あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

2021年、改めて「駄サイクル」について考える

ta-nishi.hatenablog.com
上記のスペースを聞きに行くかはまだ特には決めていないんですが、そういや昔僕『ネムルバカ』

のこと大嫌いだったなー。『ヨイコノミライ』の「自称批評家さん」のコマ
amiyoshida.hatenablog.com
ぐらい大嫌いだったなーと思い出し、でも今となっては正直内容思い出せないことに気づいて再読してみました。
すると、なんで昔このマンガがそんなに嫌いだったかを思い出して、ついでに今読むと全く別の読み方もあるなということに気づいたので、ここに書いておくことにしました。

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「何者でもない私たち」だからこそ主役になれると驕っていた時代

anond.hatelabo.jp
この記事、シロクマ氏やアジコ氏に向けられているけど、僕は勝手に「これってまさしく僕のような人間に向けられた手紙じゃん」と思わずにはいられませんでした。なので、勝手に宛先が僕になっていると勘違いして、話を進めます。

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最近お気に入りのにじさんじバーチャルYouTuber5選

皆さん、バーチャルYouTuber見ていますかー。
正直最近は起きている時間ほとんどバーチャルYouTuberの配信を観ているあままこです。いや、寝てるときも寝てるときで、誰かの配信つけっぱなしにして寝ていることが多いので、実質24時間バーチャルYouTuber漬けだったりします。
というわけで、今回の記事では自分が色々なバーチャルYouTuberを見る中で、特に読者に勧めたいバーチャルYouTuberを10人紹介します。まあ、別にそんなにバーチャルYouTuberに詳しいわけでもないんで、少し詳しい人なら「こんなのとっくに知ってるよ」という人ばっかだと思いますが。
なお、僕が見ているのはにじさんじが中心で、個人勢や他グループについては殆ど追っかけられていないのが現状です。なので、もし読者の中で、「そのバーチャルYouTuber好きなら、この子もおすすめだよ」と、コメントやブコメで紹介してくれると、大変うれしいです。
というわけで、早速紹介していきましょう。

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キミは眩しかったよ、はてな

と僕は言いますので、はてな村人の皆さんは「なんで過去形なのよ……」と言ってください。はい歌さん早かった。

なんか最近、またはてな村衰退論がはやっているみたいで

orangestar.hatenadiary.jp
p-shirokuma.hatenadiary.com
僕が一生懸命エヴァ
amamako.hateblo.jp
やらスタァライト
amamako.hateblo.jp
を書いている間に、はてな村では今日もまた「はてな村って衰退したよねー」という話題が流行っているようです。
まあ、僕も
amamako.hateblo.jp
みたいに散々「今のはてなは駄目だなー」みたいなことを書いていたので、人のことは言えないんですが、しかしそれでもこう思っちゃうわけです
「そうやって楽屋落ち的な自己言及しかしなくなったから、衰退したんじゃないの?」
と。

はてな村の魅力(きらめき)とはなんだったか

僕がはてな村で記事を書き始めたゼロ年代頃は、記事を書くネタがなければ、とりあえずはてなブックマーク見たらなんか面白いネタが見つかって、それに対して記事を書けたんですと。良くも悪くも個性的なアニメ・ゲームの話題だったり、社会学とか心理学の最先端の話題だったりについて、独自の視点から新鮮なことを書いている記事を見て「自分ももっと勉強して、こういう話題について文章を書けるような存在にならなきゃなー」と思えたわけです。
でも、じゃあ今はてなブックマークとか見て、「あ、この話題面白いな。言及したいな」とかいう記事があるか。残念ながら、殆どないんですよね。あまりに頓珍漢なことばっかり書かれていて、「この話題についてきちんと書いてやらなきゃだめか……」と思うような記事はあります。でも、そういう記事に対して義務感からツッコミを書いてても、正直なんにも面白くはないわけで、結果「もーブログ記事書くのとか面倒だなー」となってしまうわけです。

