あままこのブログ

役に立たないことだけを書く。

「天気の子」を見に行ってきて、おもいだしたこと(ネタバレ無し感想)

「天気の子」、公開初日の午前9時から見に行ってきました。

https://www.instagram.com/p/B0FMcvsg_nc/

というわけで『天気の子』見終わったー!百点満点中一億兆点!出来れば梅雨のうちに見て!


はい、もう声を大にして言いたい。今を生きる人間なら、絶対これはリアルタイムで見に行くべきだ!と。


なぜ見に行くべきか?これは、「あなたのための映画」だからです。

 

前作の「君の名は」は、「みんなのための映画」でした。あの震災を経験したみんなが、漠然と思っていた「世界はこうあってほしい」と、エンターテイメントを求める中で、それに見事答えた作品です。つまり、万人が共通して持っている要素に働きかける作品だったんだと、僕は思っています。

しかしそれに対し、今回の「天気の子」は、決して万人に受け入れられる、そんな作品ではないです。しかし、少なくとも、このブログに辿り着いた人なら、それがどういう形であれ、「刺さる」部分を持つ、そんな尖った作品になっています。

もちろん、具体的にどういう部分が刺さるのかというのは、ネタバレになってしまうので詳しくは言えません。ですが、例えばこの予告編


映画『天気の子』スペシャル予報


この予告編をみて、「そうそうこれが新海誠なんだよ。だから新海誠が好きだ」と思う人、あるいは、「こんな作品ばっかだよな新海誠は。だから新海誠は嫌いなんだ」、そういう人は、まさしく今回の作品を見て、今の新海誠が、過去を礎にどう人々にメッセージを送ろうとしているのか、そして自分はそれをどう受け取るのか、確かめるべきです。
あるいは、新海誠に全然思い入れが無かったとしても、思春期をくぐり抜けたり、今思春期真っ最中という人には、ぜひ見てもらいたいです。
更には、年齢とか関係なくこの社会に息苦しさを感じてる、そんな人にも見てもらいたいし、あるいは逆に、今の社会万歳!と思っている人にも、この作品の問いかけを聞いてほしいと思います。


とにかく、もしあなたが、「物語」というものに、人の心を揺り動かす力があると信じていたり、揺り動かされる人間ならば、断言しましょう、この「天気の子」という映画は「あなたのための映画」なのです。


では、「天気の声」のどういう部分が僕に刺さったのか、ネタバレにならないように、敢えて「天気の子」の作品のあらすじには一切触れない形で、語ってみましょう。


 「天気の子」を見に行ってきて、おもいだしたこと

「天気の子」を見に行ってきて、僕は、中学・高校の頃を思い出したんですね。なぜか?答えは単純で、「天気の子」の主人公の男の子が行く新宿のマクドナルド、あそこに僕もよく行っていたからです。
その頃の僕は、東京から新幹線で一時間半ぐらいのところにある地方暮らしでした。島ぐらしだった主人公の男の子よりは恵まれた環境だったかもしれませんが、それでも、地方の中高生がだいたいそうであるように、僕も、地方での生活に息苦しさを感じる日々でした。それで、長期休暇にはよく、宿のあてもなく東京に飛び出てきて、それこそネカフェやマクドで一週間ぐらい寝泊まりする、そんなことをやっていました。
東京に出れば何かが自分のこの息苦しさを振り払う出来事が起きるだろう、そんな期待もちょこっとありました。もちろん、そんな期待は成就することはなかったわけですが。


ただ、そんな中で、東京にいるということをネットでつぶやいたりすると、時たまネットの向こう側から「じゃあ会わない?」みたいな声がかかることがあります。今考えれば、そんな怪しい誘いに乗るなんて危険なことよくやっていたと思いますし、事実、トラブルもまあまあありました。

ただ、それでも会いに行くと、そこでは様々な人に出会いました。同年代の人と会うこともあれば、全然年下だったり年上だったりする人と会うこともあります。ただ、その全てに共通して言えるのは、大体「まともじゃない、社会から外れちゃった人」ということです。未成年だろうがタバコやアルコールはみんなほぼやってましたし、学校や会社にまともに行ってなかったり、行ってたとしても、そこでの暮らしは「擬態」なんだと言い切っていたり、はては、このご時世に暴力革命の夢を見る運動家だったり……彼らには、「今の社会のために自分を犠牲にする」という考えがはなからありませんでした。彼らの生活の様子をネット上にアップすれば、それだけで炎上しそうな人たちです。社会が何だ、俺/私はやりたいようにやりますよ、そんな人たちだったのです。しかし、そんな「社会から外れちゃった人」の間にいると、不思議と息苦しさが、なくなったのです。

……しかし、そんな思春期はやがて過ぎ去り、ぼくは、一応年齢的には大人、というかおじさんの年齢になりました。当時の付き合いで、今も続いているものは殆どありません。時折、風のうわさで、お彼岸に行ってしまった人が出たことを聞くぐらいです。

 

そして、息苦しさは今なお消えません。ただ、年をとって、その息苦しさをうまくやり過ごすすべは身につけました。「誰も一人で生きてなんかいない。みんなで助け合って生きているんだ」とか言ったり、「誰かが犠牲にならなきゃいけないんだ」と諦めてみたり。幸い、世間の物語で、そういうメッセージを助けてくれるものは山程あります。まさしく、「大人のための、ビターな物語」というやつです。5人を救うために1人を殺すポイント切り替え。

 

……「天気の子」は、そんな今の僕と、そんな今の僕をきっと蔑んでる、あの頃の僕への物語なんだと、僕は勝手に、思い込んでいるのです。

おまけ

増補改訂 アースダイバー

増補改訂 アースダイバー

 

 新海誠氏がツイッターでこの本が陳列されている本棚の写真をアップしていましたが、「天気の子」を見る人で、人文系の本に抵抗がない人は、見る前でも見たあとでもいいんで、この本読むと、「あーそういうことか!」とわかることが多々あると思います。詳しくは、これもネタバレになっちゃうので言えませんが……

夢見りあむって誰?ザコメンタル?炎上経験がある?曲は?声優は?好きな漫画は?調べてみました!

