あままこのブログ

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はてな村は滅びるべくして滅んだ―はてな村のTwitterスペースに参加して本当に話したかったこと

ta-nishi.hatenablog.com
途中までリスナーとして、途中からスピーカーとして参加したんですが、なんかこう、不完全燃焼感が残っちゃう感じでした。
理由は色々あって

  • そもそもid:Ta-nishiがそこで話したかったことと、聴衆が聞きたかったこと、そして僕が聞いて話したかったことがミスマッチを起こしていた
  • TwitterスペースのWebサービスとしてのクオリティがあまり良くなかった
  • 実況などのログ・参考資料を記録するがなかったため、話が散らばってしまった
  • 単純に僕の喋りがへたくそすぎだった

などあるんですが、とにかく、自分が喋りたかったことは全然喋れてなくて、そのことが悔しいので、ここに記録しておきます。

人文系サブカル少年にとって、はてな村は「そこで成功すれば一旗揚げられる場所」だった

他の人が一体なぜはてな村にブログを構えたかは知りませんが、少なくとも僕がはてなダイアリーにブログを移したのは、そこが人文系サブカル少年であった僕にとって、「そこで成功すれば一旗揚げられる場所」だったからです。
特に偏差値の高い学校に行ってるわけでもないため、周りに人文系の評論・批評とかの話をできる話もおらず、一人悶々と本屋で買った『論座』や『ユリイカ』といった雑誌を読んでは、そこに登場する論者を「こんな人になりたい」と尊敬したり、あるいは「こんな文章よりもっとすごい文章を僕は書けるのに」と思ったりする少年だった僕にとって、はてなダイアリーは、肩書不問、とにかく価値のある文章さえ書きさえすれば評価される、夢のような場所に見えたのです。
そしてそこで記事を書く日々は、確かに充実していました。何しろ、本でしか名前を拝見したことがないような人が、はてなダイアリーで記事を書けば、コメントし、時には褒めてくれさえするのですから。また、周りには同じ様に人文系の話題に関心を持つ人が多くいて、そのような人々と議論し合うことも、また楽しかったのです。

そして多くの人は「上がり」となっていき、はてな村を去った

そして実際、はてなダイアリー周辺で交わされた議論が論文となり

はてなダイアリーやその周辺で才覚を発揮した人の中から、学者・評論家も多く生まれてきました。
ところが、そうやって上澄みがどんどんデビューしはてな村から旅立っていくと、未だにはてな村にしがみついてるやつなんか、全然才覚がない奴らばっかりになるわけで、徐々に記事や議論の質も低下していきました。
で、記事や議論の質が低下していけば、当然それを見に来るオーディエンスの質も低下していきます。そして、オーディエンスの質が低い空間には、良質な書き手は集まらなくなり、またどんどん質が低下していく……そんな負のスパイラルが巻き起こり、はてな村は衰退していったのです。
もちろん、ネットの大衆化とか、互助会とか、エコーチェンバー現象とかもあると思います。しかしそれらははてな村以外にも等しくあったわけで、そんな中ではてな村がここまで衰退していったのは、はてな村固有の、負のスパイラルがあったからなのです。

はてな村は滅びるべくして滅んだ、そのことを直視すべきでは

で、僕が嫌なのは、このようにはてな村が、その自らの質の低下により滅びるべくして滅んだ、その事実を多くの人が直視せず、「はてな村は昔のまんまだけどネットの風潮でしかたなく衰退していったんだよね」、「でもその中で書きたい人はまだ自分の書きたいことをきちんと書いてるよ」みたいなきれいな物語に、はてな村の記憶を回収しようとすることなのです。
そうでなく、はてな村は世間からもう用済みとなったのだと、そして、そんなはてな村に、単著もないのにしがみついている僕たちは全員、世間から必要とされない負け犬なんだということを、きちんと認識すべきなんじゃないかということが、僕が本来主張したかったことなんですね。

答えるべき問いが、「はてな村ってよかったよね」という思い出語りによって覆い尽くされる

しかし、こういうこと書くと「結局偉くなりたいのになれなかったルサンチマンを吐露したいだけでしょ」と言われちゃうわけです。
実際、そういうルサンチマンがあることは否定しません。否定しませんが、しかしそれと同時に、はてな村全体の記事の質が下がってしまったことを悔しむ気持ちがあることを、なぜ理解してくれないのか!
少なくとも昔のはてな村には、僕なんかより頭のいい人がたくさんいたし、そういう頭のいい人の議論を元にすれば、頭の悪い僕だってひとカドの記事を書くことが出来た。そういう環境がなくなってしまったことを、悔やんではいけないんですか!
更に言えば、今、人文サブカル系の知識を持ち、自らの文章を世の中に公表したいという悶々とした気持ちを抱いている少年少女に、そういう文章をがきちんと評価される場所を残せなかった、その責任は誰が取るのか!?そして、はてな村の失敗から何を学べば、再びそういったコミュニティを取り戻せるのか!?
そういった様々な答えるべき問いが、「はてな村ってよかったよね」という思い出語りによって覆い尽くされることが、僕がとにかくイライラすることなのです。