物語は終盤となり、来週最終回を迎える「ヒーリングっどプリキュア」ですが、ネット上では終盤の展開を巡って大激論が交わされているみたいです。
残念ながら僕は日曜日朝に起きれない体質なので、アニメ自体は見てないのですが、そのネット上で交わされる議論は大変興味深いものに感じたので、ちょっと論争の経緯についてまとめてみました。
アニメをきちんと見ている方は「全然そのまとめ方間違っている!」という感想を持つかもしれません。そういう方はぜひブログなどでツッコミ記事を書いていただければと思います。
42話「のどかの選択!守らなきゃいけないもの」の放映―「敵を救わなかったプリキュア」への賛否
2021年1月31日、ヒーリングっどプリキュア42話「のどかの選択!守らなきゃいけないもの」が放映され、その物語での主人公のどかの選択が大きな物議を醸します。
どういう選択だったか、id:rna氏のブログに詳しく書かれているのでそれを一部引用すると
第42話は主人公である花寺のどか(= キュアグレース)が、元敵組織の幹部で組織に命を狙われてのどかに助けを求めてきたダルイゼンを拒絶し、倒すという話でした。
ダルイゼンとのどかは因縁の深い関係で、幼い頃のどかを苦しめた原因不明の病気の本体はダルイゼンでした。敵組織ビョーゲンズの王キングビョーゲンの力で自我が芽生えたダルイゼンはのどかの体から出てきて人間の姿になり、ビョーゲンズの一員として地球を蝕む活動を始めます。
プリキュアとなってビョーゲンズと戦う(地球をお手当する)のどかは、やがてこの事実を知り、ダルイゼンを産み出してしまった自分に責任を感じ、自らの手でダルイゼンを倒すことを決意していたのですが、そこにダルイゼンが助けを求めてきます。
第41話でキングビョーゲンに同化されそうになったダルイゼンは脱走します。同化されれば自我を失い自分が自分でなくなるからです。追撃で傷つきボロボロになったダルイゼンはのどかの前に現れます。
ダルイゼン: みつけた… いいからよこせよその体!
のどか(キュアグレース): もしかして、キングビョーゲンにやられたの?グアイワルを取り込んだみたいに、また仲間を…
ダルイゼン: 助けて…くれ… このままじゃ、俺は俺じゃなくなる… 消えてなくなる… たのむ、キュアグレース、お前の中に俺を匿ってくれ…
ラビリン: 何言ってるラビ!
ダルイゼン: お前は俺を育てた宿主だ。お前の中ならきっとこの傷は癒える。キングビョーゲンに見つからず回復できる。たのむ、助けてくれ、キュアグレース…(略)
笑顔を取り戻すのどかですが、ダルイゼンとの決戦では怪物化した彼にもう一歩踏み出した自分の気持を突きつけます(以下、ダルイゼンとラビリンとのどか(キュアグレース)のやりとりのみ抜粋)。
rna.hatenadiary.jpダルイゼン: 助けてくれ… こんな、こんなのは俺じゃない!
ラビリン: ダルイゼン!グレースのやさしさにつけいるのはやめるラビ!
ダルイゼン: キュアグレース、お前だけが頼りなんだ。お前の中に!
のどか(キュアグレース): そしたら私はどうなるの!?いつまで!?あなたが元気になったらどうするの?あなたはわたしたちを、地球を、二度と苦しめないの!?わたしはやっぱり、あなたを助ける気にはなれない!
ダルイゼン: ウワーッ!
のどか(キュアグレース): ダルイゼン、あなたのせいでわたしがどれだけ苦しかったか、あなたは全然わかってない!わかってたら地球を、たくさんの命を蝕んで笑ったりしない!都合のいい時だけ私を利用しないで!わたしはあなたの道具じゃない!私の体も!心も!全部、わたしのものなんだから!そして浄化技プリキュア・ファイナル・ヒーリングっどシャワーでとどめを刺します。
ダルイゼン: 俺だって、俺の体も、心だって… うわーっ!!