2019年2月7日に『アイドルマスターシンデレラガールズ』というゲームに初登場した夢見りあむというアイドルが、「ほんとすこ」、「まじ無理」、「こういう子いるいる」、「古傷を思い出す」、「ひどいことしたい」などと、様々な形でtwitterで話題になっています!

この記事では、そんな夢見りあむがいったいどんな子なのか。調べてみました!

夢見りあむのプロフィール

アイドル名 夢見りあむ
フリガナ ゆめみりあむ
年齢 19
身長 149cm
体重 リンゴたくさん
B-W-H でっかい-ふつう-たぶんふつう
誕生日 9月12日
星座 乙女座
血液型 AB型
利き手
出身地 やさしい世界
趣味 夜中の意味深ポエム、現場参戦

夢見りあむ - アイドルマスターシンデレラガールズwikiより)

出身地が「やさしい世界」っていうのは一体どういうことなんでしょう?趣味が「夜中の意味深ポエム、現場参戦」ということですが、一体どんなポエムを書いてるのか、気になりますね!

ザコメンタル?

夢見りあむちゃんは特技が「ザコメンタル」ということで、他にも

  • マウントとられて…めっちゃやむ!
  • 学校続かなかったしこれでアイドル向いてなかったら本気でやむよ!?頼むよPサマ!ぼくを救って!その力でアイドルにして!!!
  • アイドルはメンタルに効くんだよ特効薬だよ!財布にダメージだけど!

などと、様々なセリフで、メンタルが不安定なことをほのめかしています。 ただ、一方でりあむちゃんはこんなことを言っています。

ということでtwitterでは、「りあむちゃんはファッションメンヘラ」「病気じゃない。ただクズなだけ」などと言われています。

[https://twitter.com/Az_91/status/1093689536909996034:embed] [https://twitter.com/tnta_mcas/status/1093517019708719105:embed]

本当のところはどうなんでしょう?とっても気になりますね!

炎上経験がある?

夢見りあむちゃんは「炎上でもいい!目立ちたい!」と言っています。

しかしその一方で、

  • 意見はマシュマロに包んでそっと投げてほしい…甘い言葉だけくれ
  • ネットで叩かないでほしい!!
  • え、ネット炎上してる?何で!?

というように、実際に炎上するとうろたえてしまうようです。

twitterでは、夢見りあむちゃんが一体どんな炎上をしたのか、様々な想像がされています。

一体どんな炎上をしたんでしょう?とっても気になりますね!

曲は?

アイドルといえば歌!ということで夢見りあむちゃんが一体どんな歌を歌うのか?とっても気になりますね!

しかし 2019年2月8日現在、まだ発表されている曲はありません。残念……

しかしtwitterでは早くも、夢見りあむちゃんにどんな曲を歌ってほしいかなどが、話題になっているようです!

www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com

大森靖子神聖かまってちゃん倉橋ヨエコ、ナナヲアカリなど、さまざまな歌手の曲が上がっていますが、一体どんな曲を歌うことになるんでしょうね!

声優は?

夢見りあむの声は一体どんな声優が担当するのか、気になりますね! しかし2019年2月8日現在、まだ夢見りあむに声はついていません。残念……

twitterではさまざまな意見があるみたいです。

 中にはこんな声も。

これを受けてはるかぜちゃんはこんなツイートをしています。

……とってもわくわくしますね!

好きな漫画は?

そんな夢見りあむちゃんですが、非公式情報ですが、実はこんな一面もあったりするようです。

これを受けて、知るかバカうどんさんはこんなツイートをしています。

……注目ですね!

なんでここまで好かれるの?

しかし夢見りあむちゃんは一体なんでこんなにネット上で人気を集めるのでしょうか?twitterではこんなことが言われています。

[https://twitter.com/rea_rin/status/1093449681139462145:embed]

要するにtwitter民は自分が今まで出会ってきたり、自分の心の中にある闇を夢見りあむちゃんに投影しているみたいです。

うーん、なんか夢見りあむちゃんがかわいそうですね!

まとめ

いかがでしたか?

今回は夢見りあむちゃんについて調べてみましたが、結局夢見りあむちゃんが本当はどんな子なのか、詳しいことは分かりませんでした。

夢見りあむちゃんの今後に注目ですね!

……

f:id:amamako:20190208154356j:plain というわけで、夢見りあむちゃんについて気になった人は、こんな記事を読んでる暇があったら、さっさとデレマスをプレイしなさい。 www.andapp.jp

「エンパワーメント」なる言葉のうさんくささ

このツイートに対し「いや受け手を不快にするものが全て『広告』として許されないなら、フェミニストたちがさんざん称賛してきたジレットの『男らしさ』広告なんてどうなるのよ」という批判をしたら、多くの人から「いや、ジレットの広告は男性をエンパワーメントするものだが、ロフトの広告には女性をエンパワーメントする気が見られない。だから駄目だ」という反論が多く寄せられました*1。 要するにこの人らの脳内では、「エンパワーメント」の要素こそが、ある表現が許されるか/許されないかを決める、決定的要素となっているみたいです。