読者の劣化はもちろんあるけど……

なんでそうなっちゃったか。受け手が劣化したというのももちろんありますよ。文章を読んでも「自分の陣営の味方か敵か」みたいなことしか気にせず、味方だったら称賛、敵なら罵倒するだけのブックマーカー。世の中の常識と違う考えに対して、「それは世の中の常識と違うから間違ってると思いますよ」みたいなクソリプしてくる読者。そういう連中の悪口なら、何万文字でも書き連ねられます。
でも、僕は思うんですよ。そういう読者しか育てられなかった、書き手の僕たちに責任はないのか?と

何も成長せず、同じような話題を繰り返している僕らは、書き手としては既に死んでいるのでは

つまり、「この記事に味方します/敵対します」みたいなことしか書かれないのは、そういうことしか書く能がない読者にももちろん問題はあるけど、そういう言及しか呼び起こさない記事しか書けなくなった、僕たち書き手にも問題があるのではと、思うのです。
具体的に言うなら、「それ、もう散々語られた話題じゃない?」みたいなことに対する記事ばっかになっていったのです。エヴァKanonAirがどうだのこうだの、非モテ非コミュは誰の責任だの、正直もう語り尽くしちゃったことを擦り続けている、そんな記事ばっかになっていった気がするのです。
もっと言えば、タコツボ化が、はてな村みたいな場でも進んで、「何でもかんでも語れるぞ」みたいな雰囲気がなくなり、「自分の専門はこれだから、これについてのみ語ります」みたいな人が多くなりました。そしてその結果、新しい発想、「この話題とこの話題を結びつければ、こんな新しい議題が出てくるのか!」みたいな発見がどんどんはてな村から消え、閉塞的になっていったのでは、ないでしょうか。
実際、はてなで未だにブログを書いている皆さんに聞きたいのですが、新しいアニメとかマンガとかゲームとか、あるいはバーチャルYouTuberとか「歌い手」とかと言った新しい文化に触れていますか?今話題の新書とか読んでいますか?そして、そういうところから新たな発見をしていますか?
そういう発見をして、そしてそれに触発されれば、例え読者がどんなにクソでも、「このことについて記事を書きたい!」という熱情が、記事を書くモチベーションになると思うんですよ。そして、そういう熱情によって書かれた新鮮な記事なら、そこからまた別の、新鮮な言及を生み出すはずなのです。

一旦自分が死んでしまっていることを受け入れろ、そしてそこから生まれ直せ

しかしそういうことを言っても「年を取った今更、新しい文化に触れるなんて面倒だし……」と思うかもしれません。ですが、そう思ってるあなたは、年を取ったとかそういうことではなく、表現者として既に死んでいるのです。「今更新しいものに触れなくたって、今までの人生の積み重ねがあるし……」とか思ってるかもしれませんが、幾ら今までの人生でなにか経験があったとしても、新しいものと触れなければ、その人生経験は、腐り落ちた、ゾンビでしかないのです。
まずは、そこで自分が一旦死んでしまったことを認め、生まれ直し、一から新しい文化に飛び込みましょう。そしてそこから、たとえどんなに稚拙でも、「新しいもの」を生み出そうと、あがくべきなのです。もしはてな村がもう一度輝きたいなら、書き手一人ひとりがそうやって自らを再生産しなきゃ駄目でしょう。
逆に言うなら、もしそれができないと言うなら、さっさと表現者として腹を切るべきなのです。

〈私たち〉から〈私〉に至る物語―劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトネタバレあり感想


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というわけで
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と書いてきた少女☆歌劇レヴュースタァライト感想文ですが、いよいよラスト、劇場版です。
みなさん、劇場版は見ましたね?この記事では見たことを前提としてネタバレ全開で感想を書くので、見てない人はいますぐページを閉じて、映画館へ直行してください!

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「一瞬のきらめき」を生み出し続ける先に―TV版少女☆歌劇レヴュースタァライトネタバレあり感想

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さて、前回
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という記事を書きましたが、あれから「少女☆歌劇レヴュースタァライト」、見ましたか?

