あままこのブログ

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アクシア・クローネさんの活動休止から考える、ライバーとファンの接し方

www.anycolor.co.jp
kai-you.net
にじさんじに所属するアクシア・クローネさんが、誹謗中傷・業務妨害を理由に活動休止した件について。

自分は、アクシア氏の配信はあまり見てなかったんですが、他のライバーの配信は良く見ていまして、上記のANYCOLOR社のお知らせに記されているスパムコメントも結構目にしていましたし、アクシア氏周りで色々騒ぎが起きているということも聞いてたんですね。

そして、アクシア氏に限らず、ファンの一部が過剰にライバーの活動に口を出して問題となるという事例は、僕が見ているライバーでも結構あるわけです。その点について、バーチャルYouTuberのファンが改めて考えることは重要かなとも思うわけです。

ただその一方で、バーチャルYouTuberとか全然知らない人や、またバーチャルYouTuberのファンの一部には「自分の人格を見世物にして商売してるんだから、こういう誹謗中傷やハラスメントも受け入れるべき」と考えたり、あるいは「バーチャルYouTuberというもの自体が、演者の人格を傷つけて、その代価にお金を得る不健全なものなんだから、存在すべきではない」と考える人もいます。

そして更に、そのような見方から「バーチャルYouTuber界隈ってなんか怖いから近づかないでおこう」と思ってしまう人もいるわけです。

しかし僕は、バーチャルYouTuber界隈が全てそのような、不健全で怖いものであると誤解されたくもないなというわけです。不幸にしてそのような不健全な関係に至ってしまうケースがあるのは事実だけど、しかし全てが全てそうでなく、むしろファンが自制を持って行動し、ライバーとファン双方が楽しい関係を結べている方が、多いわけです。

そのことを、記事を読んでいる方には、まず分かっていただきたいなと思います。

騒動について

まず騒動の概略について、上記の記事だけでは、何が騒動の原因となったのか良く分からないと思うので、僕なりに解説します。

アクシア氏については、デビュー当時から、ファンが求めるライバー像と、本人が望むライバー像にズレがありました。その点については、アクシア氏が動画で述べているとおりです。そしてまた、アクシア氏がコラボするライバーに対して、「こんなライバーとコラボしないで欲しい」という思いから、嫌がらせをするという行為も散見されました。

ただ一方で、このようなハラスメント行為って、新人のライバーが出てくるときは大体起きるものなんですね。もちろんそれが良いこととは言いませんが、しかし多くの場合、そういったハラスメントを無視して普通に配信を行ったりコラボをしていけば、「あ、このライバーはイメージされていたようなキャラじゃないんだな」ということがわかり、合わない人は離れていき、逆に「こういう存在ならファンになろう」と新たに思って、推し始める人も出てくるものです。

ただ、アクシア氏の場合、相方として一緒にデビューしたライバーの不祥事とかもあって、なかなかそういう普通の活動がしにくい時期が長く続いていました。そしてそんな中で、他の女性ライバーと配信外で長時間ゲームをしていたということが、パソコンの画面から知られてしまうんですね。

それに対して、自分が好きな推しライバーが女性と関わるのを嫌がる人たちが、度を超した誹謗中傷を、本人のコメント欄や、他のにじさんじのライバーのコメント欄にも書き込むようになったわけです。具体的に言うと、危害を予告するコメントや、「アクシアと○○が付き合ってるそうなんですけど、どう思いますか?」みたいなデマが、連投されていました。

今回の活動休止は、そのような明らかな虚偽の誹謗中傷に対応するためなわけです。つまり、今回の騒動において問題となっているのは

  • ライバーに対する無自覚なハラスメント(「かわいい」連呼や、母親面)
  • 危害予告や虚偽のデマ(アクシアと○○は付き合っている)を流すことによる誹謗中傷・業務妨害

の2点であり、そのうち、活動休止までいった主要因は後者の方なんですね。

「無自覚なハラスメント」と「明確な誹謗中傷」は、地続きだけど別々に考えるべき

もちろん、前者のような無自覚なハラスメントが蔓延していたことが、後者のような問題を生み出す原因となっていたのも事実なわけですが、ただ前者と後者ではレベルが違うということもまた事実な訳です。実際、前者のようなコメントは多くのバーチャルYouTuberで(残念ながら)見られるものですが、後者のようなコメントはそんなに多く見られるものではないです。そこを勘違いして、「バーチャルYouTuber全体がこんな最悪な治安なんだ」と思われるのは、バーチャルYouTuber好きとして悲しいと思うわけです。

更に言えば、後者の誹謗中傷については、正直確信犯的に「アクシア氏を貶めてやろう」という意図を元にやっているわけですから、これに関してはもう明確に刑事罰・民事責任を与えるしか対処方法はないわけですね。やっている当人がもうファンでも何でも無い以上、「ファンの自浄作用」でなんとかできる限界を超えているわけですから。