しかしねぇ……僕は思うのです。

「エンパワーメント」,これほどうさんくさい言葉も、なかなかねぇぞ?と。

エンパワーメントとは結局、心地よい疑似現実に逃げ込む言い訳にすぎない

エンパワーメントという言葉は、どうやら最近の「意識高い系」の人々の間では流行語になっているようで、Googleニュースで検索してみると、「女性をエンパワーメント」とか、「クリエイターをエンパワーメント」なる言葉がずらずらっと出てきます。

www.google.com

では、「エンパワーメント」なる言葉は一体どういう意味なのか。Wikipediaを引いてみると、次のような定義が載っています。

ja.wikipedia.org

エンパワーメント(empowerment、エンパワメントとも)とは一般的には、個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることであると定義される。日本では能力開化や権限付与とも言う。エンパワメントの考え方は昨今大きな広がりを見せ、保健医療福祉、教育、企業などでも用いられている。広義のエンパワメント(湧活)とは、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させることと定義される。

「人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させること」ねぇ……

まあ、なんていうか……この文章を見て「うわきもっ」と反射的に思えない人とは、正直一生分かり合える気がしません。

大体、もし自分が本当に「それが正しい!」と思ってる信条なら、エンパワーメントなんてされなくてもそれを貫けるはずなのです。もし、「女性の絆は清く美しいもので、そこには打算とか抑圧なんてものはない」と本気で信じているのなら、それが他者の表現でどう描かれようが気にならないはずでしょう。

それが、エンパワーメントされなきゃ信じられないというのなら、それは所詮それまでのことなんですよ。心のどこかで「いやでも女性の絆にも足の引っ張り合いとか普通にあるんじゃないか?」という疑念が心のどこかにあって、それを打ち消したいから、「女性の絆は生来美しいものなのだ!」という表現を、「女性をエンパワーメントするものだ」といって称賛し、そうでない表現を「女性をエンパワーメントしない!」と言って過剰に貶める。そうやって自分の身の回りから、自分の心の奥底に眠る疑念を呼び起こすものを排除し、「やっぱ女性の絆は美しいねぇ」と仲間内で確認し合う。

はっきり言いましょう。「エンパワーメント」とは結局、同調圧力によって現実から目をそらし、心地の良い「疑似現実」に逃げ込む、体の良い言い訳に過ぎないのです。

凡人は、真に世界を変えうる稀人の邪魔をするな

まあ、そうやって心地よい疑似現実の中で一生を終えられれば、それはそれで幸せなのでしょう。しかし、世の中そういう鈍感な人ばかりでできているわけではありません。例えどんなに心地よい「エンパワーメント」で覆い隠そうとしても、その裏にある「見たくない現実」というものを見てしまう人も、世の中にはいるのです。そして、本当に素晴らしい、人の心を揺り動かし、後世まで残る表現を生み出す表現者というのは、まさにそういう感受性を持った人なのです。

そういう表現者の表現というのは、むしろ「エンパワーメント」なる美辞麗句とは程遠いものになります。その表現を受け取っても決して愉快な気持ちにならないし、元気づけられもしない。「夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させる」なんてもっての外です。

でも、「エンパワーメント」なる言葉を無邪気に称賛する輩には一生理解できないことかもしれませんが、こういう表現こそが、この社会で生きづらいと思っている人たちにとっては、この社会をサバイブする「武器」となるのです。そして更に言うなら、「エンパワーメント」的な表現によってしか自分の信条を本気で信じることができない人がいくら集まっても変えることができない現実を、打ち破る力を持つ人は、まさにそういう感受性を持った「稀人」なのです。

僕が言いたいことは唯一つ。「凡人はそういう稀人の邪魔をするな」ということです。凡人たちは自分たちの内輪で散々「エンパワーメント」なるものを称賛していればよろしい。清く正しい人たちが、悪を打ち破る勧善懲悪なポリコレ的物語でも読んで、「とーってもエンパワーメントされました!ポリコレサイコー!」と、目から出る体液の量でしか映画の良し悪しを測れない〇〇どものようにのたまっていればいい。ただ、自分たちの好む物語と違う、その鈍感さでは図りえない表現が出てきたとき、それを邪魔するのはやめてほしいと、そう思います。

「女ノ絆ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」なのか?

LOFTのバレンタイン広告問題、いいかげんこの記事で最後にする予定だけれども、最後にこれだけは言いたいので言わせていただく。 「女ノ絆ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」なのか?

「女子校は桃源郷!嫌な思いなんて一つもしなかった」として、女の絆をことさら美化する人たち。 まー彼女らにとっては確かにそれは幸せだったのでしょう。しかし、それが弱者を踏み台にしたスクールカースト強者の言い草であることは、ちょっとtwitterを検索すればすぐ分かることです。 しかし、この記事ではそういう意見はあえて引用しません。なぜなら、そういう意見を目にした途端、ツイフェミたちは↓のように攻撃を加え、そういう被害者たちを沈黙させようとするからです。 そしてこうやって現実を否定することによって、ツイフェミたちの間で生まれる「女同士はみんな仲良し!女の絆は何よりも強く、そこには打算も何も含まれていない」という疑似現実。 それ、学校の先生たちがよく言う「うちのクラスはみんな仲良し、いじめなんかありません」と一体何が違うというんでしょう? 「そういう見方は古い。今の流行りはみんな仲良しだよ」と言う人がいます。そういう人たちの脳内では、集団でのいじめなんていうものは過去のものであり、もはや克服されたものなんだということに、なっているのかもしれません。 しかし現実は違います。 mainichi.jp 男だろうが女だろうが、人が集まって集団というものを形成すれば、そこには必ず勝者と敗者が生まれる。「絆」っていうものは決して美しいものじゃない。むしろ、醜悪なものである。 その現実を見ないですまそうとする輩は、フェミニストだろうがなんだろうが、僕の敵です。