簡単に言うと、助けるために体の中にかくまってくれと頼む敵に対し、「私の心と体は私のもの」と言ってその頼みを断りとどめを刺すという選択です。
これに対して大きく2つの意見がネット上では出ました。一つは「悪い敵に惑わされず自分の心と体を守ったまどかちゃん偉い!」という肯定的な意見。そしてもう一つは「命乞いをしてきた敵を見捨てるなんてそれでもプリキュアか!」という否定的な意見です。
肯定的な意見―「ダルイゼンの言い分って典型的なDV男の言い訳じゃん!」
まどかの選択に対し、「これこそ時代の潮流に沿ったプリキュアのありようだ」という意見が多くTwitterで書き込まれました。
「あなたを傷つける人を、あなたが自分の心と体を犠牲にしてまで、助ける必要はない」ということを言い切ったプリキュアは、強い。毎年プリキュアは時代の潮流の中で、新しい領域へ到達している気がします。#precure #ヒーリングっどプリキュア
— 小林 雄次 (@kobayuji) 2021年1月31日
この時代にこれを言い切ったのはすごい。色んなものが誰かの優しさに付け込んでくる時代だから。 #precure pic.twitter.com/cptHkAS787
— 祥太 (@shota_) 2021年1月30日
また、「私の心と体は私のもの」という言葉から、女性に長い間認められてこなかった「身体の自己決定権」
note.com
を重視する、ジェンダー的観点を取り込んだ展開として称賛する声も数多くありました。
すみません今日のヒーリングっと♡プリキュア42話「のどかの選択!守らなきゃいけないもの」が最高すぎたのでちょっとオタク語りさせてください…個人的に今回本当に良すぎた神回すぎた…
— ピルキュリアス❄宇宙DJ🌏 (@pillxpill) 2021年1月31日
結論から言うと「男のケアのために女性の心身が犠牲になる必要なんてない」という話でした(と私は受け取った)
note.com
先程引用したid:rna氏の意見もこのような立場となります。
多くの人がこれを見て連想するのは「復縁を迫るクズ男を振り切る元カノ」ですよね。ダルイゼンが体が目当てだったところも… プリキュアは主に幼児から小学校低学年までの女児をターゲットにした作品ですが、将来クズ男に苦しめられた時に思い出して欲しい、という思いを込めたストーリーなのでしょうか。
僕はこれを見て2019年にプリキュアファン界隈で起こった性暴力事件のことを思い出しました。プリキュアファンの少女にプリキュアファン仲間の成人男性が交際を迫り性的な接触を強行し、耐えきれなくなった少女が別れ話を切り出すと「別れるなら死ぬ」と脅してきた、というものです。*1
警察の介入で縁は切ったものの、自分のせいで彼を死なせてしまったと思い込み、長い間罪悪感に苛まれていた被害者ですが、「のどかの選択」はこのような人にこそ届けたいメッセージだったのではないかと思います。
「わたしはあなたの道具じゃない」「私の体も心も全部わたしのもの」という言葉は、フェミニズム理論の概念の一つ「性的モノ化(sexual objectification)」を連想させる言葉です。女性は「モノ」ではない、すなわち、誰かの欲望を満たすための道具ではなく自律した存在であり体も心も自分自身のもので他人がそれを侵す権利はない、という主張です。
否定的な意見―「命乞いする悪役を見捨てたプリキュア」
一方で、特に近年のプリキュアでは悪役との和解が多く描かれてきた中で、若いどころか助けを求めてきた敵を倒すという展開には、否定的な意見も多く出ました。
例えばTwitterでは以下のように、「悪役も助けてほしかった」という声が挙げられています。
でも、自分はそんな子達を愛せそうに有りません...
