前はこっちが見たくて起きていた*1)を見て、その後についでに見ようかと思っていたのですが、オープニングが始まった途端からテレビに釘付け。それでも最初のころはまだtwitterで実況する余裕もあったんですが、右上の画像にも出ている妹さんが「せいぞーんせんりゃくーーー!!!」という言葉を叫んで以降は、もうテレビからまったく目を離せなくなってしまったわけです。
本当にすごいアニメで、もうこれは明らかに僕がどうこう説明するよりも、直接見てもらったほうがいい。幸い中京地方の方やBSデジタル、AT-Xが見れる方は今後放送が見れますし、また8月12日という遅い時期になってしまいますが、ニコニコ動画でネット配信も行われるそうなので、なんとかこれらの手段を駆使して、万難を排してでも見るべきです!
しかし、そこまで言っても「いやでも自分にとっていまいち面白いかわからないからなぁ……」という人もいるでしょう。また、僕自身、このアニメが面白かったのは確かなんですが、しかし逆に言えば、革新的に面白すぎるからこそ逆にその面白さをうまく表現できなく、もどかしさを感じていたりもします。そこで今回の記事では、ピンドラが一体なぜそんなに面白いか、その面白さの一万分の一でもいいから説明しようと試みたいと思います。もし文章を読んで、ピンドラを面白そうに感じたら、あなたはこのアニメを見るべきです!逆に、僕の文章を読んで面白さを感じなかったとしても、それは僕がこのアニメの面白さを全くうまく言語化できていないからだと断言できますので、是非見るべきです!*2つまりは、ここから先色々言いますが、一番言いたい重要なことはただひとつ。「とにかく見よう!」ということなのです。
その点を踏まえたうえで、何とかつたない知識からこのピンドラの魅力を言語化しようとすると、三つの点が思い浮かびます。

  1. 物語の速さ
  2. 全ての画面に「個性」と「意味」がある
  3. 背後に見え隠れする骨太な問題意識

これら三点について、それぞれ説明していきましょう。

1.物語の速さ

まず、何よりこのピンドラ一話が視聴者を文字通り「あっ」と言わせたのは、そのストーリー展開がほんとに高速で進んでいったことがいえるでしょう。
何しろ普通に起こった出来事を箇条書きにしただけで

  1. 仲良く暮らしていた兄妹
  2. しかし妹の余命が数ヶ月であることを知らされる
  3. 三人で仲良く水族館に
  4. 妹が倒れる
  5. 妹が死亡
  6. しかし生き返る
  7. 家に変な小筒が
  8. 小包はペンギンだった
  9. 突然異世界につれてかれて妹が変
  10. 妹を生き延びさせたいのならピングドラムを探せとか言われる
  11. 片方の兄と妹がキスしてる

これだけのことがたった一話で起こる、しかもそれぞれの場面においては、さまざまな、今後ストーリーに関連しそうな複線やギミックがドバドバもり込まれてくる訳で、そのスピード感はすさまじく、見ている最中ドーパミン出まくりになってしまうわけです。
おそらく、もし普通のアニメならこれだけやるのに短くても3話、長かったらそのまま5話〜7話くらい引っ張るでしょう。妹さんが倒れた時点で次回としたり、「生存戦略」という言葉が叫ばれた時点で次に持ち越したり……しかしこのアニメにはこんなタルさは全くない!
中には、こういうスピード感を「超展開」として忌み嫌う人がいるかもしれません。しかし、じゃあ上記のような展開っていうのは、時間かければ納得がいくもんなのか?時間かけりゃあ、死んだ妹がいきなり「せいぞーんせんりゃくーーーー!」とか叫んで生き返る展開を納得いくのか?そんなことはないわけです。だって登場キャラクターたちも何がなんだか分からないわけですから。だったらむしろその「分からなさ」を描くことこそが重要であり、そのためにもこういう物語は高速であるべきなんです。
こういう高速な物語についての議論は、コードギアスが放送されていたときによく論じられていて、たとえばid:GiGir氏はそういう物語の技術を「情報圧縮論」と述べています。
なぜコードギアスなのか。情報圧縮論のモデルケースとしてのコードギアス - 未来私考
なぜこのような作劇法が人気を得るのかといえば、それはおそらく、「何か分からないまま事態がどんどん進展していくこと」こそが、現代の人々のリアリティだからなのではないでしょうか*3。「社会が変化するスピードが速くなっている」ということは昔から言われていることですが、特に現代においてはそのスピードは人間の「心」が付いていけるレベルを超えている。情報社会化により、全ての情報が瞬時に伝えられるネットワークが張り巡らされる中で、考える猶予なんかどんどん与えられなくなってきている(考えていたら考えていない誰かに奪われるし、考えているうちに考えるべきことが刻々と変化していくのだから)。そんな時代においてはむしろ、このような「超展開」こそがリアリティをもつといえるのではないでしょうか。