「広告」こそが、見たくない現実を暴く力となる(LOFTバレンタイン広告について3)

amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp LOFTのバレンタイン広告について擁護の論陣を張ってきましたが、案の定ネット上では大不評です。 ですが、はっきり言うと僕はこれらの記事に批判をされればされるほど、むしろ逆に「あの広告は価値ある広告だった。撤回したのは実にもったいない」と思うようになっています。というか、最初は僕も「まあ広告だし批判を受ければ撤回するのは当然だよね」という考えの人間でしたが、今はもう「批判を受けようがあの広告は撤回すべきではなかった。広告を撤回させたネトフェミ共に、その声に安易に屈して広告を取り下げたLOFT、両方クソである」とすら思うようになっています。 なぜなら、批判をしてくる人の論調こそが、あの広告を今、「広告」として世に出すべき理由を証明しているからです。 それが一体どういうことか、批判してきたコメントに答える中で説明していきます。

「広告にアーティスティックな表現を持ち込むとか古臭い」のか?

LOFTのバレンタイン広告にたいする反応を見て、考え込んでしまう - あままこのブログ

「80年代広告のアーティスティックな表現」(筆者談)なるものの絶望的な古くささに、80年代から30年もたっているのに気づけない感性ってやばくね?まだこういう楽屋オチみたいなもんで笑えるの?

2019/02/04 23:02
b.hatena.ne.jp 最初は僕もこう思っていました。広告でアーティスティックな表現やるなんてもう古臭いと。 でも、はっきり言いましょう。今みたいな時代だからこそ、広告は「アート」であり、「問題提起」をしなければならないんだと。何故なら多くの人がフィルターバブルに引きこもり、自分に取って気持ちいい言葉しか受け入れなくなっているこの時代、「広告」こそが、その棲み分けの壁をぶち破り、人々の意識を侵襲するメディアになりうるからです。 この確信は、↓のような、「広告はターゲットに気に入らなければならない」という、甘ったれた声を見て、生まれたものです。
LOFTのバレンタイン広告にたいする反応を見て、考え込んでしまう - あままこのブログ

「女の子はみんな仲良し」をひっくり返したいならそれ相応の場で。バレンタイン(近年は特に自分・友チョコメインの行事)の広告だよ?お前友チョコ買ってるけど実はそいつの事ほんのり嫌いだろ?って言われるとさぁ

2019/02/04 14:39
b.hatena.ne.jp
「おっさんどものせい」にできれば楽なのだろうけど(LOFTバレンタイン広告について) - あままこのブログ

「ネトフェミのせい」にして楽に炎上狙い?アーティスト活動は自由にやればよいが、広告に使ったことでターゲットができて、そのターゲットが気に入らんと言うから下げただけ。単なる商業活動では。

2019/02/04 22:57
b.hatena.ne.jp こういう考え方を下敷きにして、金田氏のように、「ハッピーになれる表現だけ求めて何が悪い!」みたいな開き直りが生まれるのでしょう。 ですが、当たり前のことですが、自分がハッピーになれる、心地よい甘言だけを聞いて生きていくことは、いけないことです。そうやってフィルターバブルの中に閉じこもり、自分と同じ考えの者同士で傷をなめあっているうちに、考え方はどんどん過激かつ狭量なものになっていくからです。 しかし現代においては、あまりに簡単にそうして「フィルターバブルへの閉じこもり」が可能になってしまいます。よく今回の広告について「アートとしてやれば許された。広告だから許されない」と言う人がいますが、もしこれが単なるアートとして届けられるなら、こういう表現を本当に届けるべき、まさしく今回のような表現を見て怒り狂っている人たちに届けられることはなく、全く問題提起にはならなかったでしょう。それじゃ駄目なんです。 この表現は、これが「広告」として届けられたからこそ、こういう表現を嫌がる人のところまで「誤配」されていった。しかしこの「誤配」こそが、フィルターバブルをぶち破る鍵なのです。そして現代の情報社会において、このような「誤配」が可能なのは、まさしく広告の世界以外にないのです。 その代表的な例が、まさしくフェミニストたちが散々称賛していた、「ジレット」の広告です。 www.huffingtonpost.jp 「男らしさ」を疑えというような表現は、学者の議論やアートでさんざん描かれてきたことですが、しかしそのどれも、このジレットの広告のように、その表現を嫌がり、ボイコット運動まで起こすような、男らしさに囚われた男性にもとまで「誤配」されていくことはありませんでした。広告だからこそ、そういう表現を嫌がる=本当にその表現を届けるべき相手まで、届いていったのです。
「おっさんどものせい」にできれば楽なのだろうけど(LOFTバレンタイン広告について) - あままこのブログ

例えばビールを男性に売りたい会社が、革靴に注いだビール飲ませてゲラゲラ笑ってる宴会の画に「男って楽しい」とコピーつけて、茶目っ気ある絆と残酷さを描くことで男の解放を表現しましたとか、言うかな。広告で。

2019/02/04 23:30
b.hatena.ne.jp こういう反論をする人がいますが、むしろ僕は、今までのフェミニズムの考え方に則って、そういう自分たちにとって気分の悪い表現でも、受け入れなければならないと言ってきているんです。そしてその立場は、変わりません。 しかし、ジレットのCMについてはさんざん「嫌な気分になろうが男どもはその表現に真剣に向き合え」といってきたフェミニストたちが、今回の広告の話になるところっと立場を変え、「広告はターゲットを不快にしてはいけない。ハッピーなものであるのが当たり前でしょ?」とのたまう。はっきり言いましょう。ダブルスタンダードにも程があります。 では今回の広告が、示そうとした「向き合わなければならないもの」とはなにか。それは、「絆・連帯というもののは時に抑圧的に働くことがある」という事実です。

