あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

少女☆歌劇レヴュースタァライトのアニメを今すぐあなたが観るべき3つの理由(ネタバレなし)

www.youtube.com
まず最初に言います。
この記事にたどり着いた全ての方、今すぐ「少女☆歌劇レヴュースタァライト」のアニメを見てください!
まずTV版のアニメを見てください。続いて総集編の映画、「ロンドロンドロンド(通称ロロロ)」を見てください!
amzn.to
そしてそこまで見たら、今すぐ予定を開けて、映画館に行き、公開中の映画、「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」を見てください!
www.youtube.com
僕が言いたいことはそれで全てです!もし、僕という人間に1ミリでも信用があるなら、今すぐ、「少女☆歌劇レヴュースタァライト」を観て、そして、スタァライトされちゃってください!






……上記の文章を読んでなお、この文章を読んでいるということは、「うるせーお前のことなんか一ミリたりとも信用してないんだよ。なんで俺がそんなよくわからないアニメ観なきゃならないんだよ」とお思いなんでしょう。分かります。
しょうがないからあなたがなぜ「少女☆歌劇スタァライト」を観なきゃならないか、ネタバレしないようにしながら、3つの理由で説明しましょう。
ただ、忘れないでください。僕のこの文章は、あなたが少女☆歌劇レヴュースタァライトを観るべき理由を1%も説明しきれていません。しかしそれでも、少しでもあなたにこのアニメを見てほしいから、僕はこの記事を書きます。

第一の理由:まったくごまかしのない、純度100パーセントの物語と、キャラクターたち

普通、アニメって。たとえどんなに誠実に作ろうとも、必ずどこかに「ごまかし」ってものが生まれるものだと思うんですよ。
それは、例えば世間や見ている人への配慮だったり、いままでの慣習だったり、あるいは単純に省力化のためだったり……全てを全力で描くなんて、そりゃあ大変すぎて通常はできないから、「ここはこんな感じのよくある描写・展開でいいだろ」っていう場面が出てくるはずなんです、普通のアニメっていうのは。そういうのも織り交ぜて力を抜きながら、まあ肝心なところを描ければそれでいいかなとなるし、見る方も「あ、ここは力抜いている場面だからそんな真剣に見なくていいな」とか取捨選択をしてると思うんです。
しかし、この少女☆歌劇レヴュースタァライトは、全てにおいてそういう「ごまかし」が一切ない。全ての部分に意味がありそして強度があるんです。だから観ている人も全てのシーンにおいて、全身全霊で観なきゃなと思わせてくれる、そんな作品なんです。
「ごまかし」を排して真剣に作っているがゆえに、ときに物語は世間一般でよしとされていることにも反逆します。60年代ならいざしれず、こんな牙を持った表現が観ている人に受け入れられるか、制作陣は不安だったでしょう。しかし、観ている側は気づくのです。真剣に送られたメッセージは、「それをいいとする/よくないとする」なんてつまらない次元を超えて、受け止めることができるんだと。
そしてこの「ごまかしがない」というのは、アニメに登場するキャラクターたちにも言えることなんですね。ほんと、陳腐な言い方になってしまいますが、物語の全ての場面において、キャラクターたちに「血肉が通っている」んです。「あーこれ作り手に言わされてる/やらせてるなー」と思うような言動・行動が一切ない。彼女たちが彼女たち自身で考え、ひねりだした行動・台詞なんだと、思わせてくれるんです。
ただそれには副作用があって、「言わされてる/操られている」のではなく、彼女たち自身の言動・行動だからこそ、それは時にわかりにくく、観ている人が困惑することもしばしばです。彼女たちは自分たちの内面を台詞や行動に表現しますが、そこには矛盾や嘘がまみれていおり、昨今の「内面をわかりやすく言葉で説明してくれる物語」に慣れた身からすれば、だいぶ最初は読み解きに苦労するかもしれません。
でも、人間の内面って本当はそれぐらい複雑で、だからこそ面白いものなんです。矛盾があったり、嘘をついてしまう、でもそれら全て、真剣に生きているからこそなんです。ただ正しいことだけをしゃべるなら機械でもできるんですから。
機械ではない、人間こそが織りなす「物語」、それがこの「少女☆歌劇レヴュースタァライト」にはあるのです。