2.全ての画面に「個性」と「意味」がある

しかしいくらスピードがあったとしても、そこで伝えられる情報がつまらなかったら、そんな作劇法なんの意味はありません。*4物語が高速で進んでいくということは、より多くの情報を視聴者に提示しなければならなくなるということですから、それぞれの情報がきちんと「意味」を持つことが、実は通常の物語より難しく、そしてそれゆえに重要なのです。
しかしピンドラの場合は、あれほど速い物語でありながら、しかし画面・会話のどこをとっても、そこに手抜きは一切ないんですね。具体的に言うならば、どんな場面を切り出してきたとしても、それはピンドラの「画」だし、そしてその「画」にどのような意味が込められているか、考えることができるのです。
これは、ただ単に奇抜な画作りであるということに留まらないです。というか、奇抜な画や背景・演出ということだったら、それこそ既存のアニメにもそういう演出は大勢あります。ところがピンドラの場合は、ただ奇抜さを求めているわけではない。そこで表現したい、世界観なり物語展開がユニークであるからこそ、その演出もそれに準じてユニークなものとなっているのです。そしてだからこそそのようなピンドラの個性が、特別なシーンだけでない全てのシーンで現される。演出の個性がただの「お遊び」であり、本筋と関係ない場合は、そのようなお遊びで本編全体を覆ってしまえば視聴者は食傷気味になってしまいます。しかしピンドラの場合は、演出の個性は「お遊び」ではなく「本気」であり、そうであるがゆえにそれはむしろ何でもないようなシーンでもその演出の個性が表れる、というか表さなければいけなくなるのです。
このことをさらに突き詰めていくと、このピンドラというアニメは、「世界の全てを相手にしてやる」という気概を持っているということも分かるでしょう。例えば日常描写をおろそかにすることによって異世界での戦いにフォーカスを当てたり、逆に異世界での戦いみたいなものをテンプレ的に描いてその分その背後の日常を豊かに描く、みたいなものはこれまでのアニメにおいてはごく普通に見られた演出だったわけです。しかしこのアニメにはそうではない。演出的にも、物語的にも、真に重要なことはおろそかにしない、そんな気概が、ピンドラのアニメの「画」からは伝わってくるのです。

地下鉄の意味

ただそんな中でも、ではそれぞれの「画」に描かれるもののどこに注目するかということは個々人異なってくるでしょう。まぁ真っ当なところで言えば「生存戦略」という言葉に着目して進化論をメタファーにした考察をしたり、あるいは「ペンギン」というイメージから議論をする人もいるかもしれません。逆に言えば、それら全ての考察が、単なるトリビアルな知識としてではなく、きちんとした物語考察となりえるところに、このピンドラのすごさがあるわけですが(それぞれの言葉が、たんなる飾りではなく、きちんと意味を持っているのです)。
そんな中で僕が注目するのは、「地下鉄」です。このピンドラというアニメにおいては、改札や地下鉄の路線図をかなりビジュアルイメージとして多用しています。そして実際、主人公たちは地下鉄に乗る。その行為にも当然意味があり、例えば兄妹が荻窪から池袋まで丸の内線に乗るというのは、地下鉄の路線図からすると実は奇妙なんですね。よく東京に出てばかりの人間に対し、「池袋から新宿までは丸の内線で行くと一本で行けるよ」みたいなことを言って騙すというイタズラがされますが、実際それでも行けることはいけるのですが、しかしかなりの遠回りになってしまうわけです。そのような遠回りを、しかし彼ら兄妹は敢えて選択している。そこにはもちろん、妹と長く一緒にいたいという含意が含まれているわけです。
そしてその点から言うと、丸の内線はかなり複雑な意味を含んだ路線としてたち表れてくるわけですね。丸の内線というのは東京をぐるっと回るような路線で、ほかの地下鉄路線のように直線ではありません。しかしそれでいて、山手線のような環状線かというとそうではない。結局、始点と終点がある。こういう点まで含んで、丸の内線というものを描いているのなら、このアニメは最近放映された擬人化アニメよりも、よっぽど「地下鉄愛」に満ちているのかもしれません。
まぁ、さすがにそこまで読み解こうとするのは深読みかもしれませんが、しかし銀河"鉄道"の夜についての言及もあったように、地下鉄、あるいは鉄道というものがかなり重要な意味を持つことは明らかなわけで、鉄好き、それも具体的な車両とかそのものより、路線図や、そこに描かれる交通の理念といったものが好きな僕としては、かなり萌えポイントを突かれちゃっているわけです。