— tkc(わしお たかしP) (@tkctkc2000) 2021年1月31日
と言うより、こんな展開を許しているPさんに対して色々な思いがあります。
プリキュアには頑張って敵も味方も救ってくれる存在であって欲しいなあ…。
— 桑木 純一 (鼻風邪、アレルギー状態…今年は花粉症か…?) (@JYUNICHIKUWAKI) 2021年1月31日
それを無理だと思わせながらやって来たのが歴代プリキュアだし…。
特に今年のプリキュアが、そうやって諦めてしまうのは結構悲しい…😓。
どうでしょうね
— ジェンダーバイアス (@riron1900) 2021年1月31日
元々「世界で最も人助けをしない民族」が
開き直ってるようにも見えます
「私達は優しすぎる」なんて日本人のアニメが口にするなんて
見当違いな自画自賛で吐き気がします
新しくもなんともない
単なる自己責任論に回収されるだけhttps://t.co/OEDk6SJT8hhttps://t.co/vUGYsawDY7
新しいとは思いますが結構ショックです
— cowboy (@cowboy30816) 2021年1月31日
外道を許せないのは感情論として当然として助けを求めてきた相手を説得もせず突き放してそれで終わりとかヒーローのやることじゃないですよ
そこを説得して改心させてこそのヒーロー、プリキュアじゃないかと思うんですよね
主人公のダルイゼン突き放し拒絶ぶりは女児アニメと思えない展開だった
— えろばへろみ (@eroba) 2021年1月31日
これを見た女児は気に入らない奴を見たら自分正義で攻撃しかしなくなる。…正しいか
女児向けアニメ『プリキュア』が大人女子にも人気な理由 (FRIDAY)#Yahooニュースhttps://t.co/E0acYJpIMa
特に否定側が多く引っかかっているのが、「ダルイゼンは生きるためにはのどかの体に匿ってもらうしかなかったのに、それを拒否するのはヒーローとしてやっていいことなのか」という点です。
『「あなたを傷つける人を、あなたが自分の心と体を犠牲にしてまで、助ける必要はない」ということを言い切ったプリキュアは、強い』て話を聞きながら、『他者を傷つける特性を持った弱者』に救済は必要ないって話になるんかなということを考えていた。
— あきひろ (@Werth) 2021年1月31日
救われるべき弱者を倫理によって選別していく、さてこれは果たして正義のアップデートとしてあるべき形と言えるんですかね?手放しに礼賛できるような話だとは到底思えないんですが、まあみんな『納得』するんだろうな。
— あきひろ (@Werth) 2021年1月31日
ヒーローに救いきれない何かを示唆する話ってのはあってもいいけど、そこから倫理的、道徳的な呵責まで脱臭して『救わなくてもいい』て話になるの滅茶苦茶やべえ話なんじゃないすかね……。
— あきひろ (@Werth) 2021年1月31日
次に『救わなくてもいい』になるのは我々かもしれんのですよ。そういう危機感持たなくても生きてけるぐらい社会に馴染んでる人には想像しにくい話なのかもしれませんが。
— あきひろ (@Werth) 2021年1月31日
また、プリキュアが助ける相手を選別しているのではないかという疑義も多く寄せられます。
「助けるべき対象を自分の好みで選別する」という実に現代リベラルらしい仕草だと思いましたね。 https://t.co/wpSrCZsszB
— きや#GoOut (@kiya__na) 2021年1月31日
朝から今日のプリキュア絶賛してるツイート流れてきて、スクショしか見てないけど「それ助けたくない奴は助けなくていいっていう格差が広がる原因になってるやつやん」と思ったらやっぱ同じような感想持った人いたな
— 日本農園 (@nihonnouen) 2021年1月31日
「プリキュアには誰でも分け隔てなくすべてを救ってほしい」わけじゃなくて、「いま目の前で命と自我が奪われそうになっている奴」なんですよ。敵だし許せないし再び体の中に入れるのは絶対嫌だと思うけど、それを理由に「命を助けない」決断を正当化するの、排除の論理のはじまりだと思うんですよ。
— 真塚なつき (@truetomb) 2021年1月31日
恐らくちゃんと敵側がどうしようもないクズである事を描写し、尚且つプリキュア側がちゃんと誠実な人物であることを積み上げたうえの話だからドラマとしては成立してると思われる。
— みかげ (@mikage_robeppu) 2021年1月31日
一方でヒーローってのは基本「一部の社会制度より力ある個人」なので「救済の選別」はかなり問題を孕んじゃうんよな。
「アイツ屑で嫌いだから助ける必要はない」を描写により他者にも共感出来る様に設定してはいても、その選別は即ち「お前は良い子ちゃんで気に食わないから助けない」と軌を一にしてしまうんだよな。
— みかげ (@mikage_robeppu) 2021年1月31日
だから多くのヒーローは、助ける責を負いがち。 pic.twitter.com/WBJQyvHlbQ
