あままこのブログ

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ワナビー論―究極のワナビーとしての永山則夫

republic1963.hatenablog.com


この2人のうちの一人ってたぶん俺なんで応答しておく。

で、この2人のうちのもう一人は僕あままこであるってことを、id:ta-nishi氏本人から言われました。
まあそれはさておき、上記の記事でid:republic1963氏は「ワナビー」を、「人から羨ましがられるような職業を目指し」ている人と定義しています。

ワナビー(何者かになりたがっている(いた)人と言いかえても良い)とは、何かに憧れ、それになりたがっている者のことを指す。だが、これだけでは不十分だ。まず、ワナビーというのは「漫画家・小説家」「ゲームクリエイター」「人気YOUTUBER」のような『人から羨ましがられるような人気職業を目指している人』という意味が付加されている。加えて、ワナビーには『人気職業を目指して失敗している人』のことを指す。手塚治虫はマンガ家ワナビーとは言わないし、ウメハラはプロゲーマーワナビーと言う人はいないだろう。かれらは実際に自分のなりたいことを実現させているからだ。同様に「サラリーマンワナビー」なんて人はまずいない。サラリーマンなんていう職業はありきたりで誰にでもなれるからだ。

つまり、

  1. 人から羨ましがられるような職業を目指し
  2. かつ、それに失敗している人

というのがワナビーの定義となる。

確かに、ワナビーと呼ばれる時の通常の用法は上記のようなものでしょう。
一方で、僕は下記の記事で「ワナビー」を「リア充のような日常の幸せを持つ人たちに憧れている者」と定義しました。
amamako.hateblo.jp

ワナビー
この人達は「日常が幸せならそれでいい」人なんだけど、その幸せを手にいれられてない人たちですね。例えば彼氏彼女がいるとか、家族を持っているといった「普通の幸せ」が得られないことに苦しんでいる非モテや弱者男性とかはまさにここに属します。

ここには明らかに食い違いがあります。この食い違いはブックマークコメントでも指摘されていて
b.hatena.ne.jp

id:Ta-nishi ゴメン、これは違うと思います。ワナビーっていうのはむしろスタァのような「幸せな日常以上」、この記事で言う「超越系」的な成功を目指す人と私は認識しているので…

確かに、分析概念としてよりクリアなものにしたいなら、「ワナビー」という単語を使うことは誤解を招くから、別の単語(例えば「キョロ充」とか?)を持ってきたほうが良いと思います。
しかし僕の考えでは、リア充のような日常の幸せを持つ人たちへの憧れ」と、「人から羨ましがられるような職業への憧れ」って、実は排他的なものではなく、むしろ同じ欲求を違う側面から見たものに過ぎないんですね。そして、同じ欲求が様々な側面を持つという性質こそが、「ワナビー」をよりややこしい状況にしているのではないかと、思うのです。
そのややこしさを理解するために、僕は敢えて「ワナビー」という単語にこだわりたいのです。

第一段階のワナビー―どんなワナビーも、最初は「クラスのリア充」に憧れる

まず、そもそも「ワナビー」は如何にしてワナビーとなるのでしょうか。
ワナビー」を「人から羨ましがられるような職業を目指している者」として定義するなら、ワナビーは最初から、何かしらの職業に就きたいという欲求を持っていることになります。しかし、そもそも「職業に就きたい」って、何で思うのでしょう?
ワナビーは往々にして、「ミュージシャン」や「漫画家」という肩書を求めます。しかし、例えば「歌を歌いたい」とか「漫画を描きたい」という欲求を持っている人は、「ミュージシャン」や「漫画家」と世間から呼ばれる以前から、勝手に曲を作ったり漫画を描いたりするでしょう。何かをクリエイトしたいという欲求を持つ人は、そのまま「何かをクリエイトしたい」という欲求に結びつくのであって、その欲求をすっ飛ばして「何も曲を作ってないけどミュージシャンになりたい」「何も描いてないけど漫画家になりたい」とはならないはずです。
ですがワナビーは往々にして、その職業において行うことを無視して、職業の肩書だけを求める。そこで真に求められているのは、その職業に就くことそのものというより、それによって得られる社会的承認なのです。
では、そもそも一体なぜ社会的承認を求めるか?それは、そのワナビーが生きている日常において、承認が欠落しているからなのです。リア充たちがキラキラした、周りから必要とされる日常を送っている一方で、自分はそのような日常を送れていない。そのような日常における承認の相対的剥奪感が、「ワナビー」を生み出すのです。
その点から言うと、やはり全てのワナビーは、その原初においては「クラスのリア充に憧れるもの」なのです。