第二の理由:圧倒的強度を誇る描写

そして、そのような物語やキャラクターを支える舞台描写も、このアニメの醍醐味なのです。というか、むしろこのアニメの面白さのメインはそこにあるのだと言う人も、多いでしょう。
アニメっていう表現方法は、実写と違って、もしそこにそれを描写する必要があるなら、どんな現実の物理法則を無視しても、「それ」を描写することができます。ただ、人というのは自らの想像にリミッターを掛けてしまうから、「いやここにこれがあるのは現実的におかしいだろう」と、必要であるにも関わらず描かないみたいなことが往々にして起きてしまいがちなんですが、このアニメにはそれがない。「ここには『それ』を描くことが必要なんだ」となれば、躊躇なくそれを描くのです。この、アニメという表現の自由さを最大限活かすことにより、まさにこのアニメは映像的快楽が圧倒的濃度で詰まっているのです。
しかし、そのように自由な描写でありながら、このアニメのすごいところは、「無駄」が一切ないことなんです。たしかに描写は過剰なまでに濃厚なんだけど、それら全てに物語的意味があるんです。「べつに物語上は意味はないけどこういう描写したいからしちゃった」みたいなのが一切ない。あのキリンも、ねこぢるも、デコトラも、全てあるべくしてそこにある。それに自分の頭で気付けたときの興奮たるや!
僕がアニメに求める楽しさ全てが、この「少女☆歌劇レヴュースタァライト」という作品には、詰め込まれているのです。

第三の理由:傍観者でいられない

と、ここまでは「観客」としての視点から、この「少女☆歌劇レヴュースタァライト」の素晴らしさなのです。が、僕がこのアニメにもっとも惹かれたのは、実はそこで「観客」として存分に私達を楽しませながら、究極的にはその舞台そのものに観ている人を「立たせてしまう」、そんなところなのです。
それは直接的にはもちろんーネタバレになってしまうので詳しくは言えないのですがーTV版・劇場版両方にある、いわゆる「第四の壁」を超えるシーンのことです。
ただ、僕はあのシーン自体は、単体ではそんなに特別視はしないのですね。あそこで第四の壁を超えてくる事自体は、まあアニメやゲームを色々見ていれば結構あることですから。
僕が感動するのは、そこで「第四の壁」があることを認識しながらも、それでも「舞台」の上で演技をし続けるということなのです。そしてそれを観る私達はこう突きつけられるのです。
「彼女たちは舞台の上で演技をしている。では、私達は?」と。
そこでこの「少女☆歌劇レヴュースタァライト」というアニメのテーマである「演劇」というものが、私達全てにとって重要なものであることに、気付くのです。
それが普遍的なものであるとは言いません。世の中には、「自分は演技なんかせず常に『ありのままの自分』だよ」と思える人もいるでしょう。しかし、そうではない、常に何かを「演じている」という感覚を持つものなら、この「少女☆歌劇レヴュースタァライト」に登場する舞台少女それぞれの、喜びや苦しみも含めた感情が、まるで我が事のように感じられると思うんですね。そしてその中で、まさしく彼女たちのきらめきが、自分の人生そのものを指し示す「スタァライト(星明かり)」となるのです。
少なくとも僕は、そうやってこのアニメに「スタァライト」されました。

とにかく見よう!少女☆歌劇レヴュースタァライト

以上が、少女☆歌劇レヴュースタァライトを今すぐあなたが観るべき3つの理由です。
もし、この記事を読んで、「なんか意味分かんないこと言ってるけど、そこまで言うなら見てやるか!」と思ってくれれば、幸いです。
なお、観る際は僕は次の順番で観ることをおすすめします。

  1. TV版少女☆歌劇レヴュースタァライト
  2. 少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンドロンドロンド
  3. 劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト

まず最初はTV版少女☆歌劇レヴュースタァライトを観ることをおすすめします。後の2つはなんだかんだいってこのTV版を前提とした物語ですので。
本当はリアルタイムでテレビで見ていればもっと衝撃が大きかったんだろうなーと、後から知った僕は大きく後悔してるんですがね……
そして次に観るべきは「少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンドロンドロンド」です。これは、基本的にTV版の総集編なんですが、なんだかんだ言ってTV版観てないとわかりにくい部分も多々あるので、TV版をすっ飛ばして総集編を観るのは、よほど時間がない限りはおすすめしません。
ただ、ラストに劇場版に続く重要なシーンがあるので、劇場版を観る前には観ておくことをおすすめします。
そして、「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」、これは、もう前の2つを見たらすぐ見に行ってください。というのも、公開がもう4週目なので、そろそろ公開終了も迫っているからです。そして、そうでありながら、この映画には「絶対劇場で見たほうがいいシーン」があります(というか、ほぼそういうシーン)ので、もうあとからBlu-rayとかで見ればいいやと思ってたら絶対後悔します。
なお、この記事の後あままこは、TV版のネタバレ感想、劇場版のネタバレ感想も書く予定です。よかったらそちらもよろしくねー。