ダークナイトがまさにそういう話だったんですが「警察や軍隊で対処可能なら力を持った善意の個人=ヒーロー、は要らない」んすよね。
— みかげ (@mikage_robeppu) 2021年1月31日
でもって、救済を個人の判断で左右すると「社会システムじゃ対応出来ないけど力ある個人の裁量によって救済可能な相手を救わない」となってしまう。
要するに独裁。
それ故にヒーローは「救いたくない相手も救う」というフェアさを求められる傾向が高い。
— みかげ (@mikage_robeppu) 2021年1月31日
裏を返せば「私は社会システムより力ある個人だが、その力を濫用してませんよ」という宣言な訳ですね。
今回のプリキュアはドラマ的にはむしろ良いと思うけど、この部分からは外れるので実は結構隙もデカい。
そんな中で、ダルイゼンを「弱者男性」に見立て、フェミニズムが弱者男性を切り捨てる論理が今回ののどかの選択にはあるのではないかと指摘する論者も出てきました。
プリキュアの「救う価値のないやつは救わなくていい」みたいな台詞、弱者男性を排除するためのキャッチコピーとして多用されるぞ絶対
— いくべなきもの (@jvZ6mB8jAsHUQz4) 2021年1月31日
今回のプリキュア、「可哀想じゃない弱者は助ける必要はない」というすごく現代的なメッセージで良かったな。
— カネコウメ太夫 (@NecoNeco666) 2021年1月31日
#precure
「不快な弱者をなぜ助けなければならないのか」というお話はすごく根源的なんですが、最終的には「それがヒーローの役目だから」としか言えないところがある。プリキュアはその役目を放棄したからダメ。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) 2021年2月1日
「だれからも顧みられない弱者」を救えるのは、もはやヒーローではなくて、アンチ・ヒーロー。ヒーローは「助けたい者だけを助ければよい」という体制の擁護者になっている。
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌒 (@terrakei07) 2021年2月1日
はてな匿名ダイアリーでも以下のような批判記事が書き込まれ、大きな話題を集めました。
anond.hatelabo.jp
anond.hatelabo.jp
anond.hatelabo.jp
anond.hatelabo.jp
スタッフの証言……「ダルイゼンの発言はDV男の典型的な言いよう」
そしてそんななか、ヒーリングっどプリキュアのスタッフが以下のような記事を投稿します。
kakudou.en-grey.com
衝撃的な展開をした前回はプロデューサー、シリーズディレクター(監督)、シリーズ構成脚本、担当演出まで女性で固めたからこそではなかったかと思います。たまたまアフレコに居合わせることができて、それはよかったのだけど、ダルイゼンのあるセリフの演技に意見求められて見回すと録音さん記録さんキャスティングさんまで女性ばかり。あれはDV男の典型的な言いようではと申し出てみたらその線でいくことになりました。
ここで、やはりダルイゼンは「DV男」のような存在として作り手側も描いていることが明らかになりました。
一方でこのような発言を受けて以下のような否定派の意見も出てきます。
ヒープリ42話は正直言うとコロナ禍でつらい時期だからこそ、救いを求めた敵を助けなかったどころかキツく拒絶した&リアルDV男dis発言が唐突すぎて意味不明な話は見たくなかったというのが正直な感想ですね。と言ってるうちにもう土曜日になったんですが
— ねず@左向き星人(skeb受付中) (@nezumimaro) 2021年2月5日
ヒープリ42話のダルイゼンがDV男意識したって公式関係者から発言があったわけだが、こりゃあ散々「出産」だの言われたケダリー登場回もスタッフがそう意識してた可能性あるぞ・・・もしそうだとしたら出産、出産騒いでた層に「のどかはまだ子供なのですよ」と注意してた良識派はピエロじゃないか
— ねず@左向き星人(skeb受付中) (@nezumimaro) 2021年2月6日
43話「キングの進化…!蝕まれたすこやか市」の放映―「自分が決めた自己犠牲なら良いの?」
そして2月6日、43話「キングの進化…!蝕まれたすこやか市」が放映され、これもまた物議を醸します。というのも、43話におけるアスミというキャラクターが、敵の親玉を倒すために、危険を冒して敵キャラを自分の体に取り込むというストーリーだったため、「42話で『私の心と体は私のもの!』と自己犠牲を否定したのは何だったの!」という意見が出てきたからです。
今日のプリキュア、のどかちゃん凄く良い決断でかっこよかったのに、また自己犠牲みたいな感じになって、「あれ〜😅💦」て思った💦💦
— きゅあのん🦄໒꒱· ゚ (@NocoPetit) 2021年2月7日
感動はしたけど!