……見ましたね?

ということで今回は、「少女☆歌劇レヴュースタァライト」のテレビ版について、ネタバレ込みで感想を書いていきたいと思います。バンバンネタバレしていくんで、ご注意を。

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少女☆歌劇レヴュースタァライトのアニメを今すぐあなたが観るべき3つの理由(ネタバレなし)

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まず最初に言います。
この記事にたどり着いた全ての方、今すぐ「少女☆歌劇レヴュースタァライト」のアニメを見てください!
まずTV版のアニメを見てください。続いて総集編の映画、「ロンドロンドロンド(通称ロロロ)」を見てください!
amzn.to
そしてそこまで見たら、今すぐ予定を開けて、映画館に行き、公開中の映画、「劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト」を見てください!
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僕が言いたいことはそれで全てです!もし、僕という人間に1ミリでも信用があるなら、今すぐ、「少女☆歌劇レヴュースタァライト」を観て、そして、スタァライトされちゃってください!

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「エヴァンゲリオン」という現代のサブカルチャーの原型(シン・エヴァ感想文)

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というわけで、だいぶ前にシン・エヴァは見終わってたんですが、やっと心の中で踏ん切りがついたので、エヴァの記事でも書きますか。

エヴァについての記事を書く」ということ自体が、何らかの立場表明だった時があった

といっても、おそらく若い読者にとっては「何をそんなに踏ん切りをつける必要があるのよ?」と思われるかもしれません。別に普段アニメ映画を見てあーだこーだ言うように、シン・エヴァについてもあーだこーだ書けばいいじゃないのと、そう思われることでしょう。
でもね、今はもう「オタクなんだからエヴァ見てるでしょ?」みたいなことが当たり前に語られる時代ですが、僕がオタク自意識を芽生えさせた90年代後半〜00年代は、「エヴァについて語るかどうか」自体が、ある種その人のオタクとしての立ち位置を規定する踏み絵だったわけです。そして、どっちかというと僕の周りのオタクは、「エヴァについて真面目に語っちゃうとか、ちょっと恥ずかしいよね」という空気が強い感じのオタク界隈だったんですね。
今でこそ、「アニメとかマンガとかが大好きな人」ぐらいまで意味が希釈されてしまった「オタク」という属性ですが、エヴァ放映前後の頃は当時はもっと色々めんどくさい存在だったわけです。その面倒臭さとは、「ある作品に対して、それは真正面から受け止めるのではなく、斜めに受け流す」ということです。
それこそエヴァで例えるなら、エヴァを見て真面目にシンジなりアスカなりレイの境遇にシンクロして、「これ私のことだ」なんて自己投影したり、庵野監督の演出を見て「かっけー」なんて思うのは、パンピーのやることなんだと。真のオタクはストーリーとかそんなものを真面目に読んだりはしないし、かっこいい演出とかみても、「これって結局実相寺昭雄のオマージュじゃん」とか「極太明朝がエヴァ発明とか思ってる素人うぜー、金田一みて出直してこい(笑)」とかいう風にちゃちゃ入れるのが、正しいオタクのありようだとされていた界隈があったわけです。
そして、当然そんな界隈から見れば、エヴァを見て「この描き方は現代社会の反映で〜」とか言ってる学者とかは鼻で笑われる存在だったわけです。
ただ、当然オタクの中にはそういう茶々を入れる見方に反抗して「いや、エヴァは真面目に考察しなきゃならない」と思うオタクもいました。その2つのオタク界隈の対立は、当時本当に激しくて、中には裁判沙汰にまでなったケースもあったわけです*1

