あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

元始ブロガーは太陽であった

元始、ブロガーは実に太陽であった。真正の人であった。
今、ブロガーは月である。アフィリエイトに依って生き、PV数によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。

「読まれるテキストは読者へのおもてなしの構造を持っている」という記事を読んで

mizchi.hatenablog.com この記事、はてブでは主に文章作法として読まれたりして、そしてそういう面から論評する記事とかもある*1わけだけれど、著者が本当に言いたいことは、下記を読むと、むしろそういう文章技法が求められる、日本のウェブ空間への苛立ちのように思えてならないのです。

大学生だった当時、梅田望夫の本を読んではてなにやってきた僕は、ブログ論壇への憧れだけがあって、技術者にもなれず、時流のテーマに対して書くべきテーマを持たず、ただ実家の宗教に対する恨みだけを書き綴っていた。

なぜ僕がそんな読み方をするかといえば、それこそ、「はてなブログ」がまだ「はてなダイアリー」であり、「はてなブックマーク」との間である種幸福な蜜月関係か成立し、まさしく「ブログ論壇」というものが存在していた、そんな時代を知っているからです。
それは、もしかしたら過去というものへのありふれたノスタルジーに過ぎないのかもしれませんが、それでもその時代を知っている人間からすると、今のはてブはあまりにも劣化しすぎているように思えてならないんですよ。2009年ごろ、梅田望夫はてブを指して

はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。

と言い放ち、多くの批判を集めましたが、それから8年経ち、はてブコメントに読むに値するコメントがいくつあるか。かつて、150文字にありったけの情熱を注ぎ、それにも飽き足らず二階三階と積み上げていき、idコールを投げつけるほどのエネルギーが今はてブにはあるか。というか、もはや「二階」とか「idコール」という言葉そのものが死語と化してないか。

相手のいなくなったプロレスラーは、ただの道化師である

なんでこんなことになってしまったか。答えは簡単です。ブログ同士の論争というものがなくなってしまったからですよ。
それこそ、かつて「ブログ論壇」というものが存在していた頃は、論争の主役というのは、あくまでブログ・ブロガーだったわけです。誰かが記事を書く、それに対して別の誰かが反論したいときは、自分のブログで反論記事を書き、相手の記事にトラックバックを投げつける、それこそが喧嘩を売りつける王道のやり方だったわけです。そこにはブロガーとブロガーが対等の立場で殴り合うリングが存在し、人はそれを「論壇プロレス」と呼んだわけです。そしてその論壇プロレスにおいてははてブtwitterなんてものはあくまでリングの外の野次に過ぎないものだったんであって、主役はあくまでブロガー同士の対決だったんです。
そこには綺羅星の如く様々なベビーフェイスやヒールが存在しました。しかし一度論争が勃発すれば、相手の記事一パラグラフ一パラグラフごとに揚げ足を取り、自分の記事で相手を完膚なきまでに叩き潰そうとする、そんなバトルが繰り広げられていたわけです。それは、部外者にとっては恐怖すら与えるような壮絶なものだったわけですが、しかし少なくともそこでは、相手を対等な立場と認めるからこそ、全力で戦うことができる、そんな奇妙な信頼関係もあったわけです。
ところが、はてなダイアリーはてなブログに代わり、トラックバック機能が削除され、人々がtwitterに移っていく中で、いつしかそんなネットバトルというものは時代遅れのものになってしまったわけです。そんな中、旧来のスタイルを貫くブロガーたちは、戦う相手もなく、ただ一人でリングに立ちすくみ、はてブtwitterから投げかけられる野次を受け続ける、そんな道化師になってしまったのです。道化師ですから、求められるのは真面目な文章を書くことではなく、タイトルと章題ですべてを説明し、「自分は○○の味方であり✗✗の敵です」ということで、○○から賞賛を得て✗✗からブーイングを受ける、そんな単純な記事を書くことなのです。

「論壇」が存在し得ない時代

そして、どうやらそのような変化は、ネットに限らず、日本の言論空間全体を覆っているようです。
ブログ論壇」という言葉は、あくまで既存の「論壇」というものが存在する日本の言論空間を前提としていました。「論壇」とは、様々な立場の人間が、異なる立場の人間を説得し合う、そういった議論の場でした。
しかし皆さんご存知のように、その論壇が長年存在していた論壇誌というものも、どんどん潰れていき、残った論壇誌も、自分の立場を旗幟鮮明にし、その立場に合致する論客を囲い込む、そんな場になれ果ててしまったわけです。それは論壇誌に限ったことではありません、もはやネット・リアル問わず、論争相手の首根っこ捕まえて、本気で相手を論破しようとする議論は殆ど無いでしょう。あるのは自分が属する勢力を慰撫し、まだ無知な人々をなんとか自陣営に引き込もうとするプロパガンダ合戦です。もちろん、誰もが口では「こんな状況はよくない。論壇を再興しなければ」と言うわけですが、しかし実際やることはといえば、「サロン」や「ラウンジ」、「有料メルマガ」とか言って、自分たちの賛同者を囲い込むことばっかり。本気で論壇なるものを再興したいなら、まず自分が一番隊として敵陣に乗り込んでいくべきでしょうに。
もはや誰も、自分と異なる考えの人を説得できるとは信じていないのです。なぜなら、自分がまさに、そういう「敵側の言葉」で説得されると思っていないから。

誰がブログのリングを管理するか

そういう時代全体の風潮がある中で、ただそれに乗っかって儲けようとするなら、今のはてブのシステムは実に理にかなっているわけです。安全圏から野次を飛ばし、自分の属する勢力を慰撫する、そんな言葉を発する場を与え、コメンテーターに満足感を与え、自分たちはPVを得る。
でも、そんなことを繰り返していればリング上のブロガーは、誠実な人間ほど疲弊していくわけで、残るのは炎上を糧に生きていくような炎上芸人か、誰も傷つけない当たり障りのない言葉しか書かない善良な市民ブロガーだけになってしまうでしょう。そんなつまらないネット、本当にみんな望んでるんですかね?
ブロガーの多様性をもし残そうとするなら、そこではベビーフェイスだろうがヒールだろうが、野次に向かってではなく、相互に信頼できる相手とバトルができる環境を整えなきゃならないわけです。更に言うなら、野次もある程度コントロールする責任もあるはずなんです。しかし今のはてなは、そのどちらもあまりやっているようには見えない。むしろその逆に、トラックバックを廃止する一方で代替策を示さないで、ブログ同士の交流があまり起きないアーキテクチャにしているし、コメントにおいては、スターが多いブコメが単純に上位に来るようにして、炎上を加速させてしまっている。せめてAmazonのカスタマーレビューみたいに、批判側と擁護側が同程度に表示されるようにするとか、ある程度ネガティブ評価を集めたコメンテーターは、ブコメ上位に表示しないとかできないものかと、ぼくは思うわけです。
そもそもはてブコメントというのは150文字しか書けない以上、本質的に的確な批判とかはできないものなんですから、そんなに大事に扱ってやる必要はないでしょう。批判がしたいならきちんと自分のブログを持って、そこでやればいいはずなんです。その度胸がないなら、本来批判なんてものはしてはいけない。ただ、野次が全くないプロレスというのもそれはそれでつまらないから、バトルの盛り上げ要員として存在を許されている。そこのところを、はてなブックマークの管理側はきちんと理解しないといけないんじゃ、ないでしょうか。