「僕たち/私たちみんな仲良しだよね」の裏にある地獄を直視しろ

例えば、今回の広告に対しては、twitterでこんな反論がよくされていました。

ここでは、例えば女子校でいじめられて最悪の学校生活を送ったり、いじめられなくても同調圧力で自分の個性を押し殺したりするような体験をした人の視線は全くありません。まるであたかも同性同士でつるめばそういうことはなくなるかのように、「理想の女同士の絆」というファンタジーが描かれるわけです。 しかし、もちろん本当はそうではありません。女子校だろうが男子校だろうが共学だろうが、「みんな仲良しのスクールライフ」の背後にあるのは、壮絶な空気の読み合いと、そしてそこに適合できなかったはぐれものに対する容赦ない排除です。まあ、その中で強者としてスクールカーストの上位に君臨すれば、それこそ「みんな仲良しのスクールライフ素晴らしい!」みたいなことが言えるんでしょうが、そういうことが言えるのは、そのスクールカーストの下で悲惨な目に合う弱者を犠牲にしているからです。 今回の広告が嫌われるのは、まさにその弱者を踏み台にして気づきあげてきた、虚構の「みんな仲良しのスクールライフ」が、虚構であることを暴くものだったからと言えるでしょう。 しかし、僕は思うのです。そのように、一見理想郷のように見える社会が、むしろ何かを犠牲にしてできたものであると告発するのは、むしろ今までフェミニズムが率先してやってきたことじゃないかと。 例えば、今回の広告についてある漫画家はこのようなことを言っています。 要するにこの漫画家さんの脳内では、家族の絆は家族の絆として描くのが正しい広告の有り様で、そこで露悪的な表現をしてはならないとなっているわけです。 しかし、フェミニズムっていうのは本来、むしろそういう「家族の絆」みたいな美辞麗句が、いかに女性たちを犠牲にしてなりたっているか、ということを暴露してきた側なはずなわけで、本来のフェミニズムでは、そういう家族の絆を露悪的に描くことのほうが素晴らしくて、家族の絆という美辞麗句をそのまま受け入れることは、むしろ家父長制を擁護するものとして批判の対象になってきたはずなのです。 所が現代のネット上では、そういう「絆」を美しく描くことがフェミニズム的であり、絆の嘘を暴くようなことは反フェミニズム的だとされる。 これって、明らかに転倒してるんじゃないかと、僕には思えてならないのです。 まあこれは、僕が古いフェミニズム観なだけなのかもしれませんが、しかしその古いフェミニズム観からすると、絆という美辞麗句の虚構を暴く竹井千佳氏の表現のほうが、脳天気に「女子校は素晴らしい空間でした」とのたまい、絆の素晴らしさを謳うネトフェミたちより、よっぽどフェミニズム的であると、そう思えてなりません。

「おっさんどものせい」にできれば楽なのだろうけど(LOFTバレンタイン広告について)

LOFTのバレンタイン広告、案の定取り下げになったそうで。

ロフト、バレンタイン広告取り下げへ 女子の不仲描いて「女性蔑視」と指摘相次ぐ : J-CASTニュース

まあ、あれだけ炎上して「LOFTの商品は二度と買わない!」とかいう不買運動起こされれば、企業が怯えて広告を取り下げるのも当然でしょう。

しかしやっぱり納得がいかないのが今回の件についてのtwitterでの反応。

どうやらこの結果を受けてtwitter上のいわゆる「ネトフェミ」と呼ばれる人たちは勝利宣言をしているみたいですが、やっぱり彼女らの主張は僕にとっては首を捻らざるを得ないものでした。

なかでも一番イライラするのがこういう主張

ハッピーゆべ on Twitter: "ロフトのバレンタイン広告イラストもテーマもくそださ… これぜったいお上()のおっさん達がゴリ押ししたんじゃない?"

📛みんみん📛 on Twitter: "ロフトの炎上したバレンタインの広告絶対作ったのおっさんだろ。「ズッ友」とか「うちの彼氏」とか絶妙な死後なんだよ"

美夜 on Twitter: "日本のおっさん管理職連中は、意地でも女子を分断して自虐をさせたいらしいな。こんな店では今後絶対買わねえ。 ロフトのバレンタイン広告「女の子って楽しい!」にTwitterユーザー困惑 「どういう意味?」「チョコを売る気はあるのか」 - ねとらぼ https://t.co/DsqCyn5D8M @itm_nlabさんから"

全肯定プラスチックフィールド on Twitter: "ロフトのやつは40代くらいで俺まだ若いしってやってる太いリムのメガネかけたパーマのおっさんとかがこういうのが女の子にはウケる!ってやってたんだろうなってありありと眼に浮かぶ"

にぎりめしおかか on Twitter: "LOFTのバレンタイン広告酷過ぎwww あれ企画したのっていい大人たちでしょ??え、女の人携わっていなかったわけ??おっさんたちばっかで考えたの?最悪すぎwwwwwwwロフトのチョコは絶対買いませんお疲れ様でした!"