第二段階のワナビーリア充になれなかったワナビーが、その大体として「スタァ」を目指す

そして、リア充に憧れ、努力した結果「リア充」になれれば、その人はワナビーを卒業します。
ところが、一方で精一杯努力しても「リア充」になれなかったりすると、「リア充なんてくだらない、自分はスタァ*1を目指すんだ」というように、価値観の転身が行われるのです。
「すっぱい葡萄」という寓話があります。木になっている葡萄を食べたいのに、それに手が届かない狐が、「あの葡萄は酸っぱいから食べなくていいんだ」という風に思うことで、葡萄を諦める自分を正当化する物語です。それと同様に、リア充になれなかったワナビーは、「リア充なんてスタァに比べればくだらない。」と思うことによって、リア充を諦めるのです。
ここでやっと、「ワナビー」の通常の用法、「人から羨ましがられるような職業への憧れ」を持つワナビーが登場するのです。
つまり、リア充に憧れる」ということと「人から羨ましがられるような職業へ憧れる」ことは、排他的な関係なのではなく、前者の土台の上に後者が存在するという上下関係にあるのです。

第三段階のワナビー―「スタァ」になれなかったワナビーに残る道は2つ、再び「リア充」を目指すか、「メンヘラ」化するか

そして、第二段階のワナビーの中には、極稀ですが、努力した結果「スタァ」になり、ワナビーを卒業するものが現れます。
しかし、ワナビーの殆どは、それを望みながらも「スタァ」にはなれません。そうなると、残された道は次の2つです。
1つは、「やっぱり自分はスタァではなくリア充になりたかったんだ」と、第一段階のワナビーへ遡行し、そして「リア充」へと移行するルートです。「昔は東京でミュージシャンとか目指してたけど、今は地元に帰って家族も持って落ち着いているよ」とかいうよくある話は、まさにこのパターンですね。id:republic1963氏も、記事を見る限りまさしくこのパターンであるように思えます。
しかしそこでもう一つ、危険なルートが存在するのです。それはリア充にもスタァにも価値はない」と思ってしまうルートです。先程、「すっぱい葡萄」の様な自己正当化によって、「リア充に憧れるワナビー(第一形態ワナビー)」は「人から羨ましがられるような職業への憧れを持つワナビー(第二形態ワナビー)」になると述べましたが、その自己正当化がもう一度発動するのです。しかし、そこでは「日常の幸せ(内在系)」も「日常の外にある人生の目的(超越系)」も否定されるため、全ての価値が否定され、結果自分を規定するものが何もなくなる、社会学で言うアノミーへと陥ってしまうのです。
アノミーに陥った人間が到達する先、それは、前回の記事で述べた「メンヘラ」です。日常の幸せに意味を見いだせず、かといって人生の意味や目的といったことも持てない。そのような絶対的否定が、当人に訪れるのです。
その点で言うと、「メンヘラ」には、生まれ持った先天的メンヘラ以外にも、このようにワナビーを経由した、いわば「第三段階ワナビー」としての後天的メンヘラがいると、言えるのかもしれません。

永山則夫とは、究極のワナビーだったのではないか

このようなワナビーの形態変化を見るとき、社会学を専攻していた僕は、ある一つの社会学における古典的論文を思い出さずにはいられないのです。
それは、『まなざしの地獄』です。

『まなざしの地獄』は、社会学者である見田宗介氏が、永山則夫(本の中では「N・N」と表記されている)という、1968年に連続強盗殺人事件を起こした犯人のライフヒストリーをたどり、それと当時の若者が置かれた状況を組み合わせて分析することによって、当時の若者が抱えていた困難と、それを生み出す社会構造をあぶり出した論文です。
で、なぜ僕がこの論文を持ち出したかと言うと、この本で描かれた、永山則夫が凶行に至る過程が、まさしく今まで述べたようなワナビーの形態変化にぴったりと当てはまるからなんですね。

貧困の中で上京を志した永山―家郷嫌悪の逆立した像としての〈東京〉

永山則夫は、1965年、青森の中学を卒業し、集団就職の一員として東京に上京します。
永山は、貧困の中で幼少期を過ごし、また家族の愛にも恵まれていませんでした。そのような中で永山は、学校の教師に

『どうしても卒業したい。就職して東京へ行きたい』と、体を硬直させ首をふるわせながら、泣いて訴えた。

といいます。見田氏によれば

〈上京〉はN・Nにとって、その存在を賭けた解放の投企であった。

わけです。
しかし、そこで永山は、東京というものを詳しく知り、またそこで幸せになる具体的勝算があって上京したわけではありません。そうでなく、この嫌いな故郷の反対のものというイメージで、東京を目指したのです。