3.背後に見え隠れする骨太な問題意識

しかしいくらそのような高速な物語展開、そして豊かな「個性」と「意味」を持つ表象があったとしても、そこで一体なにを描きたいか、それが明確でなかったり、あるいはつまらないものであったなら、やっぱりそれはそれはオタク受けしかしない、「無駄遣い」となってしまうでしょう。
もちろん、一方では、アニメは結局「絵が動く」ことの快楽を楽しむものなのであって、それに付随する物語や、そこで描かれる問題意識なんてものはどーでもいいのだという意見もあります。ピンドラも、とかく今まで述べたように作劇法や演出がすばらしいものであるがゆえに、そういう考えを持つ人は、「アニメという表現そのものに注目すべきであって、ストーリーとかはおまけでしかないだろう」みたいなことを言ったりします。
しかしよくよく考えるならば、確かに絵が動くことそれ自体は快楽であり、そしてその快楽をこのピンドラが極限まで表現していることも事実なわけですが、しかしそのことと「問題意識」を描くことは決して二律背反的なものではない。というかむしろ相乗効果を持つものであり、いくら技術としての「アニメーション」がすばらしくても、それだけだったら、一部の視覚と聴覚に限定した情報しか伝えられないテレビアニメというメディアは、五感全てを通じて訴えかける「現実空間」の快楽とは太刀打ちできないでしょう。しかし逆に、問題意識やメッセージ性だけが先走っても、それを増長させるアニメーションの快楽が存在しなければ、それは単なる「お説教」的にしか捉えられず、人々の心に肉薄するリアリティを持ちえない。アニメーションという技術の快楽と、そこで描かれるきちんとした問題意識、それらの二つが上手く組み合わさってこそ、その作品は「現実空間」を遥かに超えるような、すばらしい「世界」を、人々に見せてくれるのではないでしょうか。
そして、ピンドラも、確かに演出などはすばらしいですが、しかしそれを斜にとらえることなく、真正面から見るなら、むしろそこでは骨太な問題意識が垣間見えるわけです。「運命というものをどう捉えるか」、「『何者にもなれない』私たち」といったことは、現代の人々にとっての重大な問題であるわけで、そしていくら演出が多くても、その背景には、このような問題をいかに描いていくか、という目的がはっきりとあり、このアニメを見た後に、視聴者も自問しなければならなくなるのです。
ピンドラというアニメが、これらの問題についてどう答えるか、それはもちろんまだ分かりません。ただ一ついえるのは、これらの問題を投げっぱなしにするとか、そういうことはしないんじゃないかということです。なぜなら、このアニメにおいては、「対立軸」というものが極めてはっきりしてるんですね。二人の兄が正反対であれば、妹自身と、その身体に宿った謎の人物も正反対であり、そしてどのキャラクターも、たった一話しか描いていないにもかかわらず、とてつもなく魅力的なわけです。*5少なくとも、「あーこいつ否定されるために存在しているんだ」というような(見てる側を一気に萎えさせるダメ)キャラクターは、一話を見る限りではいないわけです。
つまり、どういう方向にこの問題をもっていくにしても、そこには違った方向への誠実さも存在するだろうということが分かるわけです。そしてだからこそ、そういう誠実さを兼ね備えた上で、じゃあこのアニメは「運命」、「何者にもなれないこと」、そして「生きるということ」をどう位置づけるのか。そこに生存戦略といった言葉はどう絡んでくるのか、まさしくワクワクがとまらなくなってしまうのです。

最後に

これまで色々駄文を書き連ねてきましたが、しかしやっぱり、ここまで書いても、僕がこの記事を通じて伝えたいことは、ただ一つなんですね。
「ピングドラムは面白い!みんなで見よう!そして、このアニメについてみんなで、語り合おうではないか!」
そして最後にもちろんこの台詞。
「生存戦略、しましょうか!」

*1:あ、でもBLOOD-Cも結構面白かったですよ。ストーリーはよく分からないけど、やっぱり女の子が日本刀で戦うってかっこいいし

*2:大体一話やった時点でいきなりこういうレビューを書くっていうこと自体がそもそも無理があるんですが、しかしだとしても、それをしたくなる魔力が、このアニメにはあるんですよ。

*3:ただまぁこのアニメの作り手である幾原監督は90年代につくられた少女革命ウテナのころからこれぐらいの速さで物語を進行させていたわけで、あんまり時代性にとらわれるのもどうかとは思いますが

*4:ま、実際は一定以上の速度を超えると、その速度が意味を持つから、逆にそれを悪用して「スピード早ければ中身はなくてもいいじゃん」という物語もあるわけだけど、ピンドラがそんな物語でないことは、見れば誰にでも明らかですよね

*5:僕的には、あの妹さんが帽子をかぶったときの謎の女王様が一番胸にきゅんとくるわけですが、まぁそれは個人の萌えポイント