🐜 on Twitter: "てかそのコンテンツを作ってる役者とかはほんとに罪がなくて大元になってる上の奴らがゴミなんだよね結局じじいとか偉そうなだからロフトの広告も問題になってるんじゃないの?どーせよくわかってないおっさんとかが会議とかで決めたんでしょあれでバレンタイン楽しむと思ったわけどうかしてるでしょ"

「ロフト 広告 おっさん」とかでTwitter 検索すりゃこの他にもこういう主張は山ほど出てきます。

要するに今回の広告は、ネトフェミたちの間では「女性蔑視のおっさんたちが発案した差別広告に、全女性が一丸となって対抗し撤回させた案件」として認識されているわけです。

でも、現実は違うわけです。

今回の広告のイラストを描いたのは、竹井千佳という “女性の”イラストレーターの方なんですよ。

しかも彼女は、この広告以前にも、こういう「女性たちの仲良しの裏にあるギスギスしたもの」をいっぱい描いてきた。というかそれがメインテーマとも言える人なわけです。

その瞳は悲しみを流しだす。愛とパワーを感じる竹井千佳画集『Sp:telling,(テリング)

もちろん、それを「男に媚びた名誉男性」とか言って批判するのは、そりゃネトフェミたちの自由でしょう。けど少なくとも、「女性蔑視のおっさんたちv.s.全女性」みたいな構図に持っていくのは端的に間違いであり、おっさんへの評判を不当に貶めるものである。そこのところは素直に謝ってほしいと、1おっさんとしては思います。

そして更に重要なのは、こうやって女性の中からも「女の絆(シスターフッド)ってそんなに美しくて正しいもの?それが時に自分たちを傷つけるものとして働くこともあるんじゃない?」という疑義が提示されていること、そのことにネトフェミたちは向き合うべきなんじゃないの?ということです。

今回のLOFT広告を受けて、twitter上では「対案」と称するイラストが多く投稿されました。

ぬまがさワタリ@『絶滅どうぶつ図鑑』&福岡マリンワールドで1月よりコラボ展! on Twitter: "ロフトのバレンタイン特集のやつ(https://t.co/gllsW7W1mw)、今時「女同士は実はギスギスしてて…」でもないと思うし、こんな感じにすればよかったのに。(ドニーさん脳)… "

時田時雨*月田さん1巻発売中 on Twitter: "思わず2次創作しちゃった… #ロフト #バレンタイン #百合… "

でも、はっきり言いましょう。これらのイラストに、表現として素晴らしいと思える点は一ミリもありません。少なくとも竹井千佳氏が描いているような表現に比べれば、毒にも薬にもならない、陳腐な表現です。

なぜならそれらのイラストは、「仲のいい女の子って素晴らしいね」という、一般常識から一ミリも外れることのない、安全な表現だからです。

それに比べれば竹井千佳氏の表現は、多少毒かもしれませんが、よっぽど問題提起的であり、表現として見るべき部分があります。

そして更に言うなら、上記の「対案」と称するような表現は、誰も救いませんが、竹井千佳氏のような表現に救われる人は、いるでしょう。

これは男性とか女性とか関係ありません。人間の普遍的性質として、群れて行動すれば、そこには必ず同調圧力というものがうまれ、異質なものを排除しようとします。

特に学生時代というのは、その同調圧力がとても強いもので、ある人はそれを「友だち地獄」とすら呼んだりするわけです。

友だち地獄 (ちくま新書)

友だち地獄 (ちくま新書)

 

仲良しグループの素晴らしさ、楽しさばかりを誇示しようとする人間は、絶対見ようとしないものですが。

というかむしろ昔のフェミニズムは、こういう「一般に良いものとされているものの内実はむしろ醜悪なものである」という風に、一般常識の嘘を暴くものだったはずです。

それ故にフェミニストと呼ばれる人たちは孤独であったけど、むしろその孤独を誇っていた。「群れてしかものを言えない連中たちとは違うんだぜ」と、僕はそういうフェミニストたちを、カッコいいと思っていました。

ところが今のフェミニストはどうか。シスターフッドとか美辞麗句を駆使しながら、結局やっていることは、世間的に正しく、美しいとされていることをただ追認して、そこから外れた、今回の広告のような表現を集団でぶっ叩き、数の力で沈黙させる。そこでその表現の背後にどのような思いがあったのかを、真剣に考えようともせずに。

そんなネトフェミたちを見ていると、もはやフェミニズムとは世間の多数派の、抑圧の口実にしかなってないんじゃないかと、そんなことすら思いますね。

 

 

LOFTのバレンタイン広告にたいする反応を見て、考え込んでしまう

LOFTのバレンタイン広告がネット上で炎上しているそうで。 www.huffingtonpost.jp twitterから引用すると、女性たちはこういう理由で怒っているそうです。

まあ、これ自体は正当な理由の怒りだとは思うんですよ。

でも、続くこのツイートを読んで、なんか「うーむ」と、考え込んでしまったんですね。

そしてそうやって考えているうちに、TLに、今回の広告の対案として以下のような漫画が投稿されているのを見て、ますます僕は考え込んでしまうのです。 なぜなら、僕のようなおじさんの感性からすると、むしろ後者のような「バレンタインにみんな仲良くハッピー!」みたいな広告こそ、嘘くさくてうんざりしてしまうようなものに思えるからです。

広告に「毒」があってはいけない時代

僕なんかは、基本80年代文化に憧れて育ってきましたから、広告っていうのを「アーティスティックな表現」が許される場として見てしまうんですね。で、そういう視線からすると後者のような表現は、あまりに陳腐に見えちゃうわけです。「女の子はみんな可愛くて仲良し!」って、道徳の教科書じゃああるまいしと。そして、むしろそういう「女の子はみんな仲良し」みたいな女性に押し付けられたファンタジーを壊すことが、問題提起的で新鮮なんじゃないのと思っちゃうわけです。多分この広告の作り手たちも、そういう考えのもと広告を作ったと思うんですね。