で、そんな風にオタクが2つに分裂して、対立が起きている中、僕は「いや確かに真面目にアニメについて語っちゃうとかかっこ悪いし、でもやっぱ本気で真面目に共感しちゃう部分とかもあるし……」と、アンビバレンツな態度をとりながらオタクとして成長していったわけです*2。だから、そういう対立が過去のものとなった今でも、エヴァについて語るときは「一体どっちの立場に基づいて言葉を紡げばいいんだろう」と、悩んでしまうわけです。
しかし、そもそもそういう対立構図に囚われているという事自体を、卒業すべきなんじゃないか。今回のシン・エヴァを見て、僕はそう思ったので、この記事を書きます。

僕個人は、もはやシン・エヴァに対しての執着はなかった

ただ、ぶっちゃけて言うと、僕個人の執着という点では、シン・エヴァについては、もう「破」の時点で、「あ、これは別に見るべきものではないな」と思っていました。当時はこんな記事を書いていますね。
amamako.hateblo.jp
なんでそんな風に思ったかといえば、僕にとってのエヴァとは結局「旧劇のシンジとアスカの物語」であり、シンジが泣きながらアスカの首を絞め、アスカが「気持ち悪い」とつぶやく、そのシーンがすべてだったからです。もしシン・エヴァについて見るべきものがあるとすれば、それはあそこで首を絞めた惣流アスカにシンジがどう向き合うか、その一点だけだと思っていました。ところが結局、破で惣流アスカは死んじゃったわけで、それ以降形だけ似た式波とかいう奴が出てきても「はいはい、キャラクターを一から作るの面倒くさいから使いまわしただけでしょ」としか思えなかったわけですね。
ですから、僕個人の執着は「破」で終わっています。このあと、庵野監督が何作ろうがもう、僕個人の執着とは関係ない。僕は僕個人で、あの旧劇ラストの「気持ち悪い」を抱えて生きていくしかないんだなと。そしてその気持ちは、エン・エヴァを見終わった今もって変わっていません。

エヴァのキャラクターのどうしようもない「古さ」

ただ、そういう僕個人の執着を抜きにして、ただのアニメ作品としてシン・エヴァを見ると、また別の感想があるんですね。
まず感じたことは、「映像表現はものすごく進歩してるんだけど、キャラクターはすっかり古びてしまったな」ということです。
シンジにしろアスカにしろレイにしろ、なんかこう、古いおっさんらが「若者ってこういう感じに悩むものだよね」と想像した通りの悩み方の範疇を超えてこないというか、それを「健全さ」として褒めるのはたやすいことなんだけど、じゃあ今実際に思春期を生きてる悩める子どもたちに、この物語が伝わるかといえば、それは全く伝わらないだろうなと思うわけです。それこそ旧エヴァ放映当時なら、レイの真似して腕に包帯巻いたりしていたであろう女の子が、じゃあこの映画見て「そっか、私も田植えとかして汗水たらして働けばいいのね!」とか思うかといえば、そんなこと全く思わないだろうと、思うわけです。
さらに言えば、旧エヴァ当時には立派な問題としてあった「どうやって大人になればいいんだ」という問題自体が、もはや今の時代は古ぼけたものになったしまっているわけです。それこそ今どきの若者の目指す像を体現しているであろうアイドルやYouTuberや起業家とかに求められるのは、「いかに大人にならないか」ということだったりするわけです。固定概念とかを持たず、常に新しいことに関心を持ち、成熟なんかせず絶えず変化をする「子ども」であり続けることが、むしろ社会的にも奨励される、そんな時代がこの20年代なわけで、そんな時代に「地に足つけて働く村の大人は素晴らしいね」「それに比べていまだに過去に囚われ続けてるゲンドウはだめだね」みたいに描かれても、ピンぼけにも程があるわけです。
で、そういう土台の思想がどうにも古びたものであるにも関わらず、映像表現は最先端であるがゆえに、物語と映像がどうにもマッチしないわけです。それこそこれでジブリ映画みたいな映像だったらまだ「あ、古き時代を描きたかったのね」で一つの完成度高い作品になるとは思うんですけど、古き時代のイデオロギーと最先端の映像表現がセットなもんだから、どうにも噛み合わなくて、ただ映像が遊離して「すごい映像だね」で終わってしまう。
その遊離が端的に現れてるのが、ラストのあの実写のシーンです。あれを褒めてる人がインターネットでは多くいますけど、僕は正直あれ見て、ちょうど名探偵コナンの劇場版みた後だったから「コナンのパクリじゃん」としか思えなかったんですね。なぜなら、あそこでドローンで街を写す意味が、少なくとも僕には全くわからなかったからです。
旧劇の実写シーンは、それを「実写」で撮ることにはっきりとして意味がありました。映画館での実写、声優さんたちのコスプレ、あれはまさしく「庵野監督の私的体験」であるという必然性と、アニメに唐突に実写が挟まることによる異化作用が相まって、ビンビンに「あれ、自分やべーもの見てるな」と思わせる表現だったわけです。
ところが、シン・エヴァのラストも、じゃあそういう風に庵野監督のライフヒストリーに結びつけるのかなと思えば、ドローンで空飛んじゃうわけですよ、庵野監督は空飛べますか?飛べないですよね?じゃああの視点は何の視点なのか、少なくとも僕にはわかりませんでした。
だから、最初に思ったのは「こんなの見るんだったら、普通に名探偵コナン二回見とけばよかったな」です。