アスミちゃんは精霊少女だからいいってことなの?😢
前回に続いて「自分で選ぶ」ってことを強調してきたけど、自己犠牲によって成り立っているのは、ちょっと微妙だな…もちろん、「そういう自由」ではあるのだけど #プリキュア
— 早坂よもぎ (@yomogi0414) 2021年2月6日
きょうのプリキュアの感想で「先週やっとけばいいものを、のどかが拒否ったから代わりにアースがやってる」(大意)てのを見かけて、さすがに辛辣がすぎると思った。
— 真塚なつき (@truetomb) 2021年2月7日
ヒープリ43話観た、想定よりはマシだったけどあんだけ前回しゃかりきになって自己犠牲精神を否定してDV男成敗万歳してた直後にアスミの自己犠牲精神尊いみたいな展開に持ってくの虫が良すぎてなんだかなあ。
— 愛帆 (@ageha_W_star) 2021年2月7日
今回のヒープリは「自己犠牲は良くないとは言ったけど、完全に悪いわけではないよ」的な臆病さを感じた
— shiryu (@scroll_mika3946) 2021年2月7日
アニメージュ3月号―
そんな中2月10日に雑誌アニメージュにて、ヒープリのシリーズ構成へのインタビュー記事が載り、プリキュア界隈の人々は大きな衝撃を受けます。
【アニメージュ3月号/2月10日(水)発売】『ヒーリングっど♥プリキュア』特集は、池田洋子さん(SD)×山岡直子さん(キャラデ)対談と、香村純子さん(シリーズ構成)×安見香P対談の2本立て。作り手たちが1年間の物語を通して伝えたかった熱いメッセージ、ぜひご覧あれ。#precure pic.twitter.com/xRTo4Aa8g2
— アニメージュ編集部 (@animage_tokuma) 2021年2月7日
具体的にどういう内容だったかは、ぜひ雑誌を読んでほしいと思うのですが
![Animage (アニメージュ) 2021年 03月号 [雑誌] Animage (アニメージュ) 2021年 03月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/61UnkEg0g6L.jpg)
Animage (アニメージュ) 2021年 03月号 [雑誌]
- 作者:Animage編集部
- 発売日: 2021/02/10
- メディア: Kindle版
- ダルイゼンを主人公が拒絶するのはコロナとか関係なく最初から決まっていた
- のどかが自分の手を汚す覚悟を決めたことを描きたかった
- 「生きることは闘いだ」というテーマが今作の根底にはある
- ヒープリは女の子の「何でも受け止めて何でも許してくれる女神」というジェンダーロールの呪縛からの解放を意識していた
というようなものでした。
この記事に対して、Twitterでは次のように様々な意見が噴出しました。
ヒープリインタビューからは感じるのは、もちろん否があるのは覚悟の上で、それでも今の子供たちにどうしても伝えたいことを「選択」をしたんだよね。
— kasumi@ねとらぼでプリキュア記事月イチ連載中 (@kasumi1973) 2021年2月10日
自分はその制作者側の選んだ道を尊重したいし、何より花寺のどかが下した結論を尊重する。何があっても
だから(当然子供の方は向いているとして)その後ろにいる親の方向を向けば、当然ヒープリラストの展開につながっていくわけで。
— kasumi@ねとらぼでプリキュア記事月イチ連載中 (@kasumi1973) 2021年2月10日
親としては、自己犠牲する聖母を描くのではなく(それはアスミちゃんの役)、利用されることを断固拒否できる強さ、を描いた方が(自分含め)受け入れられるのだと思う。
アニメージュ読んだ。プリキュアでジェンダー問題を描いたところで女児はピンと来ないと思うんだけどな。ストーリーを大人向けにしすぎてヒープリは推せない。キャラはめちゃくちゃかわいいのに大人によって酷く汚されてしまった感がある。
— るん (@curerunrun) 2021年2月10日
@tabibito_rin
— ダーク・ディグラー (@dakudhigura) 2021年2月10日
どうもアニメージュのヒープリスタッフインタビュー読んだらもう現実社会の女の子の害悪や真の弱者救済の #Meeto やBLMの害悪でしかないんだよね。
石原慎太郎と『ヒーリングっどプリキュア』のレイシシズム|ダーク・ディグラー @dakudhigura #note https://t.co/npASMm8otv