ところが、今の若い世代にとっては、むしろそういう考え方のほうが「古臭い」ものになってしまっているんですね。広告にアーティスティックな表現が出ることが当たり前になってくると、その反動として「いや広告ってもの売るための表現でしょ。何勘違いしてんの」ということになり、「女の子はみんな仲良し!」みたいなファンタジーが壊されたあとに出てきた「女の子はみんなギスギスしてる」みたいなステレオタイプこそが、攻撃されるべきものとなった。だから今回の広告は、ここまで批判される。

それ自体はまあ良いんですよ。かつて新しかった考え方が今は古くなるっていうのは当然のことだし、そして、広告とかに携わる人間なら、そういう時代の流れについていけてないことは、罪であるとすら言って良い。

でも、その対案として出てくるのが「女の子はみんな可愛くて仲良し!」っていう、道徳の教科書に出てきそうな光景というのは、なんか違うんじゃないかなあと。

まあ、女性のことは女性が決めて考えるべきことなんで、本来僕が口を挟むべき問題ではないってことはわかってる、わかってるんですけどね。

でも、例えばもし男性向けの広告で、「男同士の友情の絆は永遠だぜ!」みたいな表現が出てきたら、まあBL好きの方はキャーキャー叫ぶのかもしれませんが、少なくとも僕は「うげー」と思います。そんな男同士のホモソーシャルって美しいものじゃないし。むしろそこから疎外されるような人間のことを考えてくれよと、思ってしまうでしょう。

女性にはそういう「女性同士の絆とか嘘くさいし」っていう感情って、ないんでしょうかね?いや、ないならまあ良いんですけどね……

コミケ「韓国人・中国人お断り」張り紙問題についてのまとめ

3行まとめ

  • コミックマーケットコミケ)95において、あるサークルで「韓国人・中国人お断り」という張り紙がされていたという証言が上がり、問題となっています
  • 更に、上記の張り紙について見解を問われたコミケ準備会が、法律で規制できない以上、そのような張り紙は容認すると解釈できる発言をしたことも大きな問題となっています
  • 「韓国人・中国人お断り」という張り紙が法的に本当に問題ないかについては、多くの人が過去の判例や近年施行された法律・条例をもとに疑義を呈しています

このまとめについて

このまとめは、コミックマーケットコミケ)95において、あるサークルで「韓国人・中国人お断り」という張り紙がされていたという証言から始まったさまざまな事象について、現時点(2019/01/04)でわかっていることや、この事件を考えるにあたって参考になりそうな知識についてまとめたものです。

なお、まとめ主自身が「韓国人・中国人お断り」という張り紙を容認すべきではないという立場なため、そのような立場からの情報に偏っています。

なので、もし「このまとめは偏ってる!」と考える方がいたら、是非そのような立場からまた別のまとめ記事を書いていただければと思います。

問題の経緯について

発端は、ある一般参加者が、コミックマーケットコミケ)95三日目に、「韓国人・中国人お断り」という張り紙をしているサークルを見たという告発をした*1ことでした。 そして、コミケ後、コミケ反省会というイベント*2において、「韓国人・中国人お断り」という張り紙をどう思うか問われた準備会が、次のように答えたことも、大きな波紋を呼びました。

どういう方法で頒布するかはサークルの判断と責任に委ねている。日本の法律に違反していない以上、準備会からは口出しする案件ではないと思う。

ヘイトスピーチとか云々…」グレーな状態であることは理解しているが、他のスペースには「男性お断り」としているスペースもある。*3

コミケ準備会がこのような見解を示したことについて、多くの人が問題視し、「コミケ準備会はこのような張り紙を許容しないとはっきり言い、再発防止策を取るべきではないか」という声を上げています。

問題が話題になったあとにtwitter上で行われたアンケートでは、3000人が回答したアンケートで約半数が「コミケ準備会が、c95で登場した「韓国人・中国人お断り」のビラについて、何らかの再発防止対策を行わない限り、コミケには参加しない。」と回答しています*4

一方でtwitter上では、コミケは「表現の自由」が最大限尊重される場である以上、「韓国人・中国人お断り」というような差別表現も許されるのがコミケという場であり、準備会はこの張り紙を問題視する圧力に屈してはならない、という主張もされており、大きな論争になっています。

そのような張り紙は実際にあったの?

当初、「韓国人・中国人お断り」という張り紙をしているサークルを見たという告発をした人が一人であったことから、その告発は嘘だったのではないかという声が上がりました。

しかしその後、複数人が、この張り紙について反省会で質問がなされた際に、自分がその張り紙をしたことを認めた人がいたという証言をしています。*5

ただいずれにせよ、まずは準備会自身が、事の真偽をはっきり調査し、報告すべきでしょう。

ただ、多くの人は、「韓国人・中国人お断り」という張り紙も問題視していますが、それ以上にコミケ準備会がそのような張り紙をすることを容認するような発言をしたことを問題視しています。 そして、準備会がした発言自体については、とくに疑義は出されていません。

本当に準備会が言っているように、「韓国人・中国人お断り」という張り紙をすることに法的に問題はないの?