だから、後者の誹謗中傷問題についてはこの記事ではこれ以上話しません。ファンに出来ることは、粛々とANYCOLOR社の通報フォームに通報することだけです。
www.anycolor.co.jp

「無自覚なハラスメント」が発生しやすい、バーチャルYoTuberという環境設計

ただその一方で、そういう悪意ある誹謗中傷が生まれる土壌として、ライバーに対する無自覚なハラスメントをファンがしてしまっているというのも、他方では、事実な訳です。そして、アクシア氏が動画で述べているとおり、「かわいい」や母親面と言った、無自覚なハラスメントも、悪意ある誹謗中傷と同様に、ライバーを傷つけるものなんですね。

そして、バーチャルYouTuberは、以下の2点において、今までのマスメディアに登場するアイドル・芸能人よりも、そのような無自覚なハラスメントが起きやすいわけです。

  1. ファンの会話が直接ライバーに届けられる
  2. 自分の貢献が可視化されることにより、自分が育てているという錯覚を得やすい

まず1点目について。アイドルや芸能人という存在に対して、人が勝手にあーだこーだ言うというのは、別に現代に始まったことではなく、昔からあったことなわけです。「○○と付き合いたい」という恋愛感情を当てられたり、勝手に「○○って子はこういう子で~」みたいな妄想を語られたり……「○○はウンコなんてしない」という言葉がミームになるぐらいには、アイドル・芸能人というものは、勝手に神聖視されたりするものなんですね。

ただ、バーチャルYouTuberの場合、そのような言葉をライバーがダイレクトに聞いてしまうんですね。アイドルや芸能人と違い、事務所に厳しく囲われてるわけではないから、エゴサでそういうツイートを見てしまったり、配信のコメント欄でそのようなコメントを直接目にしてしまうわけです。

にもかかわらず、普通のタレント・芸能人と同じようにバーチャルYouTuberを語る人っていうのはかなり多いわけで、そこでメディアの変容に個々人の行動がついて行けていないことが、無自覚なハラスメントというバーチャルYouTuber特有の問題を生み出しているわけですね。

次に2点目について。既に有名なアイドルや芸能人に対してなら、その好きになったアイドルにいくら貢いだって「自分が育てた」というような錯覚は抱きにくいと思う訳です。ところがバーチャルYouTuberの場合、ファン数も少ない時点からファンで居れば、徐々に有名になっていく様子を眺めることができるわけです。そして更に言うと、ライバーの側も、そういう古くから居る人を認知して、特別に会話したりすることも多々あるわけですね。そうなると、ファンの中には、「自分が○○を育てた」みたいな錯覚を覚える人も居て、そして「今後更に伸びるためには、こういう路線で行った方が良いよ」とプロデューサー面することが多々あるわけです。

多分これに関しては、バーチャルYouTuberに限らず、地下アイドルのような「成長する過程を見ることが出来る」ジャンル全般に言えることだと思うわけですが、しかしバーチャルYouTuberの場合、そのようなファンの数が地下アイドルより断然多かったりするんですね。

だから、今バーチャルYouTuberを好きな人や、これからバーチャルYouTuberに興味を持つ人は、このようなメディアの違いを理解して、TVに出るアイドル・芸能人を語るときより自制をしなければならないということを、まず理解すべきだと思うわけです。

では、そのような無自覚なハラスメントしないにはどうすればいいか

そしてその上で、自分が今回の騒動で問題になったような無自覚なハラスメントをしないようにするには、どうすればいいのか。
僕はとりあえず以下の3つを心がけています。

  1. 配信の説明や非公式Wikiなどを読んで、ライバーがしてほしくないことを把握する
  2. 他人のコメントに過敏に反応しない。通報・ブロックを活用
  3. 自分と他のファン、自分とライバーの区別を付け、自分が操作できるのは自分だけと自戒する

まず1点目について。今回アクシア氏が注意したコメントですが、このようなコメントは何もアクシア氏がいきなり注意したわけではなく、非公式Wikiで注意されていたことだったりするわけです。
wikiwiki.jp

■コメントのマナーについて
アクシアの配信コメントで他のライバーの名前を出すこと、他のライバーの配信コメントでアクシアの名前を出すことは控えましょう。
・「『可愛い』よりも『かっこいい』、FPSなどでは『上手い』『gg』といったコメントをされる方が嬉しい」
アクシアがやめて欲しいと言ったことは即座にやめましょう。執拗なイジリや悪ノリは荒らしと同じです。

このように、ライバーについては、非公式Wiki
wikiwiki.jp
とかファンサイトを探すと、大体そのライバーがやって欲しくないこととかが書いてあるわけです。