アニメージュのヒープリインタビュー読んだけど、大賛成すぎで逆に感慨深い。
— pc9656439 (@pc9656439) 2021年2月11日
一部の視聴者たちはまさにその通り、彼女遭わせた酷い目に笑って翻弄して、
そして自分勝手な「女神の像」をプリキュアと女の子にガン押し付けていく。本当もう散々だ。
ヒープリにありがとう。
スッキリした。#precure
アニメージュ3月号のヒープリの記事を読みました。
— Joan Oaktunk (@j_oaktunk428) 2021年2月11日
20代の頃は「こんな世の中に自分の子供を産み出すのは残酷」だと思っていた。
なんだかんだで産んで子育て真っ最中なんだけど、今は世の中が変わっていく瞬間なんだって思う。プリキュアに出会えて本当によかった。#ヒーリングっどプリキュア
覚悟して、読め。
— 祥太 (@shota_) 2021年2月9日
ぐうの音も出ない答を突き付けられた。
納得するかしないかは己自身だ。
ちなみに俺は納得してない。多分できない。
— 祥太 (@shota_) 2021年2月9日
香村さんと他のスタッフで作ろうとしていたもの、いや、実際に作っていたものが違うんじゃないかとさえ思い始めた。
そのアンバランスさに振り回され続けた1年もまた良い想い出ではあるけれども。
かえって喋るぬいぐるみを受け取る覚悟が決まったぜ。
44話「みんなでお手当て!!すこやかな未来のために」―「生きるということは戦うこと」
そして2月14日、44話「みんなでお手当て!!すこやかな未来のために」が放映されます。
tver.jp
敵キャラとの最終対決において、敵の親玉は「生きるということは戦うことだ」と言い、主人公側はそれを肯定しながら、「だから私は戦い続ける。人々のすこやかな未来のために」と言って、敵を倒しました。まさしく、先程示したアニメージュのインタビュー通りの最終回となったわけです。
これに対し、twitterでは様々な意見が出ています。
プリキュアは
— kasumi@ねとらぼでプリキュア記事月イチ連載中 (@kasumi1973) 2021年2月14日
敵の主張→「そんなことない!」→反撃って流れが多いのだけど、
今回ラスボスの主張に対して「そんなことない!」って言わなかったの良いよね。
敵の主張を全て肯定したうえで「生きることはたたかうこと」を解釈し直した後フルパワーでねじ伏せるの最高。好き。#precure pic.twitter.com/Y5joaEso9E
「生きるということは戦うこと。戦いに勝った者だけが生きることを許される」vs「だから私は戦い続ける。勝つためじゃない。負けないために」
— 川出 陽一 (@Kawade_Yoichi) 2021年2月14日
傷つけ奪うためでなく、生きるために戦い続けなければいけない。皆で励まし合い生きていこう。"今"を反映した熱いメッセージでした。#プリキュア #ヒープリ
ダルイゼンの件で医療がテーマのプリキュアで命の選別じみたことをしていいのかという類のことが話題になったそうだけど、それに対して「これは生存競争なのよ」というストロングスタイルな返しをしてくるの好き #precure
— 茸鍋 (@kinokonabe) 2021年2月13日
42話の時点ではまだ弁解の余地があったけども、ここまで開き直られてしまうと「これ↓と言ってること一緒やんけ」とツッコまざるを得ない
— STEELFAN/瀬良鐵工海事部 (@steelfan_kyoto) 2021年2月14日
ヒトの形をしたものを(子供向け番組で)滅ぼすべき病原体として扱うことのヤバさに無自覚すぎたのかなあ #precure https://t.co/TnvTG1Ex77 pic.twitter.com/bNI8YGI8ZK
女の子は何でも受け止めて許してくれる存在ではないので42話の描写まではまだ分かるけど、43話で「悪辣な○○民族は病原体と一緒なので滅ぼすしかないし一切の尊厳を認める必要がない」境地まで行ってしまったのは完全にやりすぎ https://t.co/NatixjUzVn
— STEELFAN/瀬良鐵工海事部 (@steelfan_kyoto) 2021年2月14日
