『ムーミン』がどこを舞台にした物語であるかという問題がセンター試験で出され
- この問題の正答が本当に正答といえるのか
- センター試験の問題として良問なのか悪問なのか
を巡って、論争が巻き起こっています。
問題について
この問題は良問である・問題ないとする立場
- ムーミンのことをまったく知らなくても解ける問題である
- 「実生活・実社会と勉強のつながり」に気付くきっかけになる
- 勉強が社会で役に立つのか?という疑問を持つであろう高校生へのメッセージが含まれている
- 問題文前後の文脈から見て答えは明白であり、問題視するのは馬鹿馬鹿しい
センター試験地理のムーミン問題に対して、ぼくの高校の先生のFacebookの投稿。 pic.twitter.com/4hAsvwGIu8
— コミさん🇨🇭 (@komi3__) 2018年1月14日
もしこの出題が槍玉にあげられて、出題者やセンター試験そのものが批判されるような展開になれば、ますます窮屈で面白くない入試になってしまう。
— Sunday (@dw_sunday) 2018年1月13日
出題者の遊び心が裏目に出ないことを切に願っている。
センター地理Bのムーミン問題、いろいろ突っ込みどころはあると思うし再検証は必要だと思うが、アニメと地理を結び付けて出題したという出題者の工夫は評価されるべき。生徒に媚びているのではなく、生徒が普段接する文化が教科の内容と関連性を持っているんだよ、というメッセージである。
— Sunday (@dw_sunday) 2018年1月13日
お偉い先生方の間でもいろんな議論や見解の対立があるのは承知しているが、われわれ現場の教員はお偉い先生方がこしらえた学習指導要領と教科書に則って教育を行っているわけだから、お偉い先生方がセンターの問題を批評されても、なんだかなあと思ってしまう。
— Sunday (@dw_sunday) 2018年1月14日
この問題を面白いと思えないのなら地理を学ぶ意義はない。
— Shohei NANRI (@shonanaqr) 2018年1月14日
無関係な「ムーミン」を批判するのは、自分の無教養を晒している事に早く気づいた方が良い。 https://t.co/4rgXl1jKc4
この問題は悪問である・問題あるとする立場
- 『ムーミン』がフィンランドを舞台としているものとは断定できない
- 『小さなバイキングビッケ』がノルウェーを舞台としているとも断定できない
- この設問は解答不能である
- フィンランド文化の多言語性、とりわけフィンランドにおいてはスウェーデン語のような少数言語の存在を無視する危険性を孕む設問である
- 日本アニメがつくりあげたステレオタイプな北欧イメージを根拠とする今回の設問は -- 現地語を学ばなくても北欧の実像に迫ることができるといったような安易な発想を植え付けてしまい -- 日本社会に対しては、現地語情報に基づかないことで、多言語・多文化社会のようなリアルな北欧の実像から乖離したイメージを再び広げてしまう危険性を孕んでいる
入試問題というのは受験生や社会に対するメッセージだから、例の問題は地理学=雑学ステレオタイプクイズの世界というメッセージとして捉えられるだろう。そんな学問を誰が学びたいと思うだろうか。
— うさはかせ Prof.Lièvre (@usa_hakase) 2018年1月14日
「解ければ良い」という問題ではないはず。「国=言語=文学作品」みたいな誤った発想でのパズル解きの是非という問題。「地理」は《複雑なことを複雑なまま理解する》ための科目のはず。
— Sakino Takahashi (@sakinotk) 2018年1月13日
センター試験:問題にムーミンやゆるキャラ登場 初日 - 毎日新聞 https://t.co/PdQ9gJFED1
ムーミンの舞台がフィンランドって明らかに事実誤認な気がするのだけど。ムーミン谷はムーミン谷であって、作者の出身地と同じということはどこにも確証がなく。センター試験レベルでも、未だに作品と作者を同一軸で見る、テクストの外側の作家作品論がまかり通っている、それこそが問題だわ。
— 安原まひろ (@MahirOrihaM) 2018年1月14日
【ムーミンの舞台は「ムーミン谷」センター試験に指摘相次ぐ】
— アライ=ヒロユキ (@arai_hiroyuki) 2018年1月14日
反論「ムーミンの舞台はフィンランドじゃなくてムーミン谷」ほか
大学入試センター試験の出題がテクスト・クリティークを経ない通説をもとにするとは、知のレベルの低下も著しい。サブカル?ではよくある過ち。https://t.co/8S8bu4kNgL
この高校の先生には唖然とせざるを得ない。それは論理的な推察ではなく妄想だと思います。 https://t.co/cRzXk3H5yQ