〈東京〉にたいするN・Nの過剰なまでの期待は、東京それ自体の実像にもとづくというよりもむしろ、このようにはげしくかつ執拗な家郷嫌悪の逆立した像に他ならなかった。それは家郷のまずしさと停滞性からの脱出の方向性として、外部から投影せられた都会の対他存在であった。

つまり、永山則夫も、「東京で具体的に何かをする」ということに憧れて上京したのではなく、「〈東京〉に住む」という属性さえ手に入れればなんとかなると思って上京したわけで、まさしく第二段階ワナビーと言えるわけです。そして、第二段階ワナビーとして上京する背景には、第一段階ワナビーの「日常の中での剥奪感」があるわけです。

上京した青少年に求められるのは結局「新鮮な労働力」でしかない

そうやって上京を果たした永山は、「都会の青年」という存在になろうとするわけですが、しかし社会はそこであくまで「田舎からの上京者」という否定的アイデンティティを押し付けます。

N・Nは最初の就職のとき、「仕事は非常に積極的で熱心」であると同時に、いち早く髪をのばしネクタイをつけるように、いわば都会の青年として、新しい存在となることに意欲をもやしていた。これは都会に流入した青少年がだれでも意欲することを、ひときわ強くしたものにすぎない。
ところが「出生地」云々を口にしたときその都市の他者は、N・Nがまさしくそこから自由であろうとしている過去性によって彼を規定し、彼が生涯どうもがいてもついてまわる一片の事実性において、彼の存在の総体をあらかじめピンどめにしてしまうのである。

なぜか。集団就職はたしかに多くの若者を田舎から都会へと運ぶが、しかしそこで意図されるのは田舎の若者に解放を与えるためではなく、あくまで都市に新鮮な労働力を供給するという目的です。

家郷をあとにする青少年は、ひとつの解放への希望を抱いて、「尽きなく存在する」意思として都会に足をふみ入れる。
一方現代日本の都市は、このような青少年を要求し、歓迎するという。けれどもこれはうそである。少なくとも正確ではない。都市が要求し、歓迎するのは、ほんとうは青少年ではなく、「新鮮な労働力」にすぎない。しかして「尽きなく存在し」ようとする自由な人間たちをではない。

ですから、そこで上京した若者は、若者が憧れた「都市の青少年」ではなく、結局「田舎からの上京者」としてまなざされ続けるのです。
ここで、「憧れるような存在になる」という第二段階ワナビーは、その目的が決して達せられないことを知ります。

日常に自己を同化させるか、そこから突破するか―しかしそれも、体制にとっては歩止りに過ぎない

では、そのように自分が、自分がそうありたいと願う存在(対自存在)となりえないと知ったとき、どうするか。
一つ、「諦め」という選択肢があり、そしてもう一つ、「反抗」という選択肢があります。自分の身の程を知り、「日常の幸せ」を手に入れられる者として落ち着くのか、あるいは社会にあくまで反抗し、「社会不適合者」となるのか
しかし、現代の社会システムは、「反抗」を前提として回っており、かくして結局待っているのは同じ「牢獄」でしかないわけです。

まなざしの地獄の中で、自己のことばと行為の意味が容赦なく収奪されてゆき、対他と対自のあいだに通底しようもなく巨大な空虚のできてしまうとき、対自はただ、いらだたしい無念さとして蓄積されていく。
ここで多くの青少年は、この無念さをのみくだしながら、社会のシステムの要求する役割の演技へと自己を同化してゆく。これを第一の疎外とすれば、第二の疎外は、まさにこの第一の疎外を突破しようとする反抗の形態を、またしてもさきまわりして捕捉してしまう疎外として存在する。

悪による存在証明。だがその存在は、存在すべからざる者としての存在、非・人としての存在に他ならなかった。
しかしそのことはN・Nの〈成功〉にとって、妨げとなるものではない。N・Nはまさに、この存在をこそ決意したのであるから。
しかしN・Nにとっての挫折は、この悪の存在もまた、体制があらかじめ歩止りとして念頭におき、そのための建造物と予算と人員を、手際よく用意してあった存在にすぎないということにある。

永山則夫が幾ら「反抗」をしたとしても、結局「拘置所」という牢獄に閉じ込められるように、メンヘラが幾ら社会へ不適合を示しても、待っているのはカウンセリングと投薬でしかないわけです。

