あままこのブログ

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老害にならないためには努力が必要、ということ

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これと似たようなことは、僕もちょくちょく思っていたりする。


自分たちが若い頃は、スポーツ紙とか昼間のワイドショーとかでコメンテーターたちが、いわゆる「若者文化」について知ったような口を叩くのを見て、「ああいう大人にはなりたくねーなー」と思ってきたわけですよ。

ところが、自分たちがいざおじさん・おばさんになってみると、その頃僕らが馬鹿にしてた大人たちと同じことをやっているわけですよ。

で、そういう年代になると分かるわけです。「ああ、人って自然に生きてるだけじゃ、自然とああいう老害どもと同じになっちゃうんだなぁ」ということが。

いかに人は老害になっていくか

若い頃というのは、まだ人生経験も浅いですから、何を見ても新鮮で面白いものです。さらに言うと、バイタリティも溢れているから、新しい技術・文化をどんどん摂取し、それにのめりこんでいくことができる。

ところが、年を経ていくと、新しい技術・文化を見ても、「これと似たようなもの散々見た」と思ってしまう。実際は、確かに過去の反復も含んでいるかもしれないけど、その中には新しいものが含まれているのに、表層の要素の一部だけチェリーピッキングして、「昔の焼き直しでしょ」と言いたくなるわけです。

そして、過去に自分が摂取した技術・文化の単なる焼き直しとして新しい技術・文化を捉えるから、当然その新しい技術・文化に対する評価も厳しくなる。しかしその一方で、若い人は、かつて自分がそうだったように、自然と新しい技術・文化にのめりこんでいくから、加齢した身からすると冷や水を浴びせかけたくなるわけです。

しかし、結局その冷や水も、新しい文化・技術の表層を撫でたものでしかないから、若者にとっては当然とんちんかんで的外れな指摘になるわけだ。こうやって、かつて自分たちが忌み嫌っていたはずの老害に、自分がなっていくわけですね。

新しい技術・文化は、きちんと勉強しなくてはならない

では、こういう老害にならないためにはどうすればいいか。

まず言えることは、単純に「新しい技術・文化に対し、それをよく知らないままコメントしない」という、ごく当たり前のことです。

ただ、そこで沈黙して、ただ見守るだけの存在になるというのもなかなか難しいわけです。というか、そんなまっとうなことができる人たちばっかなら、そもそもはてなブックマークなんて存在してないわけで。

だったらせめて、「全くとんちんかんなことばっかり言う老害」ではなく、「言ってること10の内、7個は的外れだけど3個ぐらいは的を射ているおじさん・おばさん」になればいいんじゃないかなと、僕は思うわけです。

で、それに必要なのは、やっぱりきちんと新しい技術・文化を勉強していくことなわけです。

ところが、この勉強というのがなかなか難しい。若い内は、新しい技術・文化って、勉強しなくても、自然と摂取し、のめり込んでいくものなんです。周りに、既にそれに触れている人たちがいっぱいいるから、そういう人たちと交流することで、自然と知識や感性が身についてくる。

ところが、おっさん・おばさんになってくると、周りを見ても同年代の人らは、やれ資産形成だの結婚だのと言ったしょーもない話題ばっか話してるわけで、未だに新しい技術・文化に関心持とうとする人なんてほとんど居ないわけです。昔は、それこそ夜通し美少女ゲームとかアニメとか語れたような人たちだったのに。

そうなると、独学で勉強しなくてはならない。しかも、昔は何をみても「新しいな」と感じられたから、受動的に技術・文化を摂取していても楽しかったですが、いまは能動的に、新しい技術・文化の何が「新しいか」を、自分で発見しに行かなきゃならないんですね。ところが、若い頃若者文化に触れてきた人でも、案外「能動的に楽しさを見つける」というのは、やってこなかった人が多いので、これもなかなか難しい訳ですね。

ただ、それでも僕はこう言いたいわけです。「加齢したって、新しい技術・文化を学ぶことはきっと楽しいよ」と。