— Takayuki Ogata (@s15taka) 2018年1月15日
「解ければよい」という発想はまさに受験の弊害で、学問(学習)の本質を見失っています。
— Takayuki Ogata (@s15taka) 2018年1月13日
センター試験の地理で、『ムーミン』の「舞台」をフィンランドだとする設問が話題ですが、ムーミン谷では火山が噴火している(『ムーミン谷の夏まつり』)。フィンランドには火山はないぞ。。。https://t.co/TY9RxUklxq
— 上川瀬名 (@Yokohama_Geo) 2018年1月13日
「ジャスミンの香りにつつまれた六月の美しいムーミン谷をおそった火山の噴火。大水がおしよせてきて、ムーミン一家や動物たちは流され、ちょうど流れてきた劇場に移り住むことにした」
— 上川瀬名 (@Yokohama_Geo) 2018年1月13日
…うーん、フィンランドの話には思えませんな。
よく考えると、「ヴァイキング」=「舞台はノルウェー」というのも、そうは限らないですよね。ヴァイキングはバルト海にも進出していたんだから、フィンランドが舞台である可能性だって十分高い。しかも史実でも原作本ですらもなく、二次的創作の「アニメーション」の舞台を問うとか、酷いなあ…
— 上川瀬名 (@Yokohama_Geo) 2018年1月13日
地理B, どうしようもなく、くだらない問題だ。作題委員会の顔が見たい。
— 中村美千彦 (@Nakamura_Mitch) 2018年1月13日
センター試験の問題は、向こう少なくとも数年間、どの教科書を使っている生徒も過去問として勉強することになる。だからステレオタイプの暗記を助長したりパズル的に頭を使う“考える”問題ではなく、教科書の記述の理解をより深めたり、その科目の重要性や面白さを引き出すような作題を目指して欲しい。
— 中村美千彦 (@Nakamura_Mitch) 2018年1月14日
地理の問題として言語を話題にするのはよい。空間的に近くの言語と言語系統では遠いフィンランド語に注目するのもよい。「ムーミン」の原作がスウェーデン語で書かれたことに気づかなかったのと、作品の「舞台」と書いてしまったのは失敗。ムーミンを出すべきではなかった。授業の話題ならよいのだが。
— MASUDA Kooiti (@masuda_ko_1) 2018年1月13日
センター試験のムーミン問題。
— まつを@長崎インターネットラジオ (@nagasaki_inr) 2018年1月15日
「『小さなバイキングビッケ』からバイキングでノルウェー。だからムーミンのほうはフィンランド」と言っている輩。ステレオタイプ思考。愚か。
漫画『ワンピース』の舞台はどこかと問うてみると分かりやすい。
ムーミンの舞台もムーミン谷という架空の世界です。 pic.twitter.com/2ttboi6qix
センター試験のムーミンの問題、自称インテリみたいなのがこれは良い問題だ語族まで高校の教科書をよく理解してるとかほざいてたけど、ムーミンの舞台はムーミン谷だし、こういう独りよがりで俺って面白い問題作ったろっていうの悪問の典型だと思うよ
— ゆ党 (@djyutou) 2018年1月15日
私大にはありがちだけどセンターじゃなあ…
新聞記事・ネットニュース等
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感想
ざっと見たところ、高校教諭や非研究者の間では「良問」と評価する声が多く、逆に研究者の間では「悪問」と評価する声が多いみたい。多分その背景には「わからない問題には安易に答えを出さない」ことを美徳とする、大学の学問の価値観と、「わからない問題でもとにかく答えを出す」ことを美徳とする高校までの教育や、実学の価値観の対立があるのかなーと思ったり。
僕自身の感想としては、「わからない問題はわからないと認める」ことこそが美徳だと思うので、そもそも断定することができない問題で断定することが要求されるこの問題は「悪問」だと思う。
ただ、そうは言っても、そういう悪問に備える学生を受験教育は作り出さなきゃいけないのは事実なわけで、だから高校教諭たちは、それが学問的にはおかしいことを認めつつも、受験テクニックで簡単に解くことができるこの問題が「良問」であると主張してるのかなーと推測します。
でもやっぱり僕は、個人的な好みから言えば、この問題を見たときに、何の疑問も持たず反射的に正答を答えられる人より、ちょっと立ち止まって「うーん……」と考え込んでしまう、そういう人のほうが、受験で不利だとしても「知性」ある人なんじゃないかと思うし、そういう人間こそを高等教育は育てるべきなんじゃないかと思うんだけどね。
そういう「立ち止まる知性」こそが、フェイクやデマがまかり通る日本に今必要とされるんじゃないか、とも。