極端な見方すると、出生とか生まれながらの価値観を完全否定、自分にとっての悪は問答無用で断罪、理解もしませんって感じでもやもや…するんだよね…☁️自分大事に、どうしても合わない相手には合わせる必要無し、っていう生きてく中で判断していくような事を子供向けアニメで表現するのは難しい気が…
— 🍁あろしあ🍁 (@aroooshia) 2021年2月14日
のどかは「生きることは戦うこと」と認めてた。
— 日吉舞@コス衣装色々製作中 (@mai_hiyoshi) 2021年2月14日
これまでのプリキュアは最終回付近で戦いそのものを否定することが多かったけど、今回は生物として避けられない運命を肯定してたんだよね。
この点について、ヒープリは新しい価値観を受け入れたと言えると思う。#ヒープリ #ヒーリンぐっどプリキュア
ヒープリ・・・結局は色々雑なところがありキャラものどか以外は必要性が感じられないいつものピンク青黄三人プリキュアでしたが、主治医回と今回はやりたいことが描かれていたので良かった。
— まるっさ (@mZRrLrUYLUCux0v) 2021年2月14日
それでも「生きることは戦うこと」といきなりの修羅化に戸惑い反論する人が出ても仕方ないと思う(汗)。
ハフポスト「「わきまえる」ヒーローの時代は終わった プリキュアと「鬼滅の刃」煉獄さんの共通点」の公開
そしてそのように44話を巡って大激論が交わされている中、更にハフポストに42話を取り上げた以下のような記事が掲載されます。
www.huffingtonpost.jp
これに対して、Twitterでは主に
- アニメ作品を政治利用するな
- 「自己犠牲を肯定するか否定するかで、むしろ煉獄とのどかは正反対では?」
という2つの反論が寄せられています。
実際、42話放映時はむしろ以下のように、煉獄の自己犠牲とのどかの選択を対称的なものとしてとりあげるツイートが多くありました。
日曜の朝、相方とプリキュアを見た。
— ゆーきー / Yu-ki- (@preprealsters) 2021年2月1日
『あなたを傷つける人を、自分の心と体を犠牲にしてまで助ける必要は無い』って言い切ってた
でも鬼滅の映画の中で、煉獄ママが
『弱き人を助ける事は強く生まれた者の責務です、決して忘れる事無き様に』と涙を流して煉獄さんに説いていた
俺は分からなくなった
ヒーローの自己犠牲は呪いっていうのも一面の真理ではあると思うけど、じゃ列車の乗客を助けない煉獄さんはヒーローたりえるのか、みたいな話が流れてきて凄いカウンター入れるなって思った……。
— あきひろ (@Werth) 2021年2月1日
鬼滅の刃の無限列車で、煉獄さんが赤の他人の乗客200人を己の命をかけて守った物語(柱の、人より優れて強く生まれた者の責務)に涙したので、プリキュアの話には、これが女の限界なのかと
— エス (@FreeTIBET2008) 2021年2月1日
ただその一方で、鬼滅もヒープリも、「生きることは戦うこと」というシビアな価値観を持っているという点では同じなのかなとも、思ったりしました。
以上を受けて、僕の感想
で、上記のように論争をまとめた上での、僕の感想なんですが。
なんか、「生きるということは戦うこと」という言葉を目にして、僕は『ゼロ年代の想像力』という本を思い出したんですね。

- 作者:宇野 常寛
- 発売日: 2011/09/09
- メディア: 文庫
そのような議論を目にしてきた僕は、「プリキュアも20年経ち、とうとうそっちの方向行くのかー」という感想をまず抱くんですね。
『ゼロ年代の想像力』が刊行された当時、この本は様々な議論を起こしました。その中で一番多かった反論が、「戦うって誰かを殺すしか生き残る選択肢がない、その社会状況こそを疑うべきではないか」というものだったわけです。それぞれの個人が自己責任で生き残ろうとするだけじゃだめなんだと、それぞれ奪い合うんじゃなくて、団結して分かち合うことによりみんなで生き残る方法を探すべきなんじゃないかという論です。
でも結局そういう方向で社会を変えることは出来ず、とうとう子ども向けの番組におけるメッセージでも「生きるために戦って奪い合うこと」が正当化される時代が来てしまった。それが現代という時代なのかなぁと、思ったりするわけです。
そしてそういう社会では結局、フェミニズムとかリベラルとかも含んだあらゆる政治的立ち位置が、「自陣営に権益を呼び込む」ための闘争を求めるようになり、そしてプリキュアのようなアニメもまた、そういう闘争の尖兵となるように強いられるのかと。
なんか、つらい世の中ですねぇ……