だから僕は、誰かライバーの動画を見るときは、その前にできるだけ当該ライバーの非公式Wikiを読んで、やって欲しくないことはしないようにしています。もし時間が無くて非公式Wikiを見ることが出来ないときは、コメント等はしません。

もちろん、非公式Wiki等に書かれてることは、絶対に正しいわけではないです。「非公式Wikiではやってはいけないと書かれているけど、実際はある程度容認されている」みたいなことも、希にありますが、しかしそれを判断するほど高度な空気読み能力はないと自負してますので、僕はあくまで非公式Wikiに「やらない方が良い」と書かれていることはしません。

2点目についてですが、そうはいっても配信の中で、非公式Wikiではライバーが嫌がっているようなコメントが多くされる流れになることはあります。もしかしたら、そのときに限ってはライバーも機嫌が良く、そのような嫌な流れも許容するようになっているかもしれません。

しかし、そこで「ライバーが本当に許している」のか、「嫌がってるけどそれを言えないでいるだけ」なのかというのは、少なくとも僕には分かりません。なので僕は、そういう流れがあったとしても、自分がその流れに乗ることはしません。

ただその一方で、「非公式Wikiには○○は嫌って書いてあったからやめよう」とコメントするのも違うなと考えます。そういう注意はあくまでライバーがすべきことで、コメント欄でそういう注意コメントをしたって大抵効果はないし、最悪コメント欄で喧嘩が起きるだけです。なので、そういう場では僕は沈黙します。

ただ、そうはいっても、あまりにひどいコメントが流れると、何も出来ない自分に無力感を覚えることがあるでしょう。そういうとき僕は、コメントを右クリックやタップして「通報」ボタンを押します。それによって実際にコメントが規制されるのを期待するというよりは、「自分はできることはやった」という納得を得るためです。

そして3点目についてですが、バーチャルYouTuberの配信を見るときに重要なのは、とにかく「変えられるのは自分の気持ち・行動だけ。他者の気持ちや行動は変えられない」という心構えでいることです。

ここまで偉そうなことを行ってきた僕でも、やっぱり自分の推しライバーが、しょっちゅう炎上していたり、脱法的・反倫理的な行為に手を染めている人とコラボしたりすると、「そんな人と付き合うのはやめなよ」と言いたくなります。しかしそれを決めるのはライバーであって、僕ではないのです。僕が決められるのは、そのライバーをそれでも推すか、推すのをやめるかだけなのです。

「倫理的な推し方」は存在しえるか

さて、ここまで僕は「いかにして無自覚なハラスメントをせず、ライバーを推していくか」という話をしました。

しかし、このように注意したとしても、やっぱり「他者の人格を自分の望むように消費する」という、推すことの根源的な暴力性は、否定できないわけです。

本来、人がどのような人格を持ち、どのような生き方をするかということは、完全にその人自身が決めるべきことで、他人があーしろこーしろと指図は出来ないわけです。

しかし、そこでファンは、その本来指図が出来ない他者に対し、「こういう僕の好みの人格・生き方をすれば対価を与えるよ」とやって、他人の人格・生き方を指図してしまう。そして、その対価によって生計を立てている他者は、その指図に従わざるを得ない。これは、やっぱりどう言いつくろっても、暴力的な関係といえるわけです

もちろん、そのような「推すことの暴力性」という問題は、良識あるアイドルファンたちの間ではずいぶん前から問題とされていることです。そしてそこから「『どのような人格・生き方をしているか』ということを消費するのはやめよう」と言う人もいます。要するに、歌やダンスだったり、あるいは声の演技やゲームの腕前のようなパフォーマンスを評価すべきで、それをどんな人格がしているかは無視すべきと言う考え方です。

しかしその一方で、「その人がどんな人であるか」ということを無視したパフォーマンス絶対主義も、また空虚なわけです。例えつたないパフォーマンスでも、その人の人格を含めて評価すればとても感動できる表現というのは存在します。更に言えば、パフォーマンスではなく自分自身を見て欲しいという思いも人にはあるわけで、いくら「自分自身が消費されてしまうよ」と忠告しても、そういう人はアイドル的存在になろうとするわけです。

「推すということは全て暴力的だ」と言い切ってしまうことは、結局そういう人を「暴力的な現場であることを分かって身を投じたのだから、いくら傷ついても自己責任でしょ」という風に、見捨ててしまうんですね。

だから、「推すことの暴力性」は、議論をする前提ではあるけど、そこで留まってはならず、それでも「倫理的な推し方」は存在し得るか、存在し得るとしたら、それはどんな推し方かということを、考えなければならないのでは無いか。今の僕は、そんなことを考えています。