実際は大きな問題があるのではないかと言われています。

法的な問題としては大きく二つがあります。

それぞれについて解説していきます。

ヘイトスピーチ対策法や、東京都人権尊重条例に違反する「ヘイトスピーチ」ではないかという問題

ヘイトスピーチ対策法は、2016年に成立した法律で、その内容は以下のようなものです。

「不当な差別的言動は許されないことを宣言」し、人権教育や啓発活動を通じて解消に取り組むと定めた理念法で、罰則はない。差別的言動の解消に向け、国や地域社会が、教育や啓発広報、相談窓口の設置など「地域の実情に応じた施策を講ずる」よう定めている。

ここでははっきりと「不当な差別的言動は許されないことを宣言」しています。

そして、このヘイトスピーチ対策法をもとに、東京都では2018年に人権尊重条例というものを可決。今年の4月に施行する予定です*6

この条例では、ヘイトスピーチが行われる可能性が高い集会等について、知事の権限で都の施設を利用することを制限することができます*7

なので、もしコミケが「ヘイトスピーチが行われる可能性が高い集会」とみなされれば、ビックサイトなどの仕様が制限される可能性もあるわけです。

国際人権規約人種差別撤廃条約の間接適用による不法行為に当たらないかという問題

また、今回の張り紙はそもそも「韓国人・中国人お断り」というように、国籍によって不当に排斥を行っているとも取れるため、そもそも「差別的表現」ではなく、民法不法行為として損害賠償の対象になるものではないかという声もあります*8

類似の例としては小樽市外国人入浴拒否事件や、宝石店外国人入店拒否事件が挙げられます。これについて詳細は後述しますが、いずれも「国籍を理由に不当な取扱を行ったことに対して、不当な取り扱いを行った人物に損害賠償が命じられた」事件です。

以上のように、「韓国人・中国人お断り」という張り紙をすることが「日本の法律に違反していない」という準備会の説明は、かなり怪しいと思われ、弁護士の方も疑問を呈しています*9

今回の問題に似たような例って何がある?

とりあえず以下のような事件があり、いすれのケースにおいても、「韓国人・中国人お断り」のような張り紙は結局は許容されなかったということを知っておくべきでしょう。

浦和レッズ差別横断幕事件

浦和レッズの主催試合において主催者が「JAPANESE ONLY」という差別横断幕をスタジアム内に掲示した事件です。サポーターの差別横断幕自体もさることながら、抗議を受けながら試合終了までそれを黙認し、問題発覚後も曖昧な態度を取っていたチーム側にも大きな批判が集まり、結果として無観客試合などの制裁が課され、当該サポーターグループの永久出入り禁止・他のサポーターグループの解散・横断幕の全面撤去・応援方法の規制強化などが実施されることとなりました。

個人的には、「集団内でのローカルルールが結果として差別を容認することになってしまった」という点や、「差別表現をした人間だけでなく、それを黙認した運営側の責任こそが問われた」という点において、まさしく今回の事件で参照されるべき事件じゃないかと考えています。

参考リンク

d.hatena.ne.jp - 浦和レッズの現状と今後について|URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE business.nikkeibp.co.jp

 インサイダーの判断は、いつもこんな調子のところに落ち着く。  仮に差別を糾弾する記事を書いたサッカー記者がいたら、彼は、「空気を読めないヤツ」(←だって、彼の記事で被害を受けるのは、差別をした人間じゃなくて、サッカーそのものだから)という感じの扱いを受けたはずだ。

 いや、これは、私の憶測に過ぎない。  でも、そんなに外れていないと思う。

 インサイダーは、愛するものを守ると言いながら、その実、自分の身を守っている。  というのも、インサイダーにとって、自分が帰属する集団は、自己利益そのものだからだ。

今回の騒動について、「コミケを守るため」と言って差別張り紙や、準備会を擁護している人は、まさにここでいう「インサイダー」になっちゃってはいないかと思うのですが、どうでしょう?

小樽市外国人入浴拒否事件・宝石店外国人入店拒否事件

www.hurights.or.jp

1999年10月に静岡地裁浜松支部は、ブラジル人であることを理由に入店を拒否した宝石店主の行為について人種差別撤廃条約を間接適用し、これを不法行為とする判決を下した。被告が控訴しなかったためこの判決は確定し、日本の裁判所が人種差別撤廃条約を適用した最初の裁判例となった。1990年代後半から北海道など各地で公衆浴場や居酒屋による「外国人お断り」の動きがあり、これに市民団体が反発し、人種差別撤廃条例の制定を求める運動が活発化した。2002年11月の小樽入浴拒否事件に関する札幌地裁判決では、公衆浴場による外国人の入浴拒否は人種差別撤廃条約の趣旨からして私人間でも撤廃されるべき人種差別にあたるとして、これを不法行為と認定した。

参考リンク

news.yahoo.co.jp

最後に

もちろん、現実にコミケ準備会が全てのブースを点検し、差別的張り紙がなされていないかチェックすることは不可能でしょう。

ただ、だとしても少なくとも今回の「韓国人・中国人お断り」のような張り紙は、規約で明確に禁止し、それが報告されたら即座に頒布禁止にする、ぐらいの措置は取るべきでしょう。

中には下記のように「同人の主催にそこまで求めるな」というような声もあります。

コミケは一般社会から遊離した、「社会の外」の存在だから、差別も許されるべきだという声もあります。

しかし、そのように「同人だから許される」「自分たちは社会の外の存在」というのは、あくまでコミケの内輪の論理であって、外には通じないというのを、コミケ参加者は自覚すべきじゃないかと、僕は思います。

もちろんなんでもかんでも社会一般の価値観を優先すべきという話ではありません。社会全体のメインカルチャーに対するカウンターとしてコミックマーケットが存在してきた、この意義は僕も認めますし、一参加者として、この場を潰したくはないと思います。

しかし、それを隠れ蓑にして、差別や排外主義が温存される場所にコミケがなってしまうのなら、残念ながら、そんな場所は潰してしまうべきとも、一市民として思います。

この先、準備会、そして参加者一人一人がどういう対応を取っていくのか、注視していきたいと思います。

参考リンク

matome.naver.jp togetter.com kamiyakenkyujo.hatenablog.com