楽しんで見れる歴史的資料としての「シン・エヴァ

ただ、それから家に帰ってYouTubeで好きなバーチャルYoutuberの配信とかを見て思ったのが、「でも確かにあれが当時のエヴァであり、あそこからすべてが始まったんだよな」ということです。
例えば今、地雷系とか量産系とか病み系とかいう感じで、ちょっとメンタルヘルスに難を抱えた女の子が、「かわいい」ものとしてポピュラーカルチャーに現れてきているわけですが、そういう「元気で快活だったり、模範となるような女の子でない女の子キャラ」が大きく日の目を浴びたのは、やっぱり綾波レイであったり惣流アスカラングレーだったりするわけです。エヴァが社会現象になったからこそ、「あ、ちょっとメンタル病んじゃっても、それも萌えポイントのひとつなんだね」みたいな風に思えるようになったわけです。そしてそういう土台の上で、「でも本当にメンタル病んでる子ってもうちょっとこうだよね」と、それにリアルな肉付けがされていったり、あるいは「そういうのってでもみんなが真似すると逆に没個性だよね」みたいな自己言及性を持ったりしていき、今の最先端の病み系キャラクターが生まれてきたわけです。
※例:
amamako.hateblo.jp
また、それこそTV版の最終回で「理想の学園生活」をパロディとして描いたことにより「今まではアニメとかでは仲のいい学校生活みたいなのばっか描かれたけど、そんなの嘘くさいよね」ということで、リアルなスクールカースト描写みたいなものが生まれたりもしたわけで、やっぱり今のサブカルチャーの表現の多くは、どんなに否定しようともエヴァがその祖先にあるわけです。
だから本当はTV版・旧劇こそを「こういう過去の礎の上に、現在のサブカルチャーはあるんだよ」という歴史的資料として見てもらいたいんだけど、でもやっぱり「昔の作品」ってだけで若い人には食いつき悪いから、最新の映像技術で惹きつけながら、今のサブカルチャーの原型となるキャラクターを学んでもらう、そういう良質なお勉強の作品として、「シン・エヴァ」があってもいいのかなと、そんなことを思うわけです。

……でもやっぱ、見るならTV版・旧劇だよなぁ。
特に「シン・エヴァ」だけを見て、「エヴァってこういうものなのか」と思ってる若い人にこそ、TV版終盤・旧劇を見て、このアバンギャルドさこそ本当の「エヴァ」なんだと体感してもらいたい、と思うのは、老害の戯言、なんでしょうか。

*1:ここら辺について詳しく知りたい人は、「伊藤剛 唐沢俊一」とかでネット検索すれば当時の資料が見つかるんじゃないでしょうか

*2:ここらへんのアンビバレントさは、おそらく僕の思想の根幹に根付いてしまったのだと思う