1968年の困難さと、2021年の困難さ

ただその一方で、永山則夫のケースはあくまで1968年の状況のケースであり、現代とそのまま並べて考えることができないのも、また事実です。
70年代移行の所得向上と消費社会の到来により、人々は「消費による平等」を手に入れました。例えどんな出自を持とうが、「消費者」である限り、同じ様に記号を獲得し、それによって自分が望むアイデンティティを獲得できるように見えますし、さらに言えば、80年代以降、「ギョーカイ」とはもはや一部の人々しか入れない特権階級ではなく、うまくやりさえすれば誰でも入り込むことができる、民主化された場所となったわけです。
しかし、そうやってチャンスが平等になることは裏返せば、「誰でも平等にチャンスは有るんだから、それを掴めるか掴めないかは自己責任」となるわけです。そして自己責任である以上、脱落者はその脱落による無念さも、誰かのせいにすることもできず、「自分のせい」として抱え込むことになるのです。
1968年には1968年の、2021年には2021年の困難さが、あるのです。

いかにして、「精神の力」を手に入れるか

さて、その様にして、犯罪という「悪による存在証明」によっても、結局自らが望む自己へ到達できなかった永山則夫ですが、しかし話はそれで終わりではありません。
永山則夫は獄中において書物をむさぼり読み、そして小説を書き上げ、1982年に文学賞を受賞。文学者として、日本国内だけでなく海外でも有名な存在、まさしく「スタァ」となるのです。
ja.wikipedia.org

1970年に事件に関心を持った井出孫六(当時は中央公論社を退職した直後で作家デビュー前)が永山に面会、さらに弁護士から永山が獄中で記したノートを見せられ、その内容に驚いて出版を企図した[107]。これにより、1971年(昭和46年)に手記『無知の涙』が発表されるとベストセラーとなる[108]。永山は続いて、1973年(昭和48年)に『人民をわすれたカナリアたち』(角川書店より5月10日に文庫版刊行)・『愛か-無か』(合同出版より10月18日に刊行)を発表した[109]。後にこれらは「日本」という書籍にまとめられたほか、この印税は4人の被害者遺族へ支払い、そのことが1981年の控訴審判決において情状の一つとして考慮され、死刑判決破棄につながった。さらに1981年の控訴審判決から半年後には小説『木橋』の執筆を開始し、1982年(昭和57年)8月下旬に完成させて第19回新日本文学賞へ応募し、1983年2月に行われた選考により同賞を受賞した[110]。

また、日本では逮捕時から有名な犯罪者として知られていたが、作家として数々の著作を世に出したことで、日本だけでなく海外にも名前を知られるようになり、死刑確定後にはアムネスティ・インターナショナルや国際人権擁護団体・ドイツ作家同盟などが各国の日本大使館を通じ、日本国政府に恩赦要請の書簡を送るなどしていた[111]。

見田氏は、永山の獄中でのこのような活動について、次のように述べています。

のちにN・Nは獄中で、かつてのみずからの「無知」を痛恨し、「教養」を渇望し、哲学、文学、経済学の書物をむさぼり読んでいる。
しかしこのときの「教養」はもはや、かつてN・Nが求めたような、象徴的な表現性としての「教養」とはべつの、むしろこのものとするどく対峙するような〈教養〉であるにちがいない。それは自己自身の存在と方向性とを、一つの総体的な展望のうちに獲得せしめるような、精神の力に他ならないだろう。

多くのワナビーにとって、「教養」とはあくまで、自分をよく見せるための象徴にすぎません。しかし、そうではない、「精神の力」となる〈教養〉を手に入れれば、それこそが己が求める自己を手に入れる方法となり、そしてそのような方法を手に入れたとき、「メンヘラ」は「スタァ」となるのです。
ただ、永山則夫においてもそれは殺人という破局がなければ達成され得なかったように、「精神の力」として〈教養〉を手に入れるのは決して容易なことではないこともまた事実です。それを考えると、結局多くの人が選択すべきなのは、第一段階のワナビーに立ち返り、そこで無念さを心のうちに秘めながらも、「リア充」を目指すルートなのかもしれません。
ですが、例え容易でないとしても、無念さを抱えることなく、自己を「尽きなく生きる」ルートがあるかもしれないなら、それを挑戦できる安心*2が備わった社会であってほしいし、また、そのルートの創造=想像を助ける文化が社会に存在してほしいと、僕は思うのです。

参考文献

一番に読んでほしいのは『まなざしの地獄』ですが、やっぱりかなり古い論文なのですが、古い文章になれてないと読むのに苦労します。
そんな人には、以下のマンガをおすすめします。

このマンガは、「三億円事件の犯人は永山則夫ビートたけし永田洋子*3だった」という、全くのデタラメな設定で描かれたマンガなのですが、しかしデタラメでありながら、その時代の空気や、象徴としての三人が良く描かれているので、まずはこれを読んで、当時の時代や、永山則夫に興味を持てば、かなりするする『まなざしの地獄』も読めるようになると思います。

*1:このスタァの意味は、前回の記事参照

*2:この記事でいう存在論的安心

*3:連合赤軍の幹部の一人。山岳ベース事件の後浅間